1
−−−−−−−−−−−−
拝啓、親友の君へ。卒業を間近に控えて、悩める君を一人置いていくことが忍びない。悩ましげな顔をして本をめくる姿は、さぞ絵になることだろう。ジェンに言って絵描きをよぶべきだったか。君が自身の役目を継ぐ頃には、大屋敷を買って十年住めるくらいの値が付いただろうに。ジェンは気難しい奴だけど、君が思うほどじゃない。いざという時には頼りにして良い男だ。あれで学院の教師を目指しているからな。
−−−−−−−−−−−−
魔術師とは、必要最低限の食事と睡眠以外、全ての時間を学問に費やす。飽くことなく知識を貪り、欲の向くまま没頭する。
つまり、変人だ。
(この学年はいいな。まだ真っ当な授業ばかりで・・・・・・)
教師が矢継ぎ早に話し続ける講堂。外はとっくに夏だというのに、石造りで窓の少ない校舎内には冷たい空気が居座っていた。反響する部屋の中は、ペンの走る音とインクの匂いが満ちている。
「ここまでで何か質問は? あぁ、ブルートーくん、隣でぐーすか寝ているカクス少年を起こしてくれ。多少手荒でも構わないよ、思いっきりやってくれ。それからミス・ジャミンス、ここは薬草のクラスじゃないから、その臭くて色鮮やかな猛毒の元をしまってくれ。知ってるかい? その草は素手で扱うと皮膚が爛れて膨れ上がり、一生魔物のような醜さに変わるよ」
ガタガタ! といくつかの物音がして、悲鳴が上がる。淡々としていた授業の中、ほんの少しの潤いの時だ。
「起きたかね? では、皆。知っているだろうが、君たちは六年間の院生生活の内、四年間、つまり今年までは学ぶ側だ。来年からは卒業単位を目指し、各の研究テーマを定め、論文の制作方法を学び、資料集めを開始する。卒業年度に発表される論文は世界中の要人、先人たちの目に触れ、君たちの躍進する切っ掛けとなる。魔術師の人生において、これ以上なく重要なものだ。最高学年の先輩たちを見るがいい。図書館の学習室を我が物顔で陣取り、専攻学舎の床で寝泊まり。寮の自室には積上がった紙と、インクの空瓶、怪しい栄養ドリンクの山が築かれ、覗き見防止の術と古風な罠が蔓延り、極小の迷宮と化している。因みに何日も風呂に入ってない奴も多く、異臭も凄まじい。用があるときにはノックして、少し扉を開け、臭いを嗅いでから入室するかを決めるように」
笑い声に乗じて、長々と続く机を人づてに渡る一枚のメモがあった。
洋紙の切れ端で、宛先は「左端から三番目の先輩へ」とある。一、二、と数えてみて、三番目は自分。そう思った少年は、雑に折られたメモを広げて中を見た。
『先輩、お暇なんですか?』
回してきた生徒たちの中には、中を見た者もいたらしい。クスクスと視線が集まり、少年は「しー!」と大げさなジェスチャーをして見せた。すぐ隣の生徒が言う。
「因みに、最後に風呂に入ったのはいつ?」
「今朝かな!」
ルクス・アーリンは、魔術師の中においては変わり者だった。
つまり、まともだった。
凡そ平均的な、一般的な人物で、魔術師の格好さえしなければ、そこらへんの市場に居ても馴染むだろう。気さくに他人と交流し、普通の生活を送るに苦労もしないだろう。彼はそういう、魔術師らしからぬ魔術師だった。
「ルクス!」
授業を終えて校庭を横切り食堂に向かう途中、彼に声をかける人間がいた。同期生で、寮のルームメイトであるアージット・フォルジュだ。
「やぁ、アージット。いい天気だね!」
「そんな当たり前の挨拶をするのは、僕に対してだけにするといい。見れば分かる! って、皆怒るだろうからね」
「苛々しすぎだろ!? 天気の話題はアイスブレイクの王道だよ」
「この聖霊院で対人コミュニケーションの専門用語を使うのは、どこを探したって君だけだよ。ところで、また二学年下の子たちの授業に出てたのかい? 教師にバレたらペナルティーで、余計な枚数書かされるよ」
「いっそ論文のテーマを、学院教師ごとにまとめたペナルティー量と合格基準にしたいね。後輩たちの為にはなる」
「その論文読んで喜ぶのは変わり者だけだろうけど」
二人は食堂に向かって、極自然と出入り口に近い場所へ座った。学院では暗黙の了解で、卒業単位獲得の為に忙しい最高学年は、扉近くの良い場所を譲って貰うのだ。
「こんにちは、先輩」
「あぁ、こんにちは」
「あぁ先輩、さっきの授業の主旨はなんだったと思います?」
「ミス・ジャミンスの手が無事かどうかの問題提起かな」
「先輩、部屋覗いても良いですか?」
「いいけど、俺たちの部屋はご期待には添えないよ? 隣の部屋なら最高だね、めちゃくちゃ臭いって話だ」
栄養バランスだけに特化したランチでは、和やかな時間は滅多に訪れない。それがルクスのテーブルだけは、入れ替わり立ち替わりにゲストが来る不思議な場所になっていた。
「君が後輩に慕われるのは実に良いことだけど、卒業論文が失業論文にならないことを祈るよ。部屋の掃除はいつもありがとう。もう行かないと」
「どういたしまして。といっても、また研究室で泊まるんだろ? 体痛くないか?」
「回しすぎた頭は麻痺して、痛覚はとっくに死んでるよ。一日二時間寝れれば何でも良い」
「とっても魔術師らしい発言だ」
人の魔力は、女神からの贔屓の証。そう言われる通り、魔術師には容姿が整った者が多いとされる。ただし、得てして顔色は悪い。
アージットは例に漏れず、せっかくの綺麗な顔を隈と充血した目で台無しにしていた。席を立って扉に向かって行こうとし、しかし、すぐに足を止めた。
「あぁ最悪だ」
「なに?」
「ノルサーだよ。リックをいじめてる」
ルクスも立ち上がって、出入り口から外を見た。
四人の男子生徒が、一人の生徒を囲んでいる。丁度植木の影になっていて、学舎からは見えない場所だ。
食堂を見回すが、今は生徒しかいない。
「あれが我が一族の直系子息だなんて、考えたくない。おばさんがノルサーに甘くてさ、中身が子供のままなんだよ。取り巻きも皆、二十七家の名門出身だね。台頭するフォルジュ家には、頭が上がらないらしい」
「その上、最高学年だし。後輩たちは年上でも、相手にはしたくないだろうな。止める?」
「止めないきゃ。僕はおじさんに、そう頼まれてる。愚息がバカをしないようにって」
「優秀な従兄弟は辛いなぁ」
と、ルクスは先に外へと出て行った。アージットはそれ続き、大きなため息をついた。
魔術師の世界には三つの区分が存在する。
まずは魔術師。その名の通り魔術を扱う者の総称で、第一から第八までの公認階級により実力を保証される。その基礎と、第八位までの資格を得ることを目的として、聖霊院は存在する。実力によっては在学中に第六位までの資格を獲得できるが、専門の研究機関・聖霊塔への昇格が叶えば、一層高位な資格と称号を得る機会に恵まれる。
称号、魔導師。文字にあるように、魔術の道を導く者たち。聖霊院の教師などは大抵、この称号を得て教鞭を執る。魔術の素養を見極める為、世界中へ派遣されることもあり、赴任先では一般人の相談に乗る役目も担う。
最高位は、賢者と呼ばれる。現在、世界に僅か四人の存在だ。魔術を極め、魔導師としての活動を称えられた者。最も身近なのは、魔術の聖霊院の学院長ルシアナ・マゼンタだ。彼は生ける伝説の一つと言われ、終戦の大英雄である。
それは四十年も前の話。
止まぬ号砲、消えぬ戦火。
旅路は危うく、街には兵士とけが人が溢れ、風は鉛と血の匂いがしていた。すれ違う人は影のようで、足は常に冷え切って、己の精神がすり切れていくのを感じていた。
「ルシアナ・マゼンタ?」
弾んだ声がした。振り返ると、自分のフードの向こう側に、歪みのない笑顔があった。眩しく、目を細めるほどの。
「よかった! 探してたんだよ、やっと見つけた! おーい! ダーノット、ザイワード! 見ーつーけーたーぞー!」
「・・・・・・私に何か用かね」
彼は子供のようにはしゃぎ、仲間たちを呼び集めた。
通りの向こうから男が二人駆け寄ってきて、三人が並ぶと実に変わった風貌だった。
「用がなくちゃ、こんな辺境まで探しに来るものか。なぁ、ルシアナ! 俺たちと一緒に、この枯れきった戦争を終わらせよう!」
後に七大英雄と呼ばれた中の、最たる偉人。この世に理想郷を築いた、輝く太陽のような人。リーバス・アージ・ザハーラン。
ーー浮浪者に身を落とした我が人生を、光と共に変えた者。ルシアナ老は自身の著書に、悉くそう記し続けた。
「学院長? お疲れですか」
ルシアナ老は顔を上げ、伏していた目をそっと開いた。
「いやいや。むしろ心が躍るような心地だ・・・・・・よい報せを貰った」
「まぁ、そうですが。しかし、不完全とはいえ軍人です。どこまで信用できるか分かったものではありません」
「確かに。・・・・・・この身が、あの頃のように軽ければ。私自ら出向くものを・・・・・・」
「やめてください。貴方をそこらへんで野垂れ死にさせては、学院の信用は地の底へ落ちるどころか、めり込んで抜けなくなります。魔術師に重労働させんでください」
「君は淡々としてるくせにジョークが上手いな」
「本気だからですかね」
ジェン・メイシードはボサボサ頭に分厚いメガネをかけ、夏だというのに厚手のローブを着ていた。彼は魔術師らしさを凝縮し神経質を足したような魔術師で、誰もが憧れる学院長を前にしてもペースを崩さない。まだ若いが、その傍観に徹した冷静さを買われ、ルシアナ・マゼンタの院内での補佐を務めていた。
「誰に行かせるおつもりで?」
「適任が一人いる。知っているかね? ルクス・アーリン」
メイシードは立ち止まった。
「ジェン? どうしたね?」
「すみません」
彼はすぐに歩みを進め、メガネを押し上げた。
「兄の、ブライト・アーリンは同期でした」
「・・・・・・あぁ、そうだったのか・・・・・・仲が良かったのかね?」
「まぁ、普通です」
調子は変わらなかったが、彼が俯き加減になったのをルシアナ老は見逃さなかった。
「ブライトの研究テーマは『彼』について。面白い試みでね、当人たちも息抜きのように楽しんでいた。君も参加したのでは?」
「迷惑でしたが、巻き込まれたことはありました。魔術に生真面目なあの男が、生きている人間を題材に何千時間と論文を書き続ける様は斬新で。週に一度の報告書を待ちこがれる気違い共が、寮の出入口を塞いだこともありましたね」
ルシアナ老は笑った。
「その研究が、今は役に立つ」
「なるほど。・・・・・・どころで学院長」
「ん?」
「そのアーリン弟が、下でノルサー・フォルジュと殴り合っているようですよ」
「・・・・・・んん?」
窓をのぞき込んでみると、校庭の角の方で騒ぎがあった。それに気づいてか野次馬や、理由なく喧嘩に参加する生徒も増えいるようだ。どんどん騒ぎが広がっていく。
中心にいるのは、二人の少年ーーいや、青年だった。
「魔術師同士で素手の喧嘩とは、弟の方もなかなかに斬新だ。泣いているのはリック・バルジでしょうか。まだ子供だ。それを連れているのはアージット・フォルジュ。アージットは優秀な院生です。卒論次第ですが、上位を狙える。何より悪魔学専攻の生徒で、唯一の真人間です」
「それは将来有望だ。君が生徒を誉めるとは珍しいな、ジェン」
「悪魔に興味を持つのはクセ者ばかりです。自分も含めて」
「よろしい。では信用あるアージットと、リック少年から話を聞いて貰えるかね? あぁ、そう嫌な顔をするんじゃない。私は話すべき相手に話さなければ」