中国攻め
天正六年(一五七八)三月―
軍神・上杉謙信が天へ昇った。手取川での勝利以降、一度軍を立て直して上洛の備えをしていた謙信は、急に倒れ、そのまま世を去った。享年四九―
長年の酒の飲み過ぎが祟ったとも、癌に犯されていたとも言われていた。
兎にも角にも謙信が上洛を前に死んだことから、信長の強運を囁く者も多かった。かつて、武田信玄が岐阜まで迫って逝ったように、天に愛されていたと言うほかない、運命の巡り合わせであった。
(謙信…… 貴様も逝ったか、また一人強敵(友)を失ったな)
信長は喜びよりも悲しみを覚えた。自分を苦しめてきた相手とはいえ、才を認め合い、互いを知る者同士という見方の方が強かった。父・信秀が死んだあの時から、信長は独りで戦いつづけてきた。その中で孤独を感じることはなかったが、義元然り、信玄然り、そして今、謙信という敵を失った。孤独というのは、自分を知る人を失う瞬間に感じるものなのかもしれない。
謙信を失った信長包囲網は瓦解、上杉家は養子の景勝と景虎に分かれて家督争い、世に言う御館の乱が勃発していた。武田や北条もまた、その跡目争いの後ろ盾となり、東国三国の矛先は、信長の方から逸れていった。
となると、目下の敵は西国、石山本願寺と中国の雄・毛利が標的となった。
ここで信長は多方面作戦を展開、北陸は柴田勝家、東国は織田信忠と滝川一益、石山本願寺は佐久間信盛、丹波などの近畿地方は明智光秀に一任した。そして、中国の毛利にあたるはこの男、羽柴秀吉である。
(てぇへんな役を任されたな……)
秀吉はかかる重荷に頭を悩ませていた。
先の通り、現在の織田最大の敵は毛利である。即ち、もっとも重要な方面を任されたことになる。これまで数多くの苦難を乗り越えてきたこの男も、この時ばかりは不安に押し潰されそうになった。
そんな秀吉の下を一人の男が訪ねてきた。
「秀吉殿、お久しゅうござる」
「おぉ、官兵衛殿か」
小寺官兵衛孝高、後に黒田官兵衛として半兵衛と共に二兵衛と呼ばれることで有名なこの男は、元々は姫路城主・黒田職隆の嫡男に生まれ、父・職隆が黒田家の主家・小寺の姓を賜っていたため、小寺官兵衛と名乗っていた。
また、黒田氏は祖父の代が近江生まれの商人とも言われており、行商で訪れた姫路に恋い焦がれ、移住したという。そのため、播州においては、近江人扱いされ、外様という立場であった。
「以前は信長様に取り次いでいただき、ありがとうございます」
官兵衛は信長の武威に尊敬の念を抱いており、信長が長篠の戦いで勝利した時に、主の小寺政職に信長への臣従を進言、周囲の赤松・別所といった大名も引き連れて信長に謁見した。その間を取り持ったのが秀吉である。
「なぁに、どうということはないさ、お主の智勇は儂も聞いておった。そんな心強い味方ができて、儂も嬉しい」
織田家五本の指に入る地位まで上り詰めた秀吉は、下克上の世の本質に突き動かされ、独自に播磨攻略の戦略を練っていた。その際に、姫路に小寺官兵衛その人ありと言う話を聞いて、播磨攻略の際は、真っ先に官兵衛を調略する腹積もりであった。
「しかしええんか? 同じ播磨の仲間を裏切ることになるじゃろ」
「……そのようなことは些末でございます。むしろ仲間を思えばこそ、我は毛利より織田を選ぶべきと判断したまで」
播磨国は、京と中国に挟まれた位置にあり、大国の一枚岩ではなかったため、必然的に織田か毛利かという選択に迫られていた。多くの者は親毛利派であったが、官兵衛は一貫して親織田派を貫いていた。元々近江人という外様扱いをされていた官兵衛は、孤立をさらに深めていた。
こうした世情もあり、形の上では織田に臣従の意を示していた播磨の大名たちであったが、内心では日和見の態度を取っていた。
「はぁ…… そういうのは些末じゃねぇ、人の和を保てないというのはなにに代えても避けねばならぬ」
「些末、で、ございます。播磨の人間が一度切れたら叡山・長島と同じ…… いや、それ以上の悲劇を繰り返すでしょう」
「……」
「我が望みは播磨一国を越えたその先にあります。天下のため、播磨の者どもには心折れていただかねばなりません」
「おみゃぁ……」
「それでは前線に戻ります故、失敬」
そう言うと官兵衛は去って行った。決して大柄な男ではないが、その野望は、
(信長様以上かもしれぬ……)
と、感じさせるほどだった。
「おや、官兵衛殿はもう行かれたのですか」
入れ替わるように半兵衛がやって来た。美濃で秀吉と出会って、共に各地で戦ってきたこの男の才は、今や天下の誰もが知るところとなっていた。
「なぁ…… 官兵衛は信用能うか?」
「ふむ」
どうにも自分と考えが合わないためか、秀吉は官兵衛を信用しきれなかった。
「信というのは、互いの行いにより成り立つものでございます。秀吉様がそう思っているということは、即ち相手からも信頼されていないでしょう」
「うっ……」
「人たらしが人たらしでなくなったら、ただのおサルさんですね」
「おみゃぁ、そりゃ言い過ぎじゃぁ……」
秀吉はおいおい泣いた。
(ふふふ、私はまぁ、才能で人を見てしまうのでね)
出会ったその時から、半兵衛は官兵衛の中に、自分と通ずるものを見ていた。
秀吉の播磨攻略は順調に進んでいた。しかし、
「三木の別所長治、ご謀叛!」
突如として、別所家が信長に叛旗を翻したのである。
これに呼応する形で、中国の毛利、そして宇喜多、さらには再び反旗を翻した雑賀が海より軍を率いて、羽柴軍を急襲しようとした。
「しくじった。播磨を目覚めさせてしまった」
官兵衛は己の非力を恥じていた。想定できる事態ではあった。しかし、どこかで甘さがあったのかもしれない。自らが先頭に立つことで、周りが自然と付いてくるものだと思っていた。しかし、人というのは、どこかに不合理な精神を抱えた不完全な生き物である。同じことをしていても、時と状況と相手と気分で答えが変わる。
官兵衛はわずか千の兵で押し寄せる宇喜多軍を追い払った。後に「今張良」と称えられるその才は、既にこの頃から発揮されていた。
別所の裏切りにより、播磨の東に位置する三木が敵に回ったことで、戦線を一気に後退せざるを得なくなり、秀吉の播磨攻略は振り出しに戻された。さらに、播磨最西端に位置し、毛利との最前線基地になる上月城が戦略的価値を失い、毛利側に攻められたのに対し、秀吉は手を出しづらい状況になった。
「織田の援軍は来ないのか」
上月城主・尼子勝久は唇を噛んだ。既に織田の目は、三木城へと向けられ、上月城はいわゆる捨て駒へと格下げされていた。尼子家臣・山中幸盛は、
「もはや尼子再興の夢もこれまで、できることなら我に七難八苦を与えんと三日月に願ってきましたが、その苦難超えること能わず」
と、嘆いた。
数日後、上月城は陥落、信長の命によって秀吉は後詰を完全に諦め、勝久と幸盛主従は世を去った。
(済まぬ…… 儂にもっと力があれば……)
秀吉は京へと帰りながら、涙を流して悲しんだ。
同年十月―
態勢を立て直した織田軍は、改めて対毛利の戦略を練り始める。
がー
「申し上げます! 荒木村重殿…… ご謀叛!」
「なにっ」
状況は振り出しどころか、より悪化していく一方だった。
三木城より少し東にある摂津国・有岡城の荒木村重が謀叛、これにより播磨どころか、石山・有岡・三木の防衛線による強固な布陣が出来上がってしまい、畿内の支配権すら危うくなった。
状況が悪化したのは織田軍全体だけではない。荒木村重の叛旗に呼応して、小寺政職も謀叛、自然的に家臣の官兵衛にまで謀叛の嫌疑がかけられた。
「すべては荒木が元凶、某が説得にいって参ります」
官兵衛は荒木村重が謀叛の矛を納めれば、小寺もまた反旗を翻すのを止めると踏んだ。
摂津国・有岡城―
村重に会えた官兵衛は、必死に説得を試みた。
「此度の別心、教養溢れる荒木様にはあるまじき短慮な振る舞い、どうか心改めていただきたい」
「ならぬ」
「……では端的に申しましょう」
「……」
「なにが不満でのことにございますか」
「……」
「信長様の苛烈な天下統一事業に恐れをなしたか?」
「然に非ず」
「では、領地没収を恐れたか?」
「然に非ず」
「……では、毛利に更なる加増を約束されたと?」
「そうよのう、そういう話も毛利の恵瓊から授かっておる」
「ならば信長様にさらなる加増を斡旋しますれば……」
「さりとてそれだけでは叛旗を翻さぬ」
「ならば何故っ」
「天下平定じゃよ」
「なにっー」
「天下平定のため、我は毛利を選んだまでのこと」
「ふざけるなっ、天下平定は織田信長にしかできんっ、悪戯に抗って天下平定を伸ばしたのは貴様の方ではないか!」
「無理じゃ、信長では天下は取れん」
「何故そう言い切れる」
「簡単なことよ、信長の世は下克上の世だ。それでは世から戦がなくなることはない」
「戦乱の世の本質は下克上だ。それを否定するなど」
「ふっ、若いな。たしかに戦乱の世は下克上だ。だからこそ下克上では終えられないのだよ」
「……!」
「特に織田のような中央集権ではな、主である信長は常にその頂点に立ち続けるため戦い続けねばなるまい、一度立ち止まれば、下の者に抜かれるが故」
「……」
「ところが毛利はどうだ。あれも下克上で中国の王となったが、その実は合議制、つまり各々が考え、動き、国の明日を創っている。既に亡き元就は、その合議を手中に収めることで中国一の英雄となった。織田の破壊的政策ではなく、創造的な国家なのだよ毛利は」
「……」
「百万一心とは良く言ったものだ。恵瓊からそれを聞いた時は目から鱗が落ちたよ」
「ふざけるなっ、毛利のやり方は中国の一地方を治めるのが限界だ。信長様のような一人の英雄が頂点に立ってこそ、天下は形を成すのだ」
「ふざけているのはお前だ官兵衛殿、たしかに信長自身が見事下克上の頂点に立ち続けたとしよう。それで、信長は永遠に生きているのか?」
「くっ……」
「奴も所詮人の子よ。それは人間五十年と口にしている奴自身が良く知っていることだ」
「……」
「奴が知っていれば、ほかの者も知っていような、明智・羽柴・柴田…… その危機を抱いているのは我だけではないかもしれぬぞ」
「……ちっ」
「官兵衛殿、お覚悟めされよ。貴殿のような智者ならいずれ理解するはず、考えが変わるまで、牢に入れておく」
そう言って、村重は官兵衛を牢に入れた。これより長きに渡る官兵衛の幽閉生活が始まった。
羽柴軍陣営―
荒木村重の説得に行った官兵衛が帰ってこない。秀吉たち諸将は自然に、
(官兵衛も叛いたか)
と、疑った。
このことを信長に伝えると、
「ならば、人質を殺せ」
と、信長の下で預かっていた官兵衛の息子・松寿丸の処断を命じた。
「……ふぅ、これも世の習いじゃ、やらねばならんな」
秀吉は蜂須賀正勝と竹中半兵衛を帷幄に呼んで、事態への対処を相談していた。
「だな、 ……ったく官兵衛の奴め、息子を放って寝返るなど、許せん奴だ」
正勝もまた官兵衛の裏切りを決めていた一人だった。というより、そう思っていない人は誰一人いなかった。この男を除いては、
「……秀吉様、松寿丸の処断、私にやらせてはいただけないでしょうか」
半兵衛はある思いを胸に秘めていた。彼自身は官兵衛に対して、不思議な信頼を感じていた。そのため、密かに松寿丸を匿おうと画策した。
「……半兵衛、お前……」
秀吉は半兵衛の胸の内を理解した。数々の苦楽を共にしてきた友の気持ちは、多くを交わさずとも通じ合った。正勝も同様である。
「半兵衛殿、自らの手を汚されるおつもりか」
「左様、官兵衛殿の不始末は、私自らけじめをつけさせたいのです」
「なぜそこまで……」
「今は多くを話すつもりはございません。が、いずれ知ることとなりましょう」
半兵衛の目は透き通っていた。まるで、何年も先の展開を見抜いているかのように、その目を見て秀吉は、
「そうか、ならばおみゃぁを信じる」
と、言った。
「ありがたき」
秀吉は、表向きでは半兵衛に松寿丸の処断を命じた。これにより、官兵衛の息子は表舞台から姿を消した。
摂津国―
織田信長は、四月の内に右近衛大将と右大臣の地位を返上した。秩序に身を置きつつも、あくまで、朝廷の言いなりにはならないという、彼の気持ちの現れであったと思われる。
一方、石山本願寺との戦線は、荒木村重の謀叛もあり、再び毛利との連携が強固となったため、厳しくなっていた。かつて木津川口の地で毛利水軍に敗れ、石山に兵糧が届けられた時のように、織田軍にとって煮え湯を飲まされた状況が再現されていた。
(毛利の水軍を封じねば)
信長は、毛利が擁する村上水軍に敗れた時から、その対策を練り始めていた。そして行き着いた答えが、
(沈まぬ船を作れば良い)
であった。
そこで信長は、織田軍の水軍を担当していた九鬼嘉隆を呼び寄せ、沈まぬ船、即ち防御機能を充実させた船の建造に取り掛かった。
海戦は、陸戦以上に飛び道具が重要視されていたため、敵の弓矢・鉄砲に備えて、盾を配備した。さらに、村上水軍の炮烙火矢に対抗するため、鉄も少々あしらえた。そして、この船の最大の特徴は「攻撃は最大の防御」と言わんばかりの強力な飛び道具「大筒」である。
大筒とは鉄砲よりも遥かに大きい火器で、ポルトガルより伝わった兵器である。日本で最初に使われたのは、今より二年前の天正四年(一五七六)九州の大友宗麟が「国崩し」と名付けて使っていた。鉄砲より大きいため持ち運ぶには不得手であったが、船に設置することで、機動性を確保した。
信長もまた、この大筒を活用することにした。大筒自体が大きく重いため、船の構造は自然と安宅船と呼ばれる大型の船に近いものになった。しかし、その規模は安宅船よりもさらに大きく、いつしか人は「鉄甲船」と呼ぶようになっていた。
今より少し前の六月には、鉄甲船が六隻ほど完成した。早速、毛利と石山の連携を断つべく、石山近くの湾へと侵攻、途中、雑賀の小舟が急襲するも、これを難なく撃ち破り、鉄甲船の試運転に申し分ない戦果を挙げた。
そして十一月、毛利水軍が木津川口へ再びやって来た。
九鬼嘉隆は鉄甲船を指揮して、毛利水軍を引きつけた後に、大筒で撃ちこんだ。命中精度が良かったわけではないが、あまりの轟音と、もし当たった時の被害を恐れて、毛利軍は近づくこと能わなかった。これにより、石山への攻囲を毛利に邪魔されることがなくなり、本願寺との紛争は、終焉へと近づいていった。
翌年―
石山の攻囲を強固なものにした信長は、次の一手として、荒木村重を誅しに動き始めた。村重のいる有岡城を攻めつつ、茨木城などの周辺の城を落としに掛かった。また、明智光秀には八上城の波多野秀治へと、羽柴秀吉には三木城の別所へと、進軍させた。これにより、最初は相次ぐ謀叛により孤立させられた織田軍が、逆に裏切り者たちを孤立させる形になった。
明智軍陣営―
丹波国の攻略を命じられた光秀は、波多野家の本城・八上城の攻略へと取り掛かった。
波多野当主・秀治は、信長が義昭を擁して上洛した時に、臣従の意を示していた大名の一人であったが、同じ丹波の豪族・赤井直正が信長と対立したことでこれに同調して反旗を翻し、光秀率いる織田軍を急襲して撃ち破っていた。
完璧で知られる光秀の珍しい「油断」が生んだ敗戦だった。
(あの時の礼はきっちりしなくてはな)
光秀は滾る復讐心に燃えていた。
前回は、力攻めによる戦いから敗戦を呼んだため、今度は調略による締め上げ戦術へと方針を決めた。
しかし、一度織田軍を破った経歴を持つ、丹波の豪族たちは中々恭順の意を示さなかった。
「敵は直正を中心にまとまっているな、どうすれば良いか」
光秀は帷幄の中で重臣の明智秀満と斎藤利三、そして隠密の光と共に軍議を開いていた。
「敵は一度の勝利に酔って、今度も勝てると意気込んでいる様子、調略は難しいものと思われます」
と、秀満が言った。彼は光秀の娘婿で、父は光秀の叔父の光安であった。かつて美濃の斎藤親子の紛争によって光安が殉死した時に、秀満は光秀と共に落ち延びていた。
「うむ、ただの一度の油断がこのような事態を招くとは、不甲斐なし」
光秀は唇を噛んだ。
「致し方ありませぬ、波多野めが裏切らなければ我らの勝利は間違いなかったのですから」
と、利三が言った。彼もまた明智一族に連なる者で、光秀の甥にあたる。明智家臣団は明智の血筋による支配が強かったと言える。
「いや、あれは私の失策だ。波多野の裏切りは、十分に考慮しなくてはいけなかった」
「しかし……」
「良い、失敗は認めなければならないものだ。大事なのは言い訳を並べるより、成功を持ってこれを返上することである」
光秀は己が失敗を恥じながらも、それを補って余りある大功を挙げることに執念を燃やしていた。ここで言う大功は、即ち丹波の平定である。
「さて、力攻めも調略もだめとあれば次は……」
「謀略がよろしいかと」
途端、光が口を開いた。
「……できるか」
「はい」
光は短く答えた。冷たく光る目が、虚空を睨んでいる。
「かつて、美濃の斎藤義龍を攻める時に、信長様は私に義龍暗殺の命を授けました。行き詰った時こそ、禁じ手を使うべきかと」
「うむ、実は私もそれを考えていた」
「左様でございましたか」
「直正を亡き者にすれば丹波の和は崩れる。さすれば調略も能うであろう」
「真、その通りでございます。では、早速行って参ります」
そう言うと、光は素早く、そして静かに帷幄の外へと出て行った。
「豪族どもへの調略を高圧的な態度へ変えろ。さすれば、はじめは反発しても直正が死んだ時に、一気に血の気が引くだろう」
『はっ』
権謀術数に長けた光秀の本領が今、発揮される。
数日後、黒井城―
直正は明智軍に備えて戦支度を整えていた。
(ふっ、この直正、如何な敵が来ようとも追い払ってくれよう)
丹波の赤鬼と呼ばれるほどの勇猛さを持つ直正は、その一騎当千の武勇によるカリスマ性で丹波をまとめ上げていた。丹波大名・波多野秀治も、直正を頼りっきりにしていた。
「直正様、なにやら怪しげな女子が城を訪ねにきてございます」
途端、兵士から報がもたらされた。
「怪しげな女子……? どれ、会うてみよう」
直正は興味本位で会うことにした。
案内された直正の目の前に、泥だらけの女が一人、座っていた。
「貴女が怪しいという女か、一体なにをしにここへ来た」
直正は女の前にドカッと座り、話しかけた。
「……実は私、京より帰ってきたところなのですが、道中、織田軍に襲われまして、このような惨めな姿に……」
「なんと、そうであったか、それは大変な目に遭ったな、ささ、我が部屋に来い、湯浴みに食事を用意しよう」
「ありがとうございます」
直正は、女を居室に連れていった。湯を沸かし、山菜料理を振る舞った。
(……)
女は寡黙に飯を食べていた。
「大人しい女子じゃのう、女はもっと快活でなくてはならぬぞ」
「……はい」
「それが大人しいと言うておる。もっと明るうせい」
「……はい」
「困ったものじゃのう、まぁ、織田に蹂躙されそうになったんじゃ、仕方あるまい」
直正はそう言うと、横になって昼寝を始めた。
「……」
女の目が怪しく光る。
女は直正に近づき、そっと手を伸ばした。途端、
ハシッ
直正はその手を鷲掴みにした。
「……おぬし、野盗の者だな? 俺の懐の銭を盗もうとしても無駄だ」
「……」
「まぁ良い、この丹波も隅々まで豊かというわけではない。おぬしのような野盗がおっても致し方あるまい」
「……ちっ」
「命を取りはせぬ、とっとと去ね」
直正は、そう言って女を門まで連れて行き、一晩分の銭だけ持たせて帰した。
直正が部屋に戻ると、そこには見知らぬ者が立っていた。
「……ふっ、貴様、さっきまで上で見張っていた奴か」
「やはり気づいていたか、あの女の正体を見破ったのも見事だった」
直正と話しているのは、光であった。先ほどまで部屋の天井裏で中の様子を見ていたのである。
「織田の刺客だな? 俺と正面から戦っては勝てないと思って、謀略に切り替えたか」
「左様、さすがは丹波の赤鬼」
「では、なぜさっきねらわなかった?」
「あの女をどうするか気になってな、悪右衛門と言うわりには優しいではないか」
「へっ、あれは古代の英雄・悪来に倣って俺が勝手に名乗っただけよ、この自慢の剛力は伊達じゃねぇってことだ」
「……なるほどな、しかし、ここまで真っ直ぐな男とは」
「さぁ、どうした、俺を殺りに来たのだろう? 掛かってこいや」
「誰も呼ばなくて良いのか?」
「へっ、女一人相手に助けを呼んじゃ赤鬼の名が廃る。それに貴様は不意を突くでなく、こうして目の前に立っている。ここは正々堂々と勝負じゃ」
「真っ直ぐ過ぎるな、それが命取りになるぞ」
「貴様こそ、後で俺に負けて蹂躙されたとしても文句は言うなよ?」
「それは無理な話だ。私が勝つからな……散れっ」
光は苦無を投げた。直正は素早い身のこなしで躱して光に近づく、
「もらった!」
直正が光を剛力で捻じ伏せようと掴みかかった。途端、
「ぐわっ」
直正が唸り声を上げて倒れた。
「いっちょ上がりっと」
そこには、光の忍び仲間の麗が立っていた。二人で潜入していて、光だけが先に降り、麗は天井裏で今まで待機していたのである。
「済まぬな直正殿、謀略とは二重にも三重にも仕掛けを用意しておくものだ」
光は瀕死の直正に止めを刺した。
「お主は真のもののふであった。が、忍びの戦いはその外にある。光秀様を負かしたあの時から、ここまでの道は決まっていたのだ」
光秀が敗戦を喫した時から直正身辺の調査をしていた。そのため、直正の性格や能力を十分に理解しており、気配に敏感な直正の不意を突こうとしても適わぬと思った光は、自らの気を囮に、仲間を忍ばせるという術を用いた。
直正が死んだ。死因は首の膿が悪化したための病死とされた。暗殺されたという事実が知れ渡ると、丹波全体が動揺しかねなかったからであるが、直正の死に、豪族たちは動揺せずにはいられなかった。それから間もなく、光秀に降伏してくる豪族が後を絶たずやってきた。
さらに光秀は、徹底的に敵を落とし込むために、各地でゲリラ戦術を用いるなど、敵軍の撹乱に尽力した。そして、赤井直正が本拠としていた黒井城も陥落、その勢いで波多野の八上城も攻略し、城主・秀治は降伏、光秀の手により丹波は平定された。
近江国・安土―
その頃、安土の城は遂に完成を見せていた。豪華絢爛な天守は五層が重なり、地下を加えた六階建て、最上階は外装を金であしらい、下層は朱色の八角堂、内部は黒漆をあしらえ、名絵師・狩野永徳の手により、見事な壁画が施されていた。
信長はその天守の最上階に住むことにし、琵琶湖や安土の街を一望できる位置から、感慨に耽っていた。
(これが俺の力、そして俺の天下だ)
一羽の鷹が信長の近くに止まっていた。
「ふっ、お前もこの天下が欲しいか?」
そう語りかけると、鷹が大きく翼を広げ、大空へと羽ばたいていった。その姿に信長は自身を重ねた。
(あの鷹のように、俺も独りで羽ばたいていかねばな……)
信長の胸中には、天下人として君臨するための孤高の思想が描かれていた。多くの敵を破り、一人、また一人と消えていった。すべての敵を失った時、自分は独りになるのだろうか、そう考えると、少しの寂しさが湧いてきた。
丹波を平定した光秀が安土へと凱旋してきた。光秀は、波多野秀治・秀尚の兄弟を連行して、信長へ謁見した。
「光秀の働き、比類ものなし」
と、信長は光秀の功績を称賛し、波多野兄弟は磔にして処断した。光秀は丹波一国を丸々与えられ、滋賀の坂本と併せて京の周辺に計三十四万石の領地を得るという、天下人・信長に次ぐ大名となった。
「ありがたき幸せ、上様には過分の御恩をいただき、恐悦至極に存じます」
「なに、その働きに当然の報酬を与えただけだ。余の方こそ貴様のような臣を持てて喜ばしい限りだ」
「もったいなきお言葉、なれどこの光秀、ますます上様のご期待に応えられるよう、粉骨砕身努めますれば……」
「貴様は真面目よのう」
「それにしてもこの安土城、見事なものになりましたな」
光秀は安土天守閣の内を見渡した。南蛮渡来の品々が並べられ、異国の地にいるような気分になった。
「うむ、ようやっと余の理想が形になったわ」
「……して、上様、ここより見えるあの建物ですが……」
光秀は天守閣の外を見下ろした。そこには、本丸御殿が見える。
「あれは、清涼殿でございますか」
直接的に光秀は言った。清涼殿とは朝廷が使う御殿で、これまでも天皇の生活の場であったり、様々な朝廷の儀式やらに使われたりしていた。その清涼殿に安土の本丸御殿は良く似ていたのである。
「……うむ」
「……やはり、朝廷勢力を支配されるおつもりで」
安土城内に朝廷のための建物を置く、即ち朝廷のあれこれを自分の下でやらせるということであった。
「わかるか、光秀」
「はい、上様は天下布武を掲げになられ、日ノ本の平定にご尽力されております。私はこれを武家が天下の悉くを支配するものと捉えております。即ち、武家の棟梁たる幕府はもちろんのこと、宗教・朝廷、各々が持つ力を武家の一手に収めるものと心得ております。先年、上様が安土で執り行われた宗論裁定もその一つでございましょう」
「ふっ、すべてお見通しということか」
「されど帝は如何に処されるおつもりで?」
「いや、帝には手は出さぬ、ようは朝廷の力さえ手に入れば良い」
「なるほど、帝と朝廷の間に割って入り、その力を吸収すると」
「簡単に言えばそういうことだ。貴様はどう思う?」
「良きお考えにございます。上様のお力、天下の隅々にまで伝播させるべきかと」
「ならば朝廷への工作、貴様に一任しよう」
「ふふ、ありがたき幸せ」
真面目な光秀の顔は消え、野獣の眼光が冷たく静かに浮かび上がっていた。
羽柴軍陣営―
一方、秀吉は光秀が丹波攻略に集中していた頃、播磨・三木城の攻略へと掛かっていた。
「ここは兵糧攻めとする」
城に籠る三木城主・別所長治を相手に、秀吉は兵糧攻めを決めた。別所からすれば、いくつかの補給路はあれど、毛利水軍が織田に敗れたことにより、兵糧補給はほとんど絶望に近い状況にあった。そのため、兵糧攻めは秀吉の採れる最高の策であった。
「敵は恐らく奇襲を仕掛けてくるでしょう。警戒をば」
半兵衛は秀吉にそう献策した。
「この状況でやってくるじゃろうか」
「来ます。窮鼠サルを噛むと申しますれば」
「猫じゃ」
「兎に角、敵の決死隊には気を付けるべきです」
「じゃが、四六時中警戒しているのは前線の兵が持たん、それでは長く包囲し続けることができん」
「警戒するのは明け方のみでよろしいでしょう。それ以外は来ません」
「なぜじゃ」
「決死隊を組む以上、ねらうは秀吉様の首ただ一つ、そのためには目の効かぬ夜分より、日が昇り始めた朝方に攻めるのが最善の時でございますれば」
「なるほど、では明け方に警戒するよう伝えておいてくれ」
「かしこまりました…… ごほっごほっ」
途端、半兵衛は咳き込んだ。
「大丈夫か? ここんとこ調子が悪いみたいだが」
「心配には及びません…… それより伝令に行って参ります」
半兵衛はそう言うと、その場を去って行った。
入れ替わるように蜂須賀正勝が入ってきた。
「……半兵衛の野郎、相当無理してるみたいだぜ」
「……みてぇだな、なんとか休ませてやりてぇが」
「俺は三木を力攻めするべきだと思う、早く戦の決着をつければ半兵衛を休ませられるからな」
「……それはなしじゃ、半兵衛が許さんじゃろ」
「半兵衛がどう思うかは関係ない、こんなところで友を失いたくはないんだ俺は」
「それは儂もじゃ、じゃが半兵衛がそれで怒って病を悪化させることも考えられる。どの道、三木を包囲している限りには半兵衛に無理をしてもらうことはない、ゆっくり休んでもらったらええ」
「そうか、まぁそこまで考えているなら別に良いが……」
「ありがとな小六、おみゃぁが居てくれるだけでなんだか安心できる」
「へっ、良いってことよ」
数日後―
三木城より決死隊三千の兵が秀吉本陣目掛けて攻め寄せてきた。
半兵衛の読み通り、敵は日が昇り始めた頃に打って出た。
「来るとわかっとる奇襲は奇襲じゃねぇ、返り討ちにしてやれ!」
備えのできていた羽柴軍に隙はなく、三木城決死隊の中心で、別所長治の弟・治定が敢え無く討死、そのまま総崩れとなった。
「おう半兵衛! おみゃぁの読み通り、三木から決死隊が朝方にやってき……」
秀吉はそこまで言いかけて、目の前にいる半兵衛の異変に気付く、
「……半兵衛? ……半兵衛!」
半兵衛はここ数日で体調がさらに悪化し、陣内で蹲っていた。
秀吉は急いで半兵衛を小屋へと連れて行き、京から医者を呼び寄せた。
「どうやら肺を患っておられる様子、治る見込みは…… 厳しいでしょうな」
「そんな…… 病を治すのが医者ではないのか! なんとかならんのか!」
「医者ができるのは、症状を軽くすることのみ、後は御本人様の気力次第でありますれば」
「半兵衛……」
秀吉は力が抜ける様に座り込んだ。
それから三日三晩、付きっきりで看病した。医者の処方した薬と友の見舞いによって半兵衛は少し回復を見せた。
「……大将が現場にいないでどうするつもりですか……」
「現場なぞ知らん、儂の戦場はここなんじゃ」
「……申し訳ありません」
「謝るな、謝るくらいなら元気になれ、元気になって儂と笑おうや」
「……はい」
しばらくの間、二人に沈黙の時が流れた。互いに気遣い合って、なにを話そうか悩んでいた。
「……なぁ、半兵衛、おみゃぁどっか行きたいところはあるか?」
「そうですねぇ……」
半兵衛は少しの間、考え込むと、
「戦場が良いですね」
「ぶっ、んな冗談言うでねぇ!」
「冗談ではありませんよ、人が…… 皆がいるところにいたいのです」
「……」
「ふっ、引きこもりが変わったな、みたいな顔をしていますね」
「そりゃぁ、おみゃぁは美濃、いや、天下一の偏屈野郎だったからな」
「言ってくれますね、でも…… こうして貴方に外の世界へ連れてこられて、私は人を好きになることができましたよ」
「……」
「たとえ学がなくても、天下の明日を考えていなくても、今日という日を笑って暮らそうとする皆の生き様、それに触れてみてわかったのです。どんなに単純だろうが、難しくしようが、私たちは皆、笑うために生きているのだと」
「……へへ、違いねぇ」
「貴方のお陰です。秀…… 藤吉郎殿、ありがとう」
「へっ、よせやい、照れるじゃねぇか」
秀吉は照れて目を逸らしながら話した。
「儂もおみゃぁに出会えて良かったぜ、半兵衛、色々なことを教えてもらった。天下の明日の描き方、国の造り方ってやつをよ」
「……」
「その、だから、なんだ…… これからもよろしくな半兵衛」
「……」
「そうだ! 三木城攻略したら有馬の温泉へ行こう、そこで湯治して、元気になって、また支えてくれや、いや、それでなくても、たまにはそういったことをおみゃぁと楽しみたい」
「……」
「……半兵衛?」
秀吉は黙っている半兵衛の方へと振り向いた。
「半兵衛!」
そこには静かに倒れていた半兵衛の姿があった。
数日後、竹中半兵衛は世を去った。享年三十六歳、
美濃の引きこもりから、乱世の激動へと身を投じた稀代の天才軍師は、あまりにも早い若さで天に召された。秀吉は涙が枯れるまで泣きつくし、正勝もまた、天地に轟く声で泣き叫んだ。
その後、秀吉は三木城の攻囲を続け、同時期に光秀が丹波の地を平定、畿内を巡る織田包囲網は崩壊した。丹波の後ろ盾もなくなり、石山本願寺も当てにならなくなったため、有岡城の荒木村重は城を密かに落ち延びた。これを知った織田方は、有岡城に雪崩込み、これを摂取、相次ぐ反乱分子の象徴であった村重の謀叛はこうして結末を迎えた。
そしてー
有岡城を攻略した織田の武将が、牢屋の中にいたある男を見つけた。
小寺官兵衛である。
村重の説得に行ってそのまま幽閉されてから既に一年の月日が経っていた。頬はこけ、足は不自由になり、髪も抜け落ち、地獄から来た餓鬼のような風貌になっていた。
「官兵衛殿…… お主、裏切ったのではなかったのか」
織田の諸将の誰しもが驚いた。この乱世、忠義を掲げる者は少なからずいたが、やはりほとんどの場合には、時勢に倣って味方を選ぶことが多かった。特に官兵衛の場合は、直接の主である小寺家が反織田方であったため、忠義という意味では官兵衛も反織田になるのが自然の流れであった。
「くくく…… これに耐えるは織田への忠誠に非ず、ただ純粋に、我が大望のための策に命を張ったまでよ」
「……だが、結果としてそなたは織田への忠義を示した。信長様もその功をお認めになろう」
「……」
官兵衛はすぐに治療を施された。その担当は秀吉が行った。三木城はまだ落ちていないが、有岡城が落ちたために有馬温泉への道が開け、友と行くはずだった地へ官兵衛を迎え入れた。
「牢に一年…… 信じられん」
羽柴軍の諸将は、元々官兵衛を快く思っていなかったため、その忠義を素直には受け入れられなかった。しかし、
「誰がなにを言ったところで、ここに官兵衛と同じことができる奴がいるか?」
秀吉は率先して官兵衛の功績を認めた。はじめは自分も信頼していなかったが、結果を示した官兵衛に応えないのは、秀吉という人物が許さなかった。
有馬温泉―
官兵衛は有馬温泉で湯治をしていた。奈良時代の日本書紀にもその名が残る有馬温泉は、日ノ本の三大古湯として愛されてきた。塩分や鉄分を多く含む赤泉、炭酸を多く含む銀泉といった湯があり、室町幕府第十代将軍・足利義稙も、中風の治療に訪れるなど、多くの人々が体の治療なり、心の治療なりに訪れた。
官兵衛が湯に浸かっているところに秀吉がやって来た。
「よう官兵衛、久々じゃのぉ、どれ、儂も入るか」
「……男と入っても嬉しくないな」
「儂もじゃ、本当ならねねと一緒に入りたい」
「ほかの女じゃなくてか?」
「ぶっ、それは内緒じゃ内緒」
「ふっ」
「……良くぞ戻ってきてくれた」
「……」
「正直なところ、儂はお主を信用していなかった。色々と裏がありそうな奴でのぉ」
「……」
「じゃが、逆じゃった。これほど裏表のない奴が日ノ本にいようか」
「某はただ己の志に、策に命を張ったまで」
「じゃから裏表がないと言うておる。やれ主への忠義だ、武士の誇りだと口にする奴はいざという時に裏が出る。己の行動に信念を懸けられる奴は裏がない」
「……」
「じゃから官兵衛、お主を正式な軍師として儂の軍に迎え入れたい。受けてくれるか?」
「それは…… 竹中殿の代わりか」
「……そうさな、半兵衛の代わりはおらん、お主であろうとそれは無理じゃろう。じゃが敢えて半兵衛の代わりができるとすれば、それはお主しかおらん」
「……」
「だがそれ以上に儂はお主という男を…… 小寺官兵衛という男を召し抱えたい」
「……なら、無理だな」
「ど、どうしてじゃ」
「小寺官兵衛という男は既にいない、ここにいるのは、黒田官兵衛という、痩せ細り、心を失くした餓鬼よ」
官兵衛は救出された後、小寺の姓を捨て、実家の黒田の姓を名乗っていた。主との決別、小さき国に捉われていた男からの脱却、すべての過去を捨てる覚悟で官兵衛は耐えてきた。
「そうか、なら改めよう。黒田官兵衛、お主を軍師として迎え入れたい。良いか」
「……既に子を失くし、心を失くした餓鬼であれど、我が胸の内に宿る地獄の炎は熱く滾っておる。その炎を天下に見せつけるため、羽柴秀吉、貴方に我が策、進ぜよう」
官兵衛は亡き息子・松寿丸のことを思った。自分の志のために失った大切な命の炎だけが、温泉でも治せぬ心の傷となっていた。
「そのことなんじゃがな官兵衛、松寿丸は生きておる」
「……は」
「半兵衛がな、匿ってくれてたんさ、お主の心を理解してな」
「……」
「おーい、これへ参れ」
秀吉は手を叩いて人を呼んだ。そこで入って来たのが、
「父上……」
ほかでもない松寿丸であった。
「……」
官兵衛は言葉がでなかった。策が嵌った時には無償の喜びを感じる官兵衛だったが、この時の喜びはそれとは比べものにならないものであった。
「……心なき父を持ち、お前も大変であろうに……」
官兵衛は涙を流した。松寿丸もまた溢れる思いが込み上げて、官兵衛に抱きついた。
(……涙を流す奴が、心がないわけねぇじゃろ……)
秀吉もまた、黒田親子を見て泣いていた。
湯治を終えて、官兵衛は杖を突けばなんとか自力で歩けるほどに回復していた。そして、三木城攻囲中の羽柴軍へと加わり、秀吉に献策した。
「敵は以前、決死隊を組んで秀吉様の首をねらったそうだが、此度は兵糧入れのための出陣をするであろう。毛利の動向を探っておけば、自ずと出撃時期がわかる」
官兵衛の予想は的中した。毛利軍が羽柴軍の城を攻撃し始めると、秀吉がそれを迎えに動いた隙をついて別所軍が出撃、連携を取って兵糧入れを行おうとした。
「こちらの計算通りに動いておる。別所を叩くんじゃ」
予期できる奇襲は奇襲に非ず、秀吉は冷静に対処すると、別所軍を大村の地で撃ち破り、別所は再び三木城に閉じ籠ることになった。
「これで三木城は落ちる。後は、民たちの恨みを如何に緩和するか……」
官兵衛は別所が降伏した後のことを考え始めていた。
「食い物の恨みは恐ろしいって言うでな」
「ただ、飯を与えるだけでは恨みは消えぬでしょう。ここは民と支配者の間にある壁を知り、それを利用して秀吉様を救済者に仕立てるつもりでございます」
「……この鬼が救済者、か」
「左様、血を流すことなく城を落とす救済者にございますれば」
「ある意味、血を流すより酷いことをしておるがの」
「それを承知で兵糧攻めをされたのでしょう? 血を流し、死ねばそれまで、しかし生きている限りには、奉公も能うものと」
「……」
「それで良いと思います。支配者は、民を生かさず殺さず、その塩梅を保てる者こそが天下人に相応しいのでございます」
「官兵衛、おみゃぁのことは信用するが、少し口を慎め、良いな?」
「ははっ」
秀吉は自分に驚いていた。官兵衛が自分を天下人に相応しいと言ったことに怒りはしたが、否定の気持ちが湧いてこなかった。この時点ではその意味がわからなかったが、秀吉の中には、とある危機に対する思いが着実に芽生えつつあった。
年が変わり、天正八年(一五八〇)一月、三木城は降伏、城主・別所長治は自らの命と引き換えに、民や兵の助命を嘆願し、秀吉はこれを承諾した。
長治、この時二十三歳、辞世の句は、
『今は只 恨みもあらず 諸人の 命に代はる 我が身と思へば』
すっかりと痩せこけたその体は、すべての責を背負い、ここに散った。
秀吉は三木城に残った民や兵たちを見て、静かに嘆いた。
(……これで良かったんじゃな……)
後に三木の干殺しと言われるこの戦いは、秀吉の明るさに潜む影の部分が露わになった戦となった。




