迷い込んだ森 5
投下します。
ふと晴彦が目を覚ますと、岩穴の中はすっかり明るくなっていた。顔を横に向けると、昨日と変わらずそこに白雪姫があり、晴彦との間には燃え尽きている焚火になっていた薪が炭化し黒く燻っていた。
「おはようございます。」
起き上がり寝台の上に座ると、白雪姫に向かって挨拶をする。もはや習慣だ。
懐からクルミもどきを出し石斧で割ると、朝食としてとる。相変わらず味はない。
(さて、引き払うにあたって準備しなくちゃな。)
口を動かしながら、今まで使っていた寝台を異空間へと転送する。この先使わないかもしれないが、使うかもしれない。
(異空間に容量には余裕があるしな。)
おおよそ100㎥ほどの容量がある。無限とは言わないが、それでもとんでもない量が入る。
次に目についたのは岩穴にあった鞄と本だ。これも転送する。空間魔法がある以上鞄としての用途は成さないが、このかばんに衣服を入れると丁度いい枕にもなる。個人的には外せない物だ。
「日記……読んでおく必要があるか。」
個人の日記を読むことに憚りがない。といえば嘘になるが、気になることは確かだ。読んでいけば、ある程度の常識もわかる。何が常識で何が非常識なのかわからなければ余計な諍ぶ可能性がある。そういったことを避けるためにはやはり必要なことだ。
白雪姫と胸甲、そして一緒に籠に入っていた光を放つ宝石も異空間へ転送する。すでに亡くなっているとはいえ、一緒に時を過ごした人だ。遺族がいれば渡してあげよう。と思う程度には情が沸いていた。
ついでとばかりに乾燥させていた薪を異空間に入れると、辺りを見回す。
(こんなところか。)
何もなくなった広間を一通り見まわると、岩穴を出て裏手にある湧水場に足を運んだ。
湧水が出水する穴があり、その穴の下に水たまりがある。その水たまりの端にチョロチョロと流れる水の筋があることが分かる。
(恐らく、この湧水が源流なのだ。……と、思いたい。)
見える範囲では、その細い水の流れはずっと続いているようだ。
やけにフワフワとした土を踏みしめるようにして、ゆっくりと警戒しながら進む。
(この感触に心を躍らせたこともあるんだけどな……。)
すると、ギチギチと何やら音が聞こえるではないか。
(なんだ……?聞かない音だ……。)
「≪空間・転送≫」
手元に石斧を転送させ構える。
知らぬ音が聞こえるということは知らぬ何かが有るということだ。
知らず、冷や汗が一筋垂れる。
垂れる汗に気が付くが、それを無視し警戒の密度をさらに上げる。
すると、足元より巨大な蟹の爪のようなものが飛び出てくるではないか!
「くぬっ!」
急襲する爪をどうにか後ろへ飛ぶことで回避すると、改めて石斧を構えなおす。
爪であいた穴を押し広げるようにして爪の持ち主が這い出てくる。
巨大な蟹の形をしたソレの体半分、ブクブクと泡を吹く口が見えた頃、晴彦は石斧を投げつけた。
空を裂き、唸りながら向かってくる石斧を体が半分しか出ていない蟹が避けれるはずもない。当たった石斧は蟹の頭を割った。
「≪転送≫」
すかさず投げつけた石斧を転送の魔法で回収すると、素早く駆け寄り
「せぇい!」
気合とともに逆風に叩き付けると、晴彦の石斧は腹殻を突き破り、蟹を仰向けにひっくり返した。
動いていた足が次第にぐったりしてくるのを見て斃したと判断した晴彦は蟹の死骸を石斧とともに転送し、肺に溜まっていた空気を出した。
(あんなのもいるのか……。)
その不思議な感覚に気が付いたのは、またしばらく歩いてからだった。
急に景色が変わったのだ。森から出たとかそういったのではなく、数舜前までの木の配置が違うのだ。
(なんだ……?)
慌てて辺りを見回す。
(どうにも……雰囲気が違う?)
鬱蒼と気が滅入るほど暗かった森が、幾分か明るくなったような気がするのだ。
横を見てみればそれまで確かにあった小川と言ってもいいほど太くなった川筋が忽然となくなっていて、後方を眺めてみても、川の「か」の字すら見られなかった。
(どういうことだ?)
こうなってしまってはどうにもいけない。目印にしていた川が無くなり、ほかに目印にできそうなモノもない。
(戻ろうにも戻れない。……か。)
首筋辺りをぴしゃりと叩く。
(進むしかないな。)
そう思い、しばらく進むと再び景色が切り替わった。
(二度目か。……ここはそういう場所なのかもしれないな。)
異世界なのだ。そういったことがあってもいい。良いは良いのだが。
(ちゃんと人里に進めているのか、そこが不安だな。)
先ほどとは違う木の並びを見てそう思う。恐らくは、森のどこかに転移しているのだろう。
そう考えていると、辺りを重苦しい気配が支配する。
「! ≪空間・転送≫」
石斧を手元に転送する。
姿勢を低くし、油断なく構える。
(間違いない。何かがいる。そして相手はこちらに気が付いている。)
濃密な死の気配を感じ、背筋に汗が伝うのを感じ、ともすれば足が竦んでしまうような強烈な恐怖を感じる。
Grrrrrr
低く太い唸り声まで聞こえるではないか。
(なんだ? 何がいる? 巨狼とは違う唸り声だ!)
すると、奥の暗がりからノソリと大きなライオンの頭部が出てきた。
(! ライオン!? ……いや、違う!)
ライオンの頭部、それの後方には同じくらいの大きさのヤギの頭部が見える。
(何かで見たことがある……そう、たしか……キメラ。)
猫科特有の動きで足音すら立てずにゆっくりと晴彦の周りを回り始める。
手に汗が伝うのを感じながら、側面に回り込まれないようキメラの動きに合わせて体の向きを変える。
(不味い!)
スッとキメラの体が沈むのを確認した晴彦は、自身の体を横に放るように投げ出した。
すると、キメラは今まで晴彦のいたところへ飛びかかり、勢いが付きすぎたのか晴彦の横を通り過た。
(いまだ!)
脱兎の如く晴彦は逃げ出した。
(しばらく、しばらく走れば、また景色が変わるはず!そうすれば!)
逃げる晴彦のすぐ横を火の塊が掠めていく。キメラが口から吐いたのだ。
(ブレス、というやつか!)
キメラのブレス、それの輻射熱ですら強烈な熱気を感じるほどだ。直撃を受けたらひとたまりもない。
(くそっ!)
ちらりと背後を見ると、キメラは四肢を踏ん張り口を大きく開けていた。その口の中には小さい火が見える。
(またか!)
正面に向き直りがむしゃらに駆ける。木にぶつかりそうになったが、どうにか避けひたすらに走る。
ひときわ大きな咆哮が聞こえると、背中に巨大な熱量を感じた。
(不味いっ!)
当たる!と思い前方へ身を投げ出し縮こまっていると、いつの間にか背中に感じていた熱量も、迫ってくるはずのブレスも、そしてキメラの姿も見えなくなっていた。
(に、逃げ切れた……のか?)
倒れこんだまま大きく息を吐く。右手を持ち上げ、心臓付近に置く。まだ動悸が激しくなっているようで落ち着かなかった。強い緊張のせいだろうか、唇が震え、歯が"カチカチ"と鳴る。汗を大量に掻いているのに寒く、鳥肌が立ち、胸に置いた手が震えていることに気が付く。
絶望。
そう表現するのが正しいほど恐ろしかった。足が竦まず走れたことに自分をほめてやりたい気持ちだった。
(あんなのもいるのか……。)
九死に一生を得た。そう感じた晴彦は立ち上がり額にふつふつと浮かんだ玉のような汗を掌で拭うと、石斧を仕舞いこみその場を離れた。
そのあとは大して襲撃もなく何度か景色が変わるのを体験すると、森ではなく、細い轍のある街道らしき道に出た。
(ようやくか。……森の中で数日は覚悟していたけど、思ったより早く抜けれたな。)
転移という不可思議な体験があってのことだが、想定より早く森を抜けれたのは僥倖だった。
(街道か。さて……どちらに進むべきか。……そうだ。)
転送で石斧を取り出すと斧頭を地面に着き柄から手を離す。すると、重力に従って斧が倒れる。手を離した柄は、右手の方向に倒れていた。
(こっちか。とにもかくにも、街道だ。歩けば人里に当たるだろう。)
轍を見失わないように歩き始める。空は高く、青く晴れていた。