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天魔降臨

元亀二年(一五七一)―

 岐阜城では、新年の祝賀会が行われていた。大広間には多くの織田家武将たちが居並んでいた。

「いやはや、昨年はどうなることかと思いましたが、こうして生きていられるのも、天命ですかな」

 そう言ったのは、木下秀吉である。金ヶ崎で殿を務めた功績により、家中で彼を馬鹿にする者はいなくなった。あの柴田勝家も、相変わらずサルと呼ぶがその実力を認めるようになっていた。

「それにしても悪きは浅井長政よ、信長様の妹君であらせられるお市様を娶っておきながら、信長様に刃を向けるとは」

 秀吉と話していたのは、丹羽長秀である。米五郎左と言われ、派手さはないが、なんでもこなす器用さで織田家になくてはならない存在であった。秀吉との仲は良く、先の横山城からの後詰でも、秀吉と共に信長の下へ駆けつけている。

「真、その通り! 長政の奴め許せませんなぁ」

 秀吉の場合、どちらかというとお市の方を娶ったこと自体を許していなかった。浅井家との婚姻同盟の話が持ち上がると、真っ先に信長に意見をしていた。女好きの性である。

「はっは、秀吉殿の場合、お市様が欲しいだけでは?」

「こ、これ光秀! なにもこんなところで言わんでもっ」

 光秀と秀吉は金ヶ崎の件以来、仲良くなっていた。同じ死線を乗り越えた者同士、互いを信頼する気持ちが芽生えていた。

「信長様が参られました」

 小姓が大声でそれを伝えると、わいわい騒いでいた将たちが静まり返り、姿勢を正した。

ザッー

 次の瞬間、信長が大広間に入ってきた。

 金ヶ崎以来、休む間もなく戦い続けてきたこの男は、以前よりも一層の凄みを増して、威風を放っていた。

「皆の者、昨年の働き、大義であった」

『ははっ、ありがたき幸せにございます』

「特に秀吉の度胸、その勇に俺も救われた」

「ははっ、もったいなきお言葉にございます」

「それに光秀の智、ほかに比類するものなし、坊主との戦では貴様の鉄砲用兵なしには戦えなかった」

「ありがたき幸せ」

「ほかの者らも見事な働きであった。しかし……」

 途端、信長の表情が強張った。一同に緊張が走る。

「金ヶ崎で多くの者が死んだ。姉川でも多くの者が死んだ。坊主どもと戦っている間に我が弟・信治が死んだ。森、青地も死んだ。長島では坊主どもに信興が殺された」

 その目には獣たる眼光が宿っていた。何人にも止められない決意が秘められている。

「悪しきは我に敵対し朝倉、我を裏切りし浅井、そしてこれらを匿う叡山こそ元凶の巣窟」

 信長の覇気が徐々に大きくなっていくのが、その場の誰しもに伝わっていた。

「仏のなにするものぞ、極楽がなんだ。地獄がなんだ。奴らがこの国を……人を……守っているのか?」

諸将は瞬きをするのも忘れ、信長を見ていた。

「否! この現世において、世を動かし、国を! 人を! 守れること能うのは、ほかならぬ人そのものぞ!」

 すっと信長は立ち上がり、諸将に号令を出した。

「叡山焼くべし! 天罰があるというのなら俺がすべて引き受ける! この信長に抗う奴らを斬り、撃ち、燃やし、根絶やしにするのだ!」

『は…… ははっ』

 覇気は狂気へと変わり、日ノ本を震撼させる年が始まる。

 諸将は神仏よりも信長を恐れた。それほどまでに信長の狂気は恐ろしかった。しかし、その中で一人、不敵な笑みをこぼしていた男がいた。明智光秀である。


数日前―

浅井・朝倉連合と和解した信長の下を光秀が訪ねていた。

「叡山を攻めろと?」

 光秀の進言に信長は少し驚いた。

「左様、我が軍に対する包囲網、要は岐阜と京を分断する浅井朝倉の両軍にございます」

「……」

「そして奴らを保護する叡山こそ、信長様に反する者どもの巣窟、何卒攻撃の下知を」

「しかし、それでは我らに大義名分がなくなる。将軍家庇護という立場も意味を失くすであろう。さすれば貴様と話した「力」の一つを失うことになる」

「たしかに」

 戦に大義名分は付き物だった。そのために足利義昭を将軍として担ぎ上げ、天下の軍として上洛をした。

「ですがもう良いでしょう。その「力」が逆に我らを苦しめております」

「ふむ」

「今こそ天下に示す時です。世を動かすのは、将軍でも、ましてや神仏なんかでもない。信長様ご自身であらせられることを」


比叡山焼き討ちー

 後世に伝わる信長の天をも恐れぬ所業として有名な出来事である。一説には、家臣の中でも明智光秀が特に反対していて、後の本能寺における謀叛の原因として説明されているが、最近の研究で、叡山焼き討ち前の光秀が土豪・和田秀純に宛てた書状が見つかり、そこでは『此度の叡山攻めへの協力は大変ありがたい、鉄砲や弾薬などはこちらで用意する。仰木(比叡山の地名)の事は是非とも撫で斬りに仕るべく候』と書かれていた。

また、叡山焼き討ち後、坂本の城を与えられるという破格の出世を果たしている。叡山攻めに積極的だったかは定かではないにしろ、反対していたとは到底考えにくい話である。


 和睦後も尚、浅井・朝倉・一揆衆らとは戦が続き、佐和山の磯野員昌が降伏、箕蒲では横山城の秀吉が奮戦、大田口では柴田勝家らが奮戦、美濃三人衆の一人として名を馳せた氏家直元が討死するほどの激戦となっていた。


同年九月―

 徐々に織田軍が勢いを付け始めたため、旗色が悪いと見た浅井朝倉軍は、再び叡山へと籠ることにした。

(坊主どもに地獄をくれてやろう)

 期は熟した。南近江一帯を手中に収めた信長は、正月以降、帯びていた狂気の渦が、ますます増していた。いよいよ叡山攻めの時である。

 細かい作戦は、明智光秀に一任した。自分はただ、

「誰一人叡山から出すな。女子供も容赦なく斬り捨てよ」

とだけ命じた。

「僭越ながら、某が叡山攻めの指揮を執り、各々に命ずる」

 光秀は諸将の前に立ち、作戦を説明し始めた。

「まず彼の叡山は、王城鎮護を語っているが、その実態は、我らに仇なす浅井朝倉両軍を匿う山城にござる」

『……』

「そこで、山城を攻めるが如く、正面、搦め手の両方から攻め入る。まず、我ら明智隊が先駆けとして正面より入る。搦め手は柴田殿にお任せいたす」

「かしこまった」

「敵が逃げぬように包囲を整えておく必要がある。隙間なく布陣し柴田隊と我が隊が進むのに合わせて攻囲を縮め、敵を山上へと追い込んでいくのだ」

『ははっ』

「諸将、抜かりなきよう、脱走、逐電、味方であろうと臆した兵はいずれも斬る。心してかかるよう!」

『応!』

 ついに、歴史に残る惨劇の火蓋が切って落とされることになる。


 各隊が配置についた。

「準備が整いましてございます」

 報が入ると、信長は無言のまますっと立ち上がり陣幕の外へ出た。

(仏を語りし、邪教の者どもらよ……)

 自ら、鏑矢と呼ばれる音の出る矢を携え、

(俺が本当の地獄というものを教えてやろう)

 弓を天に向けて引き絞り、放った。


ピューーールルル


『かかれー!』


 まず山の正面から明智隊が攻め始めた。同時に搦め手から柴田隊が攻め、別方面では、秀吉ら包囲軍が山を登り始めた。

 織田軍の一斉攻撃に叡山の僧兵や浅井・朝倉軍が混乱していた。

「の、信長の奴、聖域に攻めてくるなどなんたる不浄の輩よ!」

「山を守れ! 御仏を守れ! 仏敵信長の侵略を許すでない!」

「なにを言っておる。我らの身を守るんじゃ、そうだ。いくら信長でも坊主は斬らぬ。奴の目的は浅井・朝倉軍の兵士じゃ!」

 信長に抵抗しようとする者、我が身大事さに逃げ惑う者、もはや統率に欠き、戦をすることはできなかった。

「これでは戦えぬ…… そうだ。坊主に扮するんじゃ! それで降伏すれば命は助かる!」

 浅井・朝倉軍の中には剃髪して僧侶の格好をする者まで現れ始めた。それを見越しての、

「すべて撫で斬りにせよ」

との命令であった。もちろん、叡山の坊主自身に対する怒りも信長にはあった。

 正面の山門を突破した光秀は山頂目掛けてじりじりと迫っていった。もはや抵抗する者もわずかな上に、個人戦闘しかしてこないので討ち取るのは容易であった。後は討ち漏らしのないように慎重に攻めるだけだった。

 搦め手の勝家もまた山門を突破していた。

「むごい…… もはや戦ではないな」

と、目の前の惨劇に目を瞑りたくなった。

 機を見て、信長自身も山を登り始めていた。途端、目の前に女が飛び出してきた。

「あ…… お、お助けください。どうか命だけは……」

 怯える女を信長は睨み付け、

「……ここは聖域であったな。なぜ、女がいる?」

「あ…… そ、それは……」

「いるわけないな。いるとすればそれは淫魔の類であろう」

「ひ、ひぃ」

 そう言い放つと信長は刀を抜き、女を斬り捨てた。

(なにもそこまで……)

と、傍にいた誰もが思ったが、それを言えば次の瞬間、自分の首が飛ぶのはわかりきっていた。それくらい、今の信長は狂気を発していた。

 山頂近くになると僧侶に扮した浅井・朝倉軍が降伏してきた。

「わ、我らはただの坊主故、何卒、お命だけは……」

 その様子を見ていた光秀は、

「ふっ、それで我らを謀るつもりか?」

と、一切を無視し鉄砲で撃ち殺した。

 秀吉は、包囲軍の一つとなって山頂へと歩みを進めていた。

 明智・柴田隊の攻撃から逃れてきた僧や兵士たちが向かってくるのが見える。

「……後生じゃ、信長様に逆らった報い、受けてくれ」

 必死に命乞いをしてくる彼らを悲愴な覚悟で殺した。

 果たして、叡山すべてが焼かれ、後に残るは浅井・朝倉軍の、そして、王城鎮護の立場に驕り、戦争への軍事介入を行った僧侶らの死体だけであった。


 叡山攻めを終えた諸将は疲れ切っていた。

 体力的な疲れよりも精神的な疲れが大きかった。しかし、彼らにとって神罰よりも信長の勘気の方が遥かに恐ろしかったのである。

 静まり返った陣の中、光秀が言を発した。

「皆の者、良くぞ戦い抜いた。これにより叡山は陥落、麓の坂本を抑えたことで、岐阜・南近江・京の防衛線を敷くことに成功した。もはや背後を脅かされることはない」

「そ、それじゃぁ我らへの包囲網は……」

「包囲網はまだ続く、が、そのほとんどは瓦解したと言って良い」

『おおっ』

 一同、歓喜の声を上げた。ある者は飛び跳ね、ある者は力が抜けるように座り込んだ。だがこの男は違った。

「叡山攻めは所詮守りの態勢を作ったに過ぎぬ、次は俺たちが奴らを攻め滅ぼす番だ」

 信長は叡山焼き討ちの疲れを一切見せず、諸将に号令した。

『は……ははっ!』

 この叡山攻めより先、信長はますます狂人ぶりを発揮していくことになる。

「光秀、良くぞこの戦を指揮した。貴様が勲功第一として、坂本の地を与えよう」

「ありがたき幸せ」

 光秀には戦後の処理が一任され、叡山の麓にある坂本の地を与えられた。先の通り、岐阜と京を結ぶ最重要拠点の一つで、そこを託されるというのは、織田家中でも破格の出世であった。


一方その頃、甲斐の大名・武田信玄は、駿河の大名・今川氏真を攻め滅ぼし、甲斐・信濃・駿河の三国を擁する大大名へと成長していた。さらに、信玄は、一時的に途切れていた北条との同盟を復活、後顧の憂いを断つと、遠州まで勢力を拡大していた徳川家康の領地へと侵攻を開始した。甲斐の虎の足音が着々と信長の下へ近づいていた。


翌年、元亀三年(一五七二)―

 包囲網の揺らぎにより石山本願寺が織田家と和睦、互いに矛を収めることに相成った。しかし、三好家の当主・三好義継とその元家臣・松永久秀が信長に反旗を翻した。


数日前―

 将軍・足利義昭の下を松永久秀が訪ねていた。久秀は、兄・義輝を殺した張本人であったが、信長の叡山焼き討ちを見て、対策を講じねばならず、そこに久秀が声をかけてきたため、嫌でも力を借りるしかなかった。

「貴様、どの面を下げて余の前へ顔を出す」

 義昭は久秀に対して明らかな敵意を見せた。

「ククク、そのように仰せになりまするな、貴様とてこの儂の力が欲しいのであろう?」

「……」

「自分を傀儡とする憎き信長を討つため、兄への情より、自分の命を優先した」

「こやつ、言わせて置けば!」

「良いではないか、世の中皆、自分のことがなによりも大切だ。大義だの志だの、表向きで正義を語る奴は皆つまらぬ」

「……」

「儂はそうではない。ただ、己の欲するままに動き、この乱れきった世を大いに楽しむのだ」

「貴様、やはり大悪党ぞ……」

「悪党結構、浪漫があって良いぞ」

「浪漫……?」

「南蛮の宣教師どもがそう言っていた。心の赴くままにそれを表現しろという思想のことらしい。どうだ、儂そのものであろう?」

「……」

「ふっ、解せぬか、まぁ良い、それよりも信長を殺るための話を始めるぞ」

(信長の次は…… 貴様を誅してくれる!)


 そして、松永久秀は大和で蜂起、摂津の三好と共に信長に睨みを利かせていた。

(久秀、貴様の思う通りにはさせないぞ)

 信長は久秀の狡猾さを知っていたが、その野心を

(飼ってみたい)

と、獣を扱うかの如く手中に収めたいと考えていた。

(久秀、貴様は俺の手の中で転がっていてこそ価値がある。檻の外に出ていては無価値)

 信長と久秀、数奇な二人の運命は既に交錯し始めていた。


同年七月―

 信長の嫡子・信忠(当時は勘九郎信重)が対浅井・朝倉戦で初陣を飾った。

 叡山以降も浅井朝倉軍は必死に抵抗していたが、以前ほどの勢いはなく、信長側の終始優勢となり、さらには朝倉軍から寝返りが出るまでに至った。

「いやぁ、勘九郎様、お見事な戦ぶりでした! さすがは信長様の男子!」

 勝利祝いの場で、秀吉はいつもの調子で振る舞っていた。

「勘九郎、俺からも褒めてやろう。見事であった」

 信長もまた笑みをこぼして信忠を褒めた。

「おぉ、あの信長様もお褒めになるとは、いやはや信長様も人の親ということですなぁ」

「どういう意味だ。ハゲネズミ」

 信長はギロッと睨んだ。が、その目は笑っていた。

「ひぃ! いやいやつい口が滑りまして……」

「言い訳になってないぞ、サル」

 柴田勝家が突っ込み、一同は大笑いした。信長もまた高々と笑っていたが、内心では、

(武田は来るのか)

と、心配していた。

 織田と武田は、信忠と信玄の娘・松姫の婚約によって関係を良好なものとしていた。しかし、武田家の徳川領侵攻により、関係に亀裂が生じていた。

(武田と戦はできない……)

未だ浅井や朝倉、三好、松永といった敵を抱えている中で、全軍を持ってやっと渡り合えるかどうかの武田を相手にするのは、無謀な話たっだ。

しかし、信長の杞憂は現実のものとなる。


同年十一月―

 武田が美濃国・岩村城を攻める。事実上の宣戦布告である。さらに、三河徳川領では、一言坂の地で武田軍先鋒、山県昌景・馬場信春らと、徳川軍偵察隊、本多忠勝・内藤信成らが激突、偵察目的だった徳川軍は、武田軍の神速の軍に不意を突かれる形となり敗退、武田軍はその余勢を駆って進撃、二俣城がを陥落させている。

 徳川家康は、これを受けて浜松に籠城、各支城が落とされていく中、武田軍の攻撃から耐えようとしていた。

 程なくして、武田から使者が来た。家康を調略しようという信玄の強かな戦略であった。だが家康はこれを

「織田と盟を結んでいる以上、その信義にもとることはしたくない」

と、断った。本音のところは、

(信長は裏切った者は許さないが、味方する者を蔑にしたことはない。それに比べ信玄は平気で今川を裏切った男、味方をしてもいずれは殺される)

という苦渋選択の決断だったと思われる。


同年十二月―

 武田信玄は家康の籠る浜松城を回避、そのまま織田領へと雪崩込もうとした。

 それを知った家康は、浜松から撃って出ることを決意、ただでさえ支城を落とされて信を失いかねない状況でみすみす逃したとあっては、先の勧誘を断った手前、国内外からの信を失うことになる。

 だが、それらの家康の心情はすべて信玄の知るところとなる。

 信玄は浜松より北にある三方ヶ原の地で家康を待ち構えていた。浜松を無視して織田領へそのまま侵攻するという虚報を用いてー

(味方になろうが敵に回そうが恐ろしい男だ……)

 家康は信玄の恐ろしさを改めて実感した。

 果たして、家康は命からがら浜松へと帰り、家臣の多くが討死するに至った。その中で、織田から援軍に来ていた平手汎秀も亡くなっていた。


岐阜城―

「くっ、家康では信玄には敵わぬか……」

 徳川軍惨敗の報せを聞いた信長は唇を噛んだ。

「私が信玄を殺めて参ります」

 傍にいた光が、そう申し出てきた。あの一件以降も、光は変わりなく忍びとして活動を続けていた。

「いや、義龍の時と違って奴は忍びを知っている。使い方も、その恐ろしさも」

「では……」

「ただ、奴を見張っていて欲しい。細かに身の回りのことを知らせてくれ、変事であろうが常時であろうが、だ」

「常時のこともでございますか」

「左様、そういったところからなにか掴めるかもしれぬ」

「わかりました。では、行って参ります」

 そう言うと、光は岐阜城を出ていった。

(信玄……今度は、俺が相手だ)

 もはや対決は避けられない。畿内の反織田連合を警戒しながら信玄に挑むという大博打に信長は身を投じようとしていた。


武田軍陣営ー

 三方ヶ原で勝利した信玄は、そのまま西進、三河へと侵攻していた。

(信長め、乱波を遣しおるか)

 信玄は、信長の忍び、光の存在に気づいていた。

(儂の命を狙うか、それとも知略合戦に持ち込むか)

 信長の狙いまではわからないが、信玄は水面下で信長と激戦を繰り広げる腹でいた。

 信玄は敢えて、光を放置した。自分の完全な姿を伝えることで信長を絶望に陥れようという狙いである。

『戦わずして勝つは善の善である』

 孫子で有名なこの言葉に倣ったのである。風林火山を旗印に用いるなど、信玄は孫子を尊敬していた。


 武田軍は、戦国最強という呼び名で通っている。現代では、それに疑問の声も上がっているが、当時の戦というものは心理戦、すなわち相手の心を折ることの要素が大半を占めていた。

 こんな逸話が『甲陽軍艦』に示されている。信玄はある日の折、たくさんの貝を家臣たちに見せ、いくつあるかと問いかけた。家臣たちは思い思いに数を述べるが、皆、実際の数よりも多く答えていた。それを聞いていた信玄は笑い、

「戦も同じように、兵を実際の数よりも多く見せるよう思いのままに動かすことが肝要である」

と、言ったのである。

 実際の戦力や戦術が如何にあっても、心理的に追い込まれるのは、戦では最も危惧するべきことである。そして、追い込まれるのは、常に仕掛けた側ではなく仕掛けられた側である。信玄に攻め込まれたという時点で、信長方の心理状態は推して知るべしであろう。


今この時、信玄の軍略は最高潮に達していた。


岐阜城ー

 光から頻繁に武田軍の様子が書かれた書状が送られてきた。信玄の様子、武将たちの様子、兵たちの様子、食事の量、便の頻度など、こと細かに送られてきた。しかしそこから来るのは、

(勝てぬ……)

という絶望ばかりであった。

 武田軍は、三河・野田城まで進撃し、織田領では東美濃の岩村城を落とされ、秋山信友が入っていた。唯一の救いは、北近江まで軍を出していた朝倉義景が、十二月頭に降雪を理由に兵を引いていて、背後を気にする必要がないということだけだった。


それから数日ー

 野田城に留まった信玄はしばらく信長と睨み合う形となった。そこで信玄は、将軍・足利義昭に使者を送り、自ら蜂起させ、信長の背後を突かせようとした。

これに対し信長は素早く京へと攻め寄せた。明智光秀、柴田勝家、丹羽長秀、蜂屋頼隆らが先駆けとなって近江・志賀へと攻め寄せ、光秀が突破口を開いて勝利、武田への警戒を怠らず、一度岐阜へと帰還した。

信長は改めて出陣して京に上り、町を焼いて義昭に脅しをかけた。さらに、義昭の家臣・細川藤孝、荒木村重らが信長方に寝返ったことで、義昭の挙兵は空振りに終わった。

 そのまま日が過ぎていく中、突如事件が起こる。

 信玄が喀血して倒れたのである。

 結核とも胃癌とも言われていたが、兎にも角にも信玄が倒れたことで武田軍に動揺が走った。

(しまった…… あの乱波にこのことが……)

 信玄は朦朧とした意識の中で、信長の忍びのことを悔やんでいた。

 軍では会議が開かれ、一度甲斐へ退却することが決まった。

 その道中、信玄は死去する。享年五十三ー


岐阜城ー

 山のように動かぬ信玄を恐れながらも、信長は必死に動じずにいた。しかしまったく動かないわけではなく、京で義昭が挙兵すると、密かに水面下で信玄との駆け引きに勝つための手段を張り巡らせていた。

 その一手の内である諜報を行っていた光が、岐阜へ帰ってきた。

「武田信玄、喀血で倒れた次第にございます」

「真かっ!」

「はっ、この目でしかと見ました。その後は、武田の将らが信玄を隠すように屋敷内に運び込んでおりました故、どうなったかまでは……」

「良し、ならば甲斐や信濃の城中、神社に手を回せ、もしそのまま奴が死ねば、必ず本領安堵などの起請文が発行されるはずだ」

「はっ!」

(信玄、この戦、俺の勝ちだ)

 信長は目の前に降りた奇跡を心の奥底から喜んだ。

 家臣たちを集結させ、信玄喀血の情報の続きを待った。そして、武田軍が撤退したことを知り、その数日後に諏訪神社から後継が信玄の息子・勝頼に委ねられること、勝頼になっても変わらず奉公を続けること、その限りには本領を安堵することなどの起請文が発行されたことを知り、信玄の死は皆の知るところとなった。

「あの信玄が……死んだ!」

 織田家中はお祭りのような騒ぎになった。

「なんたる強運! 信長様は天にも愛されておりますな!」

「今頃、浅井・朝倉、そして本願寺の奴らも悔しんでおりましょうな!」

「奴らの顔が目に浮かぶわ」

 信長もまた上機嫌に家臣たちが騒ぐのを眺めていた。しかし、金ヶ崎以来、心休まる暇もなく戦い続けてきたせいか、うつらうつらと夢心地になっていった。

「信長様…… 儂ら以上に国を案じ、儂ら以上に苦しんでおられたんじゃな」

 家臣たちは、改めて信長に敬意と忠義の念を抱いたのであった。

信長と信玄、二人の英雄の戦いはここに幕を閉じた。


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