75階層ー1
4/30に誤字を修正しました。
魔族の王と奴隷の少女の物語世界を抜けた二人は、75階層に辿り着いた。送り込まれた場所は、平野で、少し先には大きな街が見える。
地面に腰かけて、毎度おなじみの、設定確認をルーラが行っているのだが、終始その顔は渋い。時々「うわー」やら「ないわー」やら「痛い痛い痛い痛い」などの言葉が聞こえてきて、フレアを不安にさせる。
一通り、斜め読みしたルーラが、溜息をつきながらセディーラの書をパタリと閉じた。そして疲れた顔でフレアに話しかける。
「フレア君、想像すらできないような、異質な世界に来ちゃったみたいだよ。凄いね人間の想像力って。こんな事、思いついてしまうんだ……」
その言葉がなお、フレアを不安にさせる。居ても立っても居られず続きを促した。
「じゃあ、話すよ。この物語は、地底人の国が大モグラに襲われるところから始まるんだ。そして一人の男が地上に逃げ出す。そこには、地上人の文明があってね、そこで彼は暮らしだす」
……ここまで聞いた感じ、少し子供っぽい印象は受けるが、そこまで酷いストーリーじゃ無いような気がするぞ。
疑問は有るが、いちいち聞いていると話が進まない。フレアは黙って話を聞く事にした。
「そして、しばらくするとね。地上で疫病が蔓延するんだ。その病気に感染した男性は12時間で発症して3日後に死に至る。だが、しかし!! 地底人である主人公は、その病気に免疫があったんだ! その病はどんどん広がり、やがて地上の男性は全て死に絶えて、主人公が地上で唯一の男になって、ハーレムを作る物語なんだ」
……全然子供っぽくなかった!? というか、それどころじゃない!
「なあ、それって俺も死んでしまうんじゃないのか? 感染経路はどうなっているんだ!!」
そこまで気が回っていなかったルーラは、ハッとした顔をして、暫し考え込んだが、やがて、笑顔になるとフレアにこう告げた。
「ボクがいるじゃないか! ボクのキュアはね『どんな病気でも治す魔法』って設定で作られたものなんだよ。だから、3日以内に治療し続ければ、死んじゃうことはないよ! 今回は大丈夫!」
「『今回は』って、大丈夫じゃないパターンもあるのか?」
「矛盾が発生したら、危ないかも『全ての病気を治す魔法』と『絶対に治せない病気』二つの設定が戦った時、どちらが勝つかは神のみぞ知るだよね」
一つの物語である限り、作者が余程のミスをしなければ、そういった矛盾は生まれない。しかし、各階層で得た異能を、全く別の階層で使用するフレアとルーラは、矛盾に直面する可能性が大いにある。
「まあ、話はわかった。さっさとゲートに辿り着いて、この世界から抜け出そう」
「そのゲートなんだけど、ちょっとおかしいんだ。これ見てよ」
そう言いながら、再びセディーラの書を開いて、フレアに差し出す。それを見たフレアは、目を細めて青い光を凝視した。
本に描かれた地図。本来であればゲートのある部分が青く煌々と光る。しかし、今回の光は非常に淡い。
「薄いな光が……、だが、行ってみるしかないよな」
「そうだね。それしかない! まぁ、ボクと君がいれば、どんな事でも乗り越えられるさ!!」
話を終えた二人は、まず目の前にある街へと向かった。辿り着いた時間が夕方で辺りが暗闇に包まれるのはそう遠くない。宿探しがこの世界での最初の仕事になった。
街は、石造りの建物が等間隔に並び、足元はレンガが敷き詰められている。道の脇には街灯が並んでいて、全体的にフレアの住んでいた街並みに近い。
辺りを見渡しながら街中を歩いているが、目に付くのは女性ばかり。いや、女性のみだ。男性の姿は一人として見当たらない。
「なあ、ルーラ。もう男は全て死に絶えているのか?」
「まだ、ある程度、残っていると思うよ。ちょっと待ってね……」
そう言いながら人目もはばからず空中からセディーラの書を取り出す。慌てたフレアが辺りを見渡すが気付いた人は居なさそうだ。
ルーラは本を開くと、一つの文章を指さした。
「この部分に書かれているのが、疫病が発生した記述。そして」3ページめくって、再度文章を指さしながら「ここの行が赤い文字で綴られているでしょ? この赤い部分が今の時間軸なんだ。疫病が発生してから、そこまで時間は経過していないんだよ」
実際の所、ページ数で時間は測れない。次のページを開いた時に『1000年の月日が経過した』と書かれている可能性も0ではないのだ。しかし、今回はすでに、ルーラが物語を斜め読みしているので、その心配はない。
……そうか、まだ生き残っているのか。それにしては……。
フレアはこの街に入ってから、常に視線にさらされていた。特に若い女性が、穴が開きそうなほど見つめてくるのだ。
……ダメだ。居心地が悪すぎる。ああ、早く宿に入りたい……。
フレアの切実な願いが神に届いた。少し歩いた所で、ホテルの看板が目に入る。それを見つけたフレアは、ルーラの手を引き、速足で扉を潜った。
ホテルのカウンターに立っていたのは、若い女性。相変わらず穴が開きそうなほどの視線をフレアに送ってくる。
ルーラが途中で換金してきた金貨をカウンターに置くが、それでも視線がフレアから離れない。
「お姉さん! お金払ってるんだからこっち見てよ!! ツイン一部屋、それで足りるよね?」
声を掛けられた女性は、肩を跳ねさせた後、金貨を確認する。渡した金貨は料金表に書かれた額ちょうどで、空室の札も掛かっている。断られる理由はない。
「はい、問題ございません。シングルを二部屋ご用意させていただきます」
「ボクは、ツインって頼んだはずだけど? 空いてないの?」
キョトンとした顔で、たずねるルーラ。それに対して女性は、にこやかに答える。
「ええ、申し訳ないのですが、ツインは満室です。超過する金額は、こちらで負担いたしますので、シングル二部屋でご了承いただけませんか?」
そこまで丁寧に言われてしまえば断るのは難しい。渋々了解しようとしたところで、フレアが声を上げた。
「いや、それならシングル一部屋で構わない。俺は床に寝ればいいだけだ」
フレアがそう言いだす事をルーラは予想していた。だが、それはルーラ的に許せない。
「ダメだよ! フレア君は動き回って疲れてるんだから、ベッドで寝ないとダメ! ……よし、お姉さん、シングル二部屋でお願いするよ」
フレアは案内された部屋に入り、ベッドに体を投げ出した。別れる直前に念の為キュアをかけてもらったので、3日間は病死の心配をする必要が無い。
久しぶりに一人になったフレアは、二人の物語が始まった日を思い出していた。
……原初の世界が閉ざされようとしているか……。その時、下に連なる全ての物語世界が崩壊するって話だったな。一番高い所で俺達を待っているのは一体何なのか? それが分らないって言うんだから、困った……もん……だ…………。
物思いに耽るうちに、フレアは眠りについていた。その眠りは突然響いたノックの音で覚まされる。
……ん? ルーラか?
窓の外を見ると、すっかり日が沈んで夜の帳が下りていた。いや、むしろ、まだ夜であると言うべきか。起こされるような時間ではない。
眠い目を擦りながら、フレアはドアノブに手を掛けた。ゆっくりと手前に引くと、そこに居たのは……。
フレアは飛び退った。どんな魔物に襲われた時よりも素早く。壁を背にして、ドアの方を見ると、一人の女性が部屋へ入ってくる。
女性は肩から極薄い布を纏っていた。その布のあまりの薄さに向こう側が透けてみえる。そう、下着姿とほぼ変わらぬ女性が部屋に押し入って来たのだ。
一度深呼吸をして、気持ちを落ち着けた後、良く顔を見れば、カウンターで受付をしてくれた女性で間違いない。
「な、なんの用だ! それにその恰好は何だ!! それでここまで歩いてきたってのか!!」
女性は、一度自分の纏う布に目をやったあと、妖艶な笑みを浮かべながら口を開く。
「心配しなくても、このホテルに男は貴方しかいないわ。何も恥ずかしい事なんてないじゃない?」
そう言いながら女性がどんどん近付いてくる。フレアは動揺していた。体中から嫌な汗がどっと吹き出す。
「そ、それは、わかった。……用件だ! 用件を言え!!」
「そんなに、怖がらないでよ? 傷つくじゃない。……ねえ、結婚してとか言わないから、今夜だけ相手をしてくれないかしら?」
さらに迫る女性。フレアは壁伝いに後退しつつ必死に答える。
「そ、そういうのは、結婚した後じゃないとダメなんだ!! それに俺は、まだ二十歳にもなっていない」
なぜフレアがここまで慌てるかと言えば、フレアの生まれた78階層の法律では、男女が結婚前に体を重ねる事が許されていない。それどころか、20歳になるまでは、交際さえ許されない。
おまけにフレアは元王国兵だ。国を守るべき王国兵が、法を破るなど有ってはならない。恥ずべき背徳行為だ。……と、フレアは考えている。
ついにフレアは追い詰められた。ベッドに気付かず後退して、そのまま仰向けに倒れてしまったのだ。その上に女性が覆いかぶさってくる。
「ねえ、お願いよ。私ね、お母さんになりたいの……」
「なっ…………」
その言葉を聞いた瞬間に、波立っていたフレアの心が凪いだ。女性の顔からは妖艶な笑みなど、とうに消え去り、悲しげな眼が切実な願いを伝えてくる。
……そうか、性欲で動いていたわけじゃないって事か……。子供を欲しがる女性の願い。出来る事なら、叶えてやりたいが……許せ、やはり無理だ。
「すまない……やはり俺は」
最後まで言い切る事ができなかった。部屋に響き渡る怒声に遮られてしまったから。
「こらぁぁぁぁぁ!! フレア君! 君は一体、何をやってるんだぁぁ!!」
最悪のタイミングだった。もう少し早く来てくれれば抵抗している姿を見せられたのだが、今はすっかり冷静さを取り戻して、説得しようとしていたところ。受け入れているように見えても仕方がない。
「る、ルーラ! こ、これは、違うんだ! そう、事故! 不幸な事故なんだ!!」
「事故? どう事故を起こしたらそんな状態になるっていうんだぁぁ!! ま、ま、まさかぁ! 事後じゃないだろうね!!!!」
そこからが大変だった。フレアは当然として、なぜか女性まで正座せられて、二人で平謝りだ。なんとか状況を説明して、ルーラの怒りを半減させる事に成功した。
ルーラが腕を組みながら、まだ不機嫌さの残る声色で話し始める。
「まあ、事情はわかったよ。ボクも女だからね。お姉さんの気持ちも多少は、わかる。……シンシラの街に行って、ダズィって名前の男を訪ねてごらん。彼は、お嫁さんを探してるから。……お姉さんは綺麗だから、きっと願いを叶えられるよ」
話しが終わると、受付の女性が、深々とお辞儀して部屋を出て行った。その背が見えなくなったところでフレアが問う。
「ハーレム男を紹介したって事は、今の女性はクリエなのか?」
「違うよ。お姉さんは、普通の脇役さ。ダズィの物語には、名前すら与えられていない奥さんが、沢山でてくるからね。きっと彼女なら、その一員になれるさ」
「そうか……願い、叶うと良いな」