天王山
毛利との講和をして安土へ引き返していた秀吉の下にとある報が入った。
「伝令! 明智光秀殿、ご謀叛! 京・本能寺にて既に上様を討ち取ったもよう!」
「なにぃぃぃぃ」
秀吉は仰天した。自分がやろうとしていたことを光秀に先越されてしまった。未だ姫路城にいた秀吉は唇を噛んだ。
(そうか…… 光秀、お主も同じ答えに行き着いたんじゃな)
すべてを理解したと共に、嫉妬心が湧いてきた。
(……儂は、どうすれば良いんじゃ……)
出鼻を挫かれたため、秀吉は己の進むべき道に迷った。そこへ黒田官兵衛がやって来た。
「秀吉様、上様の件、お聞きになりましたか」
「あぁ、今しがた聞いた」
「……御運が開かれましたな」
「……!」
「今、明智光秀は天下の謀叛人でございます。これを討てば、秀吉様は手を汚すことなく、日ノ本の王になれます」
「……貴様っ」
「元より、そのおつもりだったのでございましょう? 此度の軍の引き換えし、某にも内緒で、信長を討とうとしていた」
「……!」
「毛利と和睦すると言った時から不審に思っておりました。が、それは某の望むものと合致する故、ここまでなにも言うつもりはございませんでした」
「……」
「ここからなら京までわずか十日近くで帰れましょう。備中高松にいることになっている我らが十日で姿を現せば、明智も混乱するはず、すぐにでも出発を」
「……わかった。信長を超えた光秀をも超え、儂が天下を治めちゃる」
「そのお覚悟、見事でございます」
秀吉は、光秀討伐を決意、主との決別、友との決別、この男もまた、孤独の世界に身を投じようとしていた。
伊賀国―
伊賀者の頭領、百地三太夫に捕らわれていた光は、百地の介抱により回復していた。しかし、
「織田に帰してはこの地を知られてしまう。ここで我らと共に暮らしてもらおう」
と、才を惜しんで命は取らないにしても、隠れ里に幽閉することにした。
幽閉と言っても、牢に閉じ込めるのではなく、足枷と監視を付けて、後は普通に生活をさせていた。
「……ここのことは誰にも言わない、だから信長様の下へ帰してくれないか」
「ならぬ、そのような約束は信用できぬ」
「……それでは、守れない……」
悲痛な表情を浮かべる光に百地は訪ねた。
「なにを守れないというのだ?」
「……」
「黙っていてはわからぬ」
「……なににも代えられぬ縁……」
「縁?」
「ええ、天が巡り合わせたかけがえのない絆です」
「……」
途端、俄かに雨が降り始めた。
「……寂しい雨……もしかしたらもう……」
遠くを見つめて黙り込む光、雨の音だけが流れる静寂の間に、一人の男がやって来た。伊賀上忍の一人、藤林長門守である。
「おう、三太夫、娘も元気か?」
「……」
「……みたいじゃないようだな」
「長門守、今は……」
「急報だ。織田信長が死んだ」
「……!」
「家臣の明智光秀に襲われて、本能寺で死んだらしい。この隙をついて伊賀領を取り戻すぞ」
「……」
百地は光の方を見た。その頬には雨粒よりも大きな涙が流れていた。
カチャー
カチャー
それを見た百地は、光の足枷を外した。
「お、おい、どういうつもりだ」
「信長が死んだ今、この者らを帰しても問題なかろう、……さっさと行け」
「……」
光は暗い目をしたまま、去ろうとした。そして、
「……堺」
「ん?」
「堺より、徳川家康殿が光秀様の手から逃れるため、ここを通って三河へ帰るでしょう。その警護をなさってください。徳川には伊賀上忍の服部様がお仕えになっているのでしょう? 連携してことに当たれば、伊賀は天下の忍びとして後世に伝わるでしょう……」
「……なぜ、貴様はそこまで見通している?」
「……さようなら」
光は消えるように去って行った。
「百地よ、俺もあの娘と戦った時に色々と不思議な思いをした。もしかしたらこの世の者ではないのかもしれぬな」
「……真、不思議な娘であった」
その後、百地ら伊賀者たちは、徳川家康の警護を行い、無事に三河へと帰還させた。後世に「神君伊賀越え」と言われるこの撤退劇は、服部半蔵及び伊賀忍びの名を世に知らしめたのであった。
近江国・安土―
光秀は信長の居城・安土を抑えた。そこから今後の戦略として、各地の豪族・大名で味方になり得そうな者たちに書状を送った。
「果たして、応じてくれるでしょうか」
秀満は、天下の国主となり一方で謀叛人となった明智家の行先に不安を感じていた。
「従うなら良し、日和見もまた良し、抗うもまた……良し」
「何故」
「いずれにしても乱世は今一度濃くなる。その中で各々が考え、動き、結論を出す。それらの行き着く先が、天下に静謐をもたらすのだ。これまで我らは天下の行く末を織田信長という男一人に委ねてきた。そのために避けられぬ運命を招いたのだ。これからは、一人一人が天下の明日を考えねばならぬ」
「つまり…… 天下の明日を考え、我らに協力しないという答えもまた、天下の静謐につながると」
「左様、いずれの者が選ばれるか、もはや天命に問うしかあるまい、が、ただ問うのではなく、考えることこそ肝要、無論、我も最大限の努力はするつもりだ」
「では、拙者は光秀様こそ国主たるべきと考え、動きましょうぞ」
「頼んだぞ」
「ははっ」
そうした会話の中、一つの報がもたらされる。
「申し上げます。羽柴軍が中国より帰還、既に京まで三日の距離に迫っております!」
『なにっ』
光秀たちは驚いた。あまりにも早い秀吉の帰還であった。
「……はっは、そうか、秀吉、お主も我と同じことを考えていたか」
「如何致しましょう」
「京を盗られるわけにはいかぬ、山崎の地で迎え撃つぞ」
光秀は京より南西にある山崎の地で迎え撃つことにした。ここは、摂津国との境にある地で、天王山と呼ばれる山と、桂川・宇治川・木津川といった複数の川が合流して淀川となる、水に豊富な土地柄である。京の最終防衛線であると同時に、水運集まる地として、天下の流れを決める格好の場所とも言える。
三日後―
光秀と秀吉はついに山崎の地で対峙した。
明智軍一万六千―
羽柴軍二万―
さらに秀吉には織田信考や丹羽長秀らの隊も加わり、四万に膨れ上がっていた。
(とはいえ、これは儂と光秀の戦じゃ、儂らのみで破ってみせる)
と、秀吉は実質二万の兵であたることを決めた。
川を挟んで、両軍は睨み合い、そのまま次の日になった。二人は、互いの手を知り尽くしているため、迂闊に動くことができなかった。
(光秀は鉄砲隊を率いては天下一じゃ、必ずどこかでこれを用いてくる)
対して光秀も、
(秀吉の兵の士気は高い。仇討という大義名分を得ているのもあるだろうが、奴の人たらしたる才が、それ以上に士気を高めておる)
と、警戒した。
日が傾きはじめた頃、そうした二人の思惑とは裏腹に、血気盛んな一隊が布陣のために動き始めた。
「あの隊をねらえ!」
と、斎藤利三の隊が呼応して攻撃を開始する。
ついに戦端の火蓋が切って落とされた。
先に仕掛けられた羽柴軍がやや不利となり、崩れかかる。これに対し、堀秀政が後詰をして、かろうじで踏みとどまっていた。
そのまま形成は明智軍優位にあった。秀吉は唇を噛んだ。
(やはり光秀は強い…… 相手の動きに合わせようなんてことは無謀じゃった。ならば、儂は儂のやり方で行くしかない!)
墨俣、金ヶ崎、姉川、小谷、鳥取、数々の戦場で秀吉が行ってきたのは、常に先頭に立つ、ということであった。
「皆の者、儂につづけ! 敵を恐れるな! 一気呵成に攻め込めぇい」
そう叫ぶと、秀吉は自ら明智軍目掛けて突撃を開始した。流れの止まった川は、秀吉という一人の男が作った道筋に沿って怒涛の如く流れ込んでいった。
明智軍陣営―
「申し上げます! 敵大将・羽柴秀吉本隊が自ら突撃を掛けてきたもよう! 敵の勢いがみるみる増していっております!」
「……やはり、人たらしは素晴らしい」
光秀は秀吉の才に感心した。この時、心のどこかでは、彼こそが己が理想とする自ら考え・動き・結論を出す、天下の諸人を人たらしめるよう導ける者ではないかと考え始めていた。
「されど、そう易くやられるわけにはいかない、鉄砲隊を潜ませよ」
「はっ」
光秀は得意の鉄砲戦術を仕掛けに出た。野田・福島、そして長篠で見せた鉄砲術の神髄が、ここに発揮されようとしていた。
羽柴軍陣営―
秀吉は自ら先頭で駆けつづけ、明智軍を押し込み、御牧兼顕といった諸将を討ち取っていた。そしてー
「あれこそ、光秀の本陣じゃ! 掛かれ! 掛かれー!」
光秀の本陣を見つけて、突撃を仕掛けた。途端、
パパパパパーン
パパパパパーン
パパパパパーン
野田・福島の時の三段撃ち、そして長篠の時の包囲一斉射撃、これを光秀は同時に行ってきた。
「ひゃぁっ! なんたる威力!」
秀吉の目の前の部隊が全員倒れた。秀吉本人は周りの盾部隊に隠れ、なんとか防いでいた。
(まずい、止まるのはええが、止められるのは…… 死ぬ!)
秀吉は金ヶ崎並の恐怖を感じていた。
(あの時は、光秀と一緒に乗り越えたんじゃったな…… その光秀が今度は敵か……)
間断なく撃ち込まれる鉄砲に秀吉たちは完全に足を止められた。しかし、
パラッ…… パラッ…… ザァーーーーーー
急に大雨が降り始めた。
「しめた! 雨が降れば鉄砲は使えん! 今じゃ突撃じゃ!」
天は秀吉に味方した。雨により鉄砲が使えなくなった明智軍は敢え無く敗退、光秀は退却を始めた。
明智軍陣営―
「……口惜しい」
光秀は退却しながら、敗戦を嘆いた。
「ここで雨が降るとは…… 私に天命はなかったということか……」
不意を突かれた勝負だったとはいえ、勝算は十分にあった。それでも、秀吉の人たらしの才と、天命の力は、一切合財を覆した。
「まだ再起も計れます。一度、安土まで引いて態勢を立て直しましょう」
秀満は、光秀を励まし、共に駆けていた。
「……そうだな……」
光秀は秀満の言葉に頷いたが、心の中では既に諦めの境地に達していた。天命のない自分に如何にして天下が治められようか、ならばこのまま身を引いて、信長より奪った魔を抱えて散った方が、天下のためなのではないかとさえ考えていた。
しばらく引いて、小栗栖の地で一休みした。雨は止んでいたが、辺りはすっかり暗くなり、賊や武者狩りがいつ襲ってくるかわからない状態だった。
羽柴軍も光秀を追撃していたが、そうした被害に遭わないように用心し、あまり深追いをしてこなかった。
ガサッー
「何奴っ」
密かに一人、皆から離れていた光秀の側の草陰から物音がした。光秀は、残党狩りかと思ったが、そこに現れたのは良く知った顔だった。
「……光か? お主、生きておったのか!」
紛れもない光であった。伊賀より脱出した光は京を目指して、ようやく辿り着いた。
「……光秀様……」
光は光秀の顔を見るなり、涙を流して話し始めた。
「申し訳ありません。伊賀者に捕らえられ、これまで閉じ込められておりました…… 光秀様が苦しい時に御傍におれず、なんとお詫びして良いのか……」
「そうだったのか…… いや、良いのだ。それよりも私を恨んでくれ、お主が愛していた信長様を殺めてしまったのだから……」
「……いいえ、こうなる運命はわかっておりました。能うなら、御二人に新しい道を示したくございましたが…… 結局なにも変えられませんでした」
「私の胸の内を知っていたというのか」
「……(コクリ)」
「何故」
「詳しいことは申せませぬ、ただ、私は貴方様の知らない世界より参った次第にございます」
「……そうか」
「光秀様、これから如何なされる御つもりですか、もし坂本へお逃げになるならば、道中警護致します」
「……いや、ここで果てようと思っている」
「……!」
「ここまで逃げながら考えていた。天下人は秀吉こそ相応しい、そのために私の首を差し出し、大義を与えるが天下のためであろうと」
「生きてください。名を変えて、密かに僧侶となることも、茶人となることも能うはずです」
「いや、信長様を討ち、その業を背負ってこそ私には生きる価値がある。それを捨て、おめおめと生きながらえては、なんと申し訳を立てれば良いのだ」
「……」
「光、頼みがある。秀吉に取り次いで、私の首を本能寺の前に晒して欲しい、信長様に詫びをせねばならぬ…… この光秀、救うなどと申して置きながら、かくも無残な姿に成り果てたと」
「……」
「介錯を頼む」
途端、光秀は衣服を脱ぎ、切腹をしようとした。光はいてもたってもいられなくなり、光秀に抱きついた。
「嫌でございます。私は……貴方様のことも……っ!」
「……」
光の気持ちが痛いほど伝わって来た。光秀はふと光の肩を抱き、口づけをした。
『……』
そのまま着物を剥がし、淡い二つの裸身は重なり闇に溶けて行った。
光には肌を通して光秀の気持ちが伝わって来た。その気持ちを無下にしないために、介錯をすることを承諾した。
「さらばだ光」
「……はい、さらばでございます。光秀様」
光秀は腹を割き、間断を入れず光は首を斬り落とした。白い裸身に赤き鮮血が飛び散り、涙と共に再び雨が降り始めた。
夜が明け、秀吉の下に光秀の首が届けられた。誰が運んできたのかわからず、羽柴軍の諸将は偽首じゃないかと疑った。しかし、
「……これは紛れもない光秀の首じゃ、本能寺の前に丁重に置け」
添えられていた書状を呼んで、秀吉は察した。そのほか明智軍の諸将の首も一緒に、本能寺の前に並べて仇討完了の宣言をした。
(信長様と光秀が創造せし天下、儂が受け継いでみせよう)
秀吉は二人を超えて、先へと歩む覚悟を改めて決めた。これより先、秀吉は柴田勝家や徳川家康と戦い、九州・関東・東北までも手中に収め、天下統一を果たすが、それはまた別のお話―
(信長様…… 私は…… 結局なにもすること能いませんでした……)
(ふっ、なにを申すか、貴様は俺のすべてを満たしてくれた。日ノ本、いや唐にも南蛮にも、どこを探してもおらん最高の男よ)
(……ありがたき幸せ)
戦国乱世、血で血を洗う激動の世を駆け抜けた英雄、織田信長・明智光秀・羽柴秀吉、彼らの創り上げた英雄伝は、四百年経った今も尚、語り継がれている。
ここまでお読みいただきありがとうございました。話を書くのはこれが初めてなので、色々とお目汚しもあったかと思いますが、もし一人でも楽しんでもらえた方がいれば幸いです。
話を通して私が一番言いたいことは、戦国時代ってロマンがあっておもしろいですよね! ということです。今作は、私なりの歴史観を通して戦国時代を書いていますが、やはり戦国時代を楽しむというのは、史実という箱の中にある謎を語り合うことにあると思うのです。例えば「光秀謀叛の原因はこれだ!」「いやいや、実はこう考えていて……」といった話で盛り上がると最高に戦国時代を楽しんでいると思うわけです。これを読んでいただいた方も、是非ご自身なりの歴史観を持って、色んなところで語り合い、戦国時代を楽しんでいただければと思います。
それではまたどこかで。




