最初のダンジョン《エントランス・トゥ・ハート》→《強迫観念》
「甲斐性無し」
牢屋から離れ、しばらく歩いたあと。
ずっと口を閉ざしていた名前のわからない少女( 俺と同世代くらいだから、少女と呼ぶのがはたして正しいのかも俺にはわからない )は、開口一番にそう言った。
「根性無し。意気地無し。みっともなし!」
「…みっともなしってなんだよ」
無理矢理「なし」で繋げんな。
「冷静になって考えてみたら、あの檻、あんたが壊せば良かったんじゃない!そうすれば、《あの子》は私じゃなくて、あんたに依存するんでしょ?」
「そんなことしたって、問題は解決しねーよ。他人に依存するってことは、存在の自由度が下がっているってことなんだから」
虐待を受けた子供のように。
あの檻を破壊すれば、春風の未来に存在する、多くの可能性も壊してしまう。
「だったら、破壊した可能性の分だけ幸せにしてあげたらいいじゃん!それくらいのことも言えないからタマナシって呼ばれるのよ!」
「女の子がタマナシとかってシャウトすんなや!」
つーか呼ばれてねーし。
呼ばれてたまるか。
「根拠の無い安請け合いは、助けないことより酷い暴力だと思うけどな」
「それはっ…これから頑張ればいい話でしょう!?」
「頑張らないやつの常套句だな」
そんな無責任な計画で他人の人生を背負えるほど、俺は純真無垢でも厚顔無恥でもない。
「……………」
「納得したか?したなら早く準備を整えろよ。この部屋には、今までの敵とは比べ物にならない…」
「納得なんかしてない。あんたはなんだか賢そうな理屈を並べてるけど、要するにあの子を見捨てるってことでしょ?」
「…助け合い励まし合いの精神はそりゃ大事だろうけど、本来は自分の力で助かるべきなんだ。本人が助かろうとしなければ周りが何をしても無意味だし、当人が助けを当てにしていたら、何度助けても無価値だ。人の手を借りて助かった野生動物は、借りた分だけ野生に帰れなくなる。人は結局、勝手に助「うるさいうるさいうるさい!!言い訳なんか聞きたくない!!」
俺の言葉が終わる前に、彼女の憤怒が、活火山のように噴火する。堪えきれなかった想いが、傷口から溢れる血液のように、やりきれない痛みを訴える。
「あんた、あの子が何て言ったか覚えてる?『私は昔酷いことをした、だから私はいちゃいけない』って、そう言ったのよ!私たちのことを気遣って、『助けるな』って警告したのよ!?他人にあれだけ優しくなれるくせに、その優しさが一つも自分に向いてないのよ!?」
よほど腹に据えかねたのだろう。俺の言葉を押さえ込み、情けない言い訳を呑み込んで、彼女の感情の波が打ち付けられる。《幸》の境遇への怒りが、みっともない俺への憤りが、荒波の如くぶつかってくる。
「あの子が何をしたかなんて知らないし、何かをされた人からすれば、確かにあの子は幸せになっちゃいけないのかもしれない。だけど、私はそんなの認めない!幸せになっちゃいけない命があるなんて、私は信じない!自分からさえ『幸せになっちゃいけない』なんて言われてるなら周りが助けてあげなきゃダメじゃない!私たちが、手を差し伸べてあげなきゃウソじゃない!」
あの子はあんなに―――優しいんだから。
彼女はそう言って、俺を見た。
なぜだか鈍いとぐみに言われる俺だけど、さすがに今、彼女が何を求めているかは分かる。
謝罪。肯定。同意。
自分の間違いを認め、ごめんなさいと謝り、少女の意見に従うこと。そんな未来を願っている。サンタクロースの正体を知ってなお、その存在を信じようとする子供のように。
だから俺は答えた。
「悪いな。俺はあいつを助けない」
「ぇ―――?」
自分の、偽りない本音を。
期待には応えられない分、誠実に答えた。
俺はあいつを助けない。だって―――
「…私は助ける」
力なく、輝きなく。
蝋燭に揺らめく火みたいに弱々しかったが、それでも彼女はそう言った。
間違っているのは俺のほうだと、主張した。
「私1人で助ける…。1人でも助ける!そうだよ、檻を壊せないなら、壊さずに助ける方法を見つけたらいいんだもん!」
そんなものあるはずが無い。ここは春風の心の中なのだ。
自分で自分を否定している以上、自分が助かる方法なんて用意してあるはずがない。
本人が助かろうとしない限り…周りの助けは無力だ。
「見てなさいよ!どんな命も、助ければ助かるって、証明してやるんだから!」
そのことに気付いていないのか、あるいは気付いてなお、そう主張しているのか。
いずれにしろ、彼女はそう叫んで走り去った。
俺の行く手には「この部屋から強い気配を感じる…」のメッセージ。
ボス戦の直前に、俺はまた1人になった。
『…どうしますマスター?彼女を追いますか?』
「いや…このまま行く。あいつを追ったら、《幸》を助けることになるし」
俺は助けない。だって、助けるってことは、また失う可能性を生むってことだから。
『…そうですか』
「情けない兄貴で悪かったな。嫌いになったか?」
『私は、どんなマスターでも大好きです』
『あー!怜悧が抜け駆けしたー!あたしだって、にーちゃんのこと大好きだよ!』
「…そこは嫌いになってもらわないと困るんだけどな」
俺の情けなさを―――肯定して欲しくなかった。
どこまでも自分勝手だな…俺は。
「…っし、んじゃよろしく頼むぜマイシスターズ」
『はいはーい!』
『お任せ下さい』
とにかく今は、春風の妖怪変化を止めることを考えよう。
あとのことは、その時頑張ればいい。
◇
神々しい。
それが、かつて建物だったらしきこの場所の第一印象だ。
左右に立ち並ぶ石柱も、遥か頭上を覆う天井もぼろぼろだけれど、場を支配する威厳のようなものは、全く朽ちていない。
ただここに在るだけで人を跪かせるような存在感。
朽ちてなお、他を圧倒する威厳。
およそ春風のキャラクターからは連想できない空気を、この場所は内包している。
「…ここは、どこだ?」
誰に聞くでもなく、そんな間抜けな疑問を呟く。
誰に問うでもなく呟いたその質問に、しかし誰かが答えた。
「幸せの成れの果て…美しき思い出の残骸だよ」
「ッ!」
この場所の中央に目を向ける。
そこには―――
「はる…かぜ…?」
「どうしたの、緑野くん?そんなおぞましい者でも見るような目をしないでよ、傷ついちゃうよ?」
「え…あ、悪い…」
謝ってしまった。
読者の皆さんから「おいおい何を謝っているんだ、そこは否定するところだろう?謝ったらおぞましい者でも見るような目をしていたと認めるようなものじゃあないか」などと怒られてしまいそうだが、1つ言い訳をさせてほしい。情けないついでにみっともなく言い訳をさせてほしい。
蜘蛛。
春風の下半身が、蜘蛛のそれになっていたのだ。
ケンタウロスのあの馬の部分が、そのままそのもの蜘蛛のそれになっていると言えば伝わるだろうか。それでいて上半身はピンク色でひらひらした感じの( フリルっていうんだったかな? )服に、伊達 政宗が着けてそうな眼帯を両目に装着している。
今年度のミスマッチ大賞ぶっちぎりの第一位だ。
独眼竜ならぬ零眼蜘蛛とでも呼ぼうか。
「…その呼び方は止めてほしいかも」
普通に『春風』でいいよ、と返す『春風』。
眼帯のせいで目は見えないが、困ったような笑顔を浮かべているのを見ると、こいつも春風の一部なんだと実感する。
一歩。足を出す。
一歩。春風に向かって歩み寄る。
足音が残響することなく端的に響き、場の静けさを際立たせる。
崩れた天井から差し込む光が描く円の中に踏み入り、春風と点対称の位置についたあたりで、俺は足を止めた。
「まず、何で緑野くんがここにいるのかを聞いてもいいかな?」
春風の質問が、静寂に変化を与える。
何が戦いの引き金になるかわからない緊張に冷や汗を流しながら、俺は慎重に答える。
「お前の…春風の妖怪変化を止めにきた」
「妖怪変化?」
意外、といったようなリアクションを見せる春風。
そういえば、《幸》も似たようなリアクションをしてたけど…
「まさか、知らなかったのか?」
「うん、知らなかった。このあたりはまだ堕ちてないし、私はほら、見ての通りマイナス感情だからさ。そういうマイナス変化には鈍いんだよ」
「マイナス感情ね…」
外見で相手を判断するのは良くないが、それでも『やっぱり』という感じだ。
下半身が蜘蛛のプラス感情があってたまるか。
「じゃあ、緑野くんは私の…薫の最心部に行くつもりなんだね?」
「………あぁ」
バトルパート突入な流れになってきたので、警戒を強めながら答える。
「最心部なら、この奥にある出口から出てすぐだよ」 そんな俺を見て、マイナス感情は軽く微笑みながら道を教えると―――
「薫のこと、よろしくお願いね」
……………。
「ヘ?」
「…え?助けに来てくれたんだよね?」
「いや、まぁ…そうなんだけど」
「じゃあ、薫のことお願いしていいんだよね?」
「いや、まぁ…そうなんだけど」
どうやら、戦う意思は無いらしい。
少し…というか、かなり拍子抜けだ。
「…じゃあ、素通りしていいのか?」
「通せんぼする理由がないよ…」
呆れたような調子で返される。
…いや何でお前が呆れる側なんだよ。なぜ俺のほうがおかしいみたいな感じになっているんだ?
釈然としないものを感じつつも、とりあえず蜘蛛春風の後ろにあるらしい出口を目指して歩いてみる。
…本当に妨害しねーよこいつ。むしろ微笑みながら手を振って見送ってらっしゃるよ。
ただのイベントキャラってオチかな…。
「あ、そうだ蜘蛛春風」
「…その呼ばれ方すっごく嫌だよ…。同じ春風なんだし、普通にいつも通り呼んでよ…」
こいつがイベントキャラならあるいは…
「この洞窟にある牢「開けちゃ駄目」
すんごい早さで拒否られた…。
『牢屋』の『ろ』が言い終わるころにはもう内容にアタリをつけてたみたいな早さだ。
高校生クイズ甲子園の解答者かよ。
「開けちゃ駄目「それは駄目「それだけは駄目「絶対に駄目「殺してでも駄目」
機械的に、無機質に。
ただひたすら『駄目』を連ねる蜘蛛春風。
あの日下駄箱のところで見たのと同じ…いや、剥き出しのマイナス感情であるこいつは、それ以上の暗い輝きを放っている。
「…何で駄目なんだよ?せめて理由を教えてくれよ」
目の前のマイナス感情に気圧されながらも、それだけは訊ねた。訊ねたかった。
「なら殺す」
「………は?」
ちょっと待て。
今人類の会話に必要なステップが丸々省略されて、英語の教科書もびっくりの不自然なセンテンスが歪に形成されなかったか?
「なら殺す「それなら殺す「残さず殺す「骨まで殺す「死ぬまで殺す「死んでも殺す」
「一回殺せば充分だろ!?」
って違う!落ち着け俺、正気を取り戻せ!どう考えたって、論点はそこじゃない!
目の前のマイナスは今!躊躇うことなく俺の殺害を決定しやがった!
「ちょ…待て春風。一旦落ち着「私は許されちゃ駄目なんだ「人の話を聞けよ!」
ダメだ…完全に自分の世界にトリップしてる!!
『…なんか意外な形でバトルパートに入ったねぇ…』
「呑気でいいなァプレイヤー様はよォ!!」
もう俺に電波の容疑をかけるものはいないので、おもいっきりシャウトする。
そう、いない。
この狂気のマイナスを、俺1人で相手にしなければならない―――!
「どちくしょーーー!!」
「購い続けなければ…私は許してもらえないんだ!!」
彼女の服が、瞬く間に黒く染まる。
明らかに本編とは関係ないところで、俺の命懸けの戦いが始まった。