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世界にモンスターが出現し始めてから12日目。
現在、薫は砂浜で魔法を実際に使用して、確認作業をしている。場所は、[寛ぎの温泉宿・小島]の中にある砂浜である。
風魔法を使って、足の裏に空気の層を作り出し固定。10cmほど体が浮いた状態で走る。しかしながら、砂浜だと砂が飛び散り、海上だと水飛沫でずぶ濡れになってしまう。そんな訳で、一応走れるのだが汚れるし濡れてしまうという、残念な結果となっていた。
海上を走れた時は喜びもしたのが、ずぶ濡れになった事に気付くと、水着に着替えなかった自分の考えが足りなかった事に、自嘲してしまった。
ずぶ濡れになったとはいえ、空間収納に出し入れするだけですぐに乾いた服に戻せるのだが、それでも面倒なことに変わりなかった。
そもそも、薫は海上を走りたかったわけではなく、本当は空を飛び回りたかったのだ。結果として失敗はしたが、足場の悪いところでも辛うじて浮く事が出来る事は分った。
薫はなぜ飛びたいと思ったのか?
魔法が使えるようになったのに、自由に飛びたいと思うのは自然なことではないだろうか?
他にも、従魔のタマとリリスは空を飛べるのだ。リリスには自由に出し入れ出来る翼があるし飛行スキルもあるのでわかるのだが、タマには翼はないし飛行スキルもない。
しかし、仙術スキルで飛行できるらしく、羨ましくなった薫が飛びたいと思うのは仕方のないことだろう。サクラは除け者なのかというと、そうでもない。サクラは、天の羽衣というマフラーのような細長い帯状の布を持っていて、自由に空を飛べるのだ。そのサクラは、遊びよりも稽古に夢中である。
【乗り物】の隠密烏は、また別の楽しみであり、自分で飛ぶのとは違うのだ。
現在も空中で追いかけっこをしているタマとリリスたちを羨ましそうに見上げている薫。
彼女たちの衣装がエロ可愛いとか思って、ガン見しているわけではない。
なにせ、4体の従魔が魅惑的で煽情的な衣装を纏い、チラリと見える貴重なシーンを連発していようとも、全ての状態異常に対して100%の耐性を得てしまった薫には、可愛いなと思う程度であるのだから。
まだ15歳の薫には、彼女も欲しいし性欲もあるが、以前と比べると明らかに性的欲求が減少している事に、本人は気が付いていなかったりする。
別の理由としては、毎朝夢精している所為もあるかもしれない。これは、レベルが上がったことで肉体がとても丈夫になったために、若い薫や春人には当然のことであるのだ。2人とも清浄で毎朝綺麗にしているので両親はそのことを知らない。
余談ではあるが、如月家においては、洗濯という行為がなくなった。各人が清浄スキルを持っているのだから、当たり前である。
羨ましそうに空を見上げるている薫に、呼びかける者が。
「かおるぅ~、はやくおひるをたべて~。しずくとままのれべるあげして~」
薫に呼びかける声の主は、春香に抱っこされた雫である。まだ、生後半年しか経っていない生粋の赤ちゃんである。それなのに、言葉を理解して会話もできる超天才児である。更には、1人で歩くことも出来るのだ。
ならばなぜ、雫が春香に抱っこされているのか?
答えは単純で明快。雫ラブな春香は、室内では雫が歩くのを許しているが、室外に一緒に出かけるときは、雫を抱っこすることにしている。雫もママが大好きだから、抱っこされるのは心地良くて落ち着くのだ。賢い雫は、自分が春香の歩く速度に並ばない事も知っているのである。
さて、雫がこうなった原因は、もちろん薫である。
0歳児に呼び捨てにされる薫。しかし、15も歳の差があるのだ。おっさんと呼ばれないだけマシである。ただ単に、雫がおっさんという言葉と概念を知らないだけであるのだが。
如月家内に設置している[寛ぎの温泉宿シリーズ]は、関係者全員が利用可能となっているので、現在では春香も普通に利用している。
個人でも所有させているのだが、娘のためには人との関わりを持った方がいいとの理由で、如月家の者と過ごすようにしている春香である。
薫の考えだと、もう十分親子2人で生きていけるだけの資産も能力もあると思っているのだが、2人に対して隔意を持っているわけでもないので、そのことを口にしたりはしない。
それに、来月になれば割引期間も終了し、消費するSPも増える事になるのだ。資産はいくらあっても困らない。まあ、現状は[寛ぎの温泉宿シリーズ]があるので、食と住には困らないのだが。
ただダンジョンにしても、また変貌する可能性だってあるのだから、母娘2人だけよりも見知った者たちといる方が、対処方法も増えて安全に暮らせる確率も上がるだろう。
それに、薫の従魔と春香の従魔は同じ種族同士で同性のためか、かなり仲が良い。
雫の従魔も薫が選んだせいか、かなり薫に対して親しく接してくる。正確にいえば、雫が眠ってしまうと構ってクレクレ状態になる。眠っている雫を守るのが従魔の務めなのに、薫に構ってくれとやってくるのだ。そして、薫からアメをゲットしたら、雫の元へ戻る従魔たち。ここ最近、そんな事が日常となりつつある。
「タマ、リリス。昼食にするから戻るぞー」
薫は、空中にいる従魔に声を掛けてから宿へと向かい歩き出した。サクラは、春香の従魔であるコスモスと一緒に、薫の近くで稽古をしていたので、春香と雫がやってきた時点で帰り支度をしていた。
「主、いつになったらダンジョンへ行くのだ。我はいつでもいけるぞ。稽古も楽しいが、やはり実戦で力を試したいと思うのだ」
薫の左腕が柔らかなモノに挟まれる。
サクラがダンジョン探索へ行きたいと、微乳ではなく美乳を押し付け、薫におねだりしてくる。
従魔である彼女たちは、薫の集めた色々な本で様々な知識を吸収し、男性の操り方も学んでいるのだ。当初の薫であれば、サクラのこの行為も効果を発揮したかもしれないが、現在の薫には大した効果は望めなかった。その証拠に、薫の心拍数はまったく平常なのだから。
「ダンジョン探索は、もうちょっとしてから」
「むうう。主はもうちょっと、あと少し、また今度と、言葉は違えど意味が同じではないか」
口を尖らせ不満を漏らすサクラの頭を、ちゃんと考えてると言い訳しながら、触り心地の良い髪を撫でる薫である。サクラの髪は、気分次第で色が分かるのだ。ピンク色だったり朱色だったりと、綺麗な上に触り心地がいいのだから、本当に素晴らしい。
薫に髪を撫でられたサクラは、途端に大人しくなり、何事かをゴニョゴニョと小さく呟きつつも、薫に体を密着させて歩く。
そこへ、タマとリリスがやって来て、タマは薫の右腕に抱きつき、リリスが薫の背中に負ぶさり両肩に手を置く。敏感な薫は、首に腕を回されるとくすぐったく感じるので、仕方なく肩に手を置くようになったリリスである。そんなリリスは、体重を感じさせないほどに軽いので、薫にとっては1nも負担になっていない。
「主さま、そろそろタマも迷宮で思いっきり力を開放してみたいニャ」
「リリスは野蛮なことはあまりしたくはありませんが、今の力を正確に知っておくのは大事だと思いますわ。なので、迷宮に行くのも吝かではありませんわ」
タマとリリスの言葉を聞いたサクラは、ぱぁっと輝くような期待の籠った目で薫を見る。
薫の左腕には、先ほどよりも弾力のあるものが押し当てられている。無意識か意図的なのか、それはサクラにしかわからないが、薫の理性は大して影響を受けなかった。
そこへ、雫を抱えた春香までもが、実際にダンジョンへ向かわないかと、薫に提案してきたのだ。
薫にとっては、なぜ春香がダンジョンに向かおうという思考に至ったのか、全く理解できなかった。たしか、雫の教育をするために、ダンジョン行きを中止しているのではなかったのか?
大体、少し前まで両親たちとダンジョンに行っていた春香なので、そんなにダンジョンへ行きたければ両親と共に行けば良いのだ。
成長したダンジョンが変化に富む事は、薫も千里眼で見て知っている。景色が良い場所も沢山あるし、地球上では見たことがない奇妙で不思議な光景もあって、実際にその場に行ってみようかと思ったことも、1度や2度ではない。
しかしながら、ダンジョンにはモンスターだけでなく、様々なトラップがあるのだ。そんな中で、1度だけだが、凶悪なトラップを見つけたことがあるのだ。これが、薫がダンジョンに入りたくない理由でもある。
見つけたトラップを鑑定した結果、1度目のトラップが解除された場合、すぐに第2のトラップが発動するというものがあった。それ自体は珍しいものではないが、第2のトラップが大問題だった。
それは、3mほどの高さの木の棒に吊るされた30cmくらいの金色の鐘。半径10m以内にダンジョン外のモノが近寄ると、精神に異常を起こす音が鳴るというものだ。
問題は、それを解除しても即座に次のトラップが発動することだ。周囲100m以内の生き物を、360℃直径5km以上の距離へと強制ランダム転移させるトラップ。運が悪ければ、即死することもあるだろう凶悪なものだ。
薫のオリジナルスキルである“練達の悟り”であっても、2段構え・3段構えのトラップを解除するのは、かなりリスクを伴うだろうし、即座に発動するトラップなど解除できないだろう。
千里眼スキルと鑑定スキルを持つ薫だからあのトラップが悪辣だと判ったけれど、鑑定スキルだけでは近づかないと鑑定できないから、トラップが発動してしまう。
運よく精神異常になる前に鐘を何とか出来ても、もっと恐ろしい強制ランダム転移が待ち受けているのだ。
あんなトラップに引っ掛かるのは欲に目が眩んだ者だろうから、ダンジョンに赴かない薫には関係ないが、複数人でダンジョンに行くことになれば、薫がどんなに注意を払っていてもリスクは増大することになる。
薫は、ダンジョンを討伐するだけでなく、従魔たちに良さそうなダンジョンをもう見つけている。現在は、トラップを確実に把握するための作業に時間がかかっているのだ。しかし、そのことを誰にも教える気はない薫であった。