激昂
グラウンドから野球部の部室に戻った田所は、手にしたスポーツドリンクを一気にあおった。自分の後を追うようにやって来たマネージャーの加奈絵に対し、田所はふてくされた態度を見せた。
「俺は何も悪くないよ。謝らないからな」
「田所先輩は、間違ってます」
加奈絵の言葉を気にしない様子で、丸椅子に腰かけた田所は、伸びをすると首を二、三度捻るように左右に傾けた。
「バカ言ってんじゃねえよ。強豪校の練習はこんなもんじゃない。それこそ血反吐を吐いて猛特訓してそれでも勝てない。それが高校野球だろう? 悪いのは根性無しの五木の方だ。ちょっと厳しくしただけで切れやがって、アホかってんだ」
「五木さんだけじゃありません。田所先輩の作った無茶な練習メニューに、みんなが不満を感じてます。これまでの野球部は、楽しくをモットーに、仲良くやってきてたじゃないですか? いくら試合が近いからって、いきなり練習を厳しくしたら、みんな付いていけなくなるのは当然だと思います」
「俺たち野球部が、この学園でなんて言われてるか、三河だって知ってるだろう?」
「それは……」
「最弱なうえに、経費だけ無駄に掛かる極つぶし。俺たちが勝つ事なんて、誰も期待してない。俺達野球部は、馬鹿にされて笑われてんだよ。勝っても負けても楽しくやれればそれでいい? 俺が野球部に入った時からそうだった。何が伝統だ。そんなものは、負けた時の言い訳じゃないか!」
「だからって、こんな付け焼刃のような練習をしたところで、チームワークが乱れるだけです」
ドアの前に立ち、折れることなく反論する加奈絵を、田所は半ばウンザリしたようにあざ笑う。
「わからない奴だな。今年の新入部員は三人だ。来年は何人入ると思う? こんな弱い野球部に誰が入る? ほんとにこのまま、変わらずにいて良いと思ってるのか? いずれ野球部は無くなるぞ」
「……」
「今度の試合に勝てば、俺たちの評価も変わる。この厳しい練習は、その為の第一歩だ。こんな所でいちいちつまずいてたら、話にならねえんだよ!」
「そんなに勝ちにこだわるなら、どうしてこの前の練習試合で、主将の指示に従わなかったんですか?」
「なにい?」
「〇対〇のまま九回裏を迎え、抑えれば延長に持ち込めた。なのにっ、主将が出した敬遠のサインを無視して、相手の四番バッターと無理な勝負をしたりするから、サヨナラ負けなんて事になったんじゃないですか! 田所先輩は自分勝手過ぎます!」
「お前っ!」
田所は怒りをあらわにし、椅子から勢いよく立ち上がると、加奈絵目掛けて走り寄った。驚き硬直する加奈絵の胸ぐらを、田所は乱暴に締め上げる。
「うっ―――!」
加奈絵のジャージを掴んだ田所の手がブルブルと震え、額が付きそうな程顔を近づけた。
「九回まで相手の打者を抑えて来たのは誰だ? 俺だろ! 最後に打たれたからって、俺のせいで負けたなんて言うつもりかよ! お前はあの試合の何を見てた? そんなふざけたこと、絶対に言わせないからな!?」
猛烈な怒りで田所の目は血走り、加奈絵は眼前に迫る田所に目を見開いた。
「女だからって部員にちやほやされて、勘違いしてんじゃねえのか?」
「かっ、勘違いだなんて、わ、私はそんな……」
「部員を甘やかすだけのマネージャーなんて必要ねえ! 俺のやることが気に入らないなら、さっさとやめちまえ!?」
怒りに我を忘れた田所は加奈絵に悪態をつく。加奈絵もまた恐怖と悔しい感情が入り交じり、足がガタガタと音を立てて振動した。加奈絵の潤んだ瞳から涙がこぼれ落ちる。
と、その時、野球部の部室に流れる不穏な空気を振り払うかのように、田所の携帯電話が鳴り響いた。
田所は舌打ちし、加奈絵のジャージから手を放すと、自分のロッカーに向かい、携帯電話を手に取った。掛けてきた来た相手を確認し、気を落ち着かせるため、深呼吸した後に着信ボタンを押した。
「なんだよ。え? まだ練習は終わってない。ちょっと休憩してただけだ」
田所は、近くにいる加奈枝が気になる様子で、電話口を抑えると早く出ていけとばかりに加奈絵を睨んだ。そしてドアの前に立ち尽くす加奈絵に、背を向ける形で丸椅子に腰かける。
「あ? 誰も居ないよ。気のせいだろ。日曜? 無理だ。練習がある。俺が居ないと、ダメな連中ばかりだからさ。試合が終わるまで、遊びになんて行けないよ」
加奈絵は田所の背中を、瞬きもせず凝視していた。そこからゆっくりと、小さなテーブルの上にある、スパイクシューズを入れる袋に視線を移す。心の中を、鉛のように重く冷たい感情が支配していくのを、彼女自身感じていた―――。