73階層-1
邪神と勇者と猫戦士の世界、74階層を駆け上がったフレアとルーラは、73階層に辿り着いた……のだろうか?
二人は、枯れ木しかない林の中に居た。そこは階層を上がった時に出現した場所で、まだ一切移動を行っていない。
物語世界の設定を読み取ろうと、セディーラの書に目を落としたルーラは、たった5秒で顔を上げる。目を見開きながら「そんな、わけない……」そう呟いて、セディーラの書の別のページを開いた。――そして再度呟く「あり……えない……」
普段は、出来る限り邪魔をしないように、黙って様子を見つめるフレアだが、この時ばかりは、問いたださずには、いられなかった。放心するルーラの肩を軽く揺すりながら問いかける。
「おい! しっかりしろ! 一体何が書いてあったって言うんだ!」
その言葉で、我に返ったルーラは、最初に開いていたページを再度開きフレアに見える位置に置きながら、話し始める。
「フレア君、ストーリーが書かれていないんだ。……書かれているのは、設定だけなんだよ……これは物語の体を成していない」
その言葉を聞いた後、フレアはセディーラの書に視線を移す。そして、ルーラと同じく5秒で視線を上げた。
ルーラは書物を人の域を超えた速さで読み取る。もちろんフレアにそんな事は、できない。しかし今回は5秒で足りた。いや、その気になれば時間が余るほどだ。そこに書かれていたのは……。
『大きな山に住む大きなクマに全ての生き物が殺された世界――サージは敵を殺すと強くなる――強くなったサージは大きなクマを殺す』
たったこれだけだ。時系列を示す赤い文字は存在しない。しかし異常はそれだけではなかった。
「確かにおかしな世界だな。こういう時は、さっさと抜け出すに限る」
フレアのその言葉に、ルーラは表情を引きつらせながら、もう一つの異変について話し始めた。
「ダメなんだよ。ゲートが示されていないんだ……それどころか地図さえ表示されない。それに、階層数も表示されていないんだ。……セディーラの書が、まともに機能しないなんて……」
フレアが、何か考えられる可能性は無いのかと、問いかけると、ルーラは背表紙を開いて、そこに書かれた物語世界のルールを読み耽る。――――暗い表情が晴れる事がないまま、再びルーラが口を開いた。
「ここは物語世界じゃないのかもしれない。どうも、物語世界が生まれるルールに反しているみたいなんだ。……さっきのボクが物語の体を成していないって言ったじゃないか? それこそが、物語世界が生まれるか、生まれないかの境界線らしいんだ」
暫し途方に暮れていた二人だが、どちらからともなく立ち上がり、林の中を歩き始めた。あるかもわからない手掛かりを探し求めて。
林の中は静かだった。足元に降り積もった大量の落ち葉を踏む音と、風の音しか聞こえない。鳥の鳴く声も、虫が鳴く声も、本当に一度として聞こえて来ない。
3時間ほど、彷徨った二人は、そのまま林を抜け出した。林の中で発見できたものは、所々に転がる動物の白骨死体と、枯れた草木。干乾びた虫の亡骸。それ以外は何もない。
林を抜けると、綺麗な小川が流れていた。川に足を浸して、休憩するルーラの横では、フレアが近くの石を持ち上げては、ひっくり返すという動作を繰り返している。
フレアは、一際大きな石をひっくり返した後、深い溜息をついた。
「まずいな……虫の一匹すら存在しない。何一つ生きている物はいないってのか」
フレアは石の下に虫がいないか確認していたのだ。そして、結果はフレアが言った通りだ。ちなみに、存在しないのは、生きた虫や動物だけではない。植物も全て枯れてしまっていた。
それを聞いたルーラは、川に浸した足で水を蹴り上げて、虹を作った後、フレアの言葉を否定した。
「いや、生きている物もいるよ。動物が白骨化してたじゃないか。って事は、微生物は生きているはずだよ」
「いや、ルーラ……そんな物が生きていたからって、どうにもならないだろ?」
「まっ、そうだよね。……あとは、サージって人もどこかで生きていると思うよ。その人を探すのが、脱出の糸口になるかもしれない」
そして、二人は再び歩き出した。
――――ここからは、時間との戦いだった。生き物は、他の生き物の命を奪って生きる。命を分け与えてくれる生き物がいないこの世界では、ルーラが魔法のポケットにしまいこんだ食料の残量が、二人に最期の時を知らせる砂時計になる。
――――砂は既に落ち始めている。
彷徨う事、4日目の朝。二人は大きな山に向かう道の真ん中で、揃って目を覚ました。普段ではあり得ない光景だった。外で見張り交代なしに寝るなど自殺行為。しかし、この世界には、悲しくなるほど外敵が存在しない。
最期を知らせる砂時計の、砂を落としながらフレアが疑問を口にする。
「大きなクマってやつは、どうやって、全ての生き物を殺しんだろうな?」
フレアが疑問に思うのも当然だった。例えば、枯れているだけで無傷な林。大きなクマが、どれ程大きいかは知らないが、それにしても、木の一本すら傷つける事なく、全ての生き物を殺せるとは思えない。
おかしな点は他にもある、湿地にも死んだ動物の骨が転がっていたが、大きなクマの物と思しき足跡は、一つとして存在しなかった。
ルーラは、その疑問に対して、少し天を仰いだ後、推測で答える。
「たぶん、この物語世界モドキの意志は、仕事が雑なんじゃないかな? 殺したのはクマじゃなくて意志だと思うよ。そして、意志が後先考えず、生き物を全て殺したせいで、覆しようのない矛盾が生まれてるよね。この先どうする気なのか、教えてほしいくらいさ」
ルーラの言葉を聞いて、口を開こうとしたフレアだが、何かに気付き言葉を止めた。そして、ゆっくりと振り向き、後方に続く道の先を見つめる。
その様子を見たルーラも同じ方向を見るが、すぐに立ち上がって、道の先に向かい駆け出した。
そこには、6歳くらいの少年が倒れていた。頬がげっそりして、肌はカサカサ、顔色も真っ青で、生気が感じられない。ルーラがセディーラの書を取り出すと、表紙端に赤い点が薄っすらと灯った。その点の先に居るのは、倒れた少年。
「この子は、クリエだ……物語での役割を終えたクリエだ……」
役割が残っているクリエの場合は、赤い点が煌々と輝く。淡く光る点が示すのは、ルーラが言った通り、すでに作者の意志から解放されたクリエだ。
いくつもの疑問が生まれたが、まずは少年を助けなければ始まらない。二人は、少年に命を砂を分け与え、回復を待つことになる。
大きな山へ続く道で出会った少年は、すぐに意識を取り戻したが、動けるようになるまで2日の時間を要した。その頃には、砂時計の砂は、もう終わりを告げる直前で、早急な脱出が求められていた。
出会った少年の名はサージ。彼が、この物語とも呼べぬ物語の主人公であった。
サージは、意識を取り戻した後、事の顛末を語った。それは、恐らく73階層から始まる物語。
サージは、とある街に住む夫婦の間に生まれた一人息子だった。貧しいなりに幸せだった家族に不幸が舞い込む。彼の父が、ある日忽然と姿を消したのだ。
サージの世界は、死霊術師が徒党を組んで、人々を脅かしている世界。母とサージは確信した。父は、死霊術師に囚われて、アンデットを作るための素材にされてしまったのだと。
しかし、1か月後に父は突然戻って来た。だが、どうにも様子がおかしい。母やサージが呼びかけても一切答える事無く、部屋にカギを掛けて一切外に出ないのだ。
父が戻ってから二日後のこと。再び父は失踪した。だが、また1か月後に戻って来る事になる。
サージは予想はしていた、もう一度父は失踪すると。父の部屋が見える木に登り、中の様子を窺っていたサージは、驚きのあまり木から落ちそうになったと話す。
ノートに必死の形相で、文字を書き綴っていた父が、その手を止めたと思うと、額をノートに乗せた。そして、吸い込まれる。父がノートの中へ。――その話を母に話すも、当然信じてはもらえなかった。
そして、更なる不幸が訪れる。サージの街に死霊術師団が侵入したのだ。必死に逃げ惑う住民達を、次々と捕まえて、馬車に放り込み運んでいく。捕まった人の末路は悲惨だ。数日後には歩く死体になっているのだから。
その日、サージの母も死霊術師団に囚われる事になる。
父が戻って来たのは、死霊術師団が街を出た4日後だった。恍惚とした顔で、自室の椅子に座る父の姿を、窓の外からとらえたサージは、必死に窓を叩き、父を呼んだ。
サージは窓から顔を出した父に、母が連れ去られたと訴えかける。その話を聞いた父は、サージに街から絶対に出ないよう言いつけた後、護身用の剣を持って家を飛び出した。
残されたサージは、鍵を掛け忘れて出て行った父の部屋に入り込み、あのノートを開く。
1ページ目に書き記されていたのは『物語を書き上げ、額をのせよ。さすれば異界への扉が開く』『物語が終演をむかえた時、現世への扉が開かれる』この2行のみ。ページをめくれども父が書いたはずの文字は一つとして存在しなかった。
――サージは描いてしまった。物語とも言えぬ物語を。そして、ノートに額を付ける。――気付けば、サージは誰もいない荒野に立っていた。
サージに残された道は一つ、大きな山の上に居るであろう、大きなクマを倒して現世への扉を開く。
その話を聞いたルーラは、顎に手を添えながら見解を述べる。
「ここは、差し詰め73.5階層って感じかな。そして、73階層は、自分の描いた物語に入り込む物語から、作られた世界だね」
既に物語世界の構造について、あらかた説明を受けているフレアは、この簡単な説明だけで、状況を理解できた。
「物語世界の中に生まれた、独自のルールを持つ、亜種の物語世界って事か……厄介な所に来てしまったな」
「それでも、出口は見えたよ! あとは、そこに向かって駆け上がるだけさ!」




