173 王都出発前
大きくショックを受けたトリューシアを見て、そんなに重要な木なのかとイリーナは思い、余裕のありそうなクロフォードに尋ねる。
「私たちは別の大陸から来たから輝星樹が枯れるって聞いても大変だなって思っただけなのですが、女王陛下たちはとてもショックを受けています。どうしてあそこまでのショックを受けているのでしょう?」
「恩恵にあずかっているということもあるのだが、我らにとって輝星樹はあって当たり前のものなのだよ。空に太陽や雲や星があるように、海に水があるように、この大陸には輝星樹があって当然。なにかに祈るとき神だけではなく輝星樹にも祈るくらいだ」
信仰の対象というわけではないが、思わず頼りにしてしまう存在という感じだ。
特に王族は実益も受けているので、輝星樹が枯れるということへのショックはクライヴたちよりも大きいのだろう。大精霊から教えられたという前置きがなければ、夫の言葉であろうと信じたくない情報だった。
クライヴが戻ってきて少しして、メイドがカートにお茶と菓子を載せて執務室に入ってくる。
カップにお茶が注がれると、心を落ち着かせることを目的としたハーブティーの香りが部屋の中にふわりと広がる。
それをトリューシアはゆっくりと飲んで、心を落ち着かせていく。
「話を再開しましょうか。伝えたいことは輝星樹が枯れるというだけだろうか」
「いえ、続きがございます。アスチルによると、輝星樹が枯れるまではまだ二年ほどの猶予があるそうなのです」
「それはよかったと言うべきなのだろうか」
ほっとした様子のトリューシアにすまなく思いつつクライヴはさらに情報を出す。
「ですがなんらかの原因によってあと三ヶ月で枯れるというところまで悪化しているそうなのです」
「そ、その原因とは?」
「不明です。その解決をダイオン殿の仲間がアスチルに直接頼まれました」
「ふむ……疑問が二つある。アスチル様はクライヴではなく、彼らの仲間に頼んだというのは本当なのか?」
トリューシアの確認にクライヴはしっかりと頷いた。
「ダイオン殿たちの仲間はリョウジとシャーレと言うのですが、アスチルは今回の件は私よりもその二人に頼んだ方が確実だと考えたようです」
「そうなのか。ではその二人がこの場にいないのはどうしてだ。話のメインとなる二人だろう」
「それに関しては私から説明を」
ダイオンがこれまでのことを説明していく。何度か説明したことなので慣れたものだ。
「勘が良く、城にしみ込んだ思いなどを敏感に感じとるか。覚えはあるな」
そうなのかとクロフォードたちがトリューシアを見る。
王交代のときに人の思いの重さはトリューシアも感じたのだ。城に満ちる良いとはいえない空気は、騒ぎの中心にいたトリューシアたちにもっとも重くのしかかった。それに近いものを常時感じ取るなら気分の一つも悪くなるだろうと思えたのだった。
「そういった理由があるなら納得できる。それでリョウジ殿とシャーレ殿はどのように動くつもりだ?」
「もともと輝星樹に用事があって現地に向かうつもりだったようです。そのまま現地行きですね。私もそれに同行しようと思っています。接近許可の書類はクロフォード殿に頼んであります」
「あー、うん、そうだな。お前が行ってくれると、我が国としても輝星樹の問題に対して本腰を入れていると示せて助かる。大精霊から教えていただいたと現地滞在している警備も納得しやすいだろう」
盗賊を捕まえて忙しさにひと段落ついてやっと休めると思っていた夫がまた仕事で遠出することが心配だったが、女王としてはクライヴが動いてくれることはありがたいと思えることで、複雑な思いを抱く。
「いつ出るつもりだ?」
「すぐにでも。移動だけで二ヶ月近くかかりますから、のんびりとしているわけにはいきません。ですので、いつものように騎士と兵の編成を待つ時間も惜しいのです。先に少数の騎士たちと一緒に彼らと出発しますので、編成した隊はあとを追わせてください」
「そこまで急ぐのか。いや急いだ方がいいのか。わかった、必要書類や資金関連は今日中に準備しよう。かわりに移動中にしっかりと体を休めるのだぞ。向こうで何が起きているかわからないのだから」
「はい、承知いたしました」
主な話はこれで終わりとなり、雑談のようなことを話してダイオンたちは帰っていく。話題の一つとしてダイオンたちの勧誘があったのだが、それは断っていた。
ダイオンたちが去ったあとに、盗賊団から得た情報が書かれた書類を使っての話し合いが行われた。盗賊団の残党や繋がりのある貴族の処罰はクライヴが隣国に行っている間にトリューシアが主導で行うことになる。
そうして仕事を早めに切り上げさせてもらったクライヴはブライアと久々に遊び、楽しい時間を過ごして夜になる。
クライヴとトリューシアが同じベッドに入っている。二人とも上半身を起こし、クライブがトリューシアの肩を抱いている。
しばし夫の体温を感じたトリューシアが口を開く。
「執務室で話せなかったことを聞かせてちょうだい」
「うん。リョウジとシャーレのことなんだ」
「その二人がどうしたの?」
「彼らは本物だ。俺と違って加護を偽っていない。本当に大精霊から加護をもらった人間だ。アスチルからの証言もある」
「……それはなんとも。どうしてその二人はあなたの前に現れたのかしら?」
「偶然らしいよ」
「本当に? 同じ加護を持つ者に会いたかったとかではないの」
「少しは気になったらしいけど、積極的に会おうとは思っていなかったそうだよ。俺が偽物だって知っても、不快と思うこともない様子だった」
ばれたのかと妻に心配そうな表情を向けられて、クライヴは大丈夫だとわずかに抱く力を強くする。
「彼らにとって加護は特別なものではないそうで、俺が偽っていても関心がないと言っていた。逆に人助けを続けていることを尊敬していると言われたよ」
まだ心配そうな妻にクライヴは森での会話を事細かに話す。
英雄の資質で寿命を削るという部分はさらに心配をかけることになったが、その気はないと断言することで妻の不安を取り除く。
「彼らは本当に気にしていなかった。森を出たあと大精霊の加護を持つ者として敬意を向けられる俺を見て、特に目立った感情を抱いた様子はなかったよ」
そういった反応を見てクライヴはほっとしていた。偽ったまま賞賛を受けることを責められなくてよかったというわけではない。加護のことを気にせず、自身を見てくれていることが安堵できたのだ。
偽り演じると決めたのは自分自身で止める気もない。だが偽りの自分ばかり見られているとやはり堪えるものがある。それが罰とは亮二も言ったし、自分でも納得できる。しかしたまには自分自身を見てもらいたいという欲求もあり、亮二たちは癒しともいえる存在だった。
堪えるなどと言うと勧めたトリューシアが自身を責めるため愚痴として漏らすことはない。
内心を隠してクライヴは話を続ける。
「彼らには加護以上に大事なものがあるんだろうね」
「それがなにか予想はつく?」
クライヴは首を横に振った。ショホローから王都まで一緒に行動をしたが、予想はつかないのだ。
「おそらくだけど、それは彼らにとって大事なもので、俺たちにとっては何気ないものかもしれないね」
「……」
トリューシアはどのようなものか想像してみたが、なにもわからず小さく首を振る。
「本物なわけだけど、ダイオン殿たちのように勧誘してみたくなった?」
「……いえ、むしろどこか遠くに行ってほしいわ」
「話を聞いてトリューシアには合わない性格だったか?」
トリューシアはそうではないと首を振る。本物がそばにいることで、夫との差がわかりやすく現れて、偽りがばれることが怖かった。
政治体制に支障が出るということもだが、それ以上に今の幸せな時間が壊れることが一番怖かった。
これまでの功績があっても、騙していたとクライヴを責める国民はきっといるだろうし、貴族の誰かが煽るだろう。そのときクライヴは粛々とそれを受け止めて、自分たちの前から消えてしまいそうだった。
だから現状が壊れる切っ掛けになりそうな二人には近くにいてほしくなかった。
「国のトップとしては優秀な人材は積極的に受け入れないと駄目なのでしょう。でもどうしてもその二人は受け入れがたい。二人が積極的に名を広めようとしないことがとてもありがたい」
トリューシアが自分とブライアを大事に思ってそう言っていることを察し、クライブはお礼を言いながらトリューシアを抱き寄せる。
そのまま明かりが消されて、二人の影が一つになった。
◇
王都に到着し、高めの宿に泊まる。クライヴが自腹で払ったそこに、メリエッタも泊まっていて、自分もいいのだろうかと恐縮そうにしていた。
そして翌日の昼前にクライヴがやってくる。盗賊捕縛の賞金を抱えた騎士たちも一緒だ。かなりの金額だそうで、それを持った騎士は緊張した様子だった。
褒美の受け渡しを終えて、今後の予定についての話になる。
「夕方前には出発したいけど、そちらは大丈夫だろうか? 明日の方がいいならそれでもかまわない」
「大丈夫とは思う。ただ見てもらっている魔物や馬車の様子次第では明日にしてもらいたいかな」
「わかった。それでメリエッタ」
椅子に座って静かにしていたメリエッタは、名前を呼ばれたことに少しびくんと反応してクライヴを見る。
「申し訳ないのだけど、輝星樹や盗賊のことで精一杯で君の仕事に関して動けなかった」
「あ、はい。こうして王都に連れて来ていただいたことだけでも幸運です。あとは自分でどうにかしようと思います」
「いやいや、約束したことだから任せてほしい。ただし帰ってきてからということになる。それで帰ってくるまで放置というのもあれだし、輝星樹までの旅に君も同行しないか? 騎士たちの食事や洗濯などを手伝ってほしい。もちろんその分の給料は出すよ」
「えっと」
どうしようかメリエッタは迷っている感じだな。
城に預けるわけにはいかないのかなと思っていると、ローズリットが信用がないからそれは無理なんでしょうと言ってくる。
(もしくは信用がありすぎるからかしら)
(ありすぎる?)
(クライヴというこの国のトップに位置する人からの紹介なら、話を受ける側も人格や能力に不安など感じないはず。メリエッタに求められることは、その信の高さに準じたそれなりのものになるわ。この人に紹介されたのだから、紹介されるだけのものを持っているのでしょうと。クライヴが王都にいるならフォローもできるけど、輝星樹に行くことが決まっていて、フォローができない)
能力云々は事前に説明するだろうけど、それでもクライヴの紹介という価値が加わって苦労するかもしれないのか。
「受けるといいんじゃないかな。自分で仕事を探すって言ったけど、伝手はないんだろう?」
そう聞くと、メリエッタはこくりと頷く。
「だったらクライヴ様が帰ってくるまでのつなぎの仕事を探すのも苦労するかもしれない。それに勉強がまだ途中だしね。読み書き計算は一通り修めた方が今後の仕事に有利だと思う」
同行するということは衣食住の住には苦労するかもしれないけど、食事に困ることはないということでもある。
少しだけ考え込んだメリエッタは、クライヴによろしくお願いしますと頭を下げる。
「うん、もうしばらくよろしく」
このあとはマプルイの診断と馬車の点検結果を聞くために、預けたところに向かうことになる。それで問題がなければ、買い物だ。メリエッタも給料の前渡しである程度の金額をクライヴから渡されていて、それで服や下着や靴を買い直し、旅支度を整えることになる。
マプルイと馬車にはなにも問題なく、クライヴたちは早速自分たちの準備のため城に戻っていった。
こっちも準備のため王都を歩く。メリエッタは王都ほどの大きさの都には初めて来るようで、珍しそうにあちこちへと視線をやっている。誰かにぶつかるかもしれず、シャーレから声をかけられるたびに前を見て歩くが、少しすると興味があちこちに向かっていく。
そうなる気持ちはわからないでもないので、シャーレにメリエッタの手を握ってもらう。
「十代も半ばを過ぎて、年下に手を握ってもらって歩くのは少し恥ずかしい」
「誰かにぶつかってしまってからだと遅いですから」
「そうなんだけどね。うう、珍しさには勝てない自分が恨めしい」
ダイオンたちと一緒にメリエッタを微笑ましく見ることになる。
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