事故調査開始
板橋は校庭で花壇の草むしりをしていた。正確には一人ふらふらしていた板橋を、見かねた生徒会長に強制的にやらされていたわけだが、エリザベータの悲鳴を聞いたのはそんな時だった。近くに居たこともあり、救急車が到着するまえに、板橋は野球部の部室にたどり着くことが出来た。怪我をした田所を見た板橋は、皆川に事情を聴くが、「これは事故だ」の一点張りだった。
携帯電話で会長に指示を仰いだ板橋に会長は、「部室を封鎖し、二度とこのような事故が起きないよう、徹底的に調査せよ」と指令を下す。
こう見えても元探偵倶楽部。そんなのちょろいぜとばかりに板橋は、やってきた先生と一緒に部室に入る。田所の傷口と、一番先に目に入った、ひっくり返った四角いテーブルの角の形が似通っていたことから、田所が何らかのアクシデントに合い、後頭部をテーブルの角に打ち付け、その勢いでテーブルがひっくり返ったと推理する。そこまではいいが、肝心の何によってアクシデントが引き起こされたのかが分からない。
何かにつまずいたか、あるいは滑ったか。ボールやバットが転がってでもいるなら合点もいくが、そういった用具類は部室にはなく、私物以外の物は運動部まとめてグラウンド横にある用具室に片付けてある。この部室はあくまで野球部の更衣室、ミーティングルームとして使用されていた。救急車は間もなくやってくるだろう。事故だろうがなんだろうが、救急隊員に事情を説明しなければならない。下手に勘ぐられては、面倒な事になりかねない。板橋は先生共々焦りだしていた。そこで板橋は思い出したかのように、携帯電話を取り出したのだった―――。
探偵倶楽部の部室で、沢村かごめは暇を持て余し、図書室から借りてきた本を読んでいた。部長の大崎は机に突っ伏して昼寝をしている。大崎の携帯電話が鳴ったのはそんな時だった。
大崎は欠伸をし、わずらわしそうに携帯を耳に当てた。
「どうした板橋? 何? 事故?」
大崎のフレーズに反応したかごめは、ウサギのように聞き耳を立てた。大崎は電話口を抑えるとかごめに向かった。
「事故調査だ、かごめくん。現場は野球部の部室。怪我をしたのは野球部員の田所翔太。これは生徒会からの正式な依頼だ。僕は一度教室に取りに行く物がある。君は直ぐに現場に向かってくれ」
「え? 田所……翔太? わかりました、直ぐに向かいます!」
かごめは部屋の隅にあったバックを肩に掛けると、慌てた様子で出ていった。残された大崎は板橋との会話に戻る。
「救急隊への言い訳か……。時間が無いな。田所はスパイクシューズを履いたまま……。ならば、こんな言い訳はどうかな?」
大崎は電話切ると、やれやれとばかりに大きく伸びをしたのだった―――。
「では、始めましょうか」
かごめは、持って来たバックから、黄色いテープを引き出した。野球部部室の床には、幾つもの足跡や乾いた泥が見られる。血痕なども見受けられたが、どうにもはっきりしない。
「事故の後、かなりの人数が、部室に出入りしたようですね?」
「それは仕方ないよ。ここまで汚れると現場の再現は、難しいんじゃないかな? もしかしたら移動した物もあるかも知れない。会長には事故原因が判明するまで、部室を完全封鎖するように言われてる。田所の怪我の回復を待って事情を聴くのは確実だけど、野球部は試合も近いし、それじゃ困るだろ? レイにも電話で伝えたけど、出来る限り早く、事故原因を探って欲しい」
困り顔の板橋に、かごめは質問を投げかけた。
「わかりました。発見からこれまでの経緯を、聞かせていただけますか?」
「オッケー」
板橋はポケットから手帳を取り出す。
「第一発見者は野球部主将の皆川学。それから、野球部を取材してた新聞部の若林幸一とクリスエリザベータ。皆川の話によると、田所は一人、部室で休憩してたらしい。田所の帰りが遅いので、皆川が迎えに行くと、部室に鍵が掛かってた。遅れて来た若林が、窓から中を覗くと、田所がドアの近くに倒れてた。マネージャーに鍵を借りて救出、そして若林が救急車を呼んだ。そんなとこかな」
「随分大雑把な説明ですね」
かごめは呆れ顔で作業を続けた。板橋は首をすくめる。
「話を聞いた皆川が、しどろもどろと言うか。これは事故だの一点張りでね。これ以上話す事は無いって、詳しい事情が聴けなかった。ところで、おれっちにも何か手伝えることない?」
「ではこのテープを、部室の入り口に張って下さい。まあ、今更ですが」
かごめは板橋に、立ち入り禁止と書かれた黄色いテープを手渡した。
「オッケー! 任して! こういうの久しぶりでさ。昔はレイと、数々の難事件に挑んで、事件を解決したもんさ」
「解決したのは部長でしょうに。話は聞いてますよ。板橋のとんでも推理の方が、難事件より厄介だったって」
「レイがそんなことを? きっついなあ」
板橋は部室のドアを開放すると、入り口に杭を立てテープを張り巡らした。
かごめは逆さまになったテーブルに近寄る。かごめも板橋同様、このテーブルの角に頭をぶつけたのだろうと予想していた。かごめがふと目を落とすと、蛍光灯の電球が落ちているのに気が付いた。かごめはそっと蛍光管を手に取った。
「これって……」
そしてすかさず天井を見上げる。すると、二本セットになっている蛍光灯の管が、一本無くなっていた。
「いきなりですが板橋さん、事故の原因がわかりました」
「え?」
板橋は、余ったテープをバックに戻すと、かごめに駆け寄った。
「田所さんは、このテーブルの上に乗って、切れた電球を取り替えようとしたんです。でもスパイクシューズを履いていた為に、滑ってバランスを崩し、テーブルごと転倒、角に後頭部を打ち付けた。それが、この不幸な事故の原因です」
それを聞いた板橋は、申し訳なさそうに、かごめに手を合わせた。
「ごめん。その蛍光管、おれっちがはずしたんだ」
「はい?」
「この蛍光管は、救急隊への、言い訳でね」
「言い訳?」
「おれっちも、たまたまグラウンドの近くに居てさ、救急車が来る前に、ここに着いたんだけど。先生達が、警察沙汰にはしたくないって言うからさ」
「そう言う事情は、もっと早く言ってもらっていいですか?」
一時でも解決したと勘違いした、かごめの怨みがましい目が、板橋に突き刺さる。
「ほんとごめん」
「はあ……。でも考えてみると、板橋さんにしてはこれ以上ない言い訳です。よく咄嗟に思い付きましたね」
「ああ、それもちょっと違ってね。その言い訳を考えたのは、レイだよ」
「部長が?」
「時間も無いし、倒れたテーブルだけじゃ、おれっちには何もわからなかった。それでレイに電話したら、現場を見てもいないのに、的確な言い訳を教えてくれたんだ。昔からそうだったけど、ほんとあいつは頼りになるよ」
それを聞いてかごめは嬉しそうに胸を張った。
「探偵倶楽部の誇る部長ですから、それくらい当然です」
仕切り直そうと、かごめは束ねられたロープをバックから取り出した。
「倒れていたのは、ドアの近くですよね?」
「そうだ」
かごめの質問に答えたのは、いつの間に来ていたのか、板橋ではなく新聞部の若林幸一だった。
「若林さん!」
「ヤッホー! カゴメチャン」
「エリザベータさんまで! そういえばお二人は、第一発見者でしたね」
若林は大きく頷くと、手に持った物をかごめに手渡した。
「沢村、調査するには、これが必要だろ?」
かごめが受け取ったそれは、写真の束だった。
「この写真は? 現場の写真ですか?」
「発見した当時の、手つかずの写真だ」
「それは……。助かります、けど……」
かごめに疑いの目を向けられた若林は、逆に睨み返す。
「なんだよ。お前らは素直に写真を使って、さっさと調査すればいいんだよ。学園のヒーローからしたらこのくらいの協力、なんでもないことさ」
「ヒーロー?」
「俺が居なければ、発見はもっと遅れてたってことだ」
若林は床に丸められた、汚れたブレザーを拾い上げると、板橋に問いかけた。
「田所に貸したブレザーが血だらけだ。写真の現像代にクリーニング代の請求は、生徒会でいいんだろうな?」
「もちろん、会長に説明して、おれっちが責任を持って申請するよ」
なんか怪しいと思いつつも、かごめは写真を有難く使わせてもらうことにした。西側にあったホワイトボードに、写真を一枚一枚張り出す。と、かごめは写真を見てあることに気が付いた。
「田所さん、一度目を覚ましてませんか?」
かごめの質問に、若林が答えた。
「ああ、意識は朦朧としてたようだし、事情を聴ける状態じゃなかった。俺たちが誰かも、わかってたかどうか……」
と、若林は首を振った。かごめは若林の取った写真を見ながら、先ほどバックから出したロープを解き、人の形を作り出す。
「田所さんはうつ伏せの状態で、右手は顔の横、左手は腰の辺りに……。怪我をした場所がテーブルの辺りだとすると、ここまで体を引きずるようにたどり着いた。おそらく助けを呼ぶために……」
北から南の床にかけ、右手に付いていた血痕が、倒れていた所まで点々と続いていた。
「でも、ドアの前で力尽きてしまったようですね」
倒れた田所の顔の横に、右手の指先が残したであろう五つの血痕を見て、かごめは胸を痛めたのだった。
かごめは再度テーブルに近づくと、倒れたテーブルをヒョイと持ち上げた。テーブルはかごめが思っていた以上に軽く簡単に持ち上げる事が出来た。テーブルを床に戻すと、カゴメはガタツキがないかを確認し、ポケットからルーペを取り出した。テーブルの角にルーペを這わせ丹念に調べる。
「あれ? 変ですね」
板橋と若林は、首を傾げるかごめの傍に歩み寄ると、声を掛けた。
「何が変なんだ沢村?」
「若林さんが田所さんを撮った写真の傷口を見る限り、形状などからこのテーブルの角で間違いないと思われます。ですが、どこにも血痕が見当たりません」
「テーブルに血が付いてない? あれほどの傷で少しも? 沢村ちゃん、そんな事ってありえるのか?」
「考えられる可能性は二つあります。一つには田所さんを傷つけた凶器は他にある。そして二つ目は、確実にこのテーブルが原因だとするなら、田所さんは事故当時、被り物をしていた」
「被り物? そうか帽子か!」
板橋は床に落ちていた帽子を拾い上げると、マジマジと観察し、すぐに落胆した。
「駄目だ、沢村ちゃん。落ちてた帽子には、田所の名前が書いてあるけど、どこにも血は付いてないよ」
二人のやり取りを、横で見ていた若林は、床に落ちていたタオルを手に取った。
「このタオルにも、血は付いてねえな」
「そうですか……。他に田所さんが被りそうな物……」
かごめはそう呟くと、顎に指先を当て、床を隈なく見渡したのだった。