予定調和
ほとばしる汗と土煙。グラウンドに響く、気合の入った掛け声。夏の大会を前にして、野球部は日々練習に励んでいた。
投球練習をしていた野球部三年田所翔太は、不甲斐ない部員に業を煮やし、自らバットを握った。ノックをしていた野球部主将皆川学にいら立ちを感じ歩み寄る。
「見ちゃいらんねえよ。どけ! 俺がやる!」
皆川を押し退けると田所はボールを掴んだ。皆川は何も言わず肩を竦めると、ため息と共にベンチへと向う。
ベンチでは報道の腕章を付けた、新聞部部長若林幸一が、グラウンドに向けてカメラを覗いていた。皆川が若林の真横に腰かけると、若林は野球部エースの田所に、カメラのピントを合わせる。
「田所の奴、気合入ってんな」
「ああ、予選が近い。俺たちにとっては最後の大会だ。最近じゃ練習メニューも、全部田所が決めてる」
「主将のお前は、形無しだな」
若林の嫌味とも取れる言い方に、皆川は手にしたタオルで汗を拭きながら苦笑した。
「仕方ないさ。あいつは希望の星。片や俺は、名ばかりの主将だ。あいつが気持ちよく投げられるように、ミットを構えるのも俺の仕事のうちだ」
「ふん。物は言いようだよな」
若林と皆川の隣で話を聞いていた、野球部マネージャー三河加奈絵は、2人の会話に口を挟んだ。
「一回戦敗退を避けたい気持ちはわかります。でも近頃の田所先輩は、やり過ぎだと思います。このままでは、いつ部員の不満が爆発して暴動が起こるか……」
加奈絵の不安そうな言葉を聞いて、若林は不敵に笑う。
「暴動ねえ……。弱小チームをただ追い駆けるより、そっちの方が面白いネタになりそうだ。エリザベータ!、田所から目を離すな。しっかりファインダー覗いとけ!」
「アイアイサー」
若林と共に取材に来ていたクリス・エリザベータは、ベンチ前に陣取りカメラを構えた。
「ブッチョサン、コノカメラ、ツカイニクイネ」
「ああ?」
エリザベータの構えたカメラは、逆さまだった。
「こんな奴、連れて来るんじゃなかった……」
自ら犯した明らかな人選ミスに、若林は頭を抱えたのだった―――。
「五木! 行くぞ! しっかり取れよ!」
田所渾身のフルスイングが、目線に放ったボールの真芯を捉えた。放たれた打球は、ショート付近で待ち構える五木太陽の一歩手前に弾け飛ぶ。僅かな反応の遅れが災いし、ボールはグローブにかすりもせず、五木の後方へと抜けていった。
「馬鹿野郎! ボールから逃げるな! 正面で取れ! 次行くぞ!」
見守る部員に緊張が走る中、田所は容赦ないコースへと、鋭くボールを打ち出した。五木は必死にダイビングするも、スピードに乗った打球はグローブの横を虚しく通過する。見かねた田所は五木に罵声を浴びせた。
「ショートは守りの要だろ! てめえ、それでも三年か!」
砂埃と額ににじむ汗を腕で拭うと、五木は唇を噛みる。
「くそっ! そんな打球取れるかよ!」
やってられないとばかりに、五木はグローブを脱ぎ捨てた。
「どうした五木! もう終わりか? グローブを拾え!」
「なんなんだよ。偉そうに……」
五木はグローブを拾い上げると、打席にいる田所に向かって投げつけ走り寄った。他の部員は動くことすら出来ずに固まっている。
「主将!」
マネージャーの加奈絵が叫ぶとほぼ同時に、皆川はベンチを飛び出していた。
「調子に乗りやがって!」
五木は田所に掴み掛ろうと腕を伸ばす。田所もバットを投げ捨て迎え撃った。互いに相手の襟と袖を掴みながら、グラウンドをマットにして激しく転がった。
「言われたくなかったら、もっと上手くなれ!」
「ふざけんな!」
上下が交互に入れ替わり、二人はきりもみ状態で罵り合う。そこに皆川が全身を使って割って入った。
「お前ら、練習中だぞ! 今問題を起こしたらどうなるか。新聞部がカメラを構えてるのが見えないのか!」
皆川の言葉に、二人の動きがピタリと止まった。五木は田所のユニホームからしぶしぶ手を放すと、何も言わずに立ち上がり、そのまま水飲み場の方向に歩いて行く。田所もまた立ち上がり、面倒くさそうにユニホームの土を払いのけた。
「このままだと、また一回戦敗退だな」
田所は皆川にそうぼやくと、一人グラウンドを出て行くのだった―――。
「くそっ! エリザベータのデカいケツが邪魔で前が見えねえ! 撮れねえだろがコラ!」
若林はついに来たとばかりにカメラを構えたが、エリザベータが前方で視界を遮り、肝心な場面を撮り損ねていた。
「てめえエリザベータ! ちゃんと撮れてんだろうな!」
「バッチリネ!」
若林の問いかけに、エリザベータは満面の笑みで振り返る。しかし、エリザベータの持ったデジタルカメラに、メモリーカードが入っていない事に若林が気が付いたのは、それから一時間も後の事だった。