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甲州征伐

秀吉が中国征伐をしている間、信長は伊賀国への侵攻作戦を行っていた。

 伊賀国は安土より南方にある国で、山々に囲まれた隠れ里のような土地であった。主だった大名はおらず、南近江の六角氏や伊勢の北畠氏が間接的支配を行っていたが、正規の統治者はおらず、各里の連合体による自治が行われていた。この各里の者たちを一般的に「伊賀者」と呼び、用兵をはじめ、諜報活動といったいわゆる「忍び」の仕事を専門的に行っていた。

 時は遡り、天正六年(一五七八)、伊勢の北畠に養子に入り、当主の座を掴んでいた織田信長の次男・信雄は、伊賀国を支配するため、滝川一益と共に城の修復建造などの侵攻策に取り掛かった。

 これを見た伊賀者たちは、十八番のゲリラ戦術を展開、不意を突かれた上に土地勘のない信雄軍は、敢えなく敗退、改めて軍を率いて侵攻するも、やはり敗れ、甚大な被害を出していた。

 信長がこのことを聞くと、

「伊賀への侵攻を命令していない上に、被害まで出されて迷惑だ」

と、信雄を叱責した。

 しかし、身内がやられた始末はつけたいと思い、天正九年(一五八一)、信長自ら伊賀侵略に乗り出した。

 総大将は建前上、信雄に任せた。しかし、具体的な侵攻策は信長が命令した。

 そんな中、信長の下に隠密の光がやって来た。

「上様、お久しゅうございます」

「おう、光か、光秀からなにか用か?」

「はい、光秀様より上様の伊賀侵攻の助勢をしてこいとの命を請けました」

「ほう、光秀がそのようなことを」

「はい、伊賀者はいわゆる忍びの術を心得ている者が多く、目には目をといったところでございます」

「わかった。伊賀攻めには貴様の力を存分に使わせてもらおう」

「ははっ」


 信長は、まず五万の兵を持って伊賀国へと入った。しかし、雑賀の時と同様、敵は普通の戦いをしてこない、徹底したゲリラ戦術と大将の命一つをねらってくるだろうと予測した。

「軍を進めると同時に敵の奇襲を警戒せねばならぬ、できるか?」

「はっ、仲間の忍びと共に先行して警戒にあたります」

 光はそう言うと、織田軍に先駆け、敵地へと乗り込んでいった。


(敵もまた忍び、用心せねば……)

 土地勘のない状況で、自分たちと同じ、あるいはそれ以上の技量を持つかもしれない伊賀者と戦うのは、とても危険なことであった。目立たないよう、十数人の仲間たちだけを引き連れて、織田軍が通る予定の道に、担当を分けて警戒にあたった。

 途端、

(あっー)

 伊賀者と思われる数人の人影を見つけた。

(……)

 光は敵に気づかれないよう、同じ道を担当していた仲間の麗を呼び、ほかの担当にあたっていた忍びを呼びに行かせた。

「ここは信雄様が通られる予定の道、やはり総大将の命をねらってきたか……」

 光は敵と一定の距離を置いて、木陰から監視していた。そこに、麗が戻ってきた。

「どうやらここだけではないようです。ほかの者を呼びにいったら、そこでも伊賀者が物陰に潜んでいるのを見つけておりました」

「ちっ、ゲリラ戦術か」

「しかし、人数を考えるとここが本命のようです。恐らくは、ほかで我が軍を混乱させて浮き足立ったところで、信雄様を襲う腹かと」

「……わかった。ほかの場所は織田軍の大将に伝えて警戒させ、ここを全力で抑え込もう。信雄様にも連絡を頼む」

「承知」

 麗は各地への伝令に走った。光は尚も目の前にいる伊賀者の監視をつづける。

しかし、

「何者だっ」

 伊賀者に見つかってしまった。

(しまった! ここは身を引いて……)

 振り返り、一旦離れようとしたが、既に周りを囲まれていた。

「貴様、織田の影か」

「……」

「俺たちの策がばれてはまずい、始末するぞ!」

 伊賀者たちが光に襲い掛かってくる。十人、いや、二十人はいると思われる。

 光は姿勢を低くして迎え撃った。先駆けの一人が、刀を低く薙ぎ払ってくると、身を高くして跳んだ、その勢いで敵を一刀両断すると、次に背後から二人目が襲ってきた。

 振り向きざまに刀を横に払うと、敵の一撃が繰り出される前に、首を掻ききった。

「おのれ、かなりの手練れか」

 伊賀者たちの警戒が強まった。しばらく互いに手を出さず、睨み合いがつづく、目の前だけに集中すれば良い伊賀者と違って、囲まれている光は前後左右に気を配らなければならなかった。

(……)

 途端、光は前だけに集中した。その気配を察したのか、背後から一人掛かってくる。次の瞬間、


ヒュッー


 光の前方から苦無が飛んできて、背後の伊賀者を倒した。

「お待たせ!」

 麗が仲間を引き連れてやって来た。本隊の警護にあたった者を除いて七名、光と併せて八人の織田忍者が伊賀者にあたった。

「仲間がいたか!」

 不意を突かれた伊賀者は数名が瞬く間に討ち取られ、数は互角になってきた。

 しかし、そこは伊賀者、態勢を立て直すと反撃を開始して乱戦となった。光は一際目つきの鋭い男と一騎打ちをした。

 しばらく刀を打ち合った後、男は苦無を四本、指の間に挟んでまとめて投げてきた。

「くっ」

 すべてを躱すこと能わず、一本の苦無が光の左腕に刺さった。

 隙を見た男は、光に正面から撃ちかかってきた。これに対し光は刺さった苦無を引き抜き、投げつけた。


キンッー


 男は苦無を弾き、足を止めた。一瞬目を離した隙をついて、光はもう一本別の刀を左手脇構えで構えていた。その長さがわからないため、距離を誤れば斬られる。それを警戒して男は近づかなかったのである。

「……二刀流か、相当な手練れだな、名は……」

「……忍びが相手に名乗る名があると思うか?」

「ふっ…… そうよの、ならば我が先に名乗ろう。我が名は藤林長門守、伊賀上忍の一つ、藤林家の頭領ぞ」

「……!」

「忍びであるなら聞いたことはあろう」

「……光、我が名は光と申す」

「ほう、どこの里の者だ。甲賀か? あるいはもっと別の……」


キンッー


 藤林が語るのを止めぬ間に、光は走り出して刀を振り払うと、そのまま鍔迫り合いの形になった。

「とと、せっかちな娘だ」

「ふん、その口をすぐにでも閉ざしてやる」

 光は右手の刀を併せて渾身の力を込めて押し込んだ。その勢いに押されて藤林はドッと倒れた。

「もらった!」

 光が馬乗りになって、藤林の首を掻こうとした。途端、

「ぶっ」

 藤林が密かに口に含んでいた劇薬を吹き出した。

「くっ」

 光は不意をつかれ、劇薬を吸ってしまい、体の自由が利かなくなってきた。

「青いの、最後に隙を見せるとは」

「……ごほっごほっ」

「とはいえ、思いのほか苦戦させられた。毒を含んだ以上、これでは俺も戦えぬ、一旦身を引くとしよう」

 そう言うと、藤林は山の奥に消えていった。

「光! 大丈夫!?」

 麗が駆けつけてきた。周りの者は仲間も伊賀者も含めすべて倒れていた。ほとんどが同士討ちだった。麗だけが生き残り、光を介抱した。しかし、


スッー


「……!」

 途端、二人の背後に男が現れた。

「何奴!」

 麗が小刀を構える。

「我が名は百地三太夫、伊賀者の頭領である」

「……!」

「小娘ら、よくぞ戦った。我らが伊賀の者をここまで追い込んだのはそなたらが初めてだ。その功績を称えて、我が里へ招いてやろう」

「ふざけるな! ……ぐっ」

 一瞬のうちに百地は麗に接近し、一撃で気絶させた。

(……麗……)

 既に息苦しく膝を突いていた光は、薄れ行く意識の中、なんとか抵抗しようとした。

「長門守に毒を吸わされたか、我が里にて介抱する故、大人しくするのだ」

「……」

 もはや力が残されていない光は、敢え無く百地に捕らわれた。


 しかし、伊賀者のゲリラ戦術を未然に防いだことで、織田軍は各地で進撃を見せ、一月のうちに伊賀国を制圧した。


「……光はどうした」

 信長は未だ帰ってこない光の身を案じていた。

「……おそらくは敵の手に落ちたかと」

 最近、信長の小姓として仕えていた森蘭丸が答えた。綺麗な顔立ちに引き締まった体格の美丈夫で、信長もいたく気に入っていた。

「探さねば」

 信長は光の捜索にあたった。

 しばらくすると一人の忍びが信長の下へやって来た。麗である。

「……光は、伊賀者の頭領、百地三太夫に捕らわれました……」

 百地の一撃を受けて気絶した麗は、目を覚ました後、百地が残した手紙を読み、報告に帰って来た。その手紙には、

『其の方の仲間は毒を取り込んだため我が里で介抱致す。但し、里の場所を知られぬために、二度と織田には帰さぬ故、信長公に伝えられよ』

「……くそっ、百地の居場所を突き止めるぞ!」

しかし、伊賀のすべてを掌握したはずなのに、一向に見つからなかった。百地や藤林といった伊賀の有力な家の里も見つけて、これらの頭領と思われる者を尋問したが、それでも見つからなかった。信長は怒りのままに彼らを処断したが、後に影武者であることがわかった。

「おのれっ」

 どこかに隠れ里があるのだろう。しかし、未だ、武田や上杉・毛利といった敵を抱えている状況で、これ以上忍び一人に人手を割くことができなかった。

「済まぬ……」

 信長は心の内で悲しみ、情を捨てた。


 伊賀を制圧して間もなく、東方で動きがあった。

 甲斐の武田勝頼が新たな城を建築しているという情報が入ったのである。

 この城は新府城と呼ばれ、軍事的な機能以上に、政治的な機能を持ち合わせた城であった。立地場所は、甲府より西にある韮崎という地で、塩川という富士川水系の大きな川が流れていた。

 水の流れは、作物を育て、人を呼び、銭を生む、信長が水運豊かな場所に拠点を置いたように、勝頼もまた水による富国政策を計ったものと思われる。

(勝頼め、信玄坊主を超えようとしておるわ)

 信玄時代の武田家は金山による銭の収入源が主であったが、勝頼は商いを主な銭の資源としようとしていた。武田家にとっては、非常に大きな政策転換だったと言える。そうした動きから、信長は勝頼を脅威に感じ、第一の敵を毛利から武田へと移した。

(だがまだ青い、改革は数多の敵を生ず、俺がそうであったようにな)

 信長は勝頼に若き頃の自分を重ねていた。尾張一国の頃はうつけと呼ばれ、義昭を擁して上洛した後は、度重なる包囲網に苦しめられた。中国攻めに際しては、新しい時代に付いていけずに裏切りが相次いだ。それを乗り越えて、今の自分がある。力をつけたことでやっとのこと保守派を潰すことができた。昨年には尾張からの家臣、佐久間信盛や林秀貞、美濃からの家臣、安藤守就を追放した。彼らに目立った罪があったわけではないが、信長にとって、

(奴らの考えは国の流れを澱ませる)

と、見えていた。

 結果、織田の力が完全に近いものとなった今、信長の裁量一つで家臣が裁かれるようになっていた。対して勝頼はまだその途上である。

(勝頼には勝たせぬ、俺がそうさせん)

 時を置けば、勝頼もまた同じことができるようになる。そうなる前に、自らの手で引導を渡すことを決意した。


翌年、天正十年(一五八二)二月―

 信長は勝頼の内部を崩しにかかり、調略に力を入れた。そして、ついに信濃の木曾義昌を寝返らせることに成功した。

 度重なる改革のための資金援助、勝頼と一部の者にしか見えない武田家の先行きに、義昌は不安と不満を感じ、織田に寝返ったのである。このことは、武田家中に衝撃を走らせた。なんといっても、義昌は先代・武田信玄の娘・真理姫の婿であった。つまり、勝頼の義弟にあたる存在である。

 一門の裏切りにより、武田家という堤に亀裂が生じた。その亀裂はやがて時という水流により決壊を招くことになる。

 信長は、嫡男・信忠を総大将にして信濃へ侵攻させた。さらに、同盟国・徳川家康には駿河・甲斐へ、上杉家の跡取り問題・御館の乱によって武田家と敵対関係になっていた北条家にも援軍を要請し、三方から武田を締め上げる作戦に出た。

 まず、先鋒の木曾義昌と森長可らが信濃国へ侵入、これに対し武田軍は抵抗するも虚しく敗走、わずか二週間と掛からぬ内に南信濃の大半を織田が制圧した。同じころ、岐阜城から信忠率いる織田軍が出発、既に高遠城まで引いていた武田軍を追撃しするため、進撃した。

 一方、駿河より攻め入っていた徳川家康は、難なく武田軍を撃破、さらに武田家臣・穴山信君を調略することに成功した。この信君は、母が信玄の姉で、妻が信玄の娘という武田家一門の一人であった。そんな信君も勝頼の革命には付いていけず、武田家の未来はないとして、その血筋を絶やさぬようにと家康につくことを決めたのである。まさに四面楚歌、勝頼は絶望の淵に立たされていた。

 諏訪で織田を迎え撃とうとしていた勝頼は、武田軍が簡単に敗北してきたことを知り、新府城へと撤退し、態勢を立て直そうとした。しかし、これもまた、

「敵前逃亡なされた」

と、家臣たちの目には映ってしまった。

 月が変わり三月のはじめ、信濃国最後の壁、高遠城を守る仁科盛信は奮戦、盛信は勝頼の弟で、武田一門で唯一、勝頼のために奮闘したと言っても良い。

 しかし、その盛信も敢え無く敗死、高遠城は信忠の手に落ちた。駿河からの家康の侵攻もあり、甲斐を守り切れる状況でなくなった勝頼は、新府城を捨て、真田昌幸の岩櫃城へ逃れるか、小山田信茂の岩殿城へ逃れるかの決断に迫られた。

 真田昌幸とは、武田信玄に仕えていた真田幸隆の三男で、長篠の戦いの折に昌幸の兄・信綱と昌輝の二人が討死したため、真田家の家督を継いでいた。権謀術数に長け、新府城建設などの革新的政策も、勝頼と昌幸が二人で描いた構想であった。

 一方、小山田信茂は、武田信玄の従弟で、川中島や三方ヶ原などでは信玄の走狗として、もっこと呼ばれる投石隊を用いて活躍していた。

「……岩櫃城は遠い、ここは岩殿城へ逃れん」

 勝頼は甲府より少し東方にある岩殿城へ目指すことに決めた。未完の城・新府城を焼き払い、勝頼の革命は灰塵に帰した。

(何度でも…… 何度でもやり直せば良い……)

 しかし、これも天命というものなのだろうか、この男の決断は悉く裏目に出てしまう。

 岩殿城主・小山田信茂は勝頼を見限り、謀叛した。勝頼が近づくと入城を拒否し投石を浴びせたのである。

(……おのれ! 一門の悉くが我を裏切るかっ)

 勝頼は血を吐きそうになるほどの怒りに震えた。同時に絶望した勝頼は自害し果てることを決め、天目山を目指すことにした。この地は、まだ室町幕府が力を握っていた頃、甲斐武田氏の先祖、武田信満が幕府に追われて、自害した土地である。ここで一度甲斐武田氏は滅ぶが、後に再興されて今に至る。つまり、この地で武田は二度滅ぶことになる。

(父よ…… 申し訳ありませぬ、私では武田を時代の川に乗せること、能いませんでした……)

 勝頼は亡き父・信玄に詫びる気持ちで泣いた。

(良いのだ四郎、国主たるもの、孤独に閉ざされようと、創造せねばならぬ、武田は滅ぶが、うぬの示した道は、必ずや後世の光となろう)

 そんな父の言葉が聞こえてくるような気がした。


 武田はなぜ滅んだのか、

 勝頼が信玄ほどの器ではなかったから?

 長篠での敗北が衰退を招いたから?


そうした理由も考えられるが、むしろ、原因は武田家という独立連合の体制が滅びを招いたのではなかろうか。

勝頼は信長と同じ革命者であったと言える。彼の採った政策は信長と同じ中央集権化を計るものであった。それまでの独立連合たる武田家を一つの権威にてまとめあげる革命を行おうとしていた。

 しかし…… 繁栄した信長と滅亡した勝頼との決定的な違いは、その出発点にあると思われる。

信長は尾張一国すら治めていないうちに家督を継ぎ、弟・信行の反乱などを越えて、家中を安定させた後に領土拡大に打って出た。その後、大きくなるにつれて人手が必要となり、身分問わずに人を雇うことで、秀吉や光秀といった革新への同調者を呼び込むことができたのである。

対して勝頼は、既に父・信玄が領土を広げたところを受け継ぎ、そこから体制を変えようとした。そのため、既に過去の権威に寄り添ってきた武田家中の人材そのままに革命せざるを得なくなり、結果として、勝頼の革新に同調したのは真田昌幸だけであり、逆に反する者たちは先のとおり、一門までもが寝返った結果となった。

 つまるところ、勝頼が信玄ほどの器がなかったというより、信玄とは異なる形の器であったと言える。また、長篠の戦いの敗北は、直接的な滅びにはならないにしても、旧臣たちの過去の権威に対する妄想が膨らむきっかけになったと言えよう。

 武田勝頼、享年三十七―

 数奇な運命より武田の家督を継ぎ、信玄の老獪さと若さから得た革命者たる資質を併せ持つ天才は、孤独という牢獄に閉ざされ、光を得ること能わず、この世を去った。


(……まさか武田がこうも脆かったとは……)

 総大将・織田信忠は、歴史の変化がもたらす残酷さを目の当たりにして呆然としていた。

(……俺も気を引き締めねば、勝頼と同じ轍を踏むことになる……)

 既に信長より家督を受け継いでいる身といえど、未だ織田家中は信長の威光の下にまとまっていた。いずれ、正当な国主となった時、自分は孤独を乗り越えられるのか、信忠は凄絶な覚悟と対面しなければならなかった。

「……武田の残党を匿いし恵林寺を焼け、徹底的に潰すのだ」

 信長の模倣、と言うわけではないが、そうした狂気を帯びなければ覚悟もできない重圧があったと思える。


美濃国・岩村城―

 織田信長は、明智光秀と共に甲州征伐の後詰として美濃国東端の岩村城にいた。

「彼の高遠城が、わずか一日で落ちたそうだな…… 武田家がかくも脆き砂の城であったとは、驚かされるばかりだ」

 信長と光秀は武田滅亡の報を聞いて、一つの歴史の終幕に様々な思いが過ぎっていた。

「そうでございますな、戦は時として仕掛けた側よりも仕掛けられた側が多大な不利に落とされるもの、他国に攻め入ってばかりの武田にとって、攻められるというのは経験のない戦いであったのでしょう」

「……ふん、俺も多くの守る戦に耐えてきた。武田家臣が古きに溺れる怠惰故に滅びたのだな」

「左様でございますな、しかし、中将様の奮闘も素晴らしいものかと」

「そうよの、信忠の働き見事である。……もう日ノ本はあ奴に任せても良いな」

 信長のその言葉に光秀は顔を曇らせ、

「……それは……、日ノ本を出られるおつもりで……?」

と、疑問を投げかけた。

「ふっ、隠居して孫を愛でる好々爺の道ではなくてか?」

「……いえ、そうお考えであれば良いのですが……」

「……俺は絶対的な存在にならねばならぬ」

「……!」

 信長の言葉に光秀は動揺を隠せなかった。

「俺は、武威を持って日ノ本を統べようとしている。もし一旦矛を納めたら、武田が如き砂の城と化そう」

「……」

「俺は勝頼に先んじて日ノ本に新しきを創造した。が、今度は勝頼が先にその脆さを示したのだ」

「……」

「国主とは、孤独に閉ざされても創造せねばならぬ、一度手を緩めれば最後、武田のようになろう」

「……そうでございますな」

「どうした? 腑抜けの様な面をしおって」

「……いえ、申し訳ありませぬ」

「……光の件は済まなかった」

 信長は光秀が光を失ったことを落ち込んでいると思った。それもあったが、光秀は信長が遠くへ行くような気がして仕方がなかった。

「仕方がないことです。彼女も己が任を全うできて本望でしょう」

「……で、あるか」

 二人は空を見上げた。暗くなった空には、三つの星が輝いていた。


 武田が滅び、織田の天下事業がさらに前進したこの時、安土をはじめ織田家中では一つの噂が立った。

「上様は日ノ本を統べた後、唐入りされるらしい」

というものである。

 この噂は、ただの根も葉もない噂というわけではなかった。信長は公言こそしていなかったものの、既に日ノ本の外に向けた政策に乗り出そうとしていた。

(日ノ本に敵を失わば、外へ出てでも戦わねばならぬ)

 創造主たる信長は、歩みを止めることを良しとしなかった。立ち止まること即ち、

(俺の死だ)

と、思っていたからである。

 実際問題、信長は武威によって天下の諸将を従わせてきた。そこから内向的政策への転換というのは非常に難しかった。武田然り、ある程度国が拡大すると、それまでの方針を転換させることは、内部分裂を招き兼ねず、たとえ主である信長であっても、統制能わぬことであった。

 さらに別の問題として、将たちへの禄は、主に土地の授与によって宛がわれていた。生産性のある領地、すなわち石高による永続的な銭の生産が、各将の収入源であり、生活費でもあった。

 信長は、限りある土地を切り分けて家臣たちに与えていた一方で、茶器などの名物の価値を高騰させることで、禄の代わりを果たすことを試みていた。しかし、これらの政策は一時しのぎでしかなく、やはり永続的な銭の生産ができる地を得るための領土拡大政策が求められていた。

 とはいえ、もう天下に手が届こうとしている。そうすると、土地をこれ以上手に入れること能わず、自然の流れで、

「日ノ本の外を抑えねばならぬ」

という結論に至った。

川の流れが止まれば、水は澱み、草木を枯らす。国も人も同じで、一度流れを止めれば、澱み、腐り、滅んでいく、天下人として君臨しつづけるための武威を示し、そして、家臣の奉公への報償の安堵と、国の銭の流れを止めないこと、これらを求められた信長には、唐入りはもはや止めようもない運命であった。

無論、唐入りと一言に言っても決して楽なものではない。唐は日ノ本内部より遥かに強大で、たとえ勝てる見込みがあったとしても、信長がそれまで生きているかもわからなかった。つまるところ、信長は死ぬまで永劫戦いつづけねばならない無間の闇の中に足を踏み入れていたと言えよう。

 そうした情勢の中で、ある二人の男は、信長の抱える絶望を思い、悩み苦しんでいた。明智光秀と羽柴秀吉である。

 信長の両腕とも言える二人は、主君・信長の苦しみをなんとかしたいと、奇しくも互いに話し合うことなく思い始めていた。そして、この天正十年(一五八二)二人の男たちはある一つの答えを打ち出すことになる。


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