サイバーパン食う
鉛色の空から雨が降っている。
強い酸性を帯びた雨だ。
人と大地に一切の恵みを与える事がない。
そんな雨だ。
俺は窓の外に降る雨を見ながら“パン”をかじる。
文明や戦争や喜怒哀楽さえも溶かして洗い流す。全てを無に帰す為の雨なのかもしれない。
そんな事を考えながら味気ない“パン”を無理に咀嚼して飲み込んだ。
総合栄養補給レーション、通称“パン”は、コンクリートの方が美味しいと評価される、不味いものの代名詞である。
今から100年以上前、2050年代までは小麦を使ったパンという物が作られていたらしい。
それはとても美味しく、主食としての栄養価も高かったそうだ。
兵士達はたっぷりの皮肉を込めて、このクソ不味いレーションの事を“パン”と呼ぶようになった。
耐酸性の薄っぺらい屋根に弾ける雨音を聞きながら栄養補給を終える。
掘っ立て小屋と言っても過言ではない兵士宿舎には、第5次チャイナメリカ侵攻作戦に従軍し、奇跡的に生き残った兵士たちがすし詰めの状態で押し込められていた。
四肢欠損などは軽傷の部類になるほど、ひどい有様の兵士達が治療と言う名のサイボーグ化手術を待っている。
彼らには未来を選ぶ権利はない。当然俺にも。
生身の人間としての価値など存在しない現状、サイボーグ化を拒否すれば遠からず死を迎える事になる。
そして手術とサイボーグ部品の費用は、次の戦いで働いて返済する契約になるのだ。
ここは友好国の一つ、アラスカナダ連邦共和国の日本人居留区にある、第328歩兵連隊の宿舎だ。
祖国だと教わった日本という国はもう存在しない。
俺が生まれる前に無くなったそうだ。
国土はあるが誰一人住む事のできない、禁足地になっている。
かつて存在した中国という国で起きた内乱で、放射能や、ダイオキシンをはじめとする化学物質、あらゆる細菌兵器などで、徹底的に汚染されてしまったのだ。
偏西風に乗った汚染物質は海を挟んだ日本にも流れ着き、今や北東アジアにはネズミの一匹さえ生存できない無生物圏となっている。
窓の外に広がる陰鬱な光景を茫っと眺める。
耐酸性塗料の塗られた家々は、どれも重苦しい灰色で、路地裏の暗がりには餓死した孤児の遺体が放ったらかしになっている。
遠くに高く聳えるビル群は、世界中を支配する巨大国際企業ニューロマンシー社の牙城だ。かつてグローバリズムを声高に叫んでいた、国際金融資本の末裔達だ。
世界中にある国の中で彼らに逆らえる国家など存在しない。
現在“正統USAによるレコンキスタ”と銘打った、チャイナメリカ侵攻作戦を陰で操っているのも奴らだ。
居留地を与えられている日本人はこの戦争の駒として消費されているに過ぎない。
バカらしい話だ。
アジアを飛び出した元中国人と元日本人が、かつてアメリカがあった場所で戦っているのだ。
安全保障について真剣に考える事のなかった民族にはお似合いの末路なのかもしれない。遠からず日本人は絶滅する、そんな考えが頭をよぎり、暗澹たる気持ちで視線を移す。
先ほどまで隣で呻いていた男が静かになっていた。
気絶したのか、死んだのか。何にしろ切断された片足のせいで血を大量に失ったのだろう。
この男は人間としてあの世に行ける。
それはある意味救いなのかもしれない。
俺は自分の体を見た。
脳と一部の臓器以外のほとんどをサイボーグ化してあり、視覚、聴覚以外の感覚は無くなっている。
誰もが不味いと口をそろえる“パン”でさえ、何の味も感じる事はできないのだ。
前回の侵攻作戦でチャイナボカンにやられてしまい、アメリカの国土を回復するまでという契約の元、この体を与えられた。
だが、ワスプ連合が主張する“正統USAによるレコンキスタ”も絶対に成就する事はない。
巨大国際企業ニューロマンシー社にとって、この戦争は金の成る木なのだ。事実、奴らはワスプ連合にもチャイナメリカにも最新の技術を提供している。
終わりのない泥沼の戦争。
俺は何のために生きているのか?
こんな体になってまで戦う意味はあるんだろうか?
止まない雨を見ながら、子供の頃に一度だけ食べた味噌汁の味を思い出そうとした。
それはただのスープと違って、茶色い泥水のような色をしていたが、微かに残る記憶ではとても美味かった気がする。
美味かったという記憶はあるが、どんな味だったか、そもそも味を感じるというのが、どんな感覚だったのか思い出せない。
味噌汁を振る舞ってくれたお婆ちゃんは、3日後にチャイナボカンで亡くなった。
「日本人にはお味噌汁が必要なんじゃよ」と言って笑ってくれた顔だけは今でもはっきりと覚えている。
第6次チャイナメリカ侵攻作戦。
俺はアラスカナダの機械化大隊に配属された。
第5次侵攻時のヤッチャイナ旅団襲撃作戦の戦功が認められたのかもしれない。
あの作戦は確かに成功したが、戦死した日本人の数は計り知れない。
そのおかげか今回は後方支援で楽ができそうだ。
今作戦で俺に課せられた主な任務は、戦闘が終わった地域でのパーツ回収である。
ワスプ連合の中でアラスカナダ軍は最も貧乏だ。
だから、戦場に取り残された機械化兵士のパーツは回収してリサイクルされるのが一般的なのだ。
俺の体も8割以上がリサイクル品である。
ヴァーチャライズ・サイバネティック・ボディ。略称でVCBと呼ばれるこの技術のおかげで、兵士はより少ないエネルギーで、より高い戦果を挙げる事ができるようになった。
ニューロマンシー社が誇る最新のVCBならば、五感どころか第六感までリンクする事を可能にした、ニュータイプ専用VCBさえも存在する。
しかし、新品のVCBは一般兵士には絶対に手の届かない高嶺の花なのだ。
中古のVCBを使っている俺でさえ、死ぬまで戦場に駆り出される程なのだから、新品のVCBだったら死ぬ事さえ許されないだろう。特殊部隊やエリート諜報員以外には支給されるはずもないのだ。
「おい、ゴトウ。お前下の名前なんて言うんだ?」
今回の主要任務である、死体漁りをしている最中にスズキが声を掛けてきた。ヤッチャイナ旅団襲撃作戦でも一緒に戦った男だ。
「第4次の時に死にかけてから、下の名前は忘れたんだ」
「なんだって? お前自分の名前も知らねえのかよ」
「ああ、そうだな。そう言われたら可笑しなもんだ。気にもしてなかったよ」
スズキは呆れた様子で、さすがに全身VCB様は変わってるねーと言いながら敵のチャイナスーツを担ぎあげた。
チャイナスーツはサイボーグに流用できる部品がいくらか取れるので回収対象になっている。ただし、考えられないような粗悪品が混じっているので回収する際にある程度の選別は必要になる。
スズキは両足のみの部分サイボーグなので俺のような全身VCBに対して軽い嫌悪感を持っている。
全身VCB化した兵士は仲間を見捨てる時に迷いが無いという噂が広まっているせいだろう。
その噂は実を言うとかなり正解に近い。
俺はこの体になってから、味覚と嗅覚と触覚以外にも多くの物を失った実感がある。
感覚質が入力されない分だけ心が死んで行く、そんな気がするのだ。
全身VCBの人間で、俺のように五感にアクセスできないようなボロを使っていると、人間味が無くなっていくのはその為ではないだろうか。
「おー、あそこに転がってるのって新型のチャイナVCBじゃね? ちょっと行ってくる」
「ああ」
俺はチャイナボカンに注意しろよ、と言葉を続けようとしたがスズキはすでに走り出していた。
大声で注意してやっても良かったが、めんどくさい気がして自分の作業に戻る。
前日の戦闘はかなり激しかったらしく、広範囲に敵味方双方の死体が転がっているのだ。
正直、あまり悠長な作業をしている暇はない。
「おーい、これって使えるのか見てくれー」
スズキは銀色の脳殻シェルターを持ち上げていた。
「すてろぉぉぉー!」
俺の人工声帯から最大音量の怒鳴り声が発せられた。
50m先からでも分かる。
あれはチャイナメリカがばら撒いた偽装爆弾だ。
血相を変えたスズキがそれを放り投げた瞬間、腹に響く重低音を撒き散らして偽脳殻が爆ぜた。
これこそ悪名高いチャイナボカン。
衝撃波は俺を3mも吹き飛ばしたが、着地と同時にスズキが居た場所に向かって走り出した。
「うぅ……」
そこには右半身を吹き飛ばされた無残なスズキが横たわっていた。
幸いな事に頭部には直接のダメージは見られない。
しかし、一刻の猶予もない状態だ。
血液が脳に行かなくなると5分で完全に死んでしまう。
俺はすぐさま支給品の代替血液ナノマシンの粉をスズキに振り掛けた。
損傷個所は右の肩から右足の付け根までで、足と腕は吹き飛ばされて見当たらない。内臓もぐちゃぐちゃだろう。
ナノマシンが即座に止血と失血した血液の代わりを務める。
このナノマシンを持っていた事は幸運だった。
これが無ければスズキはすぐに死んでいただろう。
やがて意識が戻ったスズキが俺に縋るような目で聞いてきた。
「俺は死ぬのか?」
確立は5割といったところだが、希望を持たせると死亡時間が若干伸びるというデータもある。なので思いっきり嘘をつく事にした。
「心配するな。必ず助かる」
「そうか……よかった」
そう言ってスズキはまた気を失った。
後は時間との勝負になる。
スズキを抱えた俺はすぐさま乗って来た装甲車両に搭乗し、基地に向かって走り出した。
(大丈夫。お前は死なないさ。――心以外はな……)
俺の呟きは唸るエンジン音に掻き消され、誰にも聞かれる事はなかった。