2
一歩外へ出れば、夏の日差しが突き刺さる。
薄手のロングカーディガンは学校の指定で、仕方ないとは言え季節に不似合いだった。ルクスは黒髪がじりじりと焼けるのに目を細め、緑色の瞳は真っ直ぐ騒ぎの元へと向けられた。
「アージットはリックを連れてって。あんなに泣いてちゃ逃げられない」
「えぇ、君ひとりで相手するのかい? 僕もやるよ」
「やり合うつもりはないんだって。誰か教師を連れてきてくれ」
見た目にそぐわず好戦的なアージットだが、そう言われれば納得した。彼は自分が教師受けの良い生徒だと知っている。相手が名家の息子なら、尚更役を引き受けるべきだと察した。
「君は童顔だから、たまに年上だってことを忘れるよ。こう言うとき、すごく頼りになる」
「誉め言葉、そっくりそのままお返しするよ」
「教師引っかけてすぐ戻るから、けがしないで」
二人は、足早になって、鞄を取り上げられて泣いている少年の方へ近づいた。
「ノルサー!」
怒ったように叫んだのはルクスで、突然の大声に全員の視線が集まった。
「アーリン?」
「やめろ、リックの物は返してやれ」
ずいっと、いじめっ子のリーダーの前に立ち、手のひらを出す。返せ、というジェスチャーと共に、厳しい視線を向けた。
「お前たちも、寄って集って恥ずかしい事をするな! 人の物は取っちゃいけないって習わなかったのか? 名家の名が泣くぞ」
「偉そうに!」
「お前たちの愚行を止めに入るくらいには、偉いのかもね」
泣き虫リックをよそにして、四人はルクスを囲み始めた。
「これは借りてるだけだ。遊んでやっているのに、こいつは嬉しくて泣き出したんだよ。ひとりぼっちの卑しい人間だから。なぁ?」
ノルサーはリックを見下して笑った。
リックは嗚咽を堪えてルクスを見ていたが、ノルサーにそう言われては体を強ばらせた。
「んなワケあるかーい。卑しい? 別に二十七名家以外にも、優秀な魔術師はいくらでもいるじゃないか。何を以て、お前はそんなおかしな自信を持っちゃったんだ?」
「言葉が間怠っこしい」
「クッション効果を期待して。対人コミュニケーション術です」
「名家の末席で、今にも消えそうな奴が・・・・・・全く、僕の前に姿を見せて抗議するとか度胸だけは名門級だな!?」
「どうもありがとう。お前の度量の小ささは、単に成長期前なんだって思いたいよ」
「僕に喧嘩を売ってるのか?」
いじめっ子たちは嘲った。
「まさかまさか! こいつは【無才の魔術師】だぞ!?」
「無能の役立たずさ!」
「卒業も絶望的な、ダメ魔術師じゃないか! 魔術師と呼ぶのもおこがましい!」
罵詈雑言の嵐が飛び交う。ワンワン喚くような調子で、ルクスは耳を塞ぎたい気持ちになった。同世代だが、年下ばかりだ。そんな相手が人間性を歪めている様を、まざまざ見せつけられている気がした。
(まぁ俺もちょっと苛ついて、大人げなく挑発してるけど・・・・・・)
不快なのは、気温に湿度。連日の不眠と、疲れと、ストレスと。誰もがそうだ。そう、ルクスにはこうやって他人に当たりたくなる心境が、分からないわけではなかった。
正義感で止めに入ったのではなく、これは必要だからしている。
「あれこれ好きに言うのは良いさ。俺のことは事実だしな。でも忘れるなよ? 人の悪口を言うお前たちは、そう言う人間なんだと周囲に認識さる。いつかしっぺ返しを食らっても、自業自得はどうしようもないからな! もう一つ指摘しよう! この時期、最高学年は誰もが苛々してる。お前たちだけじゃないんだ。それを・・・・・・年下に向かって、集団で八つ当たりするのは、愚かとしか言いようがないね!」
思ったことを言うのは、ストレス発散になるものだ。ある意味、この機を生かしていることを、ルクスは自分で卑しんだ。
「・・・・・・アーリン、お前、本当にうるさいな」
そして、正論を突かれた人間が、自尊心の強い子供であれば尚更に、激情を駆られるだろうとも知っていた。
「フォルジュ家の跡継ぎっていう圧力か? ノルサー。それには同情もするけど、お前はもう成人するんだ。自制心を少しは学べよ、お前に仕える周りが迷惑する!」
「二つ三つ先に生まれただけのお前が、フォルジュについて知ったような口を利くな!」
「俺だってオマケでも二十七名家だ。お前にしっかりして貰わなきゃ、後々困るんだよ」
「・・・・・・っ! お前!!」
カッ!と顔を真っ赤にして、ノルサーは叫んだ。
「お前、お前なんか! 何もない、無能な、アーリンのくせに・・・・・・っ! 僕が当主になったら真っ先に潰してやるよ!! アーリン家なんて消してやるからな!?」
「お好きにどうぞ」
ルクスは、困ったように笑った。
「お前はここいらで、自制することを学ばなくちゃいけない。卒業して帰れば成人し、お前は当主として働き始める。俺みたいに、お前のダメな所を指摘してくる奴は、いくらでもいる。或いは、そういう奴がいなければフォルジュの栄光は終わるだけ」
「なんーー!!」
「ご当主はそうお考えのはずだ。本当は、自分でも分かってるんだろうが!」
ルクスはあくまで、子供を叱るような言い方をした。
それが気に障ったのだろう。ノルサーの癇癪はてっぺんを越え、爆発した。
「アーリン!!」
騒ぎを聞きつけ、野次馬が集まってきた。食堂の窓や扉から見てる者、近くに来る者も。それらに紛れ、アージットはリックを連れていった。リックの物は、まだそこら中にあったが野次馬の何人かが風に飛ばないよう押さえていた。
取り巻きの三人は怒りっぽいのがノルサーに同調し、他の二人は青ざめていた。ノルサーの癇癪を恐れてなのか、ルクスの態度に肝を冷やしたのか、名門の当主の名まで出てきて、不安になったのか。とにかく、これはこのままでは収まらないという空気が流れていた。
(フォルジュの次期当主・・・・・・今、自覚してちゃんと貰わなきゃ本当に困る。このままじゃ、アージットに白羽の矢が立ちかねない)
ノルサーに同情すると言ったのは本当だ。
名門の中の名門、その当主というのは、魔術の世界において絶対的な地位を約束される。そして、引き替えに多くの物を背負わされる。
歴史上長く、深く、世界の根本的な仕組みにも通ずる魔術の世界。それを象徴する存在に、自由などないに等しい。厳しい聖霊院の学科試験など比べものにならない、数多の問題に向き合い生ける限り働き続けるのだ。
ルクスは実の所、良き友人の将来のため必要と判断して出張っていた。「愚息の世話を頼まれた」とアージットは言っていた。本人に自覚がないようだが、それはフォルジュ当主からの絶対の信頼の証だ。ルクスはそこに、危機感を覚えていた。
「知っているぞ!! ルクス・アーリン、お前は!!」
「?」
ノルサーはビシっと、人差し指をルクスに向けた。
「お前は実の親と、兄と、一族皆を犠牲にした、呪われた子供だってな!!」
「ーー・・・・・・」
ノルサーはリックの鞄を振り被り、叩きつけるようにぶつけてきた。
どさり、と重たい音が耳につく。
「無能なアーリン!! 兄貴は卒業もせずに死んだって?! 長男のくせに情けない、棚ぼた当主の弟は役立たず!! 父さんの温情で入れて貰っただけの奴が、この僕に! ノルサー・フォルジュに楯突くな!!」
兄。
その一言で、ルクスの目の色が変わった。幻聴がして、ジャリンと金具と金具の連鎖が、次々と音を鳴らしていった。何かが石の床を這い、ゆっくり迫ってくるように。ジャリン、ジャリンと、鉄の匂いと冷たさを供に、『良くない記憶』が近づいてくる。
ルクスは頭を振って、脳裏の幻を打ち払った。
「どうした! 言い返せないか、図星だものなぁ! お前なんか父さんがいなきゃ、一般人止まりのくせに!!」
額を押さえた。頭痛がしたのだ。二通りの意味で、呆れと、沸き立つ感情が混ざり合っていた。ルクスは大げさに息を吸って、空に吐き出した。深呼吸のような、ため息のような。野次馬たちはザワザワと囁き合っていた。
(この、ばか息子・・・・・・)
正面を向き直って、醜い笑顔を見た。ルクスは、今度は哀れみも同情も感じなかった。代わりに、胃が燃えるように熱くなっていた。
「さっき言い忘れたけど、一度口に出した言葉は戻らないって、お前知ってるか?」
「あぁ?」
「怒った」
誰もが意表を突かれただろう。
ルクスは、ノルサーの左頬を全力で殴り飛ばした。
「・・・・・・っ!!?」
「!!」
野次馬のうちに激震が走る。何せ、魔術師同士の喧嘩なら、普通は低級な魔術を使うのだ。威力は小さいし、詠唱する間がある。相手の術に合わせて対応するなど、どこかゲーム感覚もあるものだ。
それが。
ノルサーの体は真横に、足を浮かせて吹っ飛んだ。茂みの上に落ちて転がり、その向こう側に広がる校庭へと彼の姿は消えてしまう。
唖然、不特定多数の目は校庭へと向けられた。
「ル、ルクス・・・・・・?」
野次馬の中に知り合いが居たようだ。が、ルクスは見向きもせずにズンズンと校庭へ出て行った。
何をする気だ、と皆が慄く前で彼はノルサーの胸ぐらを掴んで起きあがらせた。
「どうした、ノルサー? 男なら殴り返してこい」
彼は誰もが見たことのない怒った顔で、意外にも強い口調でそう言った。「ルクス!」「先輩!」と声を上げ、止めに入ろうとする知人たちもいた。しかし彼はノルサーを放さなかった。
「やめろよ!」
「野蛮人っ!」
取り巻き連中がそう言って、魔術を発生させる陣を書いた符を投げる。慌てふためく呪文は不完全で、それはルクスに駆け寄った別の生徒に当たってしまった。ちょっと熱い礫を投げられたようなもので、ぶつけられた方は涙目でうずくまった。一緒にいた別の生徒が悲鳴を上げ、さらに別の一人が仕返しに魔術を放った。
一々呪文を唱える応酬は、頭に血が上ると面倒に感じる。本来、勉学に長じ賢い魔術師たちだが、苛立ちや困惑の波紋はみるみる広がっていった。気付けば真似して、殴る蹴るの喧嘩が始まる。
「アーリン、お前ぇ!!」
まさか自分が、素手で殴られるなど思っても見なかったノルサーは、数秒間は呆けていた。そのうち騒ぎにあてられ、拳を振るい出す。おそらく生まれて初めての殴り合いだっただろう。
不意打ちの拳がかすめたが、ルクスはそれ以外を上手く受け止め、殴り返した。段々と、訳の分からないことを言い合いながら、もみくちゃになっていった。
やってはやられ、やられてはやり返し、真夏の校庭での騒ぎはどんどん大きくなった。こんな光景を見たことのない生徒たちは、中心人物を見て色めき立つ。応援する者、罵声を飛ばす者。魔術を使うもの、自ら体を動かす者。面白がって窓を乗り越える者もいれば、青ざめて逃げ出す者もいた。
「ルクスとノルサーが喧嘩してるぞー!」
「がんばれルクスー!」
「せんぱーい!!」
「これノルサーを応援すべきじゃない?」
「喧嘩が将来を左右するならね」
「するか!!」
意外にも、校庭に出て観戦・参戦するのは、男女問わず最高学年が多かった。はっきり言って、皆、日々の論文制作と将来設計に疲れきっていた。丁度ランチタイムに騒ぎが起こって、息抜きのように首を突っ込みはじめたのだ。
「わー! 私、魔術師同士の殴り合いなんて初めてみましたわ!」
「聖霊院史上初かもね。歴史を調べてみようか」
「記録なんてある? 喧嘩の」
「先生方に聞き込みすることから始めよう。喧嘩しないけど参加したい奴ー! 手を貸してくれー! 制限時間は昼休み終了まで!」
魔術師は、興味が沸けば調べる生き物。ご丁寧にルクスVSノルサーの手数を観測する者も居れば、歴史を調べ出す者も、集まってきた生徒の人数をカウントする者もいた。
夏の日差しを避けるように、影からそっと見つめる男がいた。
ルシアナ・マゼンタ。彼はじりじりと陽が照りつける校庭で、転がりながら殴り合いを続ける生徒たちを、しばしの間眺めていた。
「あ!!」
「学院長・・・・・・っ!」
調査に向かおうとした数人が、慌てて立ち止まる。
髭を生やしたルシアナ老の顔を見上げ、凍り付いた。
「えっと、ごめんなさい」
「んん? あぁ、そうだな、学舎の中は走ってはいけない。早歩きでゆきなさい」
「え?」
最高位の魔術師からの一喝を覚悟した生徒たちは、予想外の言葉に目を丸める。
「それと、熱いから水をしっかり採りなさい」
「は、はい」
「さぁさぁ、行きなさい。ふっふっふ!」
彼は何故だか上機嫌で、生徒たちはそそくさと立ち去った。
騒がしい声、駆け回る足音、やや流血沙汰。
ルシアナ老はそれでも胸の内で、ここはなんと平和なことかと思った。
彼の脳裏には、過ぎた大戦の時代が浮かんでいたのだ。喧嘩くらいで騒ぐことはなく、毎日が命の危機だった。魔術師とて例外はなく、寧ろ虐げられもした。殴り合いの仕方を知らぬ魔術師を、話し合いの仕方を知らない者たちが蹂躙していた。
彼はようやく、騒ぎの中心に向かって歩き出す。その表情が、場に似合わずとても穏やかであることに、すれ違う生徒たちは驚いた。
「学院長!?」
「やばい、ルクス!!」
「学院長だ、殴るのやめろ!」
「ノルサー、止めてくれー!!」
学院の最高位の登場に、気付いた教師たちも駆け寄って来る。
熱気は次第と冷めて行き、騒ぎは静まり、生徒たちは様々な表情を浮かべていた。
「おやおや」
それでも止めないのは、切っ掛けになった両人だった。
ノルサーは顔を腫らせて、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
ルクスの方は擦り傷と、鼻血。服の袖で拭きながら、未だ怒りを露わにしていた。
ノルサーは意地になっていたのだろうが、学院長が側に来ても止まらないルクスに、異常さと恐怖を覚え始めていた。ルクスの方は、目を真っ赤に充血させ、まだノルサーを狙っている。教師たちは言葉を失っていた。
「ーーうわぁ!?」
服を掴んで、引き倒す。
ノルサーの抵抗に構わず、そのまま馬乗りになって殴ろうとしているようだった。
「ルクス」
「!」
「君がそんなに怒るのは、お兄さんに関わることで何かあったのかね?」
ルシアナ老は、背後に一瞬で現れた。
誰もが目を疑った。
「久しぶりだね、ルクス・アーリン。さぁ、その辺りで気を鎮めなさい」
「・・・・・・放してください」
「放したら、君と話が出来ないだろう?」
「話? 俺はこいつと話してました。拳でですが」
「ふふっ」
険悪な顔をして肩越しに振り返ったルクス。見上げる形になった先で、ルシアナ老が笑いだしのは予想外だった。
隙を見て、ノルサーはルクスの下から抜け出した。教師たちにすがりつく。
「君は全く、魔術師らしくない魔術師だが、実に人間らしい人間だな」
ルクスは自分の腕を掴んでいる老人の、力強さに驚いた。
「そしてお兄さんに似て、根は穏和で賢い人間だ。それは日々の様子を、教師たちから聞いているから言えるのだ。そんな君が、殴り合いとは面し・・・・・・珍しいことだ」
「今面白いって言いました?」
「この騒ぎの起こりを、一言で言ってごらんなさい。嘘はなしで」
そう言われても、ルクスの気は削がれなかった。怒りを煮えたぎらせていた。
「兄を侮辱されました。私は、亡き善人への侮辱が耐え難い。彼を殴り殺してやりたい程に」
「筋は通っているが、愚かだな。殺すなどという言葉は、冗談であっても本気であっても、使うべきではない」
「承知しています。その上で、私はノルサーを許せません」
キッパリとした口調だった。正気を無くしかけているノルサーに比べて、表情と刺々しさはともかく淡々とした調子で答える姿に、教師たちは目を丸めた。
「そうかね? なるほど。では、君は彼をどうにかした後のことを考えたかね? 考えない君ではないだろう。・・・・・・捨て身かね?」
「はい」
ルクスは言い切った。
ざわりと、その異様な空気を、人々は感じ取っていた。
「ふむ。・・・・・・ノルサーくん、君は虎の尾を踏んでしまったらしい。因みに虎というのは、誰しもが一匹は飼っているものだ。君にも居るのだろう。しかしルクスのそれは、君のものとは覚悟が違うらしい。君にとってただの喧嘩が、彼にとっては命がけのものだそうだ。君にも命を懸ける程の意味が、この喧嘩にあるならば仕方がないが・・・・・・そうでないなら、今すぐ言うべき事を言ってはもらえまいか? 我らの校庭が殺人現場にならぬよう」
「・・・・・・すみ、ません」
吐息のような一言に、ルクスはギロリと目を向けた。
「わ、悪かった。すまなかった・・・・・・!」
ノルサーはもう、戦意を無くしていた。
当然かもしれない。十七・十八くらいの子どもが、まさか喧嘩相手が自分を殺すつもりだったなんて、考えもしなかっただろう。まして、普段の気性をよく知っている相手だ。ショックも大きい。
「・・・・・・」
「ルクス」
震えている姿を見て、多少は落ち着いたのだろうか。
「私こそ・・・・・・すみませんでした」
ルクスは力を抜き、拳を降ろした。努めて息を吐き出し、片手を額に押し付けた。
「君は命を懸けて名誉を守る程、お兄さんのことが大好きなのだね」
ルシアナ老はそう言って、終始笑顔を崩さなかった。
何事もなかったように、両手を打って立ち上がる。
「さぁさ、祭りはここまでだ! 子供同士の喧嘩が、思いかけず騒ぎになってしまったが、この場この時だけの無礼講とするとしよう! あぁ勿論、切っ掛けの二人には仕置きがあるが・・・・・・他の皆は、やった方もやられた方も後腐れのないように!」
何かを言い掛けた教師もいたが、結局、誰もが学院長に従った。
「先生方、ノルサーのことを頼めるかね? 喧嘩は両成敗と昔からいうので、どちらにも対等に罰を与えよう。どちらにも肩入れはしてはならぬ。ひとまず、ルクス・アーリンには私から話があるので借りてゆく。よろしいかね?」
頷き合い、教師たちは散会した。安心したのかノルサーは泣いていて、ふらふらしながら去っていく。
ルクスは俯いたまま、まだ動かなかった。
「ルクス、さぁおいで。君に大事な話があってね。丁度探していた所で、この騒ぎだ。いやいや、すぐに見つかって良かった」
「は?」
そこは罰の話とか、説教の話ではではないのか。と、ルクスは怪訝に顔を上げ、髭の老爺を振り返った。
「ふっふっふっ! 喧嘩祭りのリーダー同士が、タイマン張って何が悪い? 面白いものを見せて貰った。あぁ、私の発言はチクらないようにな、不謹慎だと炎上されてしまう!」
「・・・・・・やっぱり面白がってるじゃないですか」
「男なら熱くなるものだろう? 何せ、私は戦時中から世を渡り歩いたのでな、こんなものは可愛いものだ。子どもが一人「殺す」だのと言うたところで、ナイフの一つも持ち出さぬ喧嘩は和むばかり! 共に旅した英雄らの話をすると、野宿に使う食材一つ取り合って聖剣と魔剣を打ち鳴らすような、筋金入りのバカばかりであった。私とユーアンなんぞ魔術をぶつけ合った結果、山一つツルッパゲにしたこともある! その時は確か、宿屋の一人部屋を取り合ったんだったか」
「そんな・・・・・・そうなんですか?」
ルクスは、ルシアナ老の促すままに歩き出した。
学舎に入り、階段を上がって、長い廊下を進んでいく。ゆったりとした歩調は、自然と神経を整え、さっきまでの余韻を鎮めていった。
「すみませんでした、本当に」
「頭が冷えたかね?」
「はい」
ルクスは急激に、自分のしたことを思い返して落ち込んだ。
「君の家の事情はフォルジュの当主も知っている。息子の失言を恥じるくらいだろう。さっきも言ったがね、これは子どもの喧嘩だ。君は沙汰を待ち、しかし過剰に思い詰めることはない」
「子どもでは済まされません。私はもう19で、一応は当主です」
「君は、子どもで居られたことがあったかね?」
不思議な問いに、ルクスは困惑した。
「聖霊院の生徒は皆、等しく子どもで良いのだ。子どもというのは、無責任でいいということでも、愚かで稚拙という意味でもない。大人に守られて良い、間違っても多少のことは許されて良い、ということだ。君は子どもで居られたことは殆どなく、今更に気付いても、子どもで居られる時間は残り僅か。大事になさい。君は大人びていて、理性的な子だ。上手く大人の振りが出来る事は賞賛しよう。だが、無理をして大人になる必要はない」
「・・・・・・私を理性的だと仰る根拠が分かりません。他がどう言おうと、貴方は入学時の私と、今日の私しか知らないはずです。客観的に見て、感情を抑えられない危険人物に写るはずです」
「感情を抑えられない危険人物は、殺したいほど憎い相手が謝った所で、許して己の非を認めたりはせんよ」
「でも年下の子を、将来のある子を、めったうちにしました」
「大人か子どもかは年齢では決められん。年下が相手でも、人間と人間は向かい合えば反発するのも当然。また、将来のない子どもなど、この世にはいない。子どもでなくとも、将来は常にあるのだから。それにな、例え名家の跡継ぎでも、余命一ヶ月の重病人でも、世界に愛される聖女であっても、誰かの大切な人を侮辱して良い道理はない。君の怒りは、至極正当なのだ。君の行為は愚かだが、反省して二度目がないよう努めなさい」
「・・・・・・はい」
ルクスはルシアナ老の背中に隠れた。
彼について歩くばかりで、無言になった。胸の中の様々な感情に、混乱して顔を上げていられなかった。
「さて。君に頼みたいことがあったのだが、これを今回の罰として課しても良いだろうか? 捨て身で、と君は言ったが、或いは己に失うものなど何もない、などと思ってはいないかね? いやいや、君には大いなる価値と可能性があるのだ! 君にしか頼めない、君にぜひ任せたい仕事があるのだよ」
「仕、事・・・・・・?」
「君の大好きなブライト・アーリンに関わる事だ」
ルシアナ老はご機嫌に、学院長室の扉を開けた。