66階層―1
火蘭の生まれ育った世界を抜けて、辿り着いたのは66階層。転移したのは、薄暗い空間だった。
天井に白い光を放つ棒。と、最初の頃なら言っていただろうが、フレアとルーラは既に知っている。光っているのは、蛍光灯で、それが規則正しく並んでいる。
舗装された床には、白い線が引かれており、その線を踏まぬように止められた、無人の車が何台も止められている。――一言で言うなら地下駐車場だった。
火蘭は、目を見開いて辺りを見渡しながら「けったいな所じゃのう」と、感想を述べる。
フレアとルーラは、既に3回ほど、機械が発達した世界を見ているので、火蘭ほどの驚きは無かった。
ルーラが、辺りに見える物の名前や用途を、火蘭に説明していると、3人の目の前に存在している金属製の扉が、ギィーと音を立てながら開く。――その扉を潜って来たのは、スーツ姿の女性だった。
女性は、ルーラ、火蘭、フレアの順に視線を向けると、口をあんぐりと空けて、手に持っていたバッグを地面に落としてしまう。
「あっ!」ルーラは、声を上げたかと思うと、フレアの腰に手を伸ばし刀を引き抜いた後「絶対障壁」と、小声で唱えて、刀を自分の体に押し付けて強く引く。そして、棒読みで話し始めた。
「ヤッパリ、演劇ノ練習ハ、ヨソデヤロウカ! 本物ソックリダカラ、ビックリサセチャウネ!!」
とても演技をする者の喋りでは無いのだが、女性は「あ、ああ、そう言う事ね……」と、言うとバッグを拾い上げ、車に乗って駐車場を去って行った。
ルーラは「ボクの演技力も中々のものだね」と、自画自賛しながら刀を魔法のポケットに仕舞いこむ。
その様子を見ていたフレアは、少し困った顔をしながら、ルーラに問いかけた。
「この世界で、武器はまずそうか? 弓月が封じられるのは痛いな……」
そんなフレアを見ていた火蘭は、呆れた声で予想を述べる。
「何を言っておるのじゃ。武器を持つと目立つ世界で、女子が1人で出歩ける世界。――平和な世界ということじゃろ? 戦いになど、ならんと思うがのう」
「ボクも火蘭君と同意見かな! 何にしても、まずは物語の確認だね!」
フレア達は、車が出て行ったスロープを徒歩で上り、屋外へ向かう。眩い太陽の光に目を細めながら、辺りを見渡すと、ゾンビの世界と同じように地面はアスファルトで舗装されていて、その上を車が行き交っている。
違いがあるとすれば、10階を越えるような高いビルは存在せず、様々な見た目をした2階建ての住居が、多数立ち並んでいる事と、それらが一切、破壊されていない事だ。
車道を歩こうとする火蘭を、引っ張って歩道に戻すと、落ち着ける場所を探して歩き始める。
道行く人を見ながら火蘭が「なんか、ジロジロ見られて、落ち着かんのう」と、ぼやく。
「多分、服装のせいかもしれないね。火蘭君のは、この世界と似た雰囲気の世界で手に入れた服だから、問題無いと思うけど、ボクとフレア君がね」
ルーラは後に気付く事になるが、3人の格好は、この世界でも、ギリギリ受け入れられる物だ。フレアはミリタリー系、ルーラはフェミニン系、火蘭は、ゴスロリ系。――誰が目を引いているかと言えば、当然、火蘭だった。
――――暫く進むと大きな橋があり、その下には川が流れている。3人は、橋を渡りきると、河原に降りて、そこで物語の確認を始めた。
フレアが、対岸で遊ぶ子供たちの様子を眺めていると、ルーラがパタンと本を閉じる。――フレアは、ルーラの横顔を見ながら思う。
……表情は、…………問題なさそうだな。
「本を読むのが速いのは知っておったが、それにしても、速過ぎはせんか?」
火蘭が首を傾げながら尋ねると、ルーラがその理由を話し始めた。
「斜め読みで十分な内容だったからね! この世界は平和そのものだよ。――魔物も居なければ、大きな戦争も起こっていない。そして、異能すら存在しないんだ」
「それでも、一応聞かせてくれるんだろ?」
フレアは、当たり前の事を再確認したつもりだったのだが、ルーラが少し困った顔で、考え込む。
「うーん……。説明するような事がないんだよ。男子学生が、サッカーっていう名前の競技をする物語なんだよ。――練習をして、合宿をして、試合をして、優勝する。――こんなところかな?」
「して、そのサッカーとは、どういった競技なのじゃ?」
問いかけられたルーラは、足元にあった小石を蹴飛ばして、川に落としてから答えた。
「足だけを使って、相手の陣地にボールを運ぶ競技だよ。――主人公が、蹴ったボールは燃え上がり、ライバルが蹴ったボールは、二つに分裂したりするのさ! そして、それを止めようとした選手が、次々と吹き飛ばされて宙を舞うんだ。――その様子が、これでもかと熱く書かれていたよ!」
フレアは、ポカンと口を開けたまま暫し黙っていたが、やがて我に返り、ルーラに問いかける。
「異能……、存在しないって言ってなかったか?」
「うん、存在しないよ! なんか、空気抵抗がどうとか、光の屈折がどうとか、ちゃんと理論が説明されていたよ。――ボクには、さっぱり理解できなかったけど!」
質問する前よりも、困惑を浮かべるフレアの肩を叩いて、火蘭が告げる。
「フーに、良い言葉を教えてやろう。――『ファンタジーだから』これで、大抵の疑問は解決するのじゃ」
「うん、それこそが物語世界だよ! 深く考えたら負けなのさ!」
フレアは「元がファンタジーでも、ここは、現実なんじゃ……」と、一人呟くが、それを無視して、ルーラが方針を述べる。
「ようするに、ボク達がするべきは、物資の補充と次のゲートに向かう事、この2点さ!」
――それから少し時間が流れて、フレア達は、とある店のカウンターの前で、女性店員と会話していた。
店員が、困り切った顔で、ルーラに説明をする。
「……金の買取は、18歳の方だと、身分証明書と同意書が必要になるんです。――いくらお願いされても、当店では買取できません」
火蘭は16歳、ルーラは17歳、フレアが18歳、フレアはギリギリ条件を満たすが、当然この世界で通用するような身分証明書は所持していないし、同意書を書いてくれる相手も居ない。
諦めきれないルーラが、あくどい顔で、交渉を持ちかける。
「じゃあ、こうしよう! お姉さんが個人的にボクから金を買い取る。――そうだね。八掛けで良いよ! お姉さんは、それを自分の店に売れば良いのさ! ほら、労せずして、2割の利益が転がり込むんだ! こんなチャンスは、滅多にないよ? さあ、早く頷いてよ?」
「――――――――――お客様、私の良心を試すような事を言わないでください!! ダメなものはダメです! ご両親と一緒に、ご来店ください!!」
「お姉さん、いま結構な時間考えたよね?」
「考えていません!! お帰り下さい!!」
結局店を追い出されて、頬を膨らませながら歩くルーラに、火蘭が問いかける。
「そんなに、物資が心許ないのかのう? たしか、カーバンクルの街で、食料は買っておらんかったか?」
その問いを受けたルーラは、人目もはばからず魔法のポケットから、指先で摘まめる程小さな袋を取り出す。袋のギザギザになった部分に指を当てると、片手を手前に引いて開封し、中身を火蘭の口に押し込んだ。
火蘭は、されるがままに、口に入れられた物体を咀嚼して、飲み込んでからルーラに問いかける。
「突然なんじゃ? しかし、これは……やたらと甘いのう。じゃが、悪くないな」
火蘭は、そう言いながら、もう一個寄越せと言わんばかりに、ルーラに手を伸ばす。
それを見たルーラは、首を横に振りながら、火蘭に伝えた。
「それはチョコレートって言うんだ。今、火蘭君にあげたのが、最後の一個だよ。この世界だったら買えるんだけどなあ。――ああ、お金さえあれば……」
「なるほどのう……、言わんとしている事は分かった。フー、なんとかせよ」
少し前を歩いていたフレアは、振り返りもせず「火蘭……、俺に戦闘以外を求めるな。――なんとも、ならん」と、肩を落としながら答える。
ルーラは、大きな溜息をついた後に、二人に提案する。
「……この世界に、留まる理由もなくなったし、ゲートに向かおうか?」
火蘭とフレアに、それを否定する理由も無く、すぐにゲートを目指す事で話がまとまった。しかし、ゲートの場所まで、200Km以上の距離がある。
グリフォンに乗れば1時間で辿り着ける距離だが、この世界でグリフォンに乗る姿を見られると、大騒ぎになる可能性が高い。
火蘭が物に宿り、ルーラがフレアの背に乗り、地上を走るという方法もあるが、グリフォンほどでないにせよ、こちらも騒ぎを起こしかねない。
結局一行は、深夜になるのを待ち、闇に包まれた空路を行く事で、人目を避ける事になった。
――深夜1時、人気のない暗闇包まれた河原で、フレアとルーラを乗せ、火蘭を宿したグリフォンが、垂直に上昇して雲の下まで高度を上げる。
身を乗り出して、地上を見たルーラが、フレアの背中を軽く叩きながら感嘆の声を上げる。
「凄いね、地面に星空があるみたいだ……」
地上には、色とりどりの無数の光が輝いている。今まで通り過ぎてきた世界では、決して見ることが出来ない、美しい眺めだった。――フレアも、地表を眺めながら呟く。
「全てが終わったら、こんな世界に住むのも、悪くないかもしれないな……」
「吾は、ルーが言っていた、宝石と黄金が石ころのように散らばっている世界が、理想じゃのう」
ルーラは、火蘭の宿るグリフォンを撫でながら、言葉を紡ぐ。
「じゃあ、物語世界の神を捕まえて、皆の理想を叶える世界を創らせようよ! その為にも、ゲートに向かって出発だ!」
ルーラの号令に合わせて、フレアがペダルを踏み込み、グリフォンが前進を始める。少し肌寒い、夜空の風を切り裂きながら、一行は、ゲートが存在する街へと進み続けた。
――ゲートを目指して飛び立ってから、約1時間が経過した。辿り着いた街は、最初の街よりも、建物の数が多い。背の高いビルが立ち並ぶ一帯も、上空から確認できる。
街の片隅で、高度を200メートルまで落とした一行の目には、芝が植えられた競技場と、その横に存在する大きな建物が見えていた。
ルーラは、地上から目を離すと、手に持ったセディーラの書を見つめる。――セディーラの書には、夜景を彷彿とさせる程に大量の、明るい光が灯っていた。
「フレア君、火蘭君、多分、合宿ってやつだと思う……。建物の中がクリエだらけで、これは近付けないかも……」
地図を見た限り、ゲートは、その建物の中に存在している。
「目を盗んで、ゲートを開くか、合宿ってのが終わるのを待つか……」
「ルー、何日待てば、合宿というのは終わるのじゃ?」
ルーラは、セディーラの書を開き、現在の時系列を示す赤い文字を再確認した後「4日だね。――物語の記述から外れる危険を冒してまで、今、侵入するのは得策じゃないかな……」と答えた。
フレアと火蘭も、ルーラの意見に賛成せざるを得ない。危険を冒して四日早く進む事と、66階層の崩壊を確実に防ぐ安全策、天秤にかければ、瞬時に安全策に傾くのは当然である。
「仕方ないな……、どこか寝泊まりできそうな場所を探すか……」
「そうじゃな、宿泊費も、無いしのう……」
こうしてフレア達は、ゲートが存在する街で、合宿が終了するのを待つことになるのだった。




