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桶狭間の戦い

永禄三年(一五六〇年)駿河国・駿府館―

 大名・今川義元は尾張侵略の軍を動かした。その数、四万五千―

 昨今類を見ない大軍である。そこに、義元の尾張への意気込みが窺える。


五年前―

「師よ、少し休んではどうだ。」

 義元は手に持った扇をカタカタと広げながら言った。師とは、臨済宗の僧侶にして義元を戦国大名に育て上げた武将、太原雪斎である。

「良い、自分のことは自分が一番良く知っている。わしはもう先がない」

「……」

「そんな顔をするな芳菊丸、人はいずれ死ぬ、わしも、お前も、帝でさえも、いずれは死ぬ定めなのだ」

「わかっている。あと、わしはもう芳菊丸ではない」

「ふふふ、そうであったな。今では立派な駿河の大名、今川義元よ」

「師よ、やはり休め、これは主の命だ」

「わかりました。義元様」

 

 義元と雪斎の出会いはさらに三十三年遡る。

 義元は、駿河今川家当主・今川氏親の五男として生まれた。幼名・芳菊丸、家督相続権はなく、武将としての器も見込まれず、四歳にして臨済宗・善徳寺に入れられることになった。しかし、その寺で、義元の教育係となった雪斎がその器を見出し、これを戦国大名にせしめんとした。

 時は過ぎ、天文五年(一五三六年)、当時今川家の当主であった氏輝とその弟であり家督継承の上位にあたる彦五郎が急死、これに際し、義元の母、寿桂尼と雪斎が義元を後継に立てた。しかし、重臣・福島正成が反発、氏親の子で義元の庶兄にあたる玄広恵探を擁立した。

 これを受けて、義元は雪斎と共に恵探を討ち、今川家の正式な当主となった。世に言う花倉の乱である。

 それから数年、義元は国内の政務に心血を注いだ。父・氏親が制定した『今川仮名目録』を理解し、足りない部分を全二十一箇条にまとめて追加した。これにより今川家は駿遠三の広大な領土だけでなく、政治的な部分においても戦国屈指の大大名として名を馳せるのであった。


(芳菊丸も今や海道一の弓取りと言われるようになったか…… まこと、月日が経つのは早いものよ……)

 雪斎は、ふと夜空を見上げた。満月が神々しく輝いていて、少しの雲が覆うように浮かんでいた。

(されど、尾張のうつけには気をつけよ…… あれは誰よりも弱く、故に誰よりも強くなる男ぞ)

 雪斎は尾張の織田信長の存在を恐れていた。尾張とは信長の父・信秀の代から、三河の覇権を賭けて争っていた。信秀とは時に調略合戦を挑み、三河の有力土豪である松平家を巡って政争を繰り広げ、時に武力合戦にて、小豆坂の戦いをはじめ多くの闘争を繰り広げてきた。

 剛勇にして権謀に長ける信秀は、今川家最大の敵とも言えた。その信秀が死んで、息子の信長が受け継いだが、彼もまた信秀の才と同等、あるいはそれ以上のものがあると雪斎は感じていた。まだ、うつけと呼ばれるほど周囲を取り込めぬ弱さがあるが、一度化ければ天下をも呑むやもしれぬ、義元の先に待つ微かな影、雪斎はそれを案じながらもこの世を去った。


 その後、義元は息子の氏真に家督を譲り、隠居するも、三河・尾張方面の領国経営は自ら着手していた。そして、雪斎の死から五年、期は熟した。

 義元は、寄親・寄子制度なるものを確立、武士たちの上下関係を整備し、組織化された軍団を備えた。また、雪斎の遺した渾身の策、駿・甲・相の三国同盟により背後の憂いはない。

充実した国力、整備された軍事力、そして、抜け目のない外交策、義元この時齢四十二にして今川家の最盛期を築き上げる。

「今こそ、尾張を完全に我がものとせん」

 義元は動員できる限りの兵力を率いて尾張へ出立した。

 

 義元の尾張侵攻は、上洛するための、その途上にある尾張を通ることで知られてきた。しかし、近年の研究によると、義元は上洛ではなく、ただ尾張を手に入れたいための侵攻であったという説が浮上してきている。

 これは、尾張という肥沃な土地を手に入れることで、その莫大な生産力を手に入れようという、義元の国策であったと考えられる。この時、既に今川家は充実した国力を備えていたが、その力に人は寄り添い、餓えた多くの民が集まってきていたという。そのため、駿・遠・三の国力では支えきれないほどに膨れ上がり、肥沃な土地、尾張を手に入れんと動いたのであろう。

 戦国乱世における紛争は、その多くが国の運営を国内の生産では追いつかず、他国の物を奪い取るために行われるものであった。取り分け、応仁の乱前後における日本は大飢饉に見舞われていて、各地で、飢えを凌ぐために外の地の物を欲すという現象が起き、戦国乱世に突入したという。そして、力ある者がそれを掴み、支配者になっていくという下克上の世が形成されたのである。


尾張国・清州城―

「申し上げます。駿河の今川義元、兵を率いて尾張へ侵攻してくるもよう、その数四万余と思われます」

(ついに来たか……)

 信長の表情は険しくなった。周りの家臣たちも動揺の色が出始めている。

「四万だと…… かくなる上は籠城して堪えようぞ」

「何を申すか、城に籠ったところで何もならん。撃って出て迎撃じゃ」

「それこそ何を申される。そうしたところですぐに飲み込まれるに決まっとる」

 武将たちの間で、籠城か出撃かで意見が分かれた。みんな相手の言うことに耳を傾けずに聞こうともしない。戦は、仕掛けた側より、仕掛けられた側の心理的負担の方が計り知れない重さがあり、平静の判断力を狂わせる。

 途端、

「小賢しいわっ」

信長の怒声に一同沈黙した。

(こいつらでは、義元に勝てん……)

 信長は黙り込む家臣たちをよそ目に居室へと戻った。

 部屋に入り、座ると、信長は対今川軍の対策を練り始めた。

(まずは己を受け入れることじゃ、義元を恐れ、死を恐れる己を)

 すると、信長は敦盛の舞を踊り始めた。


人間五十年

下天の内を比ぶれば

夢幻の如くなり

一度生を享け

滅せぬもののあるべきか


 信長は、敦盛の中でも特にこの節を好んだ。泡沫な人の命、人間の世のなんと短きことか、この舞を踊ると、不思議と心が落ち着いた。

(常道に囚われた生なれば、それを超えた先に俺の掴むものがある……)

 乾坤一擲、義元を討つー

 信長の目には燃え滾る野望の炎が映っていた。


 今川軍の先鋒隊が尾張領に入る頃、

「兵糧を大高に届ける」

 そう言ったのは、三河の松平元康である。三河の豪族・松平家の第八代当主・広忠の嫡男で、幼いころから今川家に人質として出されていた。また、人質に出される際に、家臣の裏切りにより織田にさらわれる事件が発生し、一時的に織田の人質になっていた時期もある(後に人質交換により今川家に送られる)。後に徳川家康と名乗り、苦労人で知られるこの男は、生まれた時から波乱の人生を送っていたと言える。

「兵糧入れとはまた地味な仕事だな」

 そう言ったのは、元康の重臣・本多忠勝である。

「そう言うな、これも大事な戦だ。兵糧がなければ前線の兵は戦えぬ」

「違いねぇ、腹が減っては戦ができぬと言うからな」

 忠勝は豪快に笑った。

「与えられた任をしかとこなしてこそ信を得るというもの、いくぞ」

 元康は手勢を率いて大高城へ進軍、織田軍の抵抗にあうも無事に兵糧を運び入れた。

 数刻後、義元は沓掛城へと入り、今川軍先鋒隊は織田の砦を攻略し始めた。


「申し上げます。今川軍、丸根砦と鷲津砦を攻撃しているもよう」

「分かった。一先ず熱田へ向かおうぞ」

 熱田は尾張の中でも商業の中心地であり、伊勢湾からの海運を入れる拠点でもあった。水のあるところに銭がある。様々な文明が川の側にあるように、水というものは人間の世の源とも言うべきである。

 信長にとっては清州城よりもむしろ熱田を守れるか否かが勝敗の鍵であった。熱田を失えば、国の源である銭を失う。これでは、いくら籠城しても勝ち目はない。


 熱田の神宮に入った信長は、戦勝祈願をしたという。これは、遅れてきた者を待つためだとも言われているが、信長自身、一世一代の大勝負に不安があったのかもしれない。

 その後、信長は善照寺砦に入った。この砦は、付近一帯を見渡せる場所にあり、今川軍の動向をここで探ったと言われている。


それから一刻後―

「申し上げます。丸根砦と鷲津砦、共に陥落いたしました」

「……わかった」

 報を聞くと、信長は手勢を率いて中島砦へと移動、来るべきその時に備えた。

(義元…… どこだ)

 大軍に勝てる一つの方法、それは、


奇襲―


 信長は乾坤一擲の策に賭けていた。

「義元の軍を見つけるのだ。奴は必ず近くにいる」

 とにかく情報だった。忍び、土地の者、何でも使って情報を集めた。そこに光がやって来た。彼女もまた義元の本陣を探っていたのである。

「義元の軍勢を見つけました。桶狭間山で休憩しております」

「真か」

「はい、不揃いの装備に、輿を確認しました。義元の軍に間違いございません」

 下級兵の支給品装備と違って、義元本体は各々自慢の装備で参陣していたため、装備の見た目が不揃いであった。そこに目を付けたのである。

「あいわかった。全軍、出撃するぞ」

義元見つけたり、信長は気勢を上げた。その時、


ぽつぽつ


と、雨が降り始めたかと思えば、すぐに豪雨へと変貌した。

「これぞ天運、皆行くぞ!」

 信長率いる一隊は、中島砦を出撃、桶狭間へ向けて駆け出した。


桶狭間付近の山道―

 一人の男が雨に打たれながらたたずんでいた。

 明智光秀その人である。

 主・斎藤道三が、義龍に襲われた後、縁戚という関係から叔父の光安が道三側に付くことを決めた。だが、光秀は、

(既に道三様にも叔父上にも天命という力はない)

と、負けを悟っていた。そこに光安がやってきた。

「光秀、お前は城を抜け出して生き延びよ」

「ですが……」

「道三殿はたぶん負ける。もうあの男にも、俺にも天命はない」

「……」

「だが、光秀、お前は違う。お前は俺には想像も付かないでかいことを考えている。こんな所で死んではならん」

 意外だった。志は誰にも話してこなかったし、隠していたつもりだったが、そこは叔父というものだろう。光秀の胸の内を漠然とだが見抜いていた。

「……わかりました。これまでの御恩、忘れは致しません」

光秀が城を出た後、程なくして明智城は陥落した。光安をはじめ城中の者は皆殺された。

 その後、光秀は尾張の地へと落ち延びていた。美濃にいると義龍の手の者に見つかる危険があったのと、尾張大名・織田信長を見届けるためである。

(尾張のうつけ、道三様が見込んだというあの男……)

 ここに来て確かめたかった。己が敬愛した男が、ほかの誰よりも認めた男の行く末を、

(この状況を如何にする。今川の軍勢、天魔鬼神も忍ぶべからず、ただ潰され逝くのか……)

 山の上に見える今川軍を眺めながらそう思った。いくら才のある男でも抗えない天命というものがある。天命がなければ、国も人も己すらも守れない。

 その時、雨がにわかに止み、雲の間から微かに光が射し込んできた。

 途端、


バサッ


 一羽の鷹が目の前を通り過ぎていった。

 空高く飛んでいく鷹に目を奪われていると、後方で何かが動いている音がした。

(何の音だ)

 一人や二人ではない、とてつもなく大きな何かが動いている。

 光秀は木陰に身を隠した。次の瞬間、

(あっ)

 馬に跨った男が一人、駆けていくのが見えた。ほかの誰でもない、織田信長自身である。

 信長の後ろに続いて次々と兵士が駆けていく、織田の兵だ。

(奇襲だと)

 光秀は胸の高鳴りを抑えられなかった。一国の主と主がまさに出会おうとしている。

 いてもたってもいられずに、光秀は信長の後を追った。


今川軍本陣―

 義元は途中、馬から乗り換えていた輿を降りて休憩を取っていた。

「良き眺めだ。ここはなんという地だ?」

「はっ、桶狭間山という場所にございます」

「そうか、桶狭間か」

 沓掛城から出た義元は、大高城へと向かっていた。ところが途中、丸根砦と鷲津砦といった大高城周辺を攻略したことを知った義元は熱田へと進路を変えた。そして、その途上の桶狭間で休息を取ることにしたのである。

(ここまでは順調だ。だが、尾張のうつけは何かしてくるはず)

 未だ見ぬ織田軍の動きに微かな不安を覚えた。かつて信長の父・信秀と尾張・三河の領土を巡って知略を巡らせ合ったことがある。その時に、元康という人質を奪われたこともあった。そんな信秀の後を継いだ男・信長、尾張のうつけという評判も義元は、

(周りに理解する者がいないのだな)

と、思っていた。

 自分も家督相続の時に一族から反対された経験がある。生まれて早々に武将としては見込まれず寺に入れられた経験がある。天より才を受けた者は、中々に孤独らしい。

(わしには師がいたが……)

 ふと、亡き師・太原雪斎のことが脳裏に浮かんだ。今となっては自分も孤独の身なのかもしれない。わずかに寂しさが込み上げてきた。

 

しばらくすると雨が止んできた。その時、

(何か聞こえる……)

 耳に何かうごめく音が聞こえた。まるで一匹の巨大な獣のようにこっちへ近づいてくる。

(……そうか、来たのか)

 次の瞬間、麓の先に山犬のような軍団の姿が見えた。


 桶狭間については様々な議論がある。

 義元の尾張侵攻目的

 織田と今川の兵力差

 義元本陣の位置取り

 信長の侵攻ルート


 いずれの議論においても、桶狭間が歴史に残る戦いでありながら、その根本的な要素が不確定であることは不思議である。

 だが、なにが真実でなにが虚実であるのかは、歴史を探究する者たちに任せるとして、桶狭間が、ほんの一時の豪雨によって、織田信長と今川義元という二人の英雄が奇跡的な対面を果たしたという事実は、変わりのない真実であろう。


ドクン、ドクンー

 心の臓が高鳴るのがわかる。ある意味、信長自身が一番驚いていたのかもしれない。もちろん、勝つつもりで動いた。そのために義元の本陣を探り、乾坤一擲の奇襲策を仕掛けた。そのすべてがここまで上手くいっている。

(俺は……勝つ)

 信長は大きく息を吸うと、桶狭間山一帯に響く声で、

「かかれぃ!」

と、下知を降した。

 思わぬ織田軍の登場に敵がたじろいているのがわかる。

 信長も自ら馬を降りて太刀を振るった。雑兵を斬っては捨て、斬っては捨てを繰り返し、刀が使えなくなったら敵の槍を奪って使った。

「義元以外の首は要らぬ、すべて捨て、ただ一つの首を目指せ」

 この時、今川軍は方陣の如く密集隊形を採っていたという。それに対し織田軍は、

「只励むべし」

と、大凡の戦術というものを採っていなかった。

 なぜ、ここまで緻密に動いてきた信長が、義元を目の前にして大雑把に戦ったのかはわからない。

だが、傷一つない、赤く、丸く、美味そうなリンゴが、野ネズミに一口かじられただけで、とても食えたものではないと言われるように、今川軍という熟れきった果実は、信長という野ネズミの一かじりによって、崩壊していくのである。


 混乱した今川軍は徐々に浮き足立ち、雑兵は逃げ惑い、供回りの者も輿を捨てて逃げ始めた。

「義元様、お引きください。敵が迫っておりまする」

「ふっ、引けぬ、これだけの戦力を導入しておきながら兵を引いたとあれば、国は傾き、衰え、滅ぶ」

「し、しかし」

「考えてもみろ。この戦に莫大な費用をかけて何も得ることができなければ、信を失い、武田や北条からは狙われ、なにより民からも見放される…… 万に一つも負けは赦されないのだよ」

 そう言うと義元は愛刀の左文字を抜いて敵を迎え撃った。

 雑兵の何人かを切り捨てた。素早い身のこなしと見た目に合わぬ剛力で次々と襲い来る敵をねじ伏せた。

「今川義元殿とお見受けいたす。某は毛利新助、御首頂戴いたす」

「ふっ、小童が、来い」

 義元と新助は互いに距離を取りながら睨み合った。

 先に新助の方から斬りかかった。義元はそれをかわして新助の背中へと斬りかかった。

キンッ

 途端、振り返りながら太刀を振るった新助の一撃をくらい、左文字が宙に飛んだ。

 ドタッ

 よろめいた義元を押し倒すように新助が覆いかぶさった。

「御免」

 新助が義元を抑えつつ、首を掻こうと懐刀を取り出した時、

「ぐわっ」

 新助が悲鳴をあげた。その隙に、義元は起き上がった。

 地面を見ると指が血だまりに沈んでいる。義元が、新助の指を噛み千切ったのだった。

「……強い」

 新助は改めて太刀を構えなおした。義元も左文字を拾って構えなおしている。

 二人の間に、再び静寂が流れた。

『破ぁぁぁぁぁ』

 気勢を上げて二人は駆け、すれ違った。

「くっ」

 途端、義元が地面に膝を突いた。

 新助の太刀が義元の横っ腹を切り裂いていたのだ。

(ここで果てるか……)

 新助が義元の首を落とさんと近づいてくる足音がした。義元は己の最後を悟った。

(師よ、もうすぐ会いに行くぞ……)

 その目には太原雪斎の姿が浮かんでいた。

(悔いがないと言えば嘘になる。だが、まぁ……楽しい人生だった)

 駿河の大名となり、その手腕を持って天下に名を馳せた男、今川義元、尾張侵略の途上、桶狭間にて戦死、享年四十二であった。


「義元を討ち取りましてございます」

 新助が義元の首を持ってやってきた。髭の整った顔から血が滴っている。既に色は蒼白くなっていて、公家化粧でもしているかのようだった。信長は、

「大義」

と、義元の首と愛刀・左文字を受け取った。

「……父を尊び、超えたいとこれまで願ってきた。それも能わぬまま父は死んでいった」

 信長は義元の首を眺めながら語り始めた。

「代わりに、父が心血を注いで戦っていた英雄・義元を追い求めた。そして、ついに殺めてしまった」

 信長は万感の思いを抱いていた。周りの者は皆、息を呑んで聞いていた。

「義元、安らかに眠れ…… 俺は貴様を超えたことの業を背負い、生の限りを尽くして、天下に名乗りを上げる」

 ここに初めて天下を意識し、高々と義元の首を掲げ、

「敵総大将、今川義元は死んだ! この戦、我らの勝利だ!」

 奇跡とも思えるこの戦の勝利を宣言した。

「えいえい」

『応ー』

「えいえい」

『応!』

「えいえい」

『応!』

 戦場に織田軍の勝利の雄叫びが轟いた。


(……すごい)

 その様子を一部始終見ていた明智光秀は、全身が震えていた。

(信長……、その器、道三様が見込んだ以上の男か)

 雑兵の中で義元の首級を高々と掲げている信長の姿を見ていた。光秀は、

(こうしてはいられない、あの男に必要な力をつけてこなくては)

と、なにかを決意したかのように拳を握りしめ、その場を去って行った。


義元死すー

 その報に織田・今川両軍に衝撃が走った。松井宗信をはじめとした今川家臣が気勢を上げた織田軍を前に悉く討死、その中で主の仇を討たんと、岡部元信が奮戦、義元の首を奪還することに成功している。また今川軍の尖兵として戦っていた松平元康は、この混乱に乗じて三河・岡崎城に入城し、独立宣言を果たした。

 尾張の織田信長、その名を一躍乱世に轟かせた名勝負が、ここに幕を閉じた。


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