1
禍々しい赤黒い色に染め尽くされて空や雲、大地の色がすっかりと人間がよく見知っている彩りへと戻った事に、全員が安堵の息を吐き、肩の力を抜くことが出来た。
「終わった、やっと…やっと終わった」
ようやく終わった、魔族との世界の覇権を掛けた戦い。邪悪なる魔力を巧みに操る魔族・魔物、それらを率いる絶大な力を持つ闇そのもの邪悪そのものと言い表すに相応しい魔王との攻防を使命に導かれ、成し遂げることが出来た彼等七人は、さぁ懐かしい我が家に帰ろう、と顔を向け合っていた。
希望と心配の中、ただ聖遺物に選ばれたというだけで使命を負い送り出された七人。力及ばないという絶望を味わい、苦難の乗り越え続けた。出会いがあれば別れもあった。護るべき人間による裏切りも経験したし、敵である筈の魔族を解り合うという経験もした。
魔王の住処という敵の中心へと辿り着いた後の、死ぬかも知れない、仲間を失うかも知れないという苦しみを生き抜き、倒せると想像も出来なかった魔王をついには打ち倒した。
大小様々な怪我は全員にあり、消耗も激しく立っているのもやっとだが、生きて色を取り戻した大地に足をつけることが出来た、一人も仲間を失うことなく笑顔を見せ合うことが出来た、と喜びに湧いた中。
「すまない。俺は此処で死んだことにしてくれないか?」
それまで浮かべていた笑顔を消し、まるで再び魔王に戦いを挑むといった表情で放たれた言葉。
一同を包んでいた空気をあっさりと切り捨てたその言葉は、魔王との戦いの最大の功労者である、『勇者』の聖遺物に選ばれた事で人々の希望を一番に背負い続けてきた仲間の一人、レン・アーガスから放たれたものだった。全員の唖然とした視線を受ける中、深く深く下げられていくレンの頭。そして、もう一度、繰り返し放たれた「頼む、すまない」という懇願と謝罪の言葉。その発言が冗談でも何でも無いのだと、六人の仲間達に突きつけた。
長い旅と激しい戦い、苦境に次ぐ苦境を共に二年という年月を耐え抜いた、友であり仲間であり、最早家族といっても過言ではない六人の仲間達は、ただただ驚き困惑することしか出来なかった。
『勇者』であるレンが現在、二十歳。英雄一向と呼ばれている彼等は、年長であるロベルトが三十二歳、年少であるヨハンナが十八歳。
それはヨハンナが生まれる少し前の事だった。
魔王と名乗る存在が誕生し、魔族、魔物、そして堕ちた人間達を率いて、世界を混沌と絶望に包もうと宣言したのだ。人々は怯え逃げ惑い、始めは各国がそれぞれに対応しようとし最悪な事態に落ちていくこととなった。それによって人間の種族として危機的状況へと追い込まれたことを突きつけられた各国は、それまでの禍根をまるで無かったこととして手を取り合い、攻めくる魔族達と戦った。
だが、魔力という強大で邪悪な力、魔王の下に統率を持った魔族を前にしてしまうと、人間側が手を結び力を合わせようと烏合の衆でしか無い。
人間側の戦力という戦力をつぎ込んでも尚、劣勢に追い込まれた彼等が縋ったのは、伝説だった。魔術も法術、魔物・魔族という存在も確かに実在しているというのに、古臭い、御伽噺だろうと捨て置かれ、歴史書などの中に埋もれてしまっていた古い古い神話、魔王と英雄の存在。そして、それらを語り継ぎ続けている、現代では心の底から信仰しようという者も少なく、殆ど観光地のような扱いを受けていた神殿。それまで笑い捨てて、歯牙にもかけていなかったそれらに縋ったのだった。
魔王を退け平穏な人の世を築いたという勇者達の聖遺物。
興味本位の観光に訪れる多くの人々に信じられることなく、時には苦笑を向けられて、神殿に飾られ続けてきたそれら七つの武器に、人々の注目は集まった。
魔王が率いた魔族と人間の大きな戦いがあったとされる遠い歴史の彼方から、何が起ころうと神殿と伝承を守り続けてきた唯一の一族に、それまでは馬鹿にしていた人々までが縋るように押しかけた。信仰を重んじて記録にも残らない程に世代を重ねてきた神官の一族はそれらを無下に追い払うことなく、人間が勝つ為の導きを示した。
「聖遺物が己を奮う主を選び出す。聖遺物によって選び出された者が、魔王を打ち倒し、魔族・魔物の悪しき勢いを消し去ってくれる」と。
人々の期待の中、神官の告げた通りに鑑賞の為の装飾から解放された七つの聖遺物は眩い光を放ち、それぞれが一人の人間を選んだ。これが十年前のこと。聖遺物がそれぞれに選んだ英雄達全員を探し出すまで、八年という月日を要した。七人の英雄が揃わなければ戦いを完全に終わらせることは出来ない。神官の一族が受け継いだ伝承の言葉を信じ、見い出されていく英雄達の助力を得ながら、人々は何とか八年という月日を耐え抜いた。その場に立ち会った者の中から、近くの町に住んでいる人の中から、遠い異国の地に聖遺物のことなど噂にしか知らないような人の中から。聖遺物から放たれた光は世界中に向かい、ただ一人を選び出す。各国の王達は選ばれた英雄達を見つけ出し使命を告げ、英雄達はそれを覚悟を決めて受け取った。
神殿を護る神官の一族の一人として、次代の長と目されていたフレイア・ヒルデ。
魔族との前線で一兵士として戦っていたニクス・クオーク。
とある大国で近衛騎士を勤めていた貴族子弟のロベルト・ソネスト。
魔術の徒として幼いながらも天才と称される、ヨハンナ・ダグリー。
同じく魔術の徒でありながら万年落ち零れと揶揄されていた、エリーナ・グルゲ。
裏社会に生まれ育ち、呪術と暗器を手足のように操る、バーン・シュタイン。
見つけ出された英雄達の境遇は、聖遺物を護ってきた神官一族を大いに驚かせた。
それらは彼等が受け継ぐ古来の英雄達と殆ど一致するものだったのだ。選んだ聖遺物も境遇も一致するということに、神官一族の一部や話を聞いた人々から、彼等を古来の英雄の生まれ変わりではないのかとまで噂さえ生まれている。
その中で最後に見つけ出されたレン・アーガスは、神殿のある地を内包する国の貴族の子息で、灯台下暗しと揶揄され、大きな話題と共にようやく見つかったかという歓迎をもって迎え入れられた。
彼を選んだ聖遺物は、英雄の中心、魔王に対して最も力を発揮する存在である『勇者』と呼ばれた存在が遺した武器。人々の期待の目はもっとも強く、レンへと向かった。そして、レン・アーガスは確かにその期待に応えてみせたのだ。
剣を扱えば空気さえ切り裂き、弓を引けば豆粒にしか見えなかった敵を貫き、魔術を呼吸するがの如く自然の内に編み出し、神殿秘匿と言われる法術も、外法と忌み嫌われる呪術さえも本を朗読するように扱ってみせる。
他の仲間達が得意としているものさえも巧みに操り、魔王へと挑む英雄の一人に選ばれた事を納得させる実力者である彼等に、自分は必要なかったのかと悩ませる程の傑物っぷりを見せ付けた。だというのに彼は、自分はただの器用貧乏でしか無いのだと決して自身を驕ることなく、エキスパートである仲間達を立て、時には知らぬこともあると教えを乞うという姿を忘れることは無かった。救いを求める人々を無碍にすることなく、時には仲間達の躊躇いを余所に魔族でさえも助けの手を伸ばしもした。
そもそもレンは『勇者』であると分かる数年前に、自国の王の一人娘である王女を危険から果敢にも助け出し、それにいたく感謝した王によって王女の婚約者に選ばれ、王女による王位継承が認められている国での次期王の王配の地位を約束されていた。
そんな逸話も含め、人々はレンを、流石は『勇者』として選ばれた者であると褒め称え、その名声は留まる事を知らなかった。