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シャボン玉の夢

作者: hanid

 戸棚を整理していると、大学時代の雑多なノートに紛れて原稿用紙の束が出てきた。数年前に別れた女の子の書いた小説だった。

 僕は、一度読んだことがあるはずなのにその小説の内容を全て忘れていて、その女の子のこともほとんど忘れかけていた。

 喪失感は、ふとした瞬間にぼやけた証拠とともに湧き起こる。一体、この曖昧な喪失感が僕を何処に運んでくれるのか。僕は確かめることにした。

 

 彼女の小説は次のように始まる。       



         * 



 目の前には一直線に道がのび、等間隔に並んだ街路樹が遠近法に従ってその幅を狭めていく。歩いても歩いても、見えるのは木々が集まった最後の一点で、そこから小さな光が見えるような気がいつもしていた。

 私の中でイメージしたものは現実世界で起こるはずもなく、季節が変われば緑の色が変わるだけだった。たまに桜の季節は、私の世界を華やかにして、雪は真っ白に塗りかえた。人通りも街並みも自分にはまるで関係なく通り過ぎ、何も語らず、自分からも話しかけずただ、歩調を速め直線の終点を求めた。それが出口であれ入口であれ、区切りみたいなものが欲しかったんだろう。


  

          *



「最近、頭が痛くなるの。気づかないうちにじわじわ痛くなって、気づくと手遅れなの。頭がガンガンしてわけわかんなくなっちゃう」

「どう思う?」彼女は笑って付け加えた。

 僕はその「わけわかんない」のがどんな状態なのか聞いてみた。

「わかんない。普通にぼーっとしてるのかもしれないし、よだれ出しちゃってるかもしれないし、すごい恐い顔してるのかもしれない」

 彼女はいつも笑っていた。誰もが彼女に好感を持つような、自然で不思議な表情をしていた。

「多分、ホントは目をぎゅっとつぶって、おさまるまで耐えてると思う。何も考えられないくらい痛いから。電車とかではね、下を向いて身体をこわばらせてるの。周りの人からは痴漢されてるように見えたかもね」

 彼女の話はいつも通りで、僕はその痛みについてあまり気に留めなかった。季節の変わり目で風邪をひいたんだろう、なんて知り合って間もない友人が思いつきそうなことしか頭に浮かんでこなかった。

「ちゃんと寝てる?疲れが溜まってるのかもしれないよ」

「疲れ、か」

「もうおばさんみたい」

「まだ二十歳なのに?」


 

 僕は彼女の小説を読みながら、断片的に蘇る二人の会話を思い出していた。彼女はこんな小説まで書いて、僕に伝えようとしたのに、当時の僕はまるで気付こうとしなかった。

 彼女は終わらない直線の循環の中で、自分が迷子になったと思っていたのかもしれない。じゃあ一緒にいた僕は、あの頃何処を歩いていたんだろう。



          *



最近、私のよく見る夢を思い出す。

 不思議な夢、朝起きても色褪せない。そして、その夢を想うと泣きたくなる。小さな私がどこかで遊んでる夢だ。

 どこか。それがどこなのか私にはわからない。ただ、その場所が実在することは確かだと思う。遠い過去に、一度行ってるはず。

 そこは広い公園の中にある小さな遊び場。私は屋根の付いた入り組んだ物体の中に入り、その中の砂場で遊んでいる。プリンのカップで砂のプリンを作り、水を運んできて山のトンネルを作った。そして、石鹸水とストローを家から持ってきて、シャボン玉を作った。



          *



「私の世界はシャボン玉の中にあるの」

「薄い膜の中から外界と接して、誰も中には入れない」

ある日、彼女がそう言った。

 彼女は小説家だから、それは文学的な表現として何かの小説に使うのだと思っていた。

「シャボン玉なら割れちゃうよ」

「ふわふわ浮いてるけど、絶対割れないの」

「シャボン玉なのに?」

「そう、割れないシャボン玉」



          *



彼女の小説は、子供の頃の彼女と、今の彼女が出てくる話だった。

 夢の中の幼児期の彼女が、やがて現実の中で幻覚として出てくる。簡単に言うと、そんな感じのストーリーだ。

 彼女の書く話は、昔からバッドエンドが多かった。僕はいつも、「暗い話は好きじゃない」と言っていたのに。

 でもこの話は、とても不自然な終わり方をしている。

 まるで続きが用意されてるかのように、唐突に会話文で終わった。

 

 彼女の小説は次のように終わる。

 


          *



 少女の作るシャボン玉たちは、何個も、数え切れないくらい私の前を通り過ぎた。私は虹色に光りながら飛んでいくその姿をうらやましそうに眺めていた。

「あなたのためにも、ひとつ作ってあげるわ」

 少女は微笑みながら、私にそう言った。

 私も嬉しくて彼女に笑いかけた。

「ありがとう」 



          *



 僕は、彼女の小説を読み終えてぼんやりしていた。喪失感は、脱力感と共に僕をベッドにたたきつけた。

 赤い陽の落ちる夕刻に、僕は服を着替えて外に出かけた。

 駅に向かう途中、近くの公園で子供を探したが一人も見かけなかった。

 幻覚なんて、どうしたら見えるんだろう。。 


          *



「こんな所に、観覧車ができるのね」

 電車の窓から建設途中の、半分欠けた観覧車を見ながら彼女は言った。先程までの雷雨が嘘のように空は晴れ、大きな白い雲が柔らかそうに重なり合っていた。雲間から射す幾筋かの光線が観覧車をスポットライトのように照らし、遠ざかるその景色を僕は小さくなるまで眺めていた。


気が付くと僕は、彼女と最後に会ったその場所に足を運んでいた。

夜、窓の外には完成された観覧車が光を放っている。あの時の会話がいつのことなのか、もう覚えていない。


「できたら、いつか、二人で乗りたいな」


 彼女の言葉が、はっきりと、耳元で囁かれてるように頭の中で響いた。

 ふと蘇った懐かしい声に思わず、僕はまわりを見渡した。

 そして、その時、やっと僕は小説を渡される前に彼女が話した言葉を思い出した。

 その古い言葉たちは、ふわふわと僕の頭を通り過ぎ、遠い真夜中の空へ消えていく。僕は、届かない空に彼女を想った。

 


         *



「ねぇ、子供の頃みたいに、遊びたい。私を、あなたの公園に連れていって。子供のあなたが遊んでいた公園で、私も遊んでみたいの」

「でも、もしかしたら、もうその公園はなくなってるかもしれないわね」

「ごめんね、急に変な話をして。最近、おかしな夢をよく見るから」

「この前、その夢を小説にしてみたの」

「途中までしか書いてないけど、読んでくれない?」

「そして、よかったら話の続きを考えてみて」

「あなたの好きな、幸せな終わり方で」

 




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