続、春の言葉
下絵に色を塗るように
色づいて仕上がりに近づくように。
輪郭をなぞり、仏絵のように
安寧を求める大きな広がり。
夜は甘く香り、疼かせる命の根源。
走り出す直前の最後に吸いこむ息。
設計図など無いのに、形作られる
樹形や花の形。
誰も知らぬころから緑なす木々と、
絢爛たる花々。
あの葉っぱは何色。
陰のところはまた何色。
移ろう前のひとときの色。
あたらしい芽吹きの色は、
いつも新鮮に胸に吹いてくる風のよう。
輝きだけがある刹那のいのち。
やがてくるごわごわとした
濃くなっていく緑の季節はもうすぐ。
空が曇れば、花は身を緩める。
光緩まり、花は輝きだす。
薄明かりの中で、咲いた花の色。
やわらかく、やがて濡れることを
知っている。
こんなに、植物たちは
語り合っているのに、
こんなに、春と
語り合っているのに、
わたしたちは、
どうしてだか春の言葉を誰も知らない。
どんなに
着飾っても、
どんなに
旬のものを食べても、
どんなに
風光明媚な景色を眺めても、
その言葉は喋れない。
春よ。
お前の残酷さを憎む。
そして羨む。
美しい季節よ。
いのちを弄ぶ季節よ。
そのエネルギーは無尽蔵で、
われわれに制御出来るものではない。
それでも、わたしたちにも
春が浸食しているから、
喜び、笑い、歌い、食べる。
一方的な影響であると思うのは
ニンゲンの傲慢なのだろう。
ただ浮かれ、
ただ沈み、
ただ思い、
ただ嘆く。
ぼんやりとした陽に隠れて、
わたしたちを連れいくもの。
抗えない季節の源。
そこから聞こえてくる言葉。
豊満であれ。
茫洋であれ。
緩慢であれ。
気儘であれ。
言葉は季節の移ろいと共に変わり、
季節は全身で言葉を具現化する。
わたしはただついて行くのがやっと。
山野と川と海と街は、
当たり前のような顔をして
受け入れてそのようになっていく。
お読み頂いてありがとうございます。
季節の根源とはなんなのでしょうか。そこからの語り掛けは聞こえてきます。でも、こちらからの語り掛けは通じないのです。それはどこにあるのでしょうか。どこからやってくるのでしょうか。無限の偶然から生まれた今を感じる時、そこに季節の源である大きないのちを感じるのです。