小咄
ここは御伽の国
沢山あるの文化の中に、人の名に“茶”の名を冠する風習がある。
しかし名乗ることを許されているのは上流階級の貴族のみ。
そんな彼らが御用にしている店があるそうな。
店の名な【くれなゐ堂】。
今日も誰かがここに訪れては庶民には体験し得ない雅な話を語るのであった。
……しかし、だ。
彼らは何も自分の自慢話がしたくて足を運んでいるわけではない。
自分の想い人を一目見る為にわざわざ遠い所からでもやって来るのだ。
想い人とは無論、くれなゐ堂の店主の女である。
今日も今日とて彼らは女を口説くために訪れる。
ここで話が終われば円満であるが、少し…いや、不可思議と云う言葉が可愛く感じてしまうくらい怪奇なことが1つある。
彼らは女が葬られても、今度はその女の子を愛するのだ。
何故かは分からない。
不思議な事に数十年数百年、世代が変わっても誰もがその店にいる“彼女”を好きになる。
まるで何かの呪いにかかっているかの様に。
誰もそれを変とは言わず、だかといって当然とも言わぬ。
「なんとも寂しい運命」とは誰が言っただろうか。
これは、そんな事はとうに誰もが忘れてしまった頃の御話です。
ただの説明回です
本編は次から始まります→