森を進あたし。
森の中は危険だと、誰もが言う。
それでも今のあたしは、不思議と森の言いたい事がわかる。
それはあたしが、植物の特徴を宿してしまったからなんだろうか。
あたしはあたりを見回してから、彼を見て手を振る。
「森を抜けるならこっち」
「わかんのかぃ?」
「不思議とね」
あたしの言葉にけげんな表情を向けて、彼があたしの後に続く。
この森は鬱蒼としていて、草木を踏みしめて道のない道を進んでいくのよ。
あたしは色々と、邪魔だ。それは夜会服という豪華さだけをメインにした衣装だからよ。
靴は華奢だし袖は長すぎるし、重いのは間違いないドレスだし。
ほんっと、何処かで着替えを手に入れたいわね。さっきから枝とかに服が絡まるのよ。
切ってしまいたいけど、ナイフ一本すら持っていないから無理なのよね。
とりあえず早く、森を抜けよう。ほかの事は後回しにしたい。
いくらあたしが森の声が聴けるみたいでも、肉食の獣の声は聞こえない。
襲われたら一巻の終わりだ。あたしは戦えないし、彼は片腕片足で、戦える体じゃない。
……それにあたしたちの脱走は、とうに知られているはず。追手がかかる可能性はとっても高いはず。
急がないと。あたしは森が示してくれる声のままに、進む。
森に導かれるままに、どれだけ進んだだろう。
後ろを歩いていた彼が、立ち止まった。どうしたんだろう。
あたしも足を止める。どうしたの、何か獣がいるの、それとも追手がもう来ているの、と問いかけようとした時だ。
彼は息を大きく吸い込み、そして言った。
「わりぃ、もうだめだ」
「え?」
あたしが慌てて振り返ってみたのは、彼がゆっくりと膝をつき、倒れる姿だった。
「大丈夫?!」
あたしの声は夜の森の静寂の中で、やたらに大きく響いた。
彼は荒い息を吐いている。
限界だったの? それとも腐った手足の毒が、彼を痛めつけているの?
彼は目を閉じて脂汗をかいて、荒い息で横たわっている。
「もうだめだ、自分でもわかるぜ……俺を置いていきな、お嬢ちゃん」
その時だった。あたしの中で何かがあの人と重なった。
体が腐った、という部分から、あたしがその人を連想したのだろうか。
それとも、どこか似ているような口調のせいなのか。
分からないけど、あたしのたった一人の人と、目の前の彼が重なったのだ。
……あたしはいまだに、彼との出来事から立ち直れていないんだ。
経ったあれだけの時間しか、一緒に過ごしていない人だけれど。
あの人はあたしの胸の中に、刻印されているのだろう。
だからあたしは彼を見て、言い切った。
「……いや」
「なんでぇ」
「だって、あたしはあなたと地の果てまで行くと決めたのよ」
言いつつあたしは彼の残っている腕を担いで、立ち上がった。肩を貸す要領だ。
でも背丈があってないから、でこぼこなのは間違いない。あたしは割と小さいのだ。
「だから、一緒がいいの。……独りぼっちは、きらいなのよ、あたし」
あたしの冗談めかした声に、彼は少しだけ笑い声を立てた。
「変わりもんだなぁ、お嬢ちゃん」
「行くわよ。……後悔しないように」
言ってあたしは、何処か森の中でも小屋とかがないだろうかなんて思った。
あるわけないわよねー。
と思った時だ。
こっち、と何かがあたしに囁いた。また森の言いたい事なのかしら……それなら、信じてみよう。
「ありがとう」
あたしは誰かもわからない声にお礼を言って、力いっぱい足を踏みしめて歩き始めた。
肩を貸している彼が、とっても重たかった。あたしって軟弱なのね。
どうやったら、彼を助けられるかはわからない。あたしに治療の知識はない。
魔法の杖なんてものを、この森の中で期待しても意味がないし、出来るのはたぶん、きれいな水で傷口を洗うくらいだろう。
傷を洗って膿を出して、弱っている人間でも食べられる物を用意する。
たぶんできそうなのはこれ位。あたしは、役に立たないかもしれないわね。
それでも。
あたしは足を進める。誰かに祈るなんて事はしない。あたしをこんな風な見た目にした神とやらに、祈りをささげるわけがない。
踏みしめて歩いて……もう歩けないんじゃないかって位頑張ってそうして……
あたしは、大樹の前に立つ事になっていた。
大樹だ。どれくらい大きいのか見当がつかないくらい大きくて、森の主と言われても納得できそうな大きさだった。
あたしはここに、何があるのかと真面目に考えたわ。
そうやって見ていると……あれ、あの木、窓があるわ。
木の裂け目のような部分がそこそこあるんだけど、それがいかにも窓っぽいのだ。
こういう場所には、たいてい森の魔女がいるのがゲームの定番だ。
ここが乙女ゲームの世界だとしたら、可能性は高い。
森の魔女だったら薬に詳しくないかしら。
いるかもしれないと希望が見えてきた。
あたしは彼に肩を貸したまま、その入り口らしき裂け目に行った。
そこに行くと、やっぱり扉があったのだ。そしてぼんやりと明かりが見える。
誰か人がいる。
あたしは息を吸ってから、扉をたたいた。
「誰かな?」
あれ、なんだか聞き覚えのある声だわ。
どこで聞いたのかいまいち思い出せないんだけど、あたしは言った。
「すみません、一晩だけでいいので助けていただけないでしょうか」
「おやおや、病人かい、それとも怪我人?」
「……恥ずかしいんですけど、分からないんです」
「あはははっ、そうこなくっちゃ」
誰かの足音が近づいて、扉が開く。
「……おやおや」
彼は目を見開いた。
あたしは彼を知っていた。故郷で見た事がある人だったのだ。
「サブナクさん……?」
「驚いたね、君みたいな異形まで、僕の事知ってるなんて」
ああ、やっぱりあたしは異形に見えるのか。
少し悲しくなったけど、それは脇に置く事にした。
「うう……」
あたしの隣で、彼がうなっている。
うなっている彼をちらりと見やって、サブナクさんは事態を把握したらしい。
「そこの人、そっちの寝台に寝かせて」
「ええ」
あたしは何とかして、彼を診察台っぽい寝台に寝かせた。
小さくても明るい明かりの下で見ると、彼の惨状は際立っている。
「……へえ、手足が腐り落ちている。腐った毒にまだ耐えきっているのがすごいね。不運……ちょっと切除しなきゃだめだね。それか」
言いつつ彼はあたしを見やっていう。
「手伝ってほしいな。血とか平気?」
「そこそこ」
「じゃあ手伝って。助けたいんでしょう?」
あたしは頷いた。
腐った場所を切除する手術は、二時間にも及んだ。あたしはサブナクさんが言うがままに手伝って、傷を縫ったり出血を止めるために焼き鏝を当てたりした。
彼が舌をかまないように、しっかりとさるぐつわもした。
そうして、酷い臭いを放つ部分を全部切除して、彼に体の再生力を高める薬を投与して、やっと一息つけた。
「彼は助かる?」
「彼次第、かな? 生きたいって思えれば、結構うまくいくよ」
サブナクさんは、前に見た時はいた相方がいない。
あの、なんだかわからないぶよぶよはどうしたんだろう。
「ああ、君が僕を知っているなら、あの子の事も知っているんだろうね」
あたしの視線の疑問に気が付いたのか、彼が言う。
「あの子はね、消えたよ。蠱毒の固まり、僕の最愛……魔王が消えたその瞬間、あの子は魔王のもとに還ってしまったから」
それは寂しげな顔だった。
そっか、あたしやソヘイル以外にも、大事な物を亡くした人はいたのか。
「さみしいけど、あの子は僕に偉大なる知恵を残してくれたからね、あの子といつか再会するために、僕は僕を貫く」
サブナクさんは、そういってあたしに、前にも飲んだ事のあるおかしな色の飲み物をくれた。
「さて、お代の話をしようか」
彼はそれをのみながら言った。言われるだろうとは思っていた。
こんな森の中でも、生活に必要な物はたくさんあるはずだから。
「ドレスも宝石も、全部あげるわよ」
「それを? 見ればどれも、一級品の高級品だけど。彼はそんなに大事かな?」
「あたしがあなたに差し上げられる物はこれしかないから」
「へえ?」
サブナクさんが目を瞬かせる。黒い巻き毛が揺れる。分厚い丸眼鏡の奥の瞳は、きらきらとしていた。
童女のように赤い唇で、不健康に白い肌で、彼はどこか幼い愛嬌のある顔立ちをしている。
「それじゃあ、ドレスだけもらおうかな。宝石は大事に取っておきなよ。いつまでもこの森にいるわけじゃあないんでしょう? バスチアのお姫様」
あたしはあっけにとられた。
どうしてあたしの今の見た目で、そうだとわかるの。
「ああ、どうしてわかるのって顔してるね? 僕は目が悪いんだ。だから呼吸や音、あとその人が持つオーラで人間を認識しているんだよ。だからわかるのさ。君は前に、ウォーレングレンに連れられてきた、入れ替わっちゃったお姫様でしょう?」
あたしは黙って頷いた。
「君が異形でも、あのお姫様なのに変わりはない。僕は君が気に入っているんだ。なんだろうね、強いから」
「あたしは弱いわ」
「ううん、強いと思うよ、すっごく」
彼はにっこりと笑ってそういった。