196 ファーネンとの会話
朝にパーレの貨幣に換金して、孤児院へのお土産にクッキーといったお菓子を買ってシャーレの故郷を目指す。
故郷までは余裕をもって到着すると、これまでの移動速度で予想できていたからゆっくりめで飛んでもらい。感覚的に午後二時過ぎくらいだろうという頃に、川そばの村が見えた。
マプルイを預けて、孤児院を目指し歩いていると注目が集まった。これまでのようなシャーレの美貌に注目されたものではなかった。向けられたのは敬意の含まれた視線だ。
詩がここまで届いていて、シャーレが気づかれたのだろう。詩にはシャーレの名前も出ている。故郷全員がシャーレのことを知っているわけじゃないだろうけど、知っている人が噂を広めたかして、知名度が上がったんだと思う。
二人でその視線に気づかないふりをして歩く。知りませんよという態度が効いたのか、接触を拒絶した態度に気づいたか、話しかけてくる人はいなかった。指差してこそこそと会話する姿はあちこちで見られたけどね。
孤児院に入るとシャーレに気づいた子供たちが集まってきた。再会を喜ぶ以外に憧れの視線もあるのは、魔獣討伐の話の影響だろうな。
先にファーネンさんに挨拶させてほしいとお願いして、軽く挨拶するだけですませてお土産を渡して、子供たちから離れる。
ファーネンさんがいるという部屋の扉をノックする。緊張してきた。一発頬を叩かれることくらいは覚悟しておこう。
「どうぞ」
「失礼します」
部屋に入ってきた俺たちを見て、ファーネンさんは目を見開いた。凝視したあと、深呼吸したファーネンさんの胸中はどのようなものだったのだろう。
「……おかえりなさい」
「はい、ただいまかえりました」
シャーレがそう返し、俺は一礼する。
椅子を勧められ、シャーレと並んで座る。
ファーネンさんは机に肘をついて両手を組んで俺たちを見る。
「まずは無事に帰ってきたことを嬉しく思います。シャーレは以前よりもまた成長しているようで、ここを出たときと比べてまるで違う」
「主様に大切にしていただいているから、心身ともに健やかに成長できたの」
「大切に、ね」
見るからに含むところがありますという態度だ。再会を喜ぶ雰囲気ではなくなった。
言いたいことはわかる。大切にするなら魔獣との戦いに連れ出すなと言いたいのだろう。
俺がなにか言う前にシャーレが口を開く。
「たとえ魔獣との戦いがファーネンママにとって不服なことであっても、私は大切にされていると言い切れる」
ファーネンさんは手を握りしめてなにかに耐える仕草を見せた。力が込められた手が小さく震えている。
「それに私はまた同じことがあったら自分からついていく。前回もそうしたの。どこまでも一緒、それが私自身のやりたいことだから。主様一人で行かせるつもりはない」
「あなたまで危ないところに行く必要はないと思う。留守番して帰りを待つのでは駄目なの?」
「それは無理。事情があってついていけないなら、まだ納得できるけど」
サッシャムの川の町のときとかかな。あのときは力が抑え込まれていて、ついて行くと邪魔になると納得できていたはずだ。それに獣胎母とか魔獣と比べると格が落ちるから、万が一の事態にはなりえないと考えたんだろう。
「でも助けが一人でも必要なとき、同行できるのについていかず、私の知らないところで主様が倒れたりしたら、私はついていかなかった自分を恨む」
「ついていったところでなにもできないかもしれないのよ?」
「なにかできるように日々学び鍛えているわ。その成果を主様も知っているから、戦いの場に同行を許してくれるの」
「……本当に体も心もここにいたときと比べものにならないわね」
眩しそうに、自身の知らない誰かを見るように、ファーネンさんはシャーレを見る。
数年で死がくることが確定していた虚弱なシャーレはもういない。ファーネンさんが知っているシャーレは過去の存在で、今ここにいるシャーレは様々な経験を得て成長したシャーレなのだ。ファーネンさんのよく知った小さなシャーレと重ならなくて当然だ。
「まずシャーレのことで心配をかけたことは謝罪します。育ての親ですからね、心配するのは当然でしょう」
「だったら!」
「ですが犠牲にしたいと思って危ないところに連れて行ったわけではありません。シャーレの力も必要としたから連れて行ったのです。俺との旅でシャーレは成長しました。それはファーネンさんが思っている以上の成長なんです。力が強くなっただけではありません。恐怖や不安に打ち勝つだけでもありません。未来を望み、苦難を乗り越え、希望を掴むことができるだけの成長をしました」
「そういった英雄のような成長までは望んでいなかったのですけどね。ごく普通の幸せを手に入れてくれればと願い、あなたに託したのです」
だろうね。俺も英雄になってくれと願っているわけじゃあない。
「幸せになってくれと思うのは俺も同じですよ」
「でしたらなぜ危険な場所にっ」
「さっきも言いましたがシャーレの力を必要としたからです。俺や俺の仲間だけでは足りなかった。シャーレの力もあって成し遂げることができました。俺が命じたらきっとシャーレは言いつけに従って留守番をすると思います。ですがそれはシャーレの心を押し殺すことになります。大切だからしまい込む、傷つくところを見たくないから隔離する。それは押し付けでしかないと思います。俺たちがシャーレを大事に思うように、シャーレも俺たちを大事に思っています。力になりたいと思っています」
「その通りです。主様の力になる。それが旅の中で得た私の願い。奴隷だからじゃない、大事な存在だから私も守りたい。そばにしっかりと立っていたい。そう思ったの」
しっかりとファーネンさんを見て言いきったシャーレ。
その視線を受けて、ファーネンさんは小さく溜息を吐いた。組まれていた手も力が抜かれほどかれる。
「リョウジさんに託した以上、私に止める権利などないのです。なので今までの態度は、ただの愚痴や八つ当たりでしかなかったのです。孤児院を巣立ったシャーレは楽しく旅をしているものだと思っていました。危ないことをやったと以前帰還したときに聞きましたが、それでもできるだけ危険は遠ざけられていると思って、いえ思い込んでいたのです。そうでなければシャーレに危機や不幸が降りかかったとき、あなたに託すと決めた私にも責任が生じると考えた。そこに魔獣との関わりがあったという話を聞いて動揺しました。どうしてと疑問が浮かんで、不安が生じ、リョウジさんに荒れた心をぶつけなければ収まりがつきませんでした。馬鹿な女、自分勝手な女と笑ってください」
自分が悪いように言いすぎじゃないかな。
「笑いませんよ。シャーレを大事に思っているからこそ、思い湧いた心情なのだと思います。ここにいた子にしっかりと情を持ち続けているから感じたことなのだと思います。もし情がなくなっていたのなら、驚くだけで終わってたと思いますよ」
俺に預けたからもうあとのことは知らないとか言い出された方が困惑するし、冷たい人間だと思う。
「……シャーレ、あなたは普通に暮らしていたら遭遇しないような危険な目に合っている。それでも幸せなの?」
「うん。断言できる。私は今すっごく幸せな日々を送れている」
「そう。あなたが納得しているのならこれ以上は言いません。無茶をしすぎない範囲で、あなたの幸せを追い続けなさい」
説得を諦めたという否定的な表情ではなく、祈りを込めた祝福の表情でファーネンさんは微笑んだ。
「私はリョウジさんともう少し話したいから、あなたは子供たちのところに行ってきなさい。待ちくたびれているでしょうし」
「主様を責めたりしない?」
「しないわよ。愚痴も八つ当たりももうした。これ以上は恥でしかないわ。聞きたいのはこれまでの旅のことよ、改めて聞きたいの」
少し心配そうなシャーレに大丈夫だと声をかけて、子供たちのところへと向かわせる。
扉がしまり、シャーレの足音が離れていって、旅の話を始める。
「さてどこから話しましょうか。以前話さなかったことを中心にでいいですかね?」
「ええ、お願い」
「魔獣関連よりも驚くことがありますが、それでも?」
ファーネンさんは少し息を詰まらせた。でも表情を引き締めて頷く。
精霊化や大精霊の加護はたしか話したよな。話していないのは獣胎母に関してだったか。ラムヌを出てくらいから話そうか。
略せるところは略して、獣胎母という存在がいたこと、それの討伐のため廃棄領域に向かうことになったと話し出す。
「獣胎母というのはどういう存在なのですか」
「とある組織が生み出した魔物です。それ自体は魔物を生み出すくらいしかできませんでしたが、その生み出す量と質が尋常ではなかった。大精霊によって予想されました、放置すればいずれ獣胎母が産んだ魔物たちは世界にあふれかえると」
管理者から聞いたというより、大精霊から聞いたと言った方が信じられるだろう。
「規模が大きすぎてあまり想像できないけど、大変なことになりかけたのはわかったわ」
「ええ、正直魔獣よりも厄介な存在でしたね。生まれた魔物で一番弱いやつでも、ここらの魔物よりも強いですからね。それがそこらじゅうに闊歩するようになったら、人間はただの餌として狩りつくされたでしょうね」
その光景を想像したのかファーネンさんは顔を顰めた。
「今は大丈夫なのですか?」
「ええ、俺たちだけではなく多くの人の力を借りてどうにかしましたよ。シャーレの力もそのときにとても役立ちました。獣胎母の護衛として生みされた強い魔物を焼き尽くし、皆と協力して足止めしてくれたおかげで獣胎母が倒れたのです」
「あの子がそんなことを。加護をもらったことや精霊としての力を持っていることは聞きましたが、やはり想像するのは難しいですね」
「実際に見てみないと難しいでしょうね。そして獣胎母の件が終わり、パーレを通り、魔獣のいるシートビに向かいました。向こうでなにがあったのか、それは詩として聞いていますか?」
頷いたファーネンさんは聞いたことをまとめて話してくれた。
それは俺とシャーレが最後まで協力して魔獣と戦ったというもので、イリーナの足止めに関しては触れていなかった。
イリーナはどういった扱いになったのか気になったので聞いてみると、ダイオンと相打ちという形になっていた。詩としてその方が映えると詩人が変えたんだろうか。
訂正を兼ねて魔獣戦について話す。
「最後は仲間の足止めだったのですか」
「魔獣が倒れ、解放されたその仲間の説得なんかもやって、悪い方向へ進むのを止めていました。あなたが育てたあの子は人一人の人生を良い方向へと導くといったことができるようになったんですよ」
ファーネンさんは嬉しそうにうんうんと頷く。危険なことをやってきたと続けて話していたし、こういった話は余計に嬉しいのかな。獣胎母や魔獣討伐よりも、誰かを救えた助けられたという話の方がファーネンさんにとっては喜べる話題なんだろうね。
「魔獣討伐を終えて、そのあとはどうしたのですか? それだけの偉業をなしたのなら多くの人から注目が集まって大変だったでしょうに。悪い人の注目も集まる可能性も高まります。あの子はそのような人たちに傷つけられることはなかったのでしょうか」
「仲間が後遺症の残る怪我をして、それを治すための材料を手に入れるためスフェルノ大陸に行っていました。そこで精霊を助けたり、大精霊に会ったり、魔獣に遭遇したり、輝星樹に関連した悪巧みの阻止に動いたりですね」
「また魔獣に会ったんですか」
「あれの狙いは別人だったんですけどね。変わり者の魔獣、いや魔獣って時点でおかしくないわけはないんですが、特定の人間に興味を持つ魔獣で、そのときも興味を持った人間が近くにいて、それに少し関わったんですよ」
「魔獣に狙われたその人は大丈夫なのかしら」
「大丈夫とは言えないですね。英雄になるか死ぬかという無茶振りをされることが確定していますよ」
オリンズは今頃なにをしているのかな。真面目に鍛錬しているか、ステシスの起こす騒動に巻き込まれているか。
「その人には悪いけど、シャーレが狙われなくてほっとしてしまう」
「俺とシャーレは嫌われていますから、無茶振りされることはありませんよ。あれは人間が好きで、人間から外れた俺たちは嫌う対象になっています。その狙われた人物に付き添って魔獣から守るなんてことをやると、本気で排除に動くでしょうね。それは俺も嫌なので、ある程度の助言とかして別れました」
「苦難が確定している人を助けないことを、ほっとする日が来るとは思っていませんでした」
心苦しそうだけど、シャーレを大事に思うならそういった考えになるのも仕方ない。
感想と誤字指摘ありがとうございます




