5 新生活
オリヴァーは結婚の準備と配偶者としての仕事を学ぶため、しばらくの間エヴァーツ伯爵家のマナーハウスで生活することになった。
オリヴァーの父親であるラドフォード侯爵とも話し合い、きちんとヘルガをサポートできるように早々に動くことになったのだ。
婚約はきちんと成立して、ある程度の荷物を運び込んだりと屋敷の中がせわしない日々が終わると早速オリヴァーへの指導が始まるのだが……。
「あ、ええと、ごめんね。用意していたはずなんだけど……どこやったかな、ごめんね」
「いえ、フランクさん。良いんで俺は。な、ヘルガ」
「はい。大丈夫です。お父様」
「なんで、焦らなくても」
オリヴァーは焦って自分の机をひっくり返さんばかりに書類を探すヘルガの父フランクを気遣った。
父が探しているのはオリヴァーの勉強のために用意した資料である。
しかし父は「大丈夫、大丈夫、すぐだよ」と言って書類束の下をぐいと持ちあげると、書類の山をバサァーと崩して、執務机からはハラハラと紙が舞って落ちる。
「あっ…………ごめんね、あの、そこで少しくつろいでいて」
父のすぐそばに控えていた侍女が即座に動いて書類を集め始めるが、父はゆっくりとヘルガとオリヴァーへと視線をやってぎこちない表情で、二人に指示を出す。
フランクの様子にヘルガもオリヴァーもこれ以上あせらせないように、なにも言わずに執務室の端にある小規模なソファーセットの方へと移動した。
ヘルガはそこから父が、顔を覆って大きなため息をつくところが見えて少し不憫な気持ちになる。
フランクは、ヘルガと同じミルクティーみたいにふんわりした色合いの茶髪をしているのだが、まだそれほどの年でもないのに最近は白髪が増えている。
それだけ、気苦労が多いのだろう。
ヘルガの母が死んでから、後妻をめとることもなくずっと一人きりだ。
必然として、フランクからヘルガもオリヴァーも仕事を学ぶことになる。
普段の業務も重いのに、それに加えて若い二人の教育、そしてことあるごとにつついてくる親類もいる。
「相変わらずだな、フランクさん。俺も、きちんと教えてくれようとしていることはわかってるから、あんなに焦らなくてもいいんだが」
「……今でも親類から、なにか父に至らない部分があるごとに後妻の話をされるので、ああみたいです」
「そうなのか、それは初耳だな。いつもそそっかし……いや、奮闘してるイメージがあったのはそれが理由か」
「はい、なのであなたもお気になさらず。父もあなたが私の元に来てくださるとこ、とても喜んでいるんです」
侍女のフローラが用意してくれた紅茶に口をつけて、ヘルガは父からオリヴァーへと視線を向けた。
オリヴァーはまだ父を見ていて「ああ、雰囲気でちゃんとわかってる」と短く返す。
ふとその横顔を見ていてヘルガは、こうして幼い頃にも、父の終わらない仕事を二人で待っていたことがあったと思う。
ラドフォード侯爵家とエヴァーツ伯爵家は親類としてのつながりはあまり濃くないが、共同事業で二つの家系を支える逸品を作っているというとても深いつながりがあって、それは遙か昔から続いている絆だ。
必然的に、お互いの跡取りの交流は盛んで、マナーを学ぶためという理由で子供同士がお互いの家に泊まるようなこともあった。
そんな日のこと、遊びに行く約束をしていたのにいつまでも終わらない父の仕事を二人でここに座って待っていた。
その時のオリヴァーも少し背筋を伸ばして父を見ていて、後ろ髪を結っている小さなリボンが揺れていて、さらりとした金髪は昔から少し派手だった。
瞳は深緑で、どこか知的で少しなにを考えているのか察しづらいところがある。
ヘルガはその容姿が幼いながらに地味な自分と比べてうらやましくて少し不服だった。
ふと、オリヴァーを眺めていると彼は何の予兆もなくぱっとヘルガの方へと振り向いて目が合った。
それから切り替えて「そういえば」と話し出す。
「アイロスの方は婚約者に跡取りになることを伝えたらしい、身分がそれほど高い女性じゃないが、今までの関係性もあるしそのまま行くことになったみたいだ」
アイロスというのはオリヴァーの弟の青年だ。
ヘルガも何度も会ったことがあるし何ならよく知っている子で、前向きにアイロスの跡取りとしての話が進んで言っているようで少し安心する。
「そうですね。いきなり、新しい人を探すよりも今までの関係性があるならそちらを優先した方が良いのかもしれません」
「ああ……ただ、突然のことだったからな。なにがあるかわからない。一応なにがあっても対処できるように連絡はこまめにしていこうと思う」
「それが良いですね。我が家にとってもラドフォード侯爵家の安定は大事なことですから、何かあれば私も協力します」
ヘルガはさりげなく、しかしここは逃さないようにと少しキリリとしてそう口にした。
オリヴァーが跡取りの立場を降りたのはこうしてヘルガと結婚するためだ。
それに付随する事柄について彼一人に背負わせるつもりはない。
それをこういう言葉の端々で示していくのは決意の表れだった。
その様子にオリヴァーは少し反応して、二、三瞬きをした後に「ああ」と短く肯定した。
きっとオリヴァーはヘルガの細かな決意に対して察したと思われるがその上で、なにも言わなかったのだと思う。
なぜなら、ヘルガの決意に対して『そんなふうに気負わなくていい』と言ったってそれが揺るがないことを知っているから。
「それで、ラドフォードのことは良いとして、ヘルガの方の話はどうなんだ?」
「どう、と言いますと?」
「元婚約者、まだ復縁要請の手紙は届いてるのか?」
ふと話の方向性を変えてオリヴァーは、今度はヘルガの元婚約者について触れてくる。
それに、オリヴァーを安心させる言葉を返したかったが、ヘルガははたと気がついた。
(そういえば……最近、その手紙は受け取っていないですね)
以前まで頻繁にやってきていて、存在を確認していたが、やっと諦めたのだろうか。
「……今は、落ち着いていまして、最近は見ていません」
「そうか、やっと諦めて、自分の人生に向き合う気になったのかもしれないな」
「……そう、ですね」
オリヴァーはならよかったとほっと一息ついているらしかったが、ヘルガは本当にそうだろうかと感じてしまったことは口に出さなかった。




