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天を越えて

近江国―

「この地に城を建てる」

 琵琶湖近くの安土山を訪れていた信長は、供をしていた秀吉に語りかけた。

「城…… で、ございますか?」

「左様」

 意に介さないように答える秀吉に、信長は話しつづけた。

「この地は京と東国を結ぶ要地だ。ここに城を建てることで東国の奴らは皆、俺の足もとを通らなくてはならなくなる」

「な、なるほど…… 東国の敵に対する備えになるということですな」

「それだけではない。堺から琵琶湖、越前にかけての水運を常に見ることができる。軍事的、政治的にもこの地に城を建てるのは大きいのだ」

「そこまでお考えとは……、さすが信長様にございます」

「うつけが、この程度のことを考えねば大名は務まらぬ」

「ははぁー 肝に命じておきます」

(ハゲネズミが……)

 あからさまなおべっかに信長は少々呆れていた。


 羽柴秀吉は、織田家中の出世頭最前線を駆ける男であった。

 人たらしと呼ばれるその才は、天下広しといえど、この男のみの力であった。時にそれを「ごますりで出世した汚い男」と批判する者もいたが、ごますりで重臣の一人になれるような国であったなら、とっくに滅びていただろう。金ヶ崎然り、小谷然り、秀吉は常に明るく人を鼓舞し、自らの器でそれらを従えてあらゆる困難を越えてきた。人たらしとは、なにもせずのうのうとした死のような生から、荒波に揉まれ、死を越えた先にある熱き生への闘争へと人を駆り立てる。人を人たらしめる才であるのかもしれない。


 織田家中の出世頭と言えばもう一人この男がいる。明智光秀である。

 先の長篠の戦い以降、光秀は惟任の姓と、従位五位下・日向守を授かっていた。叡山焼き討ちの時と同じ大出世である。

 また、この時に光秀は、

「これより、自前で他国を切り取るため、新たな力を頂戴致したく存じます」

と、信長に直訴した。

「ほう、その新たな力とは?」

「取り分け情報術に長けた忍びがよろしいです。手前も既に何人かの忍びを抱えておりますが、伊賀や甲賀の者と比べると些か不足故」

「ふむ、では光はどうだ?」

「光?」

「俺の直参のくの一だ。尾張のうつけだった頃から使っている。諜報・暗殺も熟し、時折、参謀のような働きも見せる」

「そのような御仁がおられたとは……」


「お呼びでございますか」

 信長は光を呼んだ。今は任務中ではないため頭巾などはしていない。どこぞの姫と間違われてもおかしくない身なりだった。

「実はな、貴様に新たな仕官の話だ。ここにいる光秀の忍びとして働いてくれ」

「明智様の……!」

「嫌か?」

「いえ! 滅相もございません。むしろ彼の有名な明智様にお仕えできるなど、幸せにございます」

 光は珍しく感情を露わにした。光秀が挨拶をする。

「初めまして光、明智十兵衛光秀と申す。ふふっ、私の名前と良く似ておりますね」

「は、はいっ」

「こやつ、緊張しておるのか」

 信長も光秀も大笑いした。普段、二人が出会えば犬も寄り付かぬ緊張感が漂っていたが、この時ばかりは和んでいた。

「大事に使ってくれ、夜の供も上手だぞ」


チャッー


信長の茶化しに対し、条件反射的に光が懐刀を取り出していた。その冷たい目に、さすがの二人も背筋が凍った。


 光秀の忍びとなった光は、その右腕として活躍していた。ある日のこと、

「ねぇ光、最近は光秀様に仕えているんだって?」

 忍び仲間の麗から光秀について話しかけられた。任務にあたっていない時の光は、一人の女性として、穏やかで気品のある雰囲気を醸し出していた。

「うん、それが?」

「いやね、光秀様ってどんな方なのかなぁって」

「どんな……かぁ」

 光は少し考えた後、こう答えた。

「権謀術数においては右に出る者なし、それでいて穏やかさと狡猾さの二面性を持つ、光と影を同時に背負ったような方ね」

「す、すごい人なのね……」

「誰かがこう評価したそうよ。明智様には正体がないって、 ……どちらも光秀様そのものなんだけどね……」

「大変じゃない? そういう上司に仕えて」

「そんなことないよ。普段はすごく優しくしてくださるし、この簪も先日の任務達成の褒美にって作ってくださったの」

 光は水色の簪を麗に見せた。桔梗の花模様があしらわれていて、明智家の家紋を彷彿とさせた。

「へぇ……」

「一言で言うと、合理性をとことん追求されている方よ。ある意味真面目なのよ」

「なるほどねぇ~」

 光たちは談笑を終えると、それぞれの任務に戻っていった。


兎にも角にも、織田家中は下克上の世を敷いて、民百姓、土豪将士の身分を問わず、その実力一つで上に立つことができる国家であった。秀吉も光秀もそれぞれ百姓と浪人の身分から、その実力を持って、今や織田家五本の指に入る地位を手に入れていた。


 そしてここに、新たな下克上の象徴が誕生しようとしていた。


(この地が俺の力の象徴、下克上のすべてを形作るのだ……)

 信長は最高の気分だった。自身もまた尾張一国の分家に過ぎなかった身から、主家を獲り、国を盗り、数多の英雄たちを乗り越えてここまで来た。

信長は右近衛大将の地位に就いた。これは征夷大将軍に匹敵する官職で、これにより武家の棟梁、即ち天下人に名実共に認められることとなった。下克上の頂上に立つ男、まさに乱世の覇王となった瞬間である。また、この時より、信長は公的な場では「余」と一人称を使い、家臣たちも「上様」と呼ぶようになっていた。

 着実に信長の世の象徴、安土城が姿を現しつつあった。総普請奉行を丹羽長秀に任じ、各将たちにはそれぞれの持ち場を与え、その成果を競わせた。

 これまでの、戦という破壊的行動による功績から、築城という創造的行動による功績を競わせることへと時代は変化しつつあった。とはいえ、未だ信長の道を閉ざす者は天下に多い。石山本願寺はそのうちの最大の壁であった。

(創造を妨げる者には、破壊を与えん……)


天正四年(一五七六)四月―

 信長は石山本願寺の征伐に乗り出した。

 明智光秀や佐久間信盛、荒木村重ら面々を中心に軍を編成、石山の包囲を徐々に縮めていった。

 しかし、五月に入ると戦況が一変した。木津砦を攻めていた織田軍が雑賀・根来の鉄砲衆の援軍を得ていた本願寺軍による手痛い反撃を食らったのである。この時、塙直政をはじめとした諸将が討死する被害を出している。本願寺軍は勢いそのままに明智光秀のいる天王寺砦を襲撃、これを攻囲した。

(くっ、門徒どもめ、図に乗りおって……)

 百戦錬磨で知られる光秀も、本願寺の大軍と雑賀の用兵術の前に防戦一方となった。

「光! 光はいるか?」

「はっ、ここに」

 光秀は光を呼んだ。

「京におわす上様へ伝令を頼む」

「はっ、すぐに援軍を連れて参ります故、ご武運を」

 そう言うと光は隠遁術を用いて、本願寺軍の攻囲をすり抜け、京へと向かった。

(しかし…… 後何日持つかどうか……)

 光秀にも焦りの色が見え始めていた。


京―

 敵の目をすり抜け、信長の下へ一日で辿り着いた光は戦況を伝えた。

「明智光秀様、天王寺砦にて本願寺軍に攻囲されております。一刻を争う故、何卒援兵を」

「わかった。余が自ら行こう」

「き、危険です! 雑賀・根来の鉄砲衆が潜んでいます故、御身に危険が……」

「光秀を失えば即ち余を失うのと同じ、ここは自ら行こう」

「で、ですが……」

「是非に及ばず、事は一刻を争うのだろう?」

「……わかりました。では一足先に光秀様へ伝えに帰ります」

「頼んだ」

 信長は光を送り返すと、すぐに兵を招集した。しかし、あまりにも急であったため、僅か百人ほどしか集まらなかった。

「構わぬ、行くぞ」

 それでも信長は出陣、翌日には河内若江城に入城した。

 それからさらに援軍を待った。しかし、二日待っても三千程度にしかならなかった。その間にも天王寺との間を光が行き来して、戦況を伝えてきた。

「もはや城内の士気も低く、このままでは……」

 絶え間なく続く、本願寺軍の攻撃に光秀らは完全に疲労しており、落城も時間の問題であった。

「やむを得ぬ、行くぞ」

 信長は三千の兵で、一万を超える天王寺を攻囲する本願寺軍に突撃を仕掛けることにした。

(ふふ、この心地、桶狭間を思い出すな)

 信長は兵の先頭を切って、天王寺へと突撃を掛けた。天下人自ら、しかも数の多い相手に先頭を駆けて突撃するなど、前代未聞の行為である。

「あれは、もしや信長!? 撃て、撃てー!」

 織田軍の突撃を見た雑賀の兵たちは驚きの声を上げると共に、目の前にぶらさがった賞金首に目の色を変えた。

 無数の矢弾が信長目掛けて飛んでいく。織田軍は、ある者は信長の盾となり、ある者は狙撃手を逆に狙撃して信長を助けた。しかし、

「くっー」

 信長の大腿部に弾丸が直撃、信長の体は宙に舞い、地面に叩きつけられた。

「撃った! 信長を撃ったぞ!」

 声を上げる雑賀の鉄砲兵たち、そこに、

「奴らを生かすな! 石山にこのことを知られてはならぬ!」

と、光が手前の忍び衆を使って雑賀一党を討ち取り、口封じをした。

「上様! 大丈夫でございますか!」

「ふっ、大事ない…… それより光秀は……」

「上様の奮闘に鼓舞され、天王寺から撃って出てこちらへ向かっております」

「そう…… か……」

 途端、信長は気を失った。

「上様…… 信長様っ!」

 光はすぐに信長の手当へと移り、そこに合流してきた光秀らと共に本願寺への反撃を始めた。依然として本願寺の攻囲は強かったが、信長自らの出陣で意気を吹き返した光秀らが、織田本体との連携でこれを撃退、表面上は織田の勝利となった。


越後国・春日山城―

 日本海に沿って北に長く伸びている越後国は、糸魚川による水運と、越後平野と呼ばれる大きな平地を擁しており、米所と漁業の盛んな雪国であった。

 この地を治める大大名・上杉謙信は、軍神の異名を持つ、戦国屈指の戦屋である。かつては信濃の村上氏や越中の椎名氏、関東管領の上杉憲政といった大名・豪族が国を追われた時、謙信は彼らを救うべく軍を起こしたりもした。謙信は根っからの武人であるため、ただ戦いたいという部分もあったと思われるが、それでも人々は謙信を「義の人」と呼ぶようになっていた。

「越中・能登を平定する」

 軍議の席で謙信はそう宣言した。

「西に向かわれるのでございますか」

「左様、各々準備をしておくように」

 それだけを言い残し、謙信は席を立った。

「遂に、謙信公は上洛をされるつもりだろうか」

「然に非ず、長きに渡り苦しめられた一向一揆に終止符を打つのよ」

「しかし、越前の一揆衆が織田にやられて我らに助けを求めにきているとか」

「いまさらなことだ。これだけ我らを苦しめておいて、助けろなどとは……」

「だが、謙信公ならわからぬ。彼の宿敵・武田信玄が死んだ時、後継の勝頼殿に有事は力になろうとお声かけになったらしいからな」

「それは勝頼が信玄ほど驚異ではないからだ。弱きを助けるのが謙信公の義よ」

 家臣は思い思いに今後の上杉家の戦略を話し始めた。主である謙信は、ただ「西進するので準備をしておけ」と、言っただけであったが、数少ない謙信の発言から家臣たちは様々な思考を巡らせていた。

 かつて謙信に助けられた者、謙信の武威に憧れを抱いて仕えた者、代々仕えてきたから付き従っている者、上杉家は色んな人材が身を寄せ合っていた。変わらないのは、謙信のカリスマ性がこの一団の結束を生んでいることであった。


近江国・安土城―

 天王寺の戦いで大腿部を撃たれた信長はしばらく床に臥せていた。そこに、明智光秀がやって来た。

「不識庵謙信、謀叛にございます」

 当時、織田と上杉は同盟関係にあった。かつて浅井・朝倉・三好・本願寺による信長包囲網が形成された時、甲斐の武田信玄が動くことを恐れた信長は、信玄に取り入るのと同時に、上杉家に盟を申し入れていた。謙信も武田という共通の敵があるという利から、これを承諾した。しかし、盟と一言に言っても、信長の方から人質が一方的に謙信方に渡されていたため、決して対等な関係とは言えなかった。

信玄が死して武田を警戒する必要がなくなった後もこの盟は継続された。互いに石山と加賀の一向一揆という敵を抱えていたため、対武田から対本願寺同盟という形に変化し、今に至っている……はずだった。

謙信は突如として本願寺と和睦、これにより織田家との対本願寺同盟は崩壊、事実上の敵対宣言となった。

「真、危うき状況にございます。織田包囲網が新たな形で成立致しました」

「……東に武田…… 西に毛利…… 南に本願寺…… 北に上杉か……」

「左様、かつて苦戦を強いられた包囲網よりも遥かに強固なものとなっております」

「……また、一つ一つ潰さねばならないのか」

「苦しゅうございますな……」

「かつての俺なら鉄砲の弾なぞ精々掠る程度だった」

「……」

「それがどうしたことだ。雑賀の者どもに撃たれ、三日三晩寝込んでいたらしいな」

「……申し訳ございません。私が不意を突かれていなければ……」

「構わぬ、それより貴様が無事で良かった」

「……」

「その分、この地獄をその力で乗り越えてもらうぞ」

「御意」

 そう言うと、光秀は部屋を去った。信長は再び眠りに入った。


(……くっ)

 外へ出た光秀は、突如涙を流し始めた。

(なぜだ…… 信長様から、天命が失われつつあるというのか……)

 己が敬愛した男、志・大義・天命、すべてを兼ね備えた男が、ここ数年で明らかな衰えを見せ始めていた。

思えば人間五十年を掲げ走る信長は、既に四十三、自分も四十八と、すっかり歳を取っていた。時の流れは人を成長させ、同時に衰えさせる。それは天命という目には見えない力においても変わらぬことであった。

「光秀様……」

 光が光秀のその様子に気づき、話しかけてきた。

「あぁ、君か、どうした?」

「それはこちらの言うことにございます。如何されたのですか」

「なに、大事ない、上様を危険な目に遭わせた罪の意識を感じていただけだ」

「あれは仕方がないことにございます。それだけ上様は、光秀様を大事になさっておりますれば……」

「あぁ、応えねばなるまい。たとえ我がすべてを捧げても」

 そう言って光秀は屋敷へと帰っていった。光はその背中を見届けながら、

(……決して、一人で抱え込まないでくださいね……)

と、おぼろげながらも、とある不安を抱いていた。


同年九月―

 謙信は一軍を率いて、越中・能登の侵略に動いた。

 武神・毘沙門天を信仰し、自らを毘沙門天の化身と謳い、旗印にも「毘」の一字を掲げていた。

上杉軍は富山城や守山城といった城を落としつつ進軍し、十一月頃までには能登の支城も次々と陥落させている。これに対し、能登国主・畠山氏は、本城の七尾城に籠城することを決意した。

畠山氏は代々、室町時代の頃からの管領や守護職を務める一族で、その分家が能登に入り、七尾畠山としてこの地を治めてきた。現在では、まだ五歳の春王丸が、父・義隆の急死により家督を継いでいて、その実権は重臣の長続連が握っていた。

 七尾城は戦国有数の巨大な山城である。石動山に連なる山脈から成る連邦式山城で、七つの尾根から七尾と呼ばれる由来があるように、尾根上の本丸から枝分かれに伸びている複数の尾根を使って多くの砦を築き上げ、屈強な防御機能を誇っている。

 神速の軍で知られる謙信も、七尾城を前に手こずった。その上、関東の北条氏が活発に動き出したため、謙信は一度、越後・春日山へと引き上げることにした。これを見た畠山は七尾から撃って出て、上杉軍に落とされていた支城を奪還、謙信の能登制圧は振り出しに戻される。


近江国・安土城―

 鉄砲に撃たれて負傷した信長は奇跡的な回復を見せ、対本願寺の戦線に復帰していた。

本願寺軍はこれに対し、中国の毛利の援助を新たに受け、抗戦した。

天下に名が轟く、村上水軍を擁する毛利家は、海路を使って石山に兵糧を運び入れようとした。それを防ぐため、織田軍は木津川口にて毛利村上水軍と対峙、しかしこれに敗れ、兵糧入れを許してしまった。

(ちっ、こうなったら周りから排除するか)

 信長は石山攻めを中断し、紀伊国・雑賀郷を攻める方針へと変えた。


翌年二月―

 信長は十万もの大軍を引き連れて、雑賀の里へと攻め寄せた。

 これに対し雑賀軍を率いるのは、頭領・孫市、用兵集団を束ねるこの男は、戦闘のプロである侍とは異なり、殺しのプロであった。兵の多寡など関係なく、また、孫子の「百戦百勝は善の善に非ず」というような戦略的思想はなく、いかに標的を仕留めて、雇い主を勝たせるかということのみ重点を置いた。そのため、書物による軍略よりも、経験則による「勘」の戦に非常に長けていた。さらに孫市は、鉄砲を多く有する雑賀を切り盛りするために貿易に力を入れるなど、経済感覚も鋭かったと言われている。信長にとってはまさに、今までに相手をしたことのない敵と言えよう。

 そこで、信長はまず、雑賀を調略で攻めた。

雑賀も一枚岩ではできておらず「雑賀荘」「十ヶ郷」「中郷」「南郷」「宮郷」という五つの地域からなる集団で、それぞれの代表が寄り添って組織を作り上げていた。ために、織田の侵攻の報を受けて、それぞれが親織田派と反織田派に分かれていた。

 信長はこの五組の内、宮郷・中郷・南郷の三組の調略に成功した。その勢いのままに雑賀荘と十ヶ郷に攻め寄せた。

山手と浜手の二方面侵攻で、山手には堀秀政や羽柴秀吉、浜手には明智光秀や丹羽長秀といった錚々たる面々が進軍した。しかし、

「申し上げます。山手先鋒の堀様が川を越えようとしたところで敵の襲撃に遭い、損害が出たもよう」

「なにっ」

 孫市はこの戦においては、土地の利があり、紀伊の山脈や海道を庭の如く知り尽くしている。これを利用して、いわゆるゲリラ戦に持ち込んできたのであった。さらに、先述の通り雑賀の戦は兵の多寡など関係ない、孫市は戦をしているのではなく、相手を殺しにかかるやり方である。先鋒の秀政を襲ったもののこれを討ち取らず、敢えて逃がした。もっとでかい獲物を釣るためにー


「んー、儂も出るしかないか」

 秀政と同じ山手だった秀吉は、先鋒敗走の報を受け、頭を抱えていた。

「なぁ、半兵衛…… この戦……」

「えぇ、どうもきな臭いものを感じます」

「じゃな……」

「雑賀孫市、彼のものは戦をしていない。先の堀殿の敗走も、川に壺や桶を置いて足を取り、いたずら程度に鉄砲を撃ち掛けただけとか」

「それにしては損害が大きかったらしいがな……」

「いえ、罠に掛けられたにしては少ない方です。下手をしたら堀殿も死んでいました」

「そういうもんかのぉ」

「長篠を思い出してください。武田を罠に掛け、先鋒の悉くを鉄砲で討死させたあの戦を…… あれくらいの損害が出てもおかしくなかったのですよ」

「……たしかにな、となると孫市はなにかをねらっているな」

「恐らくは、いや、必ずねらいがあります」

「なにを企んでおる……」

「……熟考せねばなりませんね」


雑賀軍陣営ー

 孫市は織田先鋒撃破の報を聞いていた。

「上出来だ。これで奴らはもっとでかい魚を送り込んでくる」

「でかい魚、で、ございますか」

「ああ」

 孫市はあまり笑わない性格だった。感情があっては敵を撃つ時にためらいが出る。冷酷かつ合理的な考えが、この戦国乱世で生きてきて自然と身に付いていた。数多の弾丸を撃ってきたその顔の右側には、火薬を浴び続けたことによるそばかすが化粧のように施されている。

「魚釣りと一緒よ、小さい魚を釣ったらそれを泳がして、もっとでかいのを釣る」

「そのでかい魚とは誰に」

「羽柴筑前守秀吉」

「……! あの織田家の出世頭でございますか」

「そうだ。奴を撃てば織田家は死ぬ、どんなに功績を積み上げても弾丸一つで崩壊するとなったら、奴ら侍どもの信ずる『下克上』に虚しさを覚える。そうなれば織田家は自然崩壊よ」

「そう上手く行くでしょうか」

「行く」

 孫市は静かに答えた。

「少し前の天王寺で俺らは木津に攻めて来た塙直政という男を撃った。するとどうだ、織田家では名誉ある死ではなく、軍全体を危機に陥れたうつけとして一族郎党追放処分にされたそうだ」

「なんと……むごい」

「侍の考えることはわからん。だが、奴らの掲げる下克上の世が、斯様に無様なものであるならそれを利用しない手はない。下克上の象徴である筑前を撃ち、織田を危機に陥れれば、根幹から腐っていく」

「では、この戦、勝てるかもしれませんな」

「ふっ、日頃言っているだろ。戦は勝つか負けるかじゃない。ただ目的を果たすための手段だ」


織田軍陣営―

 秀吉と半兵衛は敵のねらいがわからぬまま、拭いきれない不安を抱えて行軍を続けていた。木々に囲まれた細い道を馬に乗って、ゆっくりと慎重に進む、

(捉えたぜ、織田のおサルさん)

 近くの木の上から、孫市が秀吉を捕捉していた。既に弾は込めてあり、後は火蓋を切って撃つだけだった。当時の銃にはライフルがないため、命中精度は三割も当たれば優秀で、名手・明智光秀も七割ほどだったという。しかし、鉄砲用兵である雑賀では皆七割を超える命中精度で、孫市に至ってはここ一番の時の狙撃では「百発百中」を誇っていた。

(あばよ、これも仕事だ。悪く思うな)

途端、


パンッー


 一発の銃声が鳴り響いた。

「な、なんじゃ! 狙撃か!?」

「すぐに下馬してください。身を隠すのです」

 秀吉は馬を降りて供回りの者たちに隠れるように身をひそめた。


(……)

 孫市の鉄砲は火を噴いていなかった。

(別の奴が撃ったのかっ)

 珍しく孫市は憤慨した。これで狙撃は不可能となった。すぐに木を降りると、秀吉隊の目をすり抜け、城へ帰った。


「……うかつでした。こんな敵のねらいに気づかぬとは……」

 半兵衛もまた身を屈め、周囲を見渡していた。

「応、まさか狙撃とはな」

「鉄砲用兵であることを考えれば真っ先に考え付くべきでした。不甲斐なし……」

「まぁ、儂はこうして生きている。儂らの勝ちだ」

「えぇ、もう狙撃手はいないでしょう。すぐに信長様に知らせねば」

 二人は反転して信長のいる本陣へ向かった。


「上様、此度の戦、我らにとってあまりに不合理、どうか兵を引いてくださいますようお願い申し上げます」

 陣に帰るなりそう直訴した。それを聞いた周りの家臣たちは、

「なにを申すか! 十万の軍を率いて尻尾を巻いて逃げたとあっては末代までの恥ぞ!」

と、怒鳴り立てた。これに対し半兵衛は、

「恥なぞ些末! 国の存亡に関わることだ!」

と、珍しく激情した。

「国の存亡……だと?」

「左様」

 それを聞いていた信長も口を開く、

「申してみよ」

「はっ」

 半兵衛は信長の方を見直し、

「先ほど、我が主・秀吉様が孫市らしき人物に狙撃されました」

『なっー』

「もし秀吉様が命を落としていたら、我らが下克上の世は崩壊します」

 これを聞いた家臣の間から、

「ふざけるな! ようは自分たちの命が惜しいだけではないか!」

と、心ない声が上がった。半兵衛はキッと睨み返し、

「織田という幹に一から上りしサルが撃たれたとあれば、次に誰が上る! 誰も寄り付かず、幹は腐り果てていくぞ!」

と、反論した。

(儂をサル呼ばわりした……)

 秀吉は心で泣いた。

「左様、半兵衛殿の申すこと、理に適っておる」

 途端、明智光秀が本陣に帰還してきた。

「これは光秀殿」

「先ほど、私と光で雑賀の戦を熟考していたところ、名のある大将の暗殺が浮かびまして、ねらうは金柑の頭脳か、泥中のネズミ…… そこで光に秀吉殿の身を守るよう派遣していたのです」

「ん、光とは会わんかったぞ」

 秀吉の疑問に光秀の傍にいた光が答える。

「はい、秀吉様の一行を発見したまでは良かったのですが、近くの木の上に、孫市らしき人影を見まして…… 声で知らせるよりも早いと思いまして鉄砲で威嚇射撃を行いました」

「あの発砲音は光じゃったか!」

「それで秀吉様なら気づくと思いまして、そのまま光秀様に報告に帰っておりました」

 これを聞いた半兵衛は、この時はじめて笑い、

「良き機転でした光殿、お陰で敵のねらいに気づき、秀吉様も無事でございました」

「ありがとうございます」

 褒められ慣れていないのか光は頬を赤らめた。光秀が言葉を継ぐ、

「そういうわけで、上様、一度狙撃に失敗したとはいえ、また力攻めを見せては、再度、しかも次は誰かれ構わず狙撃してくるでしょう。それに賢き孫市のこと、我らが退けば、不合理な戦を止めて和睦を申し出てくるかと、どうか退却のご下知を」

「うむ」

 信長は言葉少なく頷くと、

「今孔明と金色の頭脳、二つの意見が一致したとあらば、それに逆らうは愚の骨頂、この戦、退却せん」

と、退却の命令を出した。

 後に、光秀の予見通り、不合理な戦は雑賀側も感じており、孫市ら中心人物たちから和睦降伏の使者が来た。こうして、紀州征伐の幕が閉じたのであった。


同年八月―

 雑賀の降伏により、石山本願寺への攻囲はますます強まった。しかし、

「申し上げます。松永久秀殿…… ご謀叛!」

 梟雄・松永久秀が突如、信長に叛旗を翻した。

「で、あるか」

 信長は言葉少なく、報を受けると、すぐに嫡男・信忠に一軍を率いさせ、久秀のいる信貴山城へと向かわせた。


同年十月、大和国・信貴山城―

 信忠の攻撃に耐えていた久秀だったが、遂に降伏を決意した。

「只今、戻りましてございます」

 織田軍に送り出していた降伏の使者が帰ってきた。

「どうだ。信長は許すと言ったか?」

 久秀はにやけながら使者に聞いた。かつて謀叛をしながらも許された身、信長は天下第一の悪党になるのを恐れて自分を殺せない、そう確信していた。

「は、はい、しかし……」

「しかし?」

 奥歯に物が挟まったような物言いに久秀は少し苛立った。

「信長殿は、殿が所有する平蜘蛛の釜を差し出せと……」

「なんだとっ」

「それが降伏の条件だそうです」

「ふざけるな! 信長から儂に与えるものはあっても、儂から奴に与えるものなど何一つないわっ!」

「で、では如何なされます」

「ククク、良いだろう。平蜘蛛の釜の代わりにただ一つだけ、儂から奴に贈り物をしよう」

「なにをでございますか」

「天下一の大悪党の座よ」

「なっ」

「城中の火薬を集めよ、後世に残る派手な死に方がしたい」

「おおお、お戯れを」

「戯れじゃよ、この世はすべて戯れじゃよ! 正義だの常識だのを口にしてなにもせん連中は実につまらん、己が心の欲するままに戯れる。世の悪党たるは、すなわち浪漫なり! がっはっはっは」

 豪快に笑うと、久秀は火薬を天守に集め、自慢の茶器や壺に詰め始めた。

「灸を用意せい、いざ死ぬという時に病で惨めになってしまっては、儂のこれまでの格好良さが台なしになってしまう。悪とは浪漫、浪漫とは最後まで格好良いものなのだよ」

と、これから死ぬというのに自らの健康に気遣いを見せた。豪快にして繊細、天下の大悪党・松永久秀は、その最期を迎えようとしている。

「天下の諸将よ括目せよ! 松永久秀が最期、後世まで語り継ぐが良いわ!」


ドカーン


 日本史上初の「自爆」という死に方で、悪党は世を去った。


織田軍陣営―

 久秀降伏の報せを聞いた信長は信忠のいる陣から信貴山城を見つめていた。

「……なんという男だ」

 信忠は、久秀の所業に驚きを隠せなかった。しかし信長は、

「つまらぬな、一体奴はなにを欲していたのだ」

と、冷たくあしらった。


 安土城へ帰ると光秀が訪ねてきていた。いよいよ上杉に動きがあったのである。

「不識庵、再び能登へと侵攻したもよう、七尾から我らへ援軍要請が来ております」

「うむ、遂に来たか……」

「左様でございますな、必然的に天下最強を決める戦いにもなりましょう」

「奴に渡り合える者はいるだろうか」

「柴田殿であればあるいは…… 神に対するは閻魔大王が相応しいでしょう」

「ふむ、勝家か、そうよの」

「越前、加賀の一揆殲滅における戦功目覚ましく、地の利も多少は得ておりましょう」

「良し、勝家を総大将にして神を裁かん」

 信長は予てより上杉対策として羽柴秀吉でも明智光秀でもなく、柴田勝家を越前に配していた。軍神を相手にするには、人たらしの才よりも、金色の頭脳よりも、勝家のような気骨さが必要だった。

「時に上様…… 久秀の奴がもし平蜘蛛の釜を差し出していたら如何されるつもりだったのです?」

「臣従すればそれで良し、平蜘蛛の釜は言わばその証よ、この信長を楽しませ続ける梟の証としてな」

「ふむ、それでこのように謀叛を繰り返されては、たまったものではございませんが」

「あれくらいの獣を飼えないで天下は飼えぬ、光秀、貴様のような男を従えるのも不能となる故な」

「ふっ、はっはっは、これはこれは……光栄にございます」


能登国・七尾城―

 越後の龍・上杉謙信は、一度は能登を攻めるも、天険の要害・七尾城と関東の北条家の動きに対応するため、本拠・春日山へと帰還していた。しかし謙信は、能登国主・畠山が撃って出ると、反転して改めて能登攻略へと乗り出した。

 再度の上杉軍侵攻に、畠山家の実質の支配者、長続連は兵や民を七尾城へと収容、籠城して再び謙信を追い払おうとした。同時に、織田家への援軍要請の使者を出し、南北で敵を挟み撃ちにする魂胆だった。

「織田軍はまだか」

 続連は焦りを感じていた。城内では、長い籠城生活から疫病が流行していた。

 敵のいかなる攻撃にも耐えられる七尾城は、あくまで防御機能に特化された山城で、大勢の民百姓が暮らすような設計にはされていなかった。そのため、糞尿などの処理が追いつかず、不衛生による病からの死者が続出した。その死体処理もままならず、不衛生の連鎖はもはや止められないものであった。

「それ見たことか、貴様が織田につくなどと申すからこうなったのだ!」

 親上杉派であった遊佐続光は、続連を問い詰めた。

「こうなったら貴様を討ち、その首を土産に上杉へ降る!」

「ま、待て続光、それでは謙信の思うつぼ……」

「黙れ! 春王丸様をたぶらかし、御家を危機に陥れた悪逆人め! 誅してくれる!」

 続連は続光に殺され、一族もまた皆殺しにされた。七尾城は内部より崩れ、ここに陥落した。


しかしー


上杉軍陣営―

「そうか、遊佐殿、ご苦労であった。城内の兵・民には村に戻り、養生するよう伝えよ、我々はこのまま攻囲を続ける」

「はっ? 我らの降伏を受け入れてくださったのでは……」

「偽装よ、七尾城は魔を誘い出して討つための形代に過ぎん」

(……恐ろしい男だ)

 謙信は、七尾城救援に駆けつけてきている織田軍を撤退させないために、七尾城攻囲の陣を解かなかった。

 戦の神が舞い降りる時間まで、あとわずかと迫っていた。


織田軍陣営―

 柴田勝家を総大将とする織田軍は、加賀国・金沢の南方を流れる手取川の付近まで進軍していた。ここで一度足を止めて、軍議を開いた。その席のこと、

「柴田殿、此度の戦、嫌な予感が致します」

 勝家にそう進言したのは、羽柴秀吉であった。

「嫌な予感とな」

「左様、この状況、三河殿が武田信玄に誘い込まれて敗れた三方ヶ原に似ております」

「儂らが負けると申すか」

「このままなにもなしに進めば、そうなりましょう。ここは一度、調略などの手を用いるか、様子を見ましょう」

「そうこうしている間に七尾城が落ちるかもしれんぞ」

「七尾の救援はたしかに肝要、しかし、敵の術中に嵌るは、それ以上に避けねばならぬことですぞ」

「……羽柴よ」

「はっ」

「此度の戦、我が総大将の任を請けしことの意義を考えよ」

「意義、で、ございますか」

「左様」

 勝家はその巨体を揺らし、前へとのめり出した。

「機転の利く貴様でもなく、家中一切れ者の明智でもなく、この柴田に総大将を任じた意義だ」

「と、申しますと?」

「我は昔、上様の弟君・勘十郎信行様に従って上様に刃を向けた。しかし、上様はそれを些末と言い切り、我を力として利用することを宣言された」

「……」

「この柴田、戦以外の術を知らぬ故、戦場では退くことなく、武勇一つで上様に貢献してきた」

「……」

「木綿のように便利な貴様でなく、米五郎佐のような欠かせぬ存在でもない、退き佐久間のような逃げ上手でもない」

「……」

「我は、掛かれ柴田である。我が総大将の任を授かったからには、たとえ如何なる奸計を用いられようと、前へ進むのみぞ」

「馬鹿を言うでねぇ! 貴殿は大名ぞ! 越前国の大名・柴田勝家ぞ! そのようなことで国を危険に曝すなど……」


バキッー


途端、勝家は秀吉を殴り飛ばした。

「黙れサルが! そのような戦い方をするくらいなら、上様がこの柴田に総大将を預ける意義などなくなる! 貴様に全権を握らせたであろう!」

「……」

 すると、勝家は秀吉の肩に手を置き、

「貴様は国へ帰れ、上様の…… 大殿の木綿をこのような戦で失わすわけにはいかぬ」

「……柴田殿……!」

 秀吉は勝家の命で国へと帰らされた。世間では、勝家と秀吉の器量のなさをまことしやかに囁かれていた。

「これより手取川を越える。往くぞ」

『応!』

 勝家の号令により、織田軍は渡河を開始した。


 手取川は暴れ川という別名を持ち、幾度となく氾濫を繰り返していた。背水の陣という言葉があるように、川を渡って、それを背に戦うことは決死隊を意味していた。暴れ川たるこの川に至っては、まさに究極の背水と言えよう。

 川を渡り切った直後、

「申し上げます。七尾城、既に陥落していたとの由、上杉方が情報統制を行い、秘していたもよう」

「なにっ」

 勝家は血の気が引く思いだった。救援のために背水の陣を敷いてまで、渡河を決意したのに、これではすべてが水泡に帰した。

「くっ、やむを得ぬ…… もう一度川を渡り、上杉の来襲に備えん」

 撤退して、改めて上杉と一戦を交える方針に切り替えた。しかし……


 上杉謙信がどこまで読んでいたのかはわからない。七尾城を餌にしたり、情報統制をして織田軍を誘い入れたり、謙信の「人」としてのやれる事はやり尽くしていた。その上で、天を…… 人を超越したなにかを身に付けていたとしたら、この時の謙信はまさに軍神と呼ばれるに相応しい力を発揮していた。


「川が……」


 手取川は急な大雨により氾濫した。もはや織田軍に帰る道はない。一同、ただ呆然と川を見つめていた。


ドドドドドド


「なんの音だ」

「こ、後方より敵襲…… 毘の旗印、謙信でございます」

『なにっ』

 織田諸将に戦慄が走る。ある者は狂乱し、ある者は川へ飛び込んで流されていった。

 これまでの通り、戦というものは常に、仕掛けた側と仕掛けられた側の心理的な差は大きく、勝敗を大きく左右させる。三方ヶ原での武田と徳川然り、その後の武田と織田然り、この時の上杉軍は、織田軍へ完全に仕掛けた立場となった。

(斯くなる上は……)

 勝家は失策の責を感じ、

「掛かれ鬼柴田、押して参る!」

 怒号を発し、上杉軍に突撃を掛けた。

「そ、総大将が突撃したぞ! お守りするのだ!」

「噛まれた手を庇うには引くでなく押すべし! 上杉の喉元へ突っ込むぞ!」

 勝家の勇猛果敢な戦いぶりに、崩れていた織田軍はまとまりを見せ始めた。窮地になると人は愚かになるか輝きを放つかのどちらかになる。そのどちらになるかでその人の器量というものが決まるのである。


上杉軍陣営―

「織田の将、美しき闘争だ。戦はかくあるべし」

 謙信は馬上から織田軍の結束を眺めていた。

「謙信様、敵の反撃、勢いがございます故、ここから少しお下がりくだされ」

「構わぬ、もっとこの美しき光景を眺めていたい」

 謙信は盃を取り出し、織田軍の戦ぶりを肴に飲み始めた。

(け、謙信様……)

 家臣は呆れて見ていたが、少しでも口を挟めば首が飛ぶような気がして、なにも言えなかった。途端、

「はっ」

 酒を飲み干した謙信が、盃を放り投げて単騎で突撃を掛けた。

「謙信様! 皆、つづけ! つづけー!」

 総大将の急な行動に上杉軍も慌てふためき始めた。

 馬で駆ける謙信は、かつて武田信玄と争った川中島を思い出していた。

(戦の愉悦、この身で受け止めん)

 信玄が川中島で上杉に虚を突かれた時も、見事な采配で持ちこたえた。その中で謙信は単騎・信玄に突撃を掛けて、馬上からの一撃を浴びせた。それを信玄は軍配で受け止めたという伝説が、今でも伝わっている。

 ここ手取川においても、謙信は同じことをしようとした。圧倒的に不利な状況でまとまる織田軍、その時の大将はもっとも戦場で輝いている。その輝きを肌身で感じたかったのだ。


織田軍陣営―

 総大将・勝家を中心に織田軍は固まって戦っていた。その姿は、意図せず謙信お得意の車掛かりの陣に似ていた。一人が目の前の敵と戦い、横槍を突かれそうになると別の一隊がさらに横槍を突く、こうして互いを庇い合いながら、回るように陣を展開していた。

 勝家もまた自慢の金砕棒を振るって上杉軍の兵士を叩きのめしていた。そこに、

「謙信だ!」

 馬に乗って謙信が目の前に迫っていた。勝家は金砕棒を振り回し、馬を薙ぎ払った。

スッー

 途端、謙信が馬上から消えた。馬は薙ぎ払われ、地面に崩れ倒れた。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 謙信は空中に自ら跳び上がり、その勢いのまま勝家に斬りかかった。


キンッー


「ぬぅ」

 なんとか謙信の一撃を受け止めると、両者は睨み合う形となった。周りは謙信の援護に来た上杉軍と味方とが入り混じって戦っている。

 謙信の二撃目が来た。

 低く、足を払うように刀を出してくる。それを勝家は武器を立てて受け止めた。

 謙信の三撃目は、突きの構えを見せた。これは金砕棒で受け止めるには厳しい、

「おのれがっ」

 勝家は身を少し横にずらすと謙信の刀をそのまま左脇に抱えた。片手で金砕棒を振るのは難しいため、武器から手を放して、そのまま右手で謙信に殴りかかる。


サッー


 謙信は素早い身のこなしで勝家の拳を躱すと、刀を手放して逆に勝家の金砕棒を奪い取った。

 勝家は謙信の刀を手に取り構えた。

「……ふっ、貴様にその武器が使いこなせるか?」

 巨躯を誇る勝家の武器・金砕棒は並の人間では持ち上げることもできない代物であった。さすがの謙信も持ち上げるのが精一杯という感じだった。

「破ぁっ」

 今度は勝家が斬りかかった。謙信はそれを躱しつつ、時に金砕棒を使って牽制した。

「閻魔の戦、堪能した。さらばだ」

途端、謙信はそう言い放つと金砕棒を捨て、家臣が持ってきた新しい馬に乗り、退却を開始した。

「待てぃ謙信!」

 勝家は刀を謙信目掛けて投げつけた。しかし、謙信はそれを躱しながら掴んで、去っていってしまった。

(……くそっ)

 上杉軍は謙信の合図で退却、甚大な被害を出さないための見事な引き際であった。結果として主だった将は生き残ったものの、一方的に織田軍が損害を被ることになった。


近江国・安土城―

 柴田勝家は敗戦の責を負うため、安土城を訪れていた。

 戦の間も築城の作業は進み、居住区は随分と開発されていた。

「上様、此度の不甲斐ない戦、申し訳ございませぬ」

 信長の仮住まいを訪ねた勝家は頭を下げて謝罪した。

「……」

 信長はそれを黙って聞いている。先日、信長は正親町天皇より「右大臣」の官位を与えられていた。古き権威には依存しないと言われている信長であったが、こうした官職の地位も着実に上っていた。

「然らば腹を斬り申す」

と言って、勝家は上半身裸になった。

「ふっ、何年ぶりだ。このやり取りは」

 信長は思いのほか機嫌が良かった。

「……上様の弟君・信行様に従い、上様に刃を向けた時以来ですな」

「あの時も余はこう言った。俺に損をさせる気か、と」

「左様にございましたな、しかし此度は状況が違う故……」

「なにも変わってはおらぬ、貴様は余の大事な戦力だ」

「……」

「腹を斬りたいなら斬れ、今度は地獄へ行っても連れ戻すぞ」

「……」

「敗戦の責は問わぬ、失敗は功を持って挽回せい」

「ははっ」

 勝家は深々と頭を下げた。信長は消極的失敗に対しては厳しい男だが、一方で積極的失敗には寛容な男であった。


ガラッー


 そこに一人の男が入ってきた。羽柴秀吉である。

 勝家の指示とはいえ、軍規違反をした形になった秀吉は、しばらく謹慎処分となっていた。

「柴田殿…… 良くぞご無事で……」

「サルか、我が生きていて悲しくないか?」

「なにを申されます! この秀吉、城へ帰ってからも柴田殿のことが心配で心配で、夜も眠れませんでした。よよよ」

「サ…… 羽柴……」

 その様子を見ていた信長が可笑しそうに笑った。

「嘘をつくなハゲネズミ、貴様、謹慎を言い渡したのに三日三晩宴を開いていたそうじゃないか」

「なっー」

「……サル、貴様」

「い、いやー これはそのー 上様に叛旗の意はないという必死の訴えでして……」

「良かろう。次は地獄の鬼どもと宴をしてこい」

「ひぃ、御勘弁を~」

 はじめは犬猿の仲とされた二人であったが、いつしか奇妙な友情が芽生えていた。


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