118 ショアリーの勘違い
宿から出たショアリーはレゴルスを研究所には帰さずに、医者に預ける。医者には心に傷を負っていると話して、精神を安定させる薬を与えて大人しくなっている間に、専門の医者を探しておいてほしいと頼む。
診療所まで運んでくれた宿の従業員に礼を言い、役所へと足を向けた。考え込みながら歩き、ユーストがいる執務室に入る。
ユーストは静かなショアリーに首を傾げつつ声をかける。
「おかえりなさい、婆様。褒美は渡してきました?」
「ああ、渡した。ただトラブルがあったのでな。本当に渡しただけだ」
「トラブルですか。なにがあったんですか」
ユーストは万年筆を置いて、作業を一時的に止める。
「レゴルスが無礼を働いてな。褒美の詳細説明という雰囲気ではなかったのだ」
「なにをしたんですか。レゴルスはちょっとおかしなところはあるけど、常識はわきまえていると思っていたんですが」
「リョウジ殿の奴隷であるシャーレを買い取ろうとした。それだけならまだしも、大事にしているあの子を解剖する、発展のためには犠牲は仕方ないなどと言い放ちおった」
「……え? いやいやっあのレゴルスがそんなこと」
会って話した回数はそれほどでもないが、それでも理知的に話す姿をユーストは覚えている。
「うむ、通常ならば言わぬだろう。しかし雪原での敗戦がショックだったようでな、余裕を失っておった。研究所には帰さず病院に預けてきた。ほかの錬金術師も似たようなことになっていないか確認するぞ。わしが研究所に行って調査できるように手配してくれ」
「わかりました。急いで書類を作ります」
ユーストは近くにいた補佐の男に目配せして、書類の準備を頼む。
「レゴルスは大丈夫でしょうか」
「専門の医者に任せるしかあるまい。あの状態が続くならば長期入院が必要かもしれんの」
「そんなになるほどひどい敗戦だったんですか」
「傭兵にとっては負けて怪我を負うことも死ぬこともある程度覚悟していることじゃが、戦いを知らぬならショックを受けるのも無理はないかもしれんな。傭兵も事前に覚悟しているだけでショックを受けないわけじゃないからのう。一般人ならば、なおさらあの蹂躙はきついものがあったか」
ショアリーが生きて帰られなかったかもしれない敗戦だとユーストも思い出す。自分がそこにいれば、レゴルスと同じように感じたのかと腕を組み考える。
「……勝ったからあとは金銭的な問題を片付けるだけと思っていたんですが違ったのですね」
「そうじゃな。わしも似たように思っておったわ」
ショアリーは、廃棄領域に入ったことで仲間が死んでショックを受けている傭兵を何度も見たことがある。雪原での敗戦もそうだ。泣く泣く仲間の死体を放置して、傭兵たちが帰還しているところを殿をしながら見た。強くなる前はショアリーもいろいろとショックを受けることはあった。
いまさらながらにそういったことを思い出し、強くなったことでいつのまにか慣れてしまっていたのだと思い知る。
「もっとわしが弱かったならば、レゴルスたちに戦場について忠告していたはずじゃ。今更言うても仕方ないことじゃが」
「ヴァンリーコッセにかなり自信を持っていましたからね。忠告しても聞き流された可能性はあります」
「かもしれんが、言うべきだったんだろうさ」
この騒動にひと段落ついたら一度精神的に己を引き締めるかとショアリーは考え、錬金術師たちのシートビ派遣に護衛として同行することを決めた。慣れ親しんだ土地ではなく、見知らぬ土地の方が精神鍛錬に向いているだろうと思うのだ。
それをユーストに伝える。
「派遣するなら護衛がいた方がいいとは思いますが、婆様も派遣ですか」
「弛んでいたと自覚したからのう。このままではお前さんたちにも迷惑をかけたかもしれぬ。長く生きるわしがそれだと町の今後にも影響があるだろうさ。町を出て、気を引き締めてくる」
「魔獣との戦いに参戦するつもりは?」
不安そうに聞かれてショアリーは首を横に振る。
「そこまでうぬぼれておらんよ。派遣した錬金術師の護衛だけですませる」
「そうですか」
ユーストはほっとした表情になる。肉親のようなショアリーをつい最近失いかけて、その大事さやありがたさを思い知ったのだ。魔獣に挑むのは正直自殺行為だとユーストは思っていて、ショアリーが参戦しないと言ってくれてほっとした。
研究所に調査に行くついでに、派遣する錬金術師の選出もショアリーが研究所の所長と話し合うことにする。ユーストとの話し合いを三十分ほどやってショアリーは書類を受け取り役所を出る。
研究所に顔パスで入り、所長に挨拶して来訪目的を告げる。
レゴルスの現状を聞いた所長は驚かされ、あのとき雪原にいた錬金術師もまた似たことになっていないか調べに来たという話に頷いて、所員にあのとき参加した者を呼び集めてもらう。
集まるまでの間に、ショアリーはポーションといった薬作りの得意な者の派遣について話す。
この話に所長は難色を示す。レゴルスの症状を聞いたため、派遣して同じことにならないかと心配したのだ。
錬金術師を戦場に放り込むつもりはユーストには最初からなかった。コードルたちとの話し合いの時点で、戦場から離れたところか、パーレとシートビの国境で作業させてもらえるよう言ってあるのだ。
所長は国境の町で作業するならと派遣を受け入れる。
派遣する所員の選出を二人でしていると、雪原の戦いに参加した者たちが集まったと知らされて、ショアリーは所長と一緒に彼らのいる大部屋に向かう。
集まった彼らにもレゴルスのことを話して、ショアリーは反応を探る。わかりやすく不安といった感情を表に出す者もいれば、一見平気そうな者もいる。わかりやすい者には医者を手配することにして、平気そうな者とショアリーは個人面談を行うことにする。
雪原での出来事をどう思うか、強い魔物についてどう思うか、今後どうしたいかなどを話していく。
ほとんどの者は恐怖や不安などを乗り越えて、日常生活を行えていた。けれども三人だけ、レゴルスほどではないが魔物に対して過剰な反応を見せる者がいて、ショアリーは彼らをすぐに医者に連れて行くことに決めた。
こういった作業はなんとかその日のうちに終わり、すっかり日が暮れた町中をショアリーは一人で歩く。空腹を感じ、開いている酒場に入り、夕食をすませて軽く酒も飲んで酒場から出たショアリーは役所には向かわず、亮二たちのいる宿に向かう。今の時間ならばまだ寝てはいないだろうと、どうしても気になっていることを酔いの勢いを借りて聞こうと思ったのだ。
宿の従業員に亮二たちはいるか聞いてから部屋に向かう。
扉をノックして声をかける。すぐに開いて、シャーレが顔を出す。そろそろ寝ようとしていたのかパジャマ姿だ。
「夜分にすまん。リョウジ殿だけと話したいことがある。主殿を借りられるかの」
シャーレは部屋の中に振り返り、亮二に声をかける。
亮二は部屋の中から、皆には聞かせられないことなのかと聞き、ショアリーはそれにその通りだと返した。
亮二が立ち上がるのが扉の隙間から見えて、すぐに部屋の外に出てきた。ローズリットの気配があったが、彼女ならば一緒でも問題なかろうと判断して、ショアリーは触れなかった。
「空き部屋を聞いてある。そこに行こう」
頷いた亮二と一緒に近くの部屋に入る。暗かったので亮二が魔法を使い明るくする。
「それで話ってなんですか」
「午前中にレゴルスと話していたとき、お主は怒ったじゃろ」
「そりゃ怒るよ。シャーレをひどく扱おうとしていたんだから」
「そのことについてはわしも怒って当然だと思う。わしが聞きたいのは怒った内容ではなく、怒りの中に感じたものなのじゃ」
ショアリーがなにを言いたいのか理解できないといった顔で亮二は首を傾げる。
「怒り以外になにかあった? あのとき俺は怒りのままレゴルスを殴ろうと思ってたけど」
「あった。ありえないものがあった」
それはなんだろうと亮二が尋ねる。
「神獣様と同種の力じゃ」
その返答に亮二は、目を見開いた。意表を突かれて、素直な反応を表に出してしまったという様子だ。
なにか心当たりがあるのだろうとショアリーはその様子に確信を持つ。
「あの場にいたほかの者。いや今にして思えばダイオン殿とシャーレは大きく驚いてはいなかったな。だがその二人以外の者は純粋に強い怒りと感じたはずだ。強すぎて気圧されていた。その怒りの中に神獣様の力が混ざっていることに気づかずにな」
「気のせいじゃない?」
「わしは神獣様と言葉を交わす機会があっての。その力はよく覚えておる。それそのものではないが、とてもよく似たものが感じられた。断言してもいい」
亮二はしばし無言になり、二分ほど経過して口を開く。ローズリットと相談していたのだ。
「神獣様の力を感じた。なぜそれを聞いてきたんです? ほかの人にいったら一笑に付すような話ですよ」
「聞いてどうこうという気はない。神獣様に関したことなど、わしが手を出せるはずもない。ただ気になった。酒が入り、酔いの勢いでここに来てしまっただけじゃ」
「酔いというには口調も動きもしっかりしてますね」
「深酔いするほどには飲んでおらんからの」
じっと二人は見つめ合う。
やがて亮二は小さく首を横に振る。正直に話す理由がないのだ。仲間のイリーナにさえ話していないことを、ショアリーに話すほどの信頼をしていない。
その反応にショアリーは仕方ないと頷く。神獣の力を感じたことは勘違いではなかったと確証が得られたことだけでも収穫だと思うことにした。
「恥ずかしながら勘違いじゃったな」
そうすることにした。
「とんだ笑い話じゃったわ。その笑い話のついでに世界の危機など迫っていないか聞いてみたいのう」
人間が神獣の力を持つという異常事態は、今後迫る大きな異変に対してのものだろうかと考えたのだ。
その意図を読み取ったローズリットが亮二に伝える。
「獣胎母が死んで、三種族の危機はもう去った。それ以外には聞いたことはないですね」
「そうか」
それが聞ければ満足だった。真剣な目で亮二が言い、嘘はないと思えたのだ。
心底力を抜いたショアリーは、部屋を出ようと亮二を促す。
亮二はついでだと褒美としてもらったものの確認をする。如意棒もどきの性能、ダイオンとイリーナの褒美が正しく渡っているか、警戒用にもらった鐘の使い方などだ。
そういった話を終えて、この時間にすまなかったと言ってショアリーは亮二とわかれて、役所へと帰る。
この日から時間が流れて、ショアリーが錬金術師たちと北へ出発したあとのことだ。
戦いの処理に追われていたユーストは一つの報告を受けた。それはレゴルスがいなくなったという報告だった。
心の専門医に預けられたレゴルスは治療を受けていたはずだったが、ある日の夜に姿を消したということだった。
すぐにユーストは人を雇い、町中を探させたが見つかることはなかった。
レゴルスの行方をユーストたちは掴むことができず、どこに行ったのか不明だと後日ショアリーは聞くことになる。
感想と誤字指摘ありがとうございます