死者の村を見たあたし。
「さてと」
サブナクさんの手伝いの後、お昼ご飯として、重湯を五杯ほどお代わりしたアズと、お湯を飲み干したあたしに、サブナクさんは言う。
「これからの事を話し合おうか」
「これからの?」
「そうそう。僕は地図を持っているよ。この水の大陸のあらゆる地形が書かれた、大国ですら持っていない地図さ」
「そんな物どこで」
「僕の愛しのあの子が、最後に作ってくれた置きみやげになるかな」
言ったサブナクさんはどこか悲しげだった。
彼もあたしと同じように、失った物を思うとそんな表情になるのかしら。
「君たちはどこに行きたいんだい? それによって。道の手助けをしてあげようと思って。助けてあげた患者が、結局誰かに殺されるのは目覚めが悪い部分があってね、それにアリアさんにはいろいろ教えてもらったわけだし」
サブナクさんはそういってウィンクした。
「ティルナ・ログに向かうつもりなんだが」
アズが言う。ティルナ・ログってどこの地名かしら。あたしは聞き覚えのない地名に首をひねった。
でも、サブナクさんははっきりと顔色を変えた。
「伝説の天空都市じゃない……実在するの?」
「俺ぁそこの出身だぜ? 実在にするに決まってんだろ」
「本当にそこの人たちは、この地上とは全然違う生活を営んでいるのかい?」
「大して変わらねぇな。人間の営みなんてそんなもんだろ?」
「……たしかに」
「でもここより多少ばかり、人間じゃない物に優しい世界だな、言われてみりゃ」
「天空都市には、数多の人あらずがいるって聞いたのは本当なんだね、すごいや」
サブナクさんは楽しそうにはしゃぎ、それから皮の袋を渡してきた。
「これ、ドレスのお釣りね。絹の宝石付きのドレスは、質屋中のお金をかき集めてもまだ、お金が足りないって言う珍事を引き起こしたよ。その面白い幕間劇を見せてもらったから、お釣りとしてこれを渡すよ」
あたしに渡されたのは、ずしっと重い金貨や銀貨。つまり高級貨幣だった。
この世界で一般的に出回っているのは銀貨だけれども、銀貨の中でもとくにララバータ銀貨という小さめの銀貨が、一般的だ。
サブナクさんが渡してきたのは、そのララバータ銀貨がたくさんと、それよりも価値のあるスメラード大銀貨、さらに上級のトリニティス小金貨、この世界の貨幣の中で最大の価値を持つ、アブソー大金貨だった。
配分でいったらトリニティス小金貨と、スメラード大銀貨が多い。
あのドレス、考えた事無かったけど、バカみたいに高額なドレスだったのね。
エンデール様が用意してくれたから、何も考えなかったけど。
……そんなもの着て、うろうろしなくって本当に良かった。
あたしは隠れて逃げたいのに、それを絶対に阻んだだわよ、あのドレス。
「こんなにもらっちまっていいのかい」
アズがもっともな事を言う。
「いいのいいの。それ三分の一だから。あれだけあればここ三十年は遊んで暮らせるし。それに、僕の噂を聞きつけて、危険でもここを訪れる人間は多いんだよ」
あたしそんな人間を一回も見たことがないんだけど。そんな言葉を言い掛けて、アズが意味深に笑った。
「なるほど、ここを訪れようとするやつぁ多いんだな」
「そうだよ」
何が二人の間で交わされているのか、あたしには判断が付かなかった。
それでも、二人の間の言葉はそうやって終わる。
「死者にお金は必要ないでしょう?」
サブナクさんのその言葉は、妙に強い調子に聞こえた。
それからあたしたちは、その、アズの故郷であるティルナ・ログへの行き方を決めた。
ティルナ・ログは天空都市と言うだけあって、あちこち移動しているらしい。
そんなバカなと思ったんだけど、浮島みたいな物らしいのだ。
よくわかんないけど。
「どうやってそんな、移動している物の場所がわかるのよ」
「よびゃあ来るんだよ」
「呼ぶ?」
あたしの問い返しに、アズはちょっぴり楽しそうに言う。
「よびゃあ、な」
よくわからないけど、実際に見せてくれるのだろうから、そのうち庭駆るのよね、きっと。
あたしは当面、その疑問を放置する事にした。
サブナクさんの治療院にあった、旅行用の鞄をもらったわ。サブナクさんはもう、いらないらしい。それってここに骨を埋めるって事なのかしら。
聞くのもなんだか無粋な気がして、あたしは聞くのをやめた。
そしてあたしたちは、森をでる事にした。
森の中はどうしてか、あたしに道を教えたがる。
あたしはその助言に従うだけ。
そんな時に、アズがぽつりと言った。
「木が受け入れてるな。きっと森が受け入れてるんだろうな」
「なにそれ、わかるの?」
「お嬢ちゃんは、受け入れられている事すら分からねぇのかい?」
悪戯っぽい笑顔。その笑顔がきゅるりと目を瞬かせて、言う。
「そりゃ、分かるだろ。こんだけ森がお嬢ちゃんを受け入れてるのくらいは」
アズはいったい何を持ってして、あたしにそれがあると思っているのかしら。
あたしはもう、何もない。
……言い過ぎね。あたしにはもう、神の力は何もない。
あるのは神罰が下された結果としての、この姿と、それに付随しているらしい能力だわ。
でも。
木の姿を宿しているこの姿は、森の仲間として受け入れられる姿なのかもしれない、わね。皮肉な事に。
「気をつけてちょうだい、もうじきに、人里になるの」
あたしはばさりと頭巾を被る。サブナクさんの所でもらった頭巾は、目出し帽みたいに、あたしの顔のほとんどを隠してくれる。
それに長手袋と引きずってしまいそうなほど長い、外套。
どれもがあたしの異形を隠す、すばらしいアイテムだった。
「あたしは森を抜けるわ。あなたは街の中を通ってちょうだい」
「はいはい。でも俺も、ずいぶんと人間じゃなく見える顔、なんだぜ」
「バカ言っちゃいけないわ、あたしの見た目とくらべて考えてよ」
「そりゃあもう、天下一の美女がいるぜ?」
あたしは息をちょっと吸ってから、言い返した。
「あなたの目は目のお医者様にいく事をおすすめ、するわ」
この姿を、綺麗だと言ってくれるのはあなただけだわ、アズ。
心の中で思っても、それは口に出さない。
アズはとても優しい人だ。道中道に迷った人に、食べ物を分けてあげて、道を教えてあげていた。道はあたしが分かったから、それを教えただけだけれど。
こんな逃亡中という、極限の状態でそれができる……というのは、とんでもない美徳だわ。
アズは見た目こそあれだけれど、心は誰よりも綺麗なのよ、きっと。
そういう彼と一緒に逃げられる事実が、あたしにとっては奇跡だと思うわ。
「さ、行きましょ」
そういって、あたしたちはごく小さな村の前に来るはずだった。地図にも載っていない人里だ。
サブナクさんが通った事があるから、書き加えられていた村。
人のいい人が多いと彼が語っていたから、ここで少し物を調達する予定だった。
アズが村の中を通って、少し食べ物を分けてもらって、水をもらって。
それで抜けるはずの村、だったのに。
「……いやに静かだな」
アズが呟いた。
あたしもそんな気がしていた。村という物は少しばかりは。うるさいはずなのに。
不気味なほど人の営みが感じられない。
どういう事?
なんだかとてもいやな予感がして。あたしは頭巾をさらに深く被った。
「……俺から、離れるんじゃねえよ、お嬢ちゃん」
声は軽いのに、音はすごく真剣に響く。あたしはそれに気圧されて頷き、そして……見た。
「何よこれ……」
そこは死者の村だった。まだ死んで間もないのかしら。蠅がたかっている。
この暑さの時期だもの。蠅はたかるわよね……
「病か……?」
アズが呟く。
周囲をあたしも見回すけれど、生きている人の気配がかけらもない。
ここは死者の村だわ……どうしてこんな事に?
「生きてる人間を捜すぞ」
アズは病気が怖くないのかしら。まっすぐに前を向いて、そう言いきった。
結論から言ってしまえば、生きている人間は一人もいなかった。
生きている人間は、きっと逃げ出したのだろう。
それを責められはしない。誰だって生きたいでしょう。
あたしたちは、生存者が一人もいない村を大急ぎで抜けた。
残された食べ物にも、手をつけなかった。何があるか分からないから。
「……あの村はどうしてあんな事に」
「ここは海でもねぇからな。感染源がわかりゃしねぇ」
村から数キロ離れた森の中で、あたしたちはそんな会話をした。
「彼らは共通している物があった」
「え?」
不意にアズが言う。
「何が共通していたの?」
「背中だ」
「背中?」
「ああ。……あの村ぁ、鳥人の隠れ里だったらしいな。背中に鳥人の印、羽が生えてたぜ」
あたしには見るなと言いながら。アズは死人の服を脱がせたらしい。
気付かなかった。
「気付かなかったわ」
「そりゃそうだろうな。あれは見方を知ってるやつじゃねえと、見られないし、わかりゃしねぇよ」
たき火を囲んで、あたしたちはその後無言になった。
「……どうして、彼らはあんな事に」
「さてな」
アズは平然としていた。何でそんなに平然としていられるのか。
疑問の残るあたしに、アズが言う。
「あれぁ幻だぜ。お嬢ちゃん。ただの目眩ましだ」
「目眩まし?」
「確かにさっき言ったとおり、あの村は鳥人の隠れ里だった、間違いねぇ。でもな。あの死者は全部、まがいものだ」
「分かるの・・・・・?」
「あんだけ蠅がたかってんのに、腐るにおいがあんなにしないってのもおかしな話だぜ。お嬢ちゃんはわからねぇか」
アズは苦笑いをして、たき火に小枝を足した。
「誰かしらねぇが、あの村の人間が生きてたら都合が悪い奴らが、いたんだろうよ」
アズはそれ以上何も話さないで、眠ってしまった。
あたしはたき火を眺めて、アズの言葉を考えてしまった。