128 魔獣について
宿には帰らず、シートビから来たという傭兵がいるらしい食堂に向かう。店内に入ると繁盛する時間帯からずれていることもあって、ほぼ客がいないのがわかる。コーダーから聞いた男はいなさそうだけど、一応聞いてみよう。
「いらっしゃい」
掃除などをすませたのか、暇そうなウェイターに注文する。
「ジュースを一杯。あと人探しでここに来たんだ。シートビから来たっていうショーンという名の傭兵は今いる?」
風貌を伝えるとウェイターは思い出したように頷く。
「今はいないね。でも今日は狩りを休むとか言っていたし、夕方前には来るだろう。休みのときはいつもそんな感じだから」
「そっか。またあとで様子見にくるか」
運ばれてきたジュースを飲んで、ちょっと休憩し店を出る。
一時間と少しあちこちぶらついて戻ってくればちょうどいいかな。
露店を覗いたりして時間を潰し食堂に戻る。
店に入ると、ウェイターが店の隅を指差した。そこに三十歳くらいの男がいた。コーダーに聞いていた容姿にとても近い。ウェイターにまたジュースを頼んで、ショーンらしき男に近づき声をかける。
「ちょっといいか? あんたショーンって名前で間違いないか?」
「ああ、そうだが」
不思議そうに何か用事かと聞いてくる。
「コーダーからシートビのヒューマ都市出身だと聞いてな。あそこに行く用事があるから、話を聞きたかったんだ」
シートビという単語を聞いた途端にショーンの顔が歪んだ。よほど嫌なことがあったのかね。
「やめとけ。行ってもろくなことにならんぞ」
「約束があるんで行かないわけにはいかないんだ。情報料は払うよ」
とりあえず一日分の生活費をショーンの前に置く。それを見てショーンは溜息を吐いて、座れと促す。
「もう一度言うが、行ってもろくなことにならん。それでも行くのか」
「ああ」
「……俺があそこを出たのは冬が始まったばかりの頃だ。だから今のシートビは知らん。それは覚えておけ。俺はな、今はおとなしいがそれなりに荒れていたんだよ。組んでるやつも似たようなもんで、ごろつきの用心棒とかかつあげとかやって稼いでいた」
ぱっと見は疲れた男という印象で、荒れている感じはないな。
「俺が町を出る前に、大きな争いがあった。都市を守る兵と周辺の町の兵のぶつかり合いだ。兵数が足りなかったのか、俺たちも戦力として駆り出そうと都市の兵が町中をうろついて、俺たちはそれを避けながら盗みでもしようかと考えていた。でもあるとき組んでた奴が兵に捕まった。組んでそれなりに時間がたっていたし、見捨てるには情が湧いていた。だから連れ戻そうと捕まった奴らが集まるところになんとか忍び込んだ」
そのときのことを思い出したのか、ショーンの顔色が悪くなる。
「なにかおかしなことでもあったのか?」
「そいつらが集められていたのは町の外。積み上げられた物資の物陰から遠目に見ていたが、捕まった奴らは文句を言っていた。だがな? 女が出てきて台座に上がるとピタリと騒ぎが止んだ。その女がなにか言った様子はなく、女を護衛していた兵が脅したわけでもない。不自然なほどに皆が静かになって微動だにしない。俺もその女を見たんだ。頭に浮かんだのは従うのが当然という考えだ。なにがあっても絶対に逆らえないと思わされた。強い弱いじゃない。恐怖でもない。なんと言えばいいのかわからん」
ショーンはコップを強く握り、身を震わせる。
「ただ俺は女に見られていたわけじゃないから、皆ほど影響がなかったんだろう。従うことよりも怖さが上回って、その場にじっと身を潜めた。見つからないように一心に祈ってな。そしてどれくらい時間がたったか、あの女も捕まっていた奴らもいなくなったことに気づいて逃げた。そのまま着の身着のままじゃ迫る冬に耐え切れないから、あの女がいるであろう都市を怖いと思いつつねぐらに戻って組んでいた奴の荷物とかもかっぱらってそれを路銀にして逃げた。少しでも都市から遠くへと思ってシートビからも出たんだ」
ここまで話してショーンはコップの中身をいっきに飲み干す。
「いいか、これが最後の忠告だ。ヒューマの都市には行くな。俺たち人間じゃどうあがいても逆らえないなにかがいる。俺は二度とあそこには戻らんっ。都市の争いが落ち着いたとしても、あれがいると思うだけで懐かしさなんぞないおぞましい場所としか思えん」
故郷に戻らないと決意するほどの恐怖か。うん、できるなら行きたくないね。
「情報ありがとう。思い出したくないことを話させた。その詫びと思った以上のことが聞けた追加だ」
追加の情報料を払って席を立つ。
「あんた、俺の話を聞いても行く気だな?」
「直接乗り込むつもりはないよ。さすがにそれは無謀だとわかった」
いやまあ最初から都市に突っ込むつもりはなかったんだけど。
「もしかしてあんたはあれがなにか予想がついているのか?」
「そんなことできるのは魔獣くらいだろう」
俺の返答に目を見開いたショーンは、じょじょに納得いったという表情に変わる。
ショーンにとってはしっくりくる返答だったんだろうな。これで少しは恐怖が薄れるかもしれない。抗えないということにはかわりないけど、正体不明の女がなんなのかわかったのだから。
夕食のため人が入りだした食堂から出る。
宿に戻っているとローズリットが話しかけてくる。
(ペリリグンかフラファーンか新種か。この三つになったわ。あの男が言っていたことはステシスじゃ無理。ペリリグンも可能性が一番低い。都市にいる魔獣がなにかしたとき幻を見せたわけじゃないのに、逆らえないと思わされた)
(威圧感で逆らっても無駄と思ったっていう線は?)
(それなら恐怖を起点として打ちのめされるはず。でもあの男は恐怖ではないと言っていたわ。あまりの恐怖に記憶を自身で書き換えたなんてこともありえるけど、それならああして話すことも難しそうだし)
(魂に訴えたかほかの手段で、人間を操っていると考えれるのか。ローズリットはどっちの方が可能性が高いと思っている?)
(……新種かしらね。魔獣が力を使ったと思われる場面で、いっきに静かになったって部分が気になる。魂に訴えて上下関係を教え込んだとしても、小さなざわめきくらいは起きると思う)
新種だとすると、保有する能力は見ただけで支配する感じか? ショーンは隠れていたから見られておらず、支配されなかった。問答無用で支配するから、逆らえないと感じた。
推測をローズリットに話すと反応は芳しくなかった。
(もしかして能力は支配じゃない?)
(いや私も似た方向性で考えはしたんだけど、それだと強力すぎる。なにか制限があると思うんだけど、これまで聞いた話だと無条件で支配になるのよ)
(一定範囲の対象を見ることとかそういった感じなのかもしれないな)
(今のところはそうなんだろうと仮定しておきましょ。でもそうすると心配なことがあるのよ)
少し考えてみたけど、特に思いつかないかな。魔獣に挑むこと自体が心配なことすぎて、ほかになにかあるのかって感じだ。
(副団長とやらが操られている可能性があるわ。見ただけで支配されるなら、直接対決した副団長も支配されるわよ)
「あ、そうか」
意表を突かれ思わず声が出る。
(副団長が操られてなかったから、新種じゃない可能性も出てくる?)
(かもしれないわ。フラファーンの干渉を跳ねのけて、逃げ切った可能性もゼロではない。でも新種の仕業だとしたら、何かしらの考えがあって人と人の対決という形に持っていったのでしょう)
(フラファーンみたいに人の死に際に発せられる力を食糧してんのかな)
(どうなんでしょうね。情報が足りないわ。もし副団長が新種の支配を跳ねのけたのだとしたら、対抗手段がわかるかもしれない。副団長と一度会って様子を見てみることが重要よ)
副団長が支配されているなら新種の都合の良いように人間は動かされているってことだし、協力したら不利な状況に巻き込まれるかもしれない。そう聞かされて俺にも副団長の様子を探る重要性がわかった。
(ないかもしれないけど実現したら厄介なことを思いついたんだけど)
言ってみてとローズリットに先を促される。
(新種がそこにいなくても操っている副団長を通じて支配できたりしない?)
吸血鬼に噛まれた人間が、ほかの人間を噛んで吸血鬼にするように。副団長が新種の能力の影響を受けて、集めた人たちを支配しているとか。
(さすがにそれはない、ないはず。でも最悪の一つとして覚えておきましょう。可能性は低いけれど情報が集まっていないから、ないとも言い切れない。でももしそうなっていたら、さっさと副団長たちから離れて国を出るか、向こうの協力なしで魔獣を倒すしかなくなると思うわ)
話しているうちに宿に帰り着く。
これまで話したことは推測の域をでないため、もっと楽な状況かもしれない。先のことを心配しすぎると心にかかる負担が大きくなるから、もっと情報が集まるまで深く考えないことにした。考えすぎて空回りということもありえるし。
食堂を覗くとさすがにお喋りが続いているということはなく、そこにシャーレはいなかった。
部屋だろうかとそこに戻ると、裁縫の練習をしていた。
「ただいま」
「おかえりなさい。ダイオンさんたちも帰ってきていますよ」
庭で軽く運動しているらしく、窓からその様子が見えた。俺の視線に気づいたようで二人が顔を向けてくる。手を振って顔をひっこめた。
夕食までポーションについて書かれた本を読み直して過ごし、夕食後に皆に集まってもらう。ショーンから聞いたこととローズリットとの会話を知らせておこうと思ったのだ。
「リョウジはシートビから来た人間と会っていたんだな。俺たちはパローン殿には会えなかったがフェルス殿に会うことはできた。屋敷でシートビから人が少し流れてきたと聞いて、会ってみようと思っていたところだ。人を操る魔獣である可能性が高く、副団長も操られている可能性があるというのは事前に得られてよかった情報だな」
「可能性であって確定はしてないけどね」
「確定ではないにしても知っているのと知らないのとでは、かなりの違いがある。明日からシートビから来た人間を探して、話を聞いてみよう。新しい情報が得られて、可能性を高める判断材料にできるかもしれない」
国境に行かないといけない期日まではまだ余裕があるし、それでいいかな。
シャーレとイリーナも異論はないようで、翌日から人探しが始まる。
ヒューマの都市から来た人たちは隠れているわけではないから、見つけるのはわりと簡単だった。報酬を払えば都市の様子も語ってくれたし、ショーンほどに怯えている人もいなかった。
魔獣の情報はなかったけど、都市の様子がじょじょにおかしくなっていったことは皆同じように教えてくれた。
冬が始まる前も少しおかしくなっていたが、冬になってから本格的に都市が不気味になっていったそうだ。
不気味になった原因が判明するかもと、冬になる前となったあとの違いを考えてもらうと、都市が主催の炊き出しがあったらしい。例年はボランティアが細々と貧民などを相手にやって、都市の長たちはやっていないと言っていた。
炊き出しには必ず身分の高そうな女が同行していて、その女が都市の長に戦いで余裕のない住民たちへ炊き出しをやろうと進言したらしい。炊き出しが始まると同時に都市が少しずつ不気味に感じられるようになって、余裕のある者たちが都市を抜け出したのだそうだ。
その身分の高い女がおそらく魔獣なんだろう。話してくれた人の中には、炊き出しには参加してなかったけど、炊き出しが行われている近くを通り魔獣らしき女と視線があって軽く一礼した人もいた。それによって見た者を無条件で支配できるのではなく、能力の行使を明確に行う必要があるらしいと推測できた。
情報は炊き出しが何度か行われたところで止まっている。冬が終わる頃の都市の様子を知る者はいなかった。都市を出た者がいないのだろう。
冬のシートビを移動する体力のある者がいなかったということもありそうだけど、ダイオンとローズリットは支配されたからシートビから出ないのだろうと推測していた。
感想と誤字指摘ありがとうございます。




