捨てられ令嬢のお守りが、どうやら規格外らしい
本作は、全六章で構成された異世界恋愛短編小説です。
一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/
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第一章 春の婚約破棄
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「リーネ嬢、今日お呼びしたのは他でもない。婚約の解消についてです」
エスタール侯爵家の応接室は、窓から差し込む春の光がひどく穏やかだった。
壁際に飾られた白い百合の花が、今日に限って妙に生き生きとして見えた。あちらは何も知らない。当たり前だ。
クロード・エスタール侯爵嫡男は、私の斜め前に腰を下ろし、紅茶に一度も手をつけないまま、そう言った。言い終えると、ゆっくりと脚を組んだ。急いでいない。この用件が彼にとって、それほど重くないことを示すように。
私、リーネ・ハーヴィル男爵令嬢は、しばらく沈黙した。
(分かってた)
心のどこかが静かに囁いた。
(最初から、ずっと分かってた)
クロードが私の名を呼ぶとき、その声にはいつも一瞬だけ、薄い間があった。まるでわずかに躊躇しているような、あるいは誰か別の名前を言い間違えそうになるような、そういう間だ。婚約者同士の集まりで私の隣に座ったことも、先に手紙を書いてくれたことも、一度もない。社交界でのわずか三年の婚約期間、私は「いてもいなくても同じ人間」として扱われ続けた。
「ロゼ嬢との縁談が進んでおります。彼女は魔力値が高く、社交にも長け、私の隣に立つに相応しい女性です。あなたとの婚約は、両家の都合で成立したものに過ぎない。……お分かりでしょう?」
「……そうですか」
それだけだった。
怒鳴り返したかった。泣きたかった。「三年間、何だったんですか」と声を荒げたかった。それなのに、喉の奥から出てきたのはたったそれだけの言葉で。自分でも、情けないと思った。
「恨まないでほしい。あなたが劣るわけではない。ただ、私には釣り合わない」
釣り合わない。
その言葉は、胸の奥で不思議と静かに落ちていった。刺さるより先に、沈んでいった。痛みより先に、「そうか」という諦めが来た。
帰りの馬車の中で、私はずっと窓の外を眺めていた。街路樹が風にゆれている。花屋の娘が笑いながら籠を運んでいる。子どもが犬を追いかけて転んでいる。私の婚約破棄などまるで知らない顔で、世界は普通に動き続けている。
怒りより先に、情けなさが来た。あれだけ言われて、何も言い返せなかった自分への、情けなさが。
(釣り合わない、か)
(三年間、婚約者として顔を合わせてきた。それが……それだけだったんだ)
目の奥が熱くなった。泣くつもりはなかった。泣いたところで誰かが慰めてくれるわけでもないのに、馬車の窓の外を向いたまま、ただ景色を見続けた。
(帰ったら、趣味の時間をたくさん設けよう)
それだけを考えた。それだけが、ある種の救いだった。
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第二章 指先の祈り
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私は、十二歳からハンドメイドを趣味としていた。レジン細工、ビーズ刺繍、アクセサリー。中でも一番好きだったのは、「お守り」を作ることだった。贈る人の顔を思い浮かべながら、声には出さない祈りを込めながら、一針一針丁寧に仕上げる。受け取った人が嬉しそうな顔をするだけで十分だった。
宝石の欠片、細い金属線、乾燥させた花弁、絹糸。私はそれらを用いてお守りを作り続けた。誰かが怪我をする前に。誰かが遠くへ行く前に。「無事でいて」という言葉を、言葉にならないまま指先に乗せた。
この世界には「魔力」が存在する。
令嬢たちは魔力を使って花を咲かせたり、精霊に語りかけたりする。魔術師は高度な付与技術を使い、武器や防具に力を込める。そういう「魔力の扱い」には、専門的な訓練が必要だと習った。
私の魔力の量は、正直よく分からない。一度も正式に測ったことがない。ただ、物を作るとき、手のひらに不思議な温もりが宿る気がする。丁寧に作れば作るほど、それが強くなる気がする。でもきっと、夢中になって体温が上がるせいだろうと思っていた。
婚約破棄の翌日から、私は自室の作業台に向かっていた。
今日のお守りは、深緑のリボンと小さな琥珀の石を組み合わせることにした。
贈り先は、家の使用人で、このたび王宮騎士団に入団したカルルだ。先日廊下ですれ違ったとき、少し顔色が悪かった。緊張しているのか、不安なのか。そういう人間に、お守りを渡したくなる。
(無事に帰ってきますように)
声には出さずに、指先だけで祈った。
掌がほんのりと熱を帯びた。今日は少し、温度が高い気がする。
(……丈夫なリボンを使ったから、かな)
気のせいだろう、と私はリボンを結び、遠征前にお守りをカルルに渡した。
◆
それから三週間後のことだ。
「リーネ様! お見せしたいものがあります!」
全身に土と血の痕をつけたカルルが、それでも目をきらきらさせながら私の前に飛び込んできた。胸元から取り出したのは、あのお守りだった。
……おかしかった。
三週間、戦場で使い続けていたとは思えない。深緑のリボンは色が一切褪せておらず、琥珀の石には傷一つない。まるで昨日作ったばかりのように、綺麗なままだった。
「三度、魔獣の爪を受けました。でも全部、弾いたんです。光って弾いた。最後に呪いの霧の中に突っ込んだんですが、体に何も起きなくて。隊の皆がびっくりしてました」
「……呪いの霧は、入ったら」
「普通は最低三日は寝込みます。重ければ一週間。でも俺、ぴんぴんしてます。本当に。見てください、この通り」
カルルは両手を広げ、にかっと笑った。
(……たまたまじゃないかな)
私は首を傾けた。
(お守りの効力?……お守りで呪いが防げるなんて、さすがに考えすぎか)
「リーネ様のおかげで生きて帰れました! ありがとうございます」
「よかったわ、無事で」
そう言って、私はそれで終わりにした。
(思いを込めて作っているけど、ただのお守りだしな……でも、本当にカルルが無事でよかった)
しかし、それで終わらなかった。
◆
翌々日、
別の騎士が訪ねてきた。騎士団のカルルの部隊長でタルクという男、胸に大きな包帯を巻いていたが、目は真剣だった。
「リーネ嬢のお守りを、分けていただけないでしょうか」
「……どうして私が」
「カルルから聞きました。あのお守りがすごいことを……
あのお守りをあいつだけじゃなくて部隊の二人と交互に預け合いながら、使用していました。その二人も、普通なら致命傷になるはずの攻撃を受けながら、全員ぴんぴんして帰ってきた」
タルクは頭を下げた。深く、真剣に。
「素晴らしいお守りを、次の討伐に持っていきたい。お願いします」
(……本当に、そういうことが起きてるの?)
(皆さんの実力で乗り越えただけでは……)
私には、信じる根拠も否定する根拠もなかった。ただ、頭を下げるその人が本気であることは分かった。
(……でも、ここまでされたら)
「一つだけ、ならば作りますよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
カルルが話を広めたせいで、やがて騎士団の間で「ハーヴィル令嬢のお守りが効く」という噂が立った。断るのが苦手な私は、次々にお願いされて、気づけば五個ほど作って配っていた。渡す相手の顔を思い浮かべながら、いつも通りに。指先に祈りを乗せながら。
それからさらに二週間後の朝のことだ。
その日も私はいつも通り作業台に向かい、白い絹糸を選んでいた。渡す予定はまだないけれど、手を動かしていると落ち着く。次に作るものの輪郭を考えながら、材料をならべる時間が好きだった。
背後で、部屋の扉がノックされた。
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第三章 騎士団長の目
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扉を開けた瞬間、私は固まった。
見たことのない男が立っていた。背が高い。肩幅がある。黒い軍服の左肩に、王宮騎士団の銀の紋章が光っている。顔は整っているが、真剣な表情をしていた。
「……驚かせてしまい、申し訳ない。ゼクス・ヴァルターです。王宮騎士団を預かっています」
(騎士団長。王宮騎士団長が、なぜ私の家……部屋に!?)
「使用人の方にあなたが、この部屋にいると聞きまして……」
頭が真っ白になりかけたが、礼儀だけは体が動いた。
「……リーネ・ハーヴィルですが、何か御用でしょうか」
ゼクスの視線が、私の背後の作業台へ向いた。切りかけのリボン、並べた宝石の欠片、針と糸。令嬢の部屋とは言い難い雑然さだ。
恥ずかしさより先に、混乱がきた。
彼は何も言わず、手に持っていたものを私の前に差し出した。
深緑のリボン。小さな琥珀の石。カルルに渡したあのお守りだ。
「これは、あなたの作品ですか」
「はい」
「鑑定士に見せました。三名が確認しました」
「……はい」
「三名全員が、絶句しました」
「……はい?」
ゼクスは表情を一切変えないまま、続けた。
「呪い無効化、毒無効化、物理衝撃の自動遮断、持ち主の魔力安定化。四つの付与が同時に施されています。現在、国内で確認されている聖具のうち、三つ以上の付与を持つものは存在しない。これは国内最高位の聖具と同等か、それ以上です」
空気が、変わった気がした。
(……何を言ってるんだろう、この人)
私の頭の中が、ゆっくり真っ白になっていく。
「師匠はどなたでしょうか。どこで技術を習得しましたか」
「……特には」
「独学?」
「趣味で作っているだけです。ハンドメイドが好きなので」
ゼクスの眉が、ほんのわずかに動いた。それが驚きなのか、別の何かなのか、私には読めなかった。
「正式に買い取らせてほしいです。それと」
彼は少しだけ声のトーンを落とした。
「今後、あなたの制作物を正しく管理するための保護契約を結びたい。この品の価値が世間に知れ渡れば、あなた自身が危険にさらされます。それは防ぎたい」
(私のお守りが本当に効力があったということ?それに、保護契約!?あわわ……)
「ちょ、ちょっと待ってください……少し、考えさせてください」
「もちろん」
ゼクスは扉に手をかけ、一度止まった。振り返らずに言う。
「ただ、一つだけ。あなたの名は、もう少しで各方面に届きます。その前に、正しい保護のもとに置かれるべきです」
「……もし断ったら、どうなりますか」
「商人や貴族が来ます。次に、他国の騎士団が来ます。その次に、あなたを武力で確保しようとする者も現れるかと。この品の価値を知れば、礼儀の通じる相手ばかりではない」
ゼクスの声は淡々としていた。脅しではなく、事実として言っているのが分かった。
「……考えます」
「分かりました。ただ、これだけは言っておきます。私……私たちはあなたに救われました」
「……え」
「なので、次は私たちがあなたを守りたいと思っています。では、失礼いたします」
扉が、静かに閉まった。
私はその場に立ち尽くして、それから椅子にへたり込んだ。
(……呪い無効化と毒無効化と衝撃遮断と魔力安定化が、全部同時に入ってるって)
(国内最高位の聖具と同等か、それ以上って)
窓の外に、秋の空が広がっていた。どこかで鳥が鳴いていた。
(私は……ただ誰かのことを思いながら、作っただけだ)
作業台の上の、切りかけのリボンをしばらく眺めた。
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第四章 揺れ、折れる
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ゼクスが来てから一週間、私は返事を保留にしたままだった。
理由は単純だ。
(あまり、目立ちたくない)
保護契約を結べば名前が広まる。騎士団との繋がりが生まれ、宮廷に顔を出すことになる。聖具職人などという肩書きが付けば、貴族社会にまた絡め取られる。あのような苦しい思いはしたくない。
(お守りは好きで作っているだけだ。誰かが喜んでくれればそれでいい。それだけでいい)
そう思い込もうとした。
その間にも、訪問者は増えた。
貴族が二人、商人が三人、遠方の国から使者が一人。「聖具の話が聞きたい」「買い取りたい」「製法を教えてほしい」。父が応対してくれていたが、毎夕報告を受けるたびに胃が締まる気がした。
ゼクスが言った通りだ。名前が広まるのは時間の問題だった。
でも、保留にしている本当の理由はもう一つある。それは、自分にそれほどの価値があるとは、信じられなかった。
あの日、「釣り合わない」と言われたこと。特別な力も、高い魔力も、外交術もない、ただの男爵令嬢だということ。それがまだ、どこかに刺さったままだった。
(所詮、趣味で作ったものがたまたま効いただけかもしれない。鑑定士が間違えただけかもしれない)
そんなことを考えていた一週間の終わりに、クロードから手紙が届いた。
「一度お会いしたい。話がある」
婚約破棄から半年が経っていた。初めての連絡だ。理由は書いていない。
(……断ればよかった)
でも迷った。「釣り合わない」という言葉が、まだ心の棘として残っていた。もしかして謝ってくれるかもしれない。そんな浅はかな期待を、どうしても捨てられなかった。
久しぶりに会ったクロードは、相変わらず整った顔をしていた。ただ、その目に宿っているのは謝罪でも後悔でもなかった。好奇心、とでも言えばいいのか。値踏みをするときの、計算する目だった。
「リーネ嬢、噂を聞きました。騎士団の間でお守りが……騎士団長が直々に動いているとも」
「少し、そういう話は……」
「あなたに、そんな価値があったとは思わなかった」
時間が、止まった気がした。
(……そんな『価値』)
言い終えたクロードの表情が、わずかに緩んだ。まるで、難しい計算の答えが出たときのような顔で。
(謝りに来たんじゃなかった。確認しに来ただけだ。私にどれだけの価値があるのか、それだけを確かめに来た)
胸の奥が、ざわりと揺れた。怒りより先に、悲しさが来た。自分に、ではなく、まだこの人に何かを期待していた自分への悲しさが。
「……私には、よく分かりません。ただのお守りを作っているだけです」
「しかし騎士団長が直々に——それ相応の力があるということでしょう。もしその力を適切な場所で活かせるなら、私もお力になれるかもしれない」
(自分の利益にしたいだけだ)
(……この人はもう、私を人間として見ていない。使える駒かどうか、確かめに来ただけだ)
「失礼します」
私は立ち上がった。頭を下げ、クロードの前を横切り、廊下へ出た。
扉を閉めた瞬間、足が震えていることに気づいた。
(また逃げた)
壁に手をついた。
(言いたいことを言えなかった。ちゃんと怒れなかった。また、同じだった)
情けなかった。弱い自分が、本当に情けなかった。
でも、その夜。
自室の作業台の前に座って、リボンの端を指先で触りながら、私はゆっくり考えた。
(クロードが「価値がある」と言ったのは、私のことじゃない。お守りのことだ)
(でもゼクスは違った。あの人は私に「守りたい」と言った。値踏みじゃなかった。利用しようとしたわけでもなかった)
(……信じても、いいのかな)
信じて、裏切られたらどうする。また「釣り合わない」と言われたら。また「価値があると思わなかった」と言われたら。それが一番怖い。でも。
(もし裏切られても、今と同じだ。今だってもう、平穏じゃない)
私はリボンの端を指で撫でた。
(それに。ゼクスはお守りの「使い道」じゃなくて、「危険」を先に言った。守りたいって言った。それは……違う気がした)
◆
翌朝。
気分転換に庭の奥にある温室へ向かおうとした時だった。
裏庭の木々が不自然に揺れ、灰色の外套を羽織った男たちが数人、音もなく生垣を飛び越えてきた。
「……っ!?」
悲鳴を上げる間もなかった。男たちの手には、鈍く光る抜き身のナイフと、捕縛用の網が握られている。
「静かにしろ、ハーヴィル令嬢。お前を連れてこいと命令を受けている。大人しくすれば痛い目は合わせない」
商人の雇った荒事屋か、あるいは他国の回し者か。
ゼクスが警告していた「武力での確保」が、これほど早く現実になるとは思わなかった。私は震える足で後ずさりし、背後の壁にぶつかった。逃げ場はない。
男の一人が手を伸ばした、その時だった。
銀光が一閃し、男の足元の地面が爆ぜた。
「そこまでだ」
低く、地を這うような声。
現れたのは、黒い軍服を翻したゼクス・ヴァルターだった。彼の背後からは数名の騎士たちが瞬く間に現れ、狼狽する男たちを鮮やかな手際で制圧していく。
あまりの速さに、私は腰を抜かすようにその場にへたり込んだ。
「……ゼクス、様……?」
ゼクスは剣を鞘に収めると、こちらへ歩み寄り、膝をついて私の目線に合わせた。
「怪我はありませんか、リーネ嬢」
「はい……でも、どうしてここに」
ゼクスは少しだけ視線を伏せ、苦渋を滲ませた表情で口を開いた。
「失礼ながら……勝手に見張りを行わせていただいておりました」
「見張りを?」
「はい。あなたの周囲に不穏な動きがあることは掴んでいました。ですが、商人や貴族関係の接触には、我々騎士団は正当な理由なく口を挟むことができません。本件も、実際に手を出されたことが確認できない限り、公に動くことができなかったのです……。恐怖を味わわせてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
ゼクスは深々と頭を下げた。
その言葉を聞いて、胸の奥に灯ったのは恐怖ではなく、温かな納得だった。彼は「手を出されるまで待っていた」のではなく「守るための大義名分を整えつつ、最速で助けられる距離にずっといてくれた」のだ。
私は震える手で、自分の胸元に下げていた試作のお守りを握りしめた。
「本当に……私を守ってくださるのですね」
ポツリと漏れた私の言葉に、ゼクスは顔を上げ、かつてないほど真剣な眼差しを向けた。
「もちろんです。たとえ……仮に、あなたのお守りから一切の効力が失われたとしても、我々があなたに命を救われたという事実は変わりません。その恩義は消えず、あなたの価値が揺らぐこともない。私は、リーネ・ハーヴィルという恩人を守りたいのです」
お守りの「性能」ではなく、私という「人間」に向けられた言葉。
私は溢れそうになる涙を堪え、彼の手をしっかりと見つめて答えた。
「……ゼクス様。保護の件、お返事をさせてください」
一呼吸置き、私は真っ直ぐに彼を見た。
「お願いいたします。私を、お守りください」
ゼクスの瞳が、安堵に揺れた。
「承知いたしました。私の命に代えても」
朝日が昇り始め、庭の緑を照らしていく。
昨日までの迷いは、もうどこにもなかった。
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第五章 逆転の午後
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王宮の小広間は、思ったより人が多かった。
聖具の正式登録は特別な手続きらしく、宮廷魔術師が三名、記録官が二名、副団長のアレンが壁際に控えていた。ゼクスは軍服姿のまま立ち、こちらを静かに見ていた。部屋全体がどこか張り詰めていて、私だけ場違いな気がした。
机の上に、持参した五つのお守りを並べた。
深緑のリボン、白い絹糸、琥珀、碧玉、小さな銀の金具。どれも、いつも通りに作ったものだ。渡す相手の顔を思い浮かべながら、指先に祈りを込めながら仕上げた。
鑑定が始まった。
最初の魔術師がお守りの一つに手をかざした。次の瞬間、動きが止まった。もう一人の魔術師に耳打ちする。耳打ちされた魔術師も手をかざして、止まった。三人目も、同じだった。
三人が揃って、私を振り返った。
「……ハーヴィル嬢。これを、ご自身で」
「はい」
「いつから」
「十二歳の頃からです。趣味で、ずっと」
記録官の一人が、羽ペンを落とした。床を転がる音が、静かな部屋に響いた。もう一人の記録官は、書きかけの羊皮紙をひっくり返した。
「全て最高位相当か」ゼクスが低く問う。
「それ以上かもしれません。この付与の密度は……前例がありません。これが本当に付与であれば、国内の既存聖具は全て過去のものになります」
静寂が、部屋を満たした。
私はその視線の中心にいて、どうしていいか分からなくて、持ってきた鞄の持ち手をぎゅっと握った。
宮廷魔術師の一人が、机に両手をついた。
「この品に込められているのは……魔力の付与ではない。正確には、意志の結晶化に近い。我々が訓練によって学ぶ付与とは、構造が根本から異なる。持ち主を守ろうとする、非常に強い意志が直接形になっている、としか言いようがない」
「……意志の」
「ハーヴィル嬢、あなたはこれを作るとき、何を考えていましたか」
「渡す人の顔を思い浮かべて、無事でいてほしいと思いながら……それだけです」
沈黙があった。三人の魔術師が顔を見合わせた。
(私は何もしていない。ただ誰かのことを思いながら、作っただけだ)
「ハーヴィル嬢」
ゼクスが近づいてきた。
「これで分かりましたか。あなたの持つものの意味が」
「……正直に言うと、まだよく分かりません。作るとき掌が熱くなる以外、何も感覚がないので」
ゼクスが目を細めた。その口が、ほんのわずかに緩んだ。
笑っている。初めて見た。
「それで構いません。全てを理解する必要はありません。管理は私たちにお任せください」
手続きが終わり、廊下へ出た。
正面玄関の手前で、声をかけられた。
「リーネ嬢!」
振り返ると、クロードが立っていた。
頬がわずかに白い。目に、焦りがある。今まで一度も見たことのない顔だ。
「廊下で……聞こえました。前例のない付与密度、国内最高位を超える聖具、と」
「……そうですか」
「私は、間違っていた。あなたのことを釣り合わないなどと言ったのは——それは、私の目が節穴だったということで——」
「クロード様」
声が、思ったより落ち着いていた。
(……怒っていない。いや、怒っていないわけじゃない。でも、遠い。すごく遠い。あの日の痛みが、今はもう、懐かしいみたいに遠い)
「私が釣り合うかどうかは、もう関係ないと思います」
「リーネ嬢、話を——」
「あの日、あなたは私に価値がないと言った。先日は価値があったと言いに来た。どちらも、私を人間として見ていない。お守りの話でも、釣り合いの話でもなく、私という人間を」
クロードの顔が、白くなった。
「……そんなつもりでは——」
「そんなつもりでなくても、そういうことなんです。だから私は、あなたの言葉を聞きたくありません」
言えた。
こんなに静かな気持ちで、こんな言葉が言えると思わなかった。
(言えた。怒鳴ってもいない。泣いてもいない。ただ、言えた)
私はクロードに一礼して、廊下を歩き出した。後ろで何か言いかけた声がしたが、足を止めなかった。聞こうとしなかった。
廊下の先に、ゼクスが立って待っていた。
「……どこまで聞いてたんですか」
「廊下は音が通りやすいです」
「それは答えになっていません」
「そうですか」
悪びれない。この人は本当に悪びれない。
「お守りをあと十個ほど作れますか。北方部隊が次の討伐に向けて要請しています」
「十個は多い。七個なら」
「八個は」
「……多くなってます」
「では七個で」
ゼクスが廊下の先へ歩き出した。その口の端が、ほんのわずかに上がっていた気がした。
私はその背中を見ながら、ふと思った。
(……笑える人だったんだ、この人。そういう顔、するんだ)
窓の外に、夏の空が広がっている。あの婚約破棄の日からずっと、空の色だけは変わらない。でも、見え方が少し違う気がした。
(平穏じゃなくなったけど、悪くない、今日)
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エピローグ
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ちなみに、私のお守りの効力について騒いでいたカルルは、ゼクス様にめちゃ怒られたと聞いた。
そして保護契約後。
噂が広まるのは、思ったより早かった。
社交界では最初、笑い話として語られた。「ハーヴィル男爵令嬢が聖具職人に」「騎士団長が保護契約を」「あの、どこにでもいる令嬢が」。ところが笑い声は長続きしなかった。話が広まるほど声が小さくなり、代わりに奇妙な沈黙が増えた。
クロードについては、一つだけ耳に入ってきた。
ある夜会の席で、ロゼ嬢が彼の腕に寄り添いながらこう言ったという。
「ねえクロード様、ハーヴィル嬢ってご存知? 昔、婚約していたとか……復縁する気などありませんよね……」
その後の沈黙がどれほど長かったか、誰も教えてくれなかった。
私はあいかわらず、作業台に向かっている。
今日は絹糸を選ぶのに少し時間がかかった。次のお守りを受け取る人の顔を思い浮かべながら、指先でいくつかの色を試す。決まると、掌がほんのりと熱を持つ。いつも通りの感覚だ。ただそれだけのことなのに、今は少し、嬉しいような気がする。
お守りを一つ仕上げたとき、扉がノックされた。
「リーネ嬢、次の依頼ですが」
「何個ですか」
「十二個」
「断ります」
「十個」
「……八個、上限です」
「では八個で」
少し間があった。いつもならそこで終わる。でも今日は、扉が閉まらなかった。
「……一つ聞いてもいいですか」
ゼクスの声が、いつもより少しだけ低かった。
「あなたは、お守りを作るとき。本当に、それだけを考えているんですか。受け取る人のことだけを」
「……ええ、そうです」
「そうですか」
返事はそれだけだった。いつもなら、扉が閉まり、彼の足音が遠ざかるはずだった。
けれど今日は、沈黙のあとにわずかな衣擦れの音がして、ゼクスが一歩、室内へと踏み込んだ。
「……でしたら、交渉をさせてください。業務としての依頼ではなく、私個人の、わがままとして」
私は驚いて顔を上げた。
鉄の規律を重んじる騎士団長が「わがまま」という言葉を使うなんて、想像もしていなかったからだ。
「ゼクス様個人の……ですか?」
「ええ。私専用のお守りを、一つ、作っていただけないでしょうか。……他の団員たちに配っているものとは、別のものを」
ゼクスは私から視線を外さず、けれどその耳の端が、ほんのりと赤くなっているように見えた。
「特別な、ですか? ……例えば、より強力な付与が必要だとか、そういうことでしょうか」
「いいえ。……もっと、別の意味での『特別』です。……私のことだけを考えて、作ってほしい。あなたが針を通し、糸を結ぶその瞬間に、私のことだけをその胸に置いてほしい。……そういう品が、欲しいのです」
それは、聖具としての性能を求める言葉ではなく、私自身の「心」を占有したいという告白に近いものだった。
「……私の、ことだけを……」
繰り返した自分の声が、熱を持って震えた。
誰かの無事を祈って作ることは、今まで何度もあった。けれど、目の前のこの人のことだけを思い、その指先に全神経を集中させる。それは、今までのお守り作りとは全く違う、ひどく甘くて重い作業になる予感がした。
「……わかっています。あなたは、誰にでも平等に祈りを込める優しい人だ。それを乱すような真似はしたくない。……ですが、どうしてもあなたの中に、私だけの居場所が欲しくなった」
ゼクスは一歩、私に近づき、作業台の上に置かれた私の手に、そっと自分の大きな手を重ねた。
「……わがままを、聞いていただけますか。リーネ」
初めて、名前を呼ばれた。
その響きが、掌の熱よりもずっと熱く、私の心臓を跳ねさせた。
私は赤くなる顔を隠すように俯きながら、それでも重ねられた彼の手を、感じていた。
「……わかりました。ゼクス様のためだけのものを、作ります。……時間が、かかるかもしれませんけれど」
「構いません。……いつまでも、待っています」
扉が静かに閉まったあとも、私の手には、まだじんわりとした温かさが残っていた。 リボンにはまだ触れていない。針も、石も、まだそこにある。
(……八個、間に合うかな)
私はしばらく、その熱を手のひらの中に持ったまま、窓の外を見た。 秋の光が、作業台の上のリボンを静かに照らしていた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
「捨てられ令嬢のお守りが、どうやら規格外らしい」、いかがでしたか?
面白い!と少しでも思っていただけたなら、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで応援いただけると、本当に飛び上がって喜びます!
また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)




