205 回復
瓶が空になり、ダイオンは足首に違和感でもあるのか小さく動かしている。
俺たちも緊張と期待を持って、足首へと視線を向けた。
するとなんらかの変化を感じ取ったらしいダイオンが立ち上がる。そしてその場で跳ねたり、屈伸などで足首を強めに曲げていく。
「痛みがなくなった。外で本格的に動いてみる」
剣を手にしたダイオンと一緒に皆で外に行き、ダイオンが動き回る様子を見る。
まずはダッシュをして、一度目でなんの異常もでないことを確認すると、繰り返し行ったり来たりダッシュしていく。
体が温まったら、シャドーのように相手を想像しながら剣を振っていく。
そうして十五分ほど経過する。そばで見ていたかぎりではなんの異常もないように見えた。俺よりも真剣に見ていたイリーナもなにも言うことはなかった。
「まったく痛まないな。無茶な動きをすれば痛むが、それは当然のことだ。もとに戻っている」
嬉しげに自身の状態を報告する。
良かったとイリーナは心底安堵したように笑みを浮かべその場に座り込む。
「イリーナ、鈍った体を鍛え直したい。付き合ってくれるか?」
「うん、うんっ。いつでも付き合うよ」
足が治ったこの日から無茶をすぎしない程度にダイオンは鍛錬を始めた。ダイオンの想定以上に衰えた肉体が以前のものへと戻っていく速度が早いということで、薬の効果がしっかりと現れているのが判明し、改めて最上品の薬なのだと実感できるのは少し先のことだ。
「俺たちは家の中に入るよ。ほどほどにね」
「また体を壊したくないから、そうするよ」
俺とシャーレが家に入り、家の掃除や風呂掃除をすませている間も外では鍛錬が続き、二時間ほどで二人は家に入ってきた。
ダイオンは思いっきり動けたようで、うっすらと汗を出し、すっきりとした表情だ。イリーナの表情も晴れやかだ。
二人ともこれまで表面上は落ち着いた様子だったけど、やはり心の中では溜まるものがあったんだろうね。
「汗を流したいなら風呂にお湯入れるよ」
「頼めるかい」
「すぐに入れてくるから準備してて」
浴槽にほかほかと湯気を上げるお湯を入れ、ダイオンを呼びに行く。
イリーナも入るようで、準備していた。
いつでも入れるよと言うと、二人は早速風呂場に向かう。
「あの二人は私たちが出ている間、お風呂場を使ってなかったみたいですね」
「そうなんだ?」
「はい。久々の風呂だと嬉しそうでしたよ。まとまったお水の確保やお湯にする調整が難しかったのでしょう」
「湯にするだけならダイオンができそうだけど、水はあの二人だと難しかったか」
「浴槽を一杯にするより、ある程度のお湯を準備して髪を洗い、体をふくだけの方が楽だったのかと」
水の魔法に適正がないとそんなものになるのか。
二十分ほどで上がってきた二人はさっぱりした様子だった。
夕食までまだ時間があり、のんびりとしながら俺たちの旅についてや留守中について話す。
「あの騒動が詩になってたの? わ、私のことはなんて言ってた? 母さんに聞かれたらなんて言われるか」
「相打ちに改変されてたよ」
「操られて仲間と戦ったことはばれるのね。母さんの耳に届く前に帰って説明すれば!」
立ち上がり宣言するように言ったイリーナに、今からだと帰る前にノーナさんの耳に届いているのではとシャーレが言った。
それでイリーナは力が抜けたように座る。
ダイオンが励ますように背中を軽く叩く。
「魔獣は凶悪で常識外れの存在なんだ、操られたりしても仕方ない。それはノーナさんもわかってくれるだろうさ」
「わかってくれるかしら」
「情けないとなじるようなことはないと思うがね」
だといいなとイリーナはテーブルに突っ伏す。
この話題を続けることはやめようとダイオンは別の話題を切り出す。
「海を移動する島が実在して、それがローズリットに縁のあるものだったとはな」
「危ないものが保管されているなら触らないで正解よ」
突っ伏したままイリーナが言う。
「世の中住みづらくなったらあそこに引っ込むのもありだってローズリットと話したよ。なにもないところだから住むにはいろいろと持ち込まないといけないだろうけど」
「そんなことにならないといいが。気になるのは獣胎母の生み出した魔物の生き残りだな。突然変異でまた大騒ぎなんてことにならないといいが」
「もう一つの生き残りは平気そうなんだけどね」
「もう一つの生き残りってなんだ?」
ダイオンたちが初めて聞いたという反応を見せた。イリーナも興味深そうに顔をこっちに向ける。
ん? あ、言ってなかったことだっけ。
「獣胎母が最期の最後に後継者になる卵を産んだと管理者が言っていたんだ。二つ産んで、一つは潰れて、もう一つは生き残りに運ばれて廃棄領域を出た」
「大事じゃないか!? またどこかで同じことが起きるんだろう?」
「起きないみたいだよ。あの獣胎母は種を増やすことを目的にしたけど、生き残った方は増やすんじゃなくて種を存続させることを目的にするんだってさ。慎重に動いて安住の地を探し、そこで増えていく。再び脅威になるとしたら三百年後とか言っていた。脅威にならない可能性の方が大きいらしいけど」
「どうしてなの?」
あの騒動を思い出しているのか、イリーナはいまいち信じられないといった表情だ。
「俺たちが獣胎母の用意した強敵を倒したことで、どんなに優れた魔物を生んでも殺されると思ったからだったかな。だから敵対しない方向で進化していくだろうってさ」
「三百年後に脅威か。それだとどうしようもないな。それにしてもあのとき俺たちが頑張った影響が、そんな感じででるんだな」
「まあ、かなり強い魔物がたった一人に倒されたりしたら、関わるのは怖いと思うかもしれませんね」
「シャーレだって護衛を含めた多くの魔物を魔法で倒してたし、怖がられた原因だと思うわよ?」
イリーナにそう返されて、納得してしまったのかシャーレは気まずそうに視線をそらす。
「なんにせよ、三百年後の人間が頑張ることになるかもな」
「リョウジとシャーレはその時まだ生きてるのかしら? ショアリーが百歳を超えてまだ元気だし、彼女に近い二人もたぶん長生きよね?」
「どうなんだろう、自分がどれだけ生きるかなんてわからない」
なんとなく長生きするんだろうなとは思うけど、どれくらいかは意識したことはない。
「そこまで生きても遭遇するかどうかわからないけどね」
「そうだな、世界は広いしまた遭遇する可能性は低いかもな。向こうでは生き残りと遭遇したことや傭兵との再戦以外は、特にこれといったものはなかったのか?」
「なかったよ。ダイオンたちは村でなにかあった?」
ワシャンさんから聞いたことと同じことをダイオンたちからも聞けた。
話の終わりに、思い出したというふうにダイオンが付け加える。
「リョウジたちがいなくて風呂に入れなくて、リラックスできる時間が減ったと村人に話したら、村人が風呂に興味を示してな。どんな感じか話したら彼らも入りたいと言っていたな。どうにかできないかと相談されたよ」
「どうにかねー、簡単なものでよければガワはできそうだし、お湯も入れられる。でもお湯が冷めるたび毎回呼び出されるのは面倒だし、そもそも俺がいないときは使えないだろうし」
「お湯の管理は村人に任せたらいいさ。村にはある程度の人数がいるんだし、水の資質持ちと火の資質持ちは何人か見つかるだろう。その人たちにお湯を作る魔法を教えて、複数人でお湯を注げばなんとかなるだろうさ」
「それでいいなら作ってみようか。まずはワシャンさんに相談だな」
毎日全員が入れるだけのお湯を準備するのは無理かもしれないけど、ローテーションで入る人数を制限した状態でのお湯の準備と温度の維持なら、加護を持たない村人が使う魔法でも大丈夫かもしれない。
ワシャンさんのところに行くのは明日にして、今日は旅の疲れをとるため家でゆっくりと過ごす。
そうしているうちにメリエッタもワシャンさんのところから戻って来る。シャーレと一緒にご飯を作り、シュゲンの分を隣に持っていくかと思ったけど、シュゲンから今日は食堂で食べるからと断りを入れられていたそうだ。食堂で村人たちに迷惑をかけたことを詫びるつもりらしい。
「シュゲンが悪いわけじゃないのにね」
「止められなかったということで、責任があると思っているようですよ」
大変そうだから家事を頑張って過ごしやすくなるようにしようとメリエッタは続けた。
「次に来る騎士が問題児じゃなければいいね。次も問題児だったらシュゲンの胃が大変なことになりそうだし、ワシャンさんも国に一言言いたくなるだろうし」
「そんな人材がまた送られてきたら、私だったら喧嘩売られていると判断しそうよ」
「ここは重要地だし、そんなことはしないと思いたいな」
運ばれて来た料理を受け取りダイオンが言う。
料理が並び、シャーレとメリエッタも椅子に座って、皆で食べる。
久々となるシャーレの料理をダイオンたちは美味しそうに食べていた。
食事が終わり、ダイオンとイリーナはナッツを肴に美味しそうに酒をちびちびと飲む。ようやく足が治り、二人とも気が楽になったようで、今日の酒は一際美味く感じてそうだ。
「お風呂の水を沸かしてきますね」
「頼んだ」
シャーレが風呂場に向かう。沸いたらすぐはいろうか、いやシュゲンを労わろうかな。
「シュゲンにもお風呂が使えるって伝えてあげて。疲れてるだろうし、少しは癒されるだろ」
「わかりました」
頷いたメリエッタが家を出ていき、すぐにシュゲンと一緒に戻ってきた。
「風呂を使えると聞いたのだが」
「裏にある風呂を使えるようにしてあるんで使っていいですよ」
「ありがとう」
「洗濯物は籠に入れておいてくださいね。明日洗濯しますから」
そう言うメリエッタに、わかったと頷いたシュゲンが着替えなどを取りに家に戻る。
少しして風呂から上がったシュゲンが、ダイオンたちに誘われて酒盛りに参加した。
次にメリエッタが風呂に入り、俺とシャーレが最後に入る。
風呂を上がるとシュゲンは早々に切り上げたようでおらず、ダイオンたちも酒は片付けていた。
風呂から出てきた俺たちにイリーナが声をかけてくる。
「寝るところどうしよう? これまでは私とダイオン、メリエッタで分けてたんだけど。リョウジとシャーレが一部屋使うだろうし、メリエッタが寝る場所がなくなるんだけど」
「そのまま三人で使ってもらって、俺とシャーレが馬車に行くって感じでいいんじゃない? 俺とシャーレが同じベッドで寝て、もう一つをメリエッタが使うってのもいいけど、それだとメリエッタが落ち着かないだろうし」
「二人を追い出すような形になるのは申し訳ないので、一緒の部屋で大丈夫ですよ……夜中にシャーレとおかしなことしませんよね?」
少し顔を赤くしたメリエッタが聞いてくる。
「さすがにメリエッタが一緒にいる部屋でやらかさないよ」
「二人だけならやるの?」
そこを追求しないでほしい。最近は我慢することもあるんだから。
どうにか誤魔化して、メリエッタが一緒の部屋で寝ることになった。
シャーレは俺のすぐそばで寝られることに嬉しそうだった。
シャーレとメリエッタがパジャマに着替えてから部屋に入り、ベッドに入る。二人とおやすみと声をかけあい、目を閉じる。
今日の夢の講義は、浴場造りに必要になると思うから、クライヴが使っていた土を固める魔法を教えてもらった。
朝になり、朝食を食べるとダイオンとイリーナは駐屯所に向かうためマプルイの準備を整えに行き、シャーレとメリエッタは家事をこなしていく。
俺はワシャンさんに浴場の件を聞きに向かう。
扉をノックしておはようございますと声をかけると、ワシャンさんが出てきた。家の中は静かだから、もう家族は畑に出たんだろう。
「おはようございます、リョウジさん。なにか用事でも?」
「バルサーがどうしているかってのと、村人から風呂に入りたいって話が出ていると聞いて、浴場を造ってみようかと考えて、そこらへんどうでしょうという話です」
「なるほど、中へどうぞ」
椅子に座り、すぐに話し出す。
バルサーは動く音は聞こえてくるが、暴れるようなことはなかったらしい。空腹と渇きでそれどころじゃなかったのかもしれない。元気になったら騒ぐだろうからこのままでいいか。ワシャンさんたちも同じように考えたから、放置したんだろうしね。
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