白昼夢の家
本駒込に、貸家があるという。
築31年、35平米の木造二階建て。狭いながらも屋根裏があり、庭には杏の樹が植わっているという。最寄駅からは徒歩10分とのことなので、きっと静かなことと思われる。近所には同じような古い家があり、老夫婦や学生や、勤め人等々が住んでいるのだろう。近くには日向ぼっこに丁度良い公園もあり、上野の公園や博物館も、行こうと思えばすぐだ。
古い住宅街なので、木々の植え込みも多い。家々の塀と塀の隙間は、小さな生き物や子供らの格好の通り道だ。
そこを、私の猫が通る。
美しい三毛である。長い尾を優美にくねらせ、小さく尖った鼻先を時折かかげ、ふんふんと風の香を嗅ぐ。アーモンド形の金色の瞳は常に面白そうなものを求めてくるくる動き回り、休むことを知らぬようである。
彼女、風子は、植え込みや塀の隙間といった細い秘密の道を、我が物顔で歩いて行く。先には古い板塀があり、小さく空いた穴を抜けると、草のぼうぼうと生い茂る私の庭に出る。
風子は、勝手知ったる庭を横切り、敷石をぽんと身軽に飛んで縁側に丸くなる。気が向けば杏の樹に登ることもある。縁側でなく、お気に入りの押し入れか、かごの中か、私の膝で眠ることもある。私は麦酒を飲み本を読みながら、風子をなで、風子が運ぶ匂いを嗅ぐ。
花、雨、土、草。
この美しい三毛猫のもたらす匂いで、季節を知る。
そんな、私の理想に満ちた生活は、住宅情報誌に記された『家賃』の項目を見た途端に脆くも崩れ去った。
杏は枯れ、家の影は霞み、幻の猫はどこかへ行ってしまった。
私はため息をつき、自らの月給に思いを馳せ、またため息をつき、よろよろと真昼の現実に戻る。
にゃあ、と、小さな声が聞こえたような気がした。
初の投稿作品です。
もともと別のブログで連載していたものを、こちらにお引っ越しいたしました。
一応、お手本としている小説はあるのですが…まだまだ、足元の爪の先にも及びません。精進いたします。
お読み下さり、ありがとうございました!