15 魔獣・不完全体
「魔獣に霊水を注いでほしいってことだけど、おとなしく注がせてくれる?」
楽に終わることを願い聞いてみるが、精霊は首を振った。
『近づいたら暴れるわ』
「俺そんなに強くないから近づくことすらできなさそうだけど。それに岩とか石とかも邪魔してくるんじゃなかったっけ」
肉体スペックは悪くないはずだけど、どこまで動けるのか試したことなかったんだよな。
『谷底の風は止めるから石とか飛んでこないし、彼の動きを阻害する手伝いもするわ。それでどうにかならないかしら』
「俺も協力しよう。霊熱病さえ抑え込めたら、鈍ってはいるものの傭兵として動くことはできる。倒すんじゃないなら、精霊と協力して魔獣の気を引くくらいならできるはずだ」
「うーん、やってみるか。ここで魔獣になられたら被害がすごそうだし。でも無理そうだったら諦めるから。自分の命が大事」
『諦められるのはちょっと困るけど、無理強いもできないし。仕方ないわ』
魔獣のどの部位にどれくらい霊水を注げばいいのかといったことや魔獣の動きなどを聞いて、魔獣に関しての話は終わる。
移動の前にダイオンさんに霊水を渡す。
それを飲んだダイオンさんは目を見開き感嘆の吐息を漏らした。
「すごいな、これは。実は以前加護持ちから霊水をもらったことはあるんだ。でもあの人の霊水だと熱がある程度引くくらいで万全といったことにはならなかった。大精霊の加護を受けた人物の霊水とはここまでなんだな」
「精霊の加護を受けた霊水でも万全に戻ると思ってたけど違うんですね」
『加護を授けた精霊の力がそこまで強くなかったことも関係しているんじゃないかしら。力の強弱は霊水の質に関係してくるわよ』
「たしかに加護を受けた精霊はそこまで強くないと言っていた」
ダイオンさんは体の調子を確かめながら言う。
準備が終わり、谷底へと移動を始めようとして止まる。シャーレをどうしようか。
「シャーレ、ここに残る?」
「行きます! 主様の行くところにどこまでもついて行きます」
「でも体が震えてるぞ。無理ならここで待っていてもいいと思うんだけどな」
離れませんと腕を抱きしめてくる。
「ここに残すと魔物が襲いかかってくる可能性もあるし、連れて行って岩陰に隠れてもらった方がいいと思うよ」
ダイオンさんも同行賛成か。たしかに魔物に襲われる心配もあるな。谷底なら魔獣と精霊の気配で魔物は近づいてこなさそう。でも戦闘に巻き込まれる心配もあるんだよ。
そう言うと精霊が守ると言ってくる。
「守れるのか? 魔獣って強いって聞くぞ。なりかけだから本来の魔獣よりは弱いとは思うけど」
『接近戦だと不安だけど、離れたところにいてくれるなら大丈夫よ』
「……じゃあお願いしようか。シャーレもそれでいいな? というかそうしてくれ」
「わかりました」
方針を決めて、崖から谷底へと降りる。精霊が風でサポートしてくれたので、登り降りのための道具はなくとも安全に降りることができた。
それでもシャーレは怖そうだったので、俺が抱いて降りる。正直俺も怖かったけど、ダイオンさんは慣れているのかひょいひょいと降りていった。
谷底に到着し、魔獣がいるという方向へ進む。馬車の行き来ができるくらいなので、横幅は四車線の高速道路くらいに広い。ところどころに崖から落ちたらしい岩が転がっていた。ここの問題が解決しても、これをどかさないと馬車は進めそうにないな。
十分くらいで遠目に魔獣が確認できた。
角と翼のない西欧風のドラゴンに近い見た目だ。映画に出てくるティラノサウルスよりでもでかそうだ。道の半分以上を占拠して、寝ているのか、伏せて動かない。
「ここらに荷物を置いて、シャーレも隠れてもらおう」
「それがいいね」
ダイオンさんも賛成し、岩陰に荷を下ろす。
俺もリュックを下ろして、シャーレにその場から動かないように言う。気をつけてと返ってきて、シャーレの頭をなでて、その場を離れる。
「半分問題解決して最初に戦う相手が魔獣とは思っていなかったよ。勘を取り戻すのに、良い経験ができそうだ」
「喜べるの? 俺はそんな気はしないよ」
「さすがに完全体の魔獣と戦えと言われたら俺も無茶だと思うよ。でも精霊の力を借りることができて、不完全体と戦えというだけならまだ気楽でいられる」
「不完全体でもやばそうなんだけどな」
話しながら歩いていると、俺たちの接近に気づいたのか魔獣が顔を上げた。そして立ち上がり、吠えた。
グオウと谷に響く大きな声だ。その振動だけで髪や服が揺れた。山を下りる護衛たちにも聞こえたんじゃないかな。
いやー、あれに近づくのか。やっぱり怖い。体が小さく震える。受けるんじゃなかったって今更思う。ここまで来て帰りますは認められそうにないから、気合入れて震えを鎮めないと。
バチンと両の頬を叩く。思いっきり叩いたせいでじんじんとする。赤くはれてそうだ。おかげで震えはなくなったかな。
「行ってくるよ。リョウジは隙を見て接近してくれ」
「うん」
剣を抜いたダイオンさんが走る。
魔獣の周囲にスイカの二倍ほど大きな水の塊が四つ生じて、ダイオンさんへと飛ぶ。それをダイオンさんは右へ左へ避けた。ダイオンさんを通り過ぎた水の塊は地面をえぐりながら弾けた。
魔獣はすぐに戦い方を切り替えて、メロンよりやや小ぶりな水の塊を数十個浮かべると飛ばす。
水の塊が迫り、ダイオンさんの剣が閃いた。水の塊はダイオンさんにぶつかる前に弾けて地面を濡らす。
すごい! 漫画に出てきそうな素早い剣技に拍手したくなる。
ダイオンさんはそのまま魔獣に接近すると、その首へと剣を振るう。そのまま落としてしまえなんて思ったけど、なにか弾力性のあるものを叩いたかのような音がした。
強いと称されるだけあって、そう簡単には終わらないらしい。
ダイオンさんはその場に留まらず、走り抜けた。その彼を追って魔獣が体勢を変える。俺に背を向ける形だ。ダイオンさんは最初からこれを狙ってたんだろうか?
考えるのはあとでいい。背を向けた今がチャンスだろう。ダイオンさんは向こうで戦う姿勢を見せて魔獣の気を引いている。
そろりそろりと静かに移動する。魔獣がこちらへと振り向く素振りは見せない。そのまま進んで尾がとどくかとどかないかというところまできた。あとは背を踏んで頭部にとりつき霊水をかけるだけだ。
そう考えて一歩踏み出すと視界の端でなにかが動いて腹に衝撃を受けた。横に吹っ飛ばされたけど、風がまとわりついて衝撃を和らげてくれた。
「な、なにが?」
軽くせき込み、顔を上げてそう言った俺の目に揺れる魔獣の尾が見えた。
やられたっ最初から俺が近づくのに気づいていて、尾で攻撃してきたのか。
「大丈夫か!?」
ダイオンさんが心配して声をかけてくる。それに手を振って答えて立ち上がる。
精霊のフォローのおかげで、大きなダメージがあったわけじゃない。擦り傷くらいで驚きの方が大きかったくらいだ。
不意をつけないと判断したんだろう魔獣の尾は常に揺れているようになった。
このまま近づいても同じことになるだろう。でもどれくらいの速さなのか、確かめてみないことには近づけやしないということで、もう一度尾の攻撃範囲に踏み込む。今度は真横から襲いかかってきた尾の動きを捉えることができた。
避けるには速いからしっかりと防御して受けるっ。ぐぅっあの巨体から繰り出されているんだから当たり前のように重い。その場に留まり切れず、再び転がされる。でもすぐに起き上がることができた。
「しっかりと耐える気でいればダメージは少ない。でも接近ができない。尾に叩かれて転がされる。どうしよ」
精霊に尾を止められないか聞いてみるか。姿は見えないけど、声をかけたら反応してくれるだろ。
『なにかしら?』
「尾の動きを止められない? 避けきれないんだ」
『難しいわね。彼の動きを制限していて、あの男のフォローもしているし、女の子の防御もしている。あなたのフォローもね。さすがにこれ以上は手が回らない』
ダイオンさんやシャーレへの対応を止めろとは言えないな。じゃあ俺のフォローを変えることで、尾を止めるってのはどうだろう。
「俺へのフォローってどんなことしてる?」
『あなたへはダメージの軽減化』
二度、尾を受けてダメージが思ったより少なかったのは精霊のおかげでもあった。それをなくすってことは当たればもっと痛いってことだ……痛いですめばいいなぁ。
ちょっとほかの方法を考えてみようか。たとえば崖をある程度登って上から背中に飛び移る。尾にホームランされるところが想像できた。空中からだと余計に避けようがないし、それはなしだな。
じゃあ何度も尾の動きを体験することで動きを見切る。そんな格闘熟練者のようなことできねえよ。身体能力は上がっても、センスは元のまんまなんだから難しい。
あとは……氷の魔法で鎧をまとう? 凍傷になりかねないし、氷が尾のダメージを減らしてくれるかもわからない。
あれも駄目これも駄目じゃあどうしろってんだ!? なんて自分に突っ込みを入れつつ、最初に考えた尾の動きを止めることしかないよなと冷静な自分が言ってくる。
「俺のダメージ軽減を中止、かわりに尾の動きを止めて。いける?」
『絶対止められるとはかぎらない。動きを制限することは可能だけど』
「……うん、いこう。尾が遅くなるなら避けられるし」
『わかった』
精霊が了承すると俺の周囲にあった風がなくなる。
上手くいってくれよ。そう願いつつ尾の攻撃範囲内に入る。
動いた尾の動きは明らかにこれまでよりも遅い。これならいける。フェイントをしてくることも考えて警戒しつつ走り、尾を避けて胴体に飛びついた。
そのままよじ登って、背後からの尾の攻撃に注意して、背中を走る。ここまでくると尾では攻撃しずらいのか、攻撃頻度は落ちた。かわりに俺を背中から落とそうと体を揺らす。何度か足を止められたけど、落ちることなく首元まで進むことができた。
あとは首をよじ登って頭部にとりつくだけだ。首を振られて落とされてはたまらないからしっかりとしがみつく必要がある。
登り始めると不快そうに魔獣は首を振る。やはりしがみつかないと落とされそうだった。絶叫マシンなんか目じゃないくらいの振り回しだったけど、それでもなんとか登りきり、頭部に到着した。ここで霊水を注ぐのが一番効果的だと精霊に聞いた。
「さっさと正気に戻れ!」
手から勢いよく霊水を放出する。
すぐに魔獣から咆哮が上がる。どこか苦しげな感情が混じっている気がした。
それを気にせずさらに霊水を注いでいたとき、ダイオンさんが切羽詰まったような声で上だと言ってくる。
視線を上げると一メートルを優に超える氷柱が何本も俺へと落ちてきているところだった。
頭部から離れれば避けられるだろう。しかし離れるわけにはと迷っているうちに避けるには遅いタイミングになってしまった。
これはやばい。
◇
亮二が魔獣の頭にとりついたときから時間は少し遡る。
離れた位置から亮二たちを見ていたシャーレは、亮二が尾に吹き飛ばされるところを見て悲鳴を上げる。
「ああっ!?」
近寄って亮二の無事を確かめなければと頭ではわかっていたが、シャーレの体は魔獣への恐怖で動かない。
魔獣に挑んでいるあの二人が正常ではなく、シャーレの反応が正常なのだ。魔獣と人の差は覆しようもない。まれに英雄と呼ばれる者が挑めるという存在なのだ。
ダイオンは不完全な魔獣ならば挑むだけの勇気があり、亮二は死を経験してあれの圧に耐え切れるだけの胆力をなんとか得ていた。だが勇気もなく、死を経験などしていないシャーレは震えるしかない。
けれどもシャーレはそれでは駄目だと思う。主と定めた人が戦場に立ち、奴隷である自分はなにもせず隠れているだけ。それは自分の考える奴隷としての在り方にそわないものだった。どこまでも主のそばに、それがシャーレの考えだ。
隠れているだけでは駄目だ。せめてここからでもなにかできることはと考える。
シャーレが考えながら目を離さず亮二たちを見ていると、亮二が魔獣の背を走り始めた。
「がんばってくださいっ主様!」
拳を握って声援し、首を登り、頭部にとりついた亮二を見続ける。
そして魔獣が大きな氷柱を生み出したところを見て、亮二がそれに気づいていないところも見た。
魔獣が自分への被害を厭わずに氷柱を落下させようとしているのは明白だ。このままでは亮二が死んでしまうかもしれない。それだけがシャーレの頭の中を占める。今このときは魔獣への恐怖は消え去った。主の死以上に怖いものなどないのだ。
(声をかけるには離れすぎてる。駆け寄るのも同じ。弓ではあれは撃ち落とせない。だったら魔法!)
「レーメ! 飛べ焔!」
一瞬でありながら必死に思考し、氷柱を撃ち落とせるだけの炎を右手から頭上に発生させてすぐに打ち出す。
同時に体温がいっきに上がる。霊水をもらう前の状態と同じで、なぜと思いながらシャーレはその場に跪いた。
滲み出る汗を不快に思いながら、視線だけは上げたままで、落下を始めた氷柱に飛ばした炎がぶつかるのを見て安堵する。




