54 閑話その3
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薫の両親である如月武彦と如月美玖は、ダンジョンでモンスターを相手に戦闘を楽しんでいた。
否、スキルだけに驕らず己を磨き、アーツの習得に勤しんでいた。
武彦たちがいるのは、成長したダンジョンの19階層にある緑豊かな植物が青々と生い茂る密林地帯である。
薫の情報によれば、全20階層で構成されていて、レベル6~30までのモンスターがいるそうだ。
実際、これまで出現したモンスターのレベルは、6~25であった。
例えば、1~2階層の低木が疎らに生える草原地帯にいるレベル6のヒュージラットは、80cmほどの巨大で素早い鼠型のモンスター。同レベルの新人族では大半が敗北するだろう強さだ。
何よりも、基本的に4~6体で集団行動しており、不利とみると仲間を呼び寄せたりする知能がある。しかし、逃げる事はないので、そこまで賢くなかったりする。
さらに、連鎖するトラップやスキルがなければ到底見破れないであろう厭らしいトラップがあり、殺傷力が格段に上昇している。
何が言いたいかと言えば、成長したダンジョンは、戸建住宅ダンジョンとは危険度が全くの別物だという事だ。狭い屋内とは違い、広さが桁違いで行動力が必要になるし、モンスターの数も爆発的に増えている上に、レベルも高くなっているからだ。
でもそれが、如月夫婦にとっては最高のアトラクションとなっている。死のリスクが高い分、緊張でストレスが加速され緩和するためのホルモンが分泌され、気分が高揚していく。実際の戦闘ともなれば、さらなるストレスで感覚が鋭敏になり、生きている充足感が全身を満たす。
モニター画面に映るゲームでは決して味わえない、リアルな大地の感触、直接触れることのできる植物とその香り、照り付ける太陽に肌を伝う汗を、風がそっと心地よい感覚に変えてくれる。
疲れたときは、安全地帯たる[寛ぎの温泉宿・山]でゆっくりと心身を休める。まあ、2人の場合は性的欲求も高まっているせいで、それを鎮めるためにかなりの数アレに及んでいるのだが。このままでは、薫と春人に新しい弟か妹が出来るかもしれない。
レベルアップに伴い身体能力の上昇した2人は、縄文杉の数倍を優に超える巨木の上層部の枝に立ち、周囲を観察している。
「ああ、空気が上手いし景色も最高だ。家の近くにこんな場所が出来るなんて、まるで夢のようだ。美玖もそう思わないか?」
「あなたの言う通りね。でも、現実なんだから、あんまり気を抜いちゃだめよ?」
美玖の言葉が終ると同時、哀れな断末魔が周囲に響き渡る。
――ギョエェェェェェェェェ
その正体は、武彦と美玖の2人へと空から猛スピードで襲いかかってきた巨鳥型のモンスター、漆黒の翼長4mもあるヒュージブラックミルバスだった。
奇襲を仕掛けたつもりのヒュージブラックミルバスであったが、2人には最初からその存在はバレバレであった。
当然ながら、ヒュージブラックミルバスは、2人のアーツによって切り捨てられると、その姿を魔石へと変えることになった。
「なんだか、消してしまうのが勿体無い景色だ」
「本当にね。でも、私たちがコアを討伐しなくても、薫が討伐しちゃうわよ?」
「間違いなく薫なら躊躇せずやるな。……本当に起きると思うか?」
「どうかしら? でも、可能性があるなら減らしたいっていう、薫の気持ちも分らなくもないのがねぇ」
2人揃って溜息を吐く。さすが夫婦だ。
2人にとっては、ダンジョンの成長は喜ばしいことであるが、2人の息子と天野親子の安全を思うと、複雑な気持ちになるのだ。
2人の両親はとっくに亡くなっており、互いに1人っ子だったので、付き合いのない遠縁の親戚はいるが、そんなどうでもいい存在は頭の中にはない。
SNSで、ダンジョンがスタンピードを起こすかもしれないと危惧されている事を、薫は真面目に不安視している。
おそらく、春香の娘の雫を強くしたのも、薫なりの気遣いだと考えている2人である。それこそ大きな勘違いであるのだが、親という存在は公正に判断しているつもりでも、やはり自分の子供に対して評価が甘くなってしまう様だ。
2人は、動画で風景の撮影を済ませると、樹上から地上へと降りて最終階層へ向かって移動を開始した。
20階層への入口は、先程までいた巨木の根元にある洞であった。
洞の中へ入ると、白色の光をぼんやりと放つ3mほどの四角い床と、緑色の光が明滅する同じく3mほどの四角い床が、その存在感を主張している。
2人には、これまでの経験で2色の床の意味が解っている。緑色の方は、2階へと進む入口のある1階へと戻される。対して、白色の方は、次の階層へと転移させられる。
もちろん2人が選んだのは、白色の方だ。
2人が目にしたのは、真っ白な世界。その正体は、手を前方にのばすと前腕の半分程度が隠れて見通せない程の、濃霧である。
さらに足元は、水気を多く含んでいる為か泥濘となっていて、移動するにも戦闘するにも転倒などのリスクがある。
そんな悪条件でも、2人にとって視界不良は特に問題とはならない。何故ならば、地図スキルと用心スキルがあるので、例え真っ暗闇だろうと地形も敵性生物も容易に把握できるからだ。
しかし、これまでの美しい景色から白一色に変わった事で多少の不満を抱くも、2人の心は未知への好奇心で湧きたっているので些末な事であった。
武彦と美玖がダンジョンコアを探して歩き出して数歩。突如、間近で雷が落ちたかと思えるほどの大音声が2人を襲った。その影響か、周囲に立ち込めていた霧は、物凄い速さで流れ掻き消えた。
「やっと来たか、鈍間な下等生物。汝らがここに至るまで育んできたその力、儂の養分として有効に使ってやろう」
全状態異常耐性レベルをMAX(効果80%軽減)まで育てていた恩恵で、2人は大音声の副次効果を受けずに済んでいた。
「おおっ、こりゃベタな奴が出て来たな。バカでかい木のモンスター、トレント系か」
「……大き過ぎない? ここから最低2kmは離れていそうなのに、高さだけでも東京タワーくらいあるんじゃないの?」
「どうなんだろうな。比較対象出来るものが周りにある木々くらいだから難しいが、奴が俺たちの獲物であることに変わりはないだろう?」
「ふふっ。あなたの言う通りね。見た目通りなら、あなたの火弾が相性良さそうよ」
「そうだな。奴が見た目通りであれば、だが」
「うふふっ。同じことを考えてる。日本語で喋る相手なんだもの、こちらの常識を期待しちゃ、不味いことに成りかねないわね」
2人が悠長に会話をしていると、超巨大な木型モンスターが再び大気を震わす大音声を発してきた。
「儂を目の前にして、余裕のある態度が気に食わぬ。更なる絶望でその心の芯まで震える上がるが良い。妖精樹の楽園。これで、下等生物が生きてこの空間を出ることは叶わぬこととなった」
突然2人の体に、目には見えない何かが負ぶさっている様な感覚が襲った。
「急に身体が重くなったわね。ステータス画面で確認したけど、異常はないわ。どういうことかしら?」
「加重系かと思ったが、違うようなだ。地面を歩いても、足跡が深くなってはいないからな」
「そうね。この足場なら、加重系だと沈んでいくでしょうからね。それと、気になる事を言ってたわね。ここから出られないって」
「そこは奴を倒せば問題ないだろう。ダメだった場合、ダンジョンコアを討伐すればO.K.だろう」
「それもそうね」
「楽しめなくなったダンジョンに用はないからな。そうだろう?」
「ええ、景色が良くないこの階層に留まり続けるのは嫌よ」
「ああ、分かっている。しかし、そろそろ魔石以外のドロップが欲しいな」
「うふふ。やっぱりボスはそうあって欲しいわよね」
「だろ? それじゃ、サクッとやっちゃうか!」
「もちろん」
2人は互いに頷き合うと、姿が掻き消えるほどの速さで泥濘を疾く駆ける。猛烈な泥飛沫を上げながら。
2kmほど離れていた距離が、あっという間に埋まってしまった。
「先ずは挨拶代わりだ。これで消えたりするなよ、デカブツ」
――炎弾10連
武彦は駆けながら、周囲が揺らめくほどの白く煌々と大量の熱を放出する直径5cmもの炎の弾丸を次々と作り出し、巨大な木型モンスターの顔めがけて連続で射出する。
美玖は、自分と武彦にダメージを軽減する複合結界を纏わせ、さらに攻撃力アップもかけながら、巨大モンスターを鑑定する。うまくいけば、相手の弱点が分かるかも知れないからだ。
巨大モンスターは、猛烈な速度で迫りくる炎弾を避けるそぶりも防ぐ動作もせず、10個すべてをその身で受けた。あの巨体からすれば、避けるまでもないと思ったのかもしれない。そもそも、樹が移動できるのかという根本的なことはさておき。着弾と同時に大爆発が起き、周囲は閃光と轟音と熱風に包まれた。
すぐに光が収まり視界がクリアになると、巨大モンスターは下から上まで紫色の炎に包まれ燃え盛っていた。
しかし、その顔は苦悶ではなく笑っているように見える。見上げている所為か、とても不気味な表情であるのだが。
武彦も自分のスキルで与えたダメージを確認するために、巨大モンスターの鑑定を行った。
「燃えてるくせに、状態が超活性化とかなってるな。HPが全然減らないのは、炎耐性と熱耐性持ちだからか。いいぞ、ボスはこうじゃないと」
「ボスだけあって、レベル44もあるのね。薫は30までだって言ってたはずだけど。でも、名前が妖精樹の苗木って。これだけ巨大なのに苗木なのね」
「格上上等。出し惜しみせずにいくぞ。来い、ソロポン」
「レベルでいえば、私たちがチャレンジャーだから多勢でもいいわよね。ビャク・ハチミツ・サリー出番よ」
武彦は、従魔のソロポンを召喚した。ソロポンの種族は魔女ならぬ魔男で、職業は魔導師である。魔法の戦闘に特化した従魔である。
「ソロポン、奴には火系統は効かない。戦い方はまかせる」
「かしこまりました、我が主」
美玖も、従魔を3体召喚した。ビャクは身長2m超えの白と黒の美しい毛を持つ引き締まった体躯の虎人である。俊敏がずば抜けており、攻撃もこなせる回避盾である。ハチミツは、黄金の体毛を持つビャクよりも大柄な熊人である。背中には、愛用の大斧を装備していて、攻防一体型の戦闘スタイルである。サリーは、魔女で魔法教官という職業についている。ソロポンが火力重視の戦闘スタイルであるのに対して、サリーはサポート重視である。
「聞こえたでしょうけど、火系統の攻撃は使わないでね、サリー。それじゃ、全力でぶちかますわよぉ、皆」
「「「イエス、マム!」」」