大崎レイ降臨
怪我をした田所が、事故当時被り物をしていたとしたら、テーブルに血は付かない。かごめはそう推察するが……。
「このまま考えても、らちがあきませんね。そもそも田所さんは、部室で一人休憩していたようですが、鍵など掛けて何をしていたのでしょうか?」
かごめの率直な疑問に、若林が答えた。
「田所は、電話してたって話だ」
「電話? どなたとですか?」
「田所の交際相手、小野寺雪乃だよ」
「え?」
「俺たちが田所を救出した後、小野寺は慌てて駆けつけて来た。そういえば……。電話が突然切れた、とか何とか、言ってたような気がすんな」
「電話が突然切れる……。会話中に事故に会ったのだとしたら……」
「かごめくん、小野寺雪乃は、重要な手がかりを、電話越しに聞いている可能性があるな」
この場に居ないはずの聞きなれた声に、かごめと板橋が解放されたドアの方向に視線を向けた。そこには黄色いテープをくぐろうと体を屈める、大崎レイの姿があった。
「大崎部長!」
「いつも言ってあるだろう? テープの高さは、地上から一メートル。これでは低すぎる」
「すみません。板橋さんにお願いしてしまったもので……」
小さくなるかごめの隣で、板橋はポリポリと頭をかいた。
「遅れて来たくせに、相変わらずだなレイ。わかったよ、直せばいいんだろ?」
「そういう君のいい加減なところも、相変わらずだな」
部室の外に出て、せっせとテープの位置を直す板橋を見ながら、大崎はフッと笑った。何だかんだ言いながら、二人の関係が良好である事が伺え知れる。それとは対照的に若林は、大崎が敵でもあるかのような憎らしい態度で迎えた。
「こっちは現場を保存した写真まで提供してるんだ。何もわかりませんでした、なんてことになったら許さねえからな大崎」
「なんだ、君も来てたのか。調査の邪魔だけはしないでくれよ若林」
部室に足を踏み入れた大崎と、若林の間に散った火花に、エリザベータは他人事のように目を輝かせたのだった―――。
かごめはやって来たばかりの大崎に、ここで得た情報を簡潔に伝えた。
「かごめくん、関係者に話を聞こう。まずは第一発見者、皆川学。それから電話をしていた交際相手、小野寺雪乃だ」
「小野寺先輩なら、まだ学園内に居るはずです。私が呼んできます。板橋さんは、皆川さんを」
「オッケー。任せて!」
「あ! それと……」
グラウンドに向けて走り出そうとする板橋を、かごめはふと引き止めた。
「なに? 沢村ちゃん」
「マネージャーの、三河加奈絵さんも連れて来て下さい」
腕を組んで静観していた若林が、その名を聞いて反応した。
「沢村、なんで三河を指名した?」
「事故後の現場は、若林さんが撮った写真で掴めます。ですが、事故以前の現場を知る為には三河さんが最適かと思いまして。物の位置、そういった事は女性の方が記憶しているものです」
「なるほど……」
若林は納得したように呟いた。その時大崎には、若林がニヤリと含み笑いをしたように見えたのだった。
かごめと板橋が部室を去った後、大崎はホワイトボードに歩み寄った。大崎はポケットから手のひらサイズの大きな虫眼鏡を取り出す。この虫眼鏡こそ、大崎がわざわざ教室に取りに行ったものだった。張り出された写真に虫眼鏡を構え、大崎は満足そうに頷いた。
「やはり、ルーペなどより鮮明で、よく見える。買って正解だったな」
大崎は虫眼鏡を横にずらしながら、若林が撮った写真を注意深く観察した。そしてかごめと同じ写真で手が止る。
「田所が目を覚まして、皆川の肩を掴んでいるようだが?」
若林は、また同じ説明をしなきゃならないのかと、面倒そうに答えた。
「ああ、話の出来る状態じゃあなかったけどな。肩を掴んだのは、条件反射みたいなもんだろう。皆川が抱え上げた時に、十秒かそこらの、短い時間だったはずだ」
「皆川の肩に残った血痕……」
写真は撮られた順番に並べられていた。大崎は田所が手を離した後の皆川の肩に注目し、虫眼鏡を寄せては離す。
「この血の付き方……」
大崎は写真から離れると、今度は田所が倒れていた場所に移動した。かごめが持ってきたバックを引き寄せ、中からハケのような物を取り出した。大崎は膝を付き、床に付いた泥を、ハケで慎重に取り除く。すると横並びに残った五つの血痕が、鮮明に浮かび上がった。そしてそれを囲むように、白いチョークで印を付ける。更に大崎は、テーブルまで一定の間隔を置いて、途切れる事なく続く血痕に、先程と同じ作業を繰り返していった。
若林はホワイトボードの写真を、穴が開くほど凝視していた。
「写真には、写ってねえな」
若林の独り言に、エリザベータは首を傾げた。
「ナンノコトネ?」
「田所の携帯電話だよ」
若林は北側のロッカーに向かうと、田所翔太の名前を探した。中央近くにあった、田所のロッカーを開けると、迷わず全ての物を引きずり出した。しかし、着替え、外履き、財布とある中、携帯電話だけは発見出来なかった。若林は出した物を、無造作にロッカーに放り込み舌打ちした。
「ここにもねえか。携帯だけじゃねえ。血の付いてないテーブル、それに……。この現場には、あるはずなのに、ないものが多すぎる」
「アルハズナノ二、ナイモノ?」
「ここに来る前に、職員室に寄って確認しただろ? まあいいや。お前に話した俺が馬鹿だった」
エリザベータのキョトンとした顔を見て、若林は被りを振った。
その直後、エリザベータがドアの方向を指差し「アアアア!?」と大声を上げた。若林と大崎は、何事かと振り返る。解放されたドアの向こうに、これまたキョトンとした顔の、野球部のユニフォームを着た、五木太陽が立っていた。
「五木……。てめえ! 今まで何処にいやがった!」
若林に怒号を浴びせられた五木は、怯えた様子で後ずさった。
「お前らこそ、俺たちの部室で、何やってんだ?」
「なんだとすっとぼけやがって。救急車のサイレンが聞こえなかったとは言わせねえぞ!」
「え?」
「田所をやったのは、てめえか! 答えろ五木!」
「え? 田所? 知らない……。俺は何も知らない」
五木はそれだけ言うと、いきなり背中を向け逃げ出した。
「野郎! 逃げやがった! エリザベータ、五木を追え! とっ捕まえてここに連れてこい!」
「アイアイサー」
若林に命令され、エリザベータはあっという間に部室を出て行った。その様子を見ていた大崎は、若林におもむろに尋ねた。
「なぜ、あの野球部員を追わせた? お前がやったとは、どういう意味だ?」
「それはな大崎。五木太陽は、重要参考人の一人だからだ。これは事故なんかじゃねえ。起こるべくして起きた、傷害事件だ」
「なぜそう思う?」
「事件が起きる前、練習の最中に五木と田所は、取っ組み合いの喧嘩をしてる」
「喧嘩? 原因は?」
「野球部の連中と、田所の野球に対する温度差は歴然だった。田所はエースでそこそこ出来るが、他の奴らは、ついて来れるレベルじゃない。あの時の五木は、部員の代表みたいなもんだ。誰が切れてもおかしくなかった。部員達の田所への不満は、積もり積もって爆発寸前だったのさ」
「現場の保存。写真の提供。君にしては協力的だと思っていた。しかし、傷害事件にするには、証拠がない」
「それを見つけるのがお前らの仕事だ。なあ大崎、お前だって気づいてんだろう? これを事故だと判断する証拠もまた、ないってことにな」
大崎は若林の言葉を受け溜息を付くと、額に手を当てたのだった。