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無名日記  作者: 沖川英子
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霜月の子供

 猫の爪に似た三日月が冴え冴えと冷たく輝いている。上空の風が雲を取り払ったようで、空はわずかに青みを帯びた黒色に晴れ渡り、星々はふるふると震えている。

 深夜の街は人影もなく、しんと静まり返っていた。眠りについた街を守るように、街灯だけが直立不動でじっと目を光らせている。その監視を受けながら、私は帰路を行く。

時折吹く風には刃物のような冷たさがあり、本格的な冬の到来が間近であることを告げている。首元から忍び込む寒さを凌ごうと上着の襟をかき合わせるが、頬や耳に切りつける冷たさは如何ともしがたい。仕方なく襟を立てて鼻先を埋め、防寒対策とすることにした。窮屈なおまけにかなり不審な格好だとは自分でも思うが、寒さの前では体面も何もない。まさかこんな夜中に他に歩いている者もいないだろうし、誰に見られることもないだろう、と勝手に決め付けた。

 靴音がこつん、かつん、と硬く鳴る。両側を低い丘で囲まれたこの谷合の道では、小さな音がよく響く。時折吹く北風と木々のざわめき、私の足音。それ以外は何も聞こえない。

 夜は静かに街を覆っている。


 ぱたぱた、と微かな音がしたように思った。

 足を止めてじっと耳を澄ます。途端にひゅう、と北風が頬を掠め、私は眉をしかめる。その風音の中に確かに、ぱたぱた、と小さな音が響く。軽く、躍動的な音だ。

 それは私の背後から段々と近づいてくるようで、振り返ってみると果たして、遠くに白い人影が見えた。その姿は大人にしては小さく華奢だ。どうも走っているようで、よく見ると、ちらちらと体の両脇に動いて見えるのが両手らしい。

 ぱたぱた、と軽やかな足音をたて、人影はどんどん近づいてくる。やがてその姿がはっきりと見て取れるようになった。街灯に一瞬照らしだされたその姿に、私は目を疑った。

 軽やかな足音の正体は冬着に身を包んだ子供だった。茶色い毛編の帽子をしっかりとかぶり、真っ白な上着に真っ白な手袋をはめている。かわいい小さな足にも真っ白な長靴を履いており、帽子以外は暖かそうな白で見事に統一されている。

 呆気にとられている私の横を、白い子供はたたたっ、と軽快に駆けて行く。すれちがいざま、私の目を見てにっこりと笑った様は楽しくてしかたない、というようで、頬が赤く上気していた。

 風のように駆け抜けたその後ろ姿はどんどん小さくなって行く。それを茫然と見送りながら、ふと、こんな時間に子供が一人で外出しているわけがない、と思い立った。家出だろうか、それとも親に放り出されたのだろうか、それにしては、随分と無邪気な笑顔だったように思う。何にせよ、幼子を夜中に出歩かせるのは危険であり、大人としては見過ごすわけにはいかない。

 子供の後を追い、私は慌てて走り出した。厚着の上に日ごろの運動不足が祟り、街灯数本を行ったあたりで早くも息が乱れ始める。相手は子供ながらに足が速く、なかなか追いつくことができない。

 ぱたぱた。ぱたぱた。

 どったどった。どったどった。

 私の足音が重く無様に谷間に響く。近隣住民の眠りを妨げるようで気が引けるが、構ってはいられない。重い鞄をしっかりと抱えて私は走る。

 住宅街を越え、畑と竹林の間を通り抜け、子供はなおもまっすぐな道を走る。やがて見えてきた丁字路を左に曲がったのを見て、私はあれ、と呟いた。この進路は私の帰路と全く同じである。左に曲がって数件行った先、駐車場の隣が我が家だ。

 子供を追って私も丁字路を曲がった。たったと駆ける子供の後ろ姿は先ほどよりだいぶ大きい。もうそろそろ追いついてもいい頃だ。というより、追いつかねば私の体がもたない。既に呼吸はぜえぜえと荒く、額には汗が噴き出している。速度を保つのがやっとの状態である。

 それに引き換え目の前の白い子供は相変わらず元気が良く、後ろからついてくる大人の事などお構いなしに軽やかに夜を駆けている。疲れという言葉を知らないのか、羨ましいことである。

 疲れ知らずの子供は風のようにさっと路地を駆け抜け、私の家の前を通り過ぎた所でひょいと曲がった。私もどたどたと我が家の前を通り過ぎ、後を追ってその隣、広い駐車場に飛び込んだ。

 立てられた看板には「パーキング」と仰々しく書いてあるものの、実際はただの空き地に数本線を引いて区切っただけの簡素な駐車場である。舗装などは一切なされていないので、土と砂利に覆われた敷地のあちこちには野の草が繁茂し、夏には定期的に雑草取りをしないと草をかき分けて車に辿り着く事になる。今は晩秋なので草々はまばらで、かろうじて残る緑の葉には茶色い冬の気配が忍び寄っていた。

 そこに、大勢の白い子供たちが集まっていた。

 車の置かれていない中心部に集まり、彼らは大きな輪を作っている。背の高い子、低い子、細い子、太い子。背格好はまちまちだが、共通しているのはその服装だ。皆一様に茶色い帽子と白い服装で、楽しげにきゃっきゃと笑いさざめいている。

 そこに、先ほどの子供が合流した途端、わっと大きな歓声が響いた。手袋をぽんぽん、と打ち鳴らして大喜びしている子もいる。私の追った子に飛びつき、じゃれあう子もいる。

 沢山の白い子供たちは一しきり合流を喜ぶと両手を繋いで広がり、輪の形をきれいに整えた。何をするのかと見ていると、一人の子供が

――せーの。

大きく声をかけて両手を上げる。手を繋いでいた両脇の子供、その両脇の子供、というように、手の波が輪の一片から起こる。波打つように両手を上げて、子供たちは笑った。

――せーの。

先ほどの子供が再び声をかけると、今度は上げた手を一斉に降ろしながら数歩後ろに下がる。そのまま手を繋いで右に数歩動き、左に数歩動き、白い輪はくるくると回る。時折手を離し、その場で一回転して手を打つ。ぽん、といくつもの音が、静まり返る街にくぐもって響く。

 時々、私の方をみて人懐こく笑う子もいたが、皆このお遊戯が楽しくて仕方ないようで、止まることなくくるくると回っている。三日月も沈み、震える星々が見守る中、白い子供たちは夜の底で楽しげに踊り続けていた。

 私はしばらく見ていたが、結局寒さに負けて家に戻ることにした。

 湯に浸かり、寝支度を整えて外を見るとお遊戯はまだ続いている。一晩中、踊り続けるのかもしれない。私も彼らに付き合うつもりで、燗酒を手にその様子を眺めていたのだが、いつの間にか眠ってしまった。

 夢の中で、ぽんぽん、というくぐもった手の音と、無邪気な笑い声を聞いた気がした。



 翌朝はきんと冷たく晴れ渡り、着るものを一枚増やさねばならぬような寒さとなった。起きぬけのぼんやりとした頭で布団から抜け出し、窓を開けた途端、はっと昨夜の出来事を思い出した。寝巻の上に上着を羽織り、私は慌てて駐車場に向かう。

 朝日に照らされた駐車場は普段と何一つ変わらないように見えた。昨晩の子供たちの痕跡はどこにもない。あれだけ踊っていたのに、足音一つ残さずに消えてしまったかのようである。

 輪のあった場所に行ってみようと数歩踏み込むと、足の下でさくっ、と軽い音がした。

 見ると、私が足を置いた部分の土がくっきりと凹み、白っぽく光っている。足跡の周りの土は、白く透き通る輝く柱に持ち上げられている。

 今年初の霜柱であった。

 注意して見れば、駐車場のあちらこちらに霜柱が立っている。青い車の横のでこぼこした所に、岩陰に、ヘビイチゴの群生の傍に。皆一様に茶色い土を被り、背の高いの、低いの、細いの、太いの、群れ固まってバンザイをしているように見える。

 なるほど、と呟き、私は足元の霜柱を拾い上げた。

 お遊戯はまだ当分続くのだろうと思うと、自然に笑みがこぼれた。


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