38 不安
ヘルガは部屋にもどり、今日は飢饉のことでも調べ、あらあめて派閥争いについて見識を深めようと考えていた。
夜用の腰紐で縛るだけの簡単なドレスに着替えさせてもらい、明日、父やオリヴァーとどんな話をしようかと考えを巡らせる。
今日はオリヴァーとも会う予定がないので、少し気楽にまったりと行動していた。
誰に見せるわけでもないので、適当に髪を横に結って、図書室に向かおうかとフローラと話をしているとノックの音が響く。
「俺だ」
短く言われてすぐに「どうぞ」と返す。なにか夕食の時に伝え忘れたことでもあったのだろうか。
考えつつ少しだけ前髪を整える。
「……予定あるのか」
入室してきたオリヴァーのそばによると彼は、ヘルガのことを上から下までさらりと見て、小首をかしげて聞いてきた。
暇かと聞かれると暇ではないと答える程度の予定がある。しかし優先順位の高いものではない。
微妙な範疇ではあったが、オリヴァーのいつもよりも少し物静かな様子にヘルガは「いいえ」となんとなく言った。
「飲み物をご用意しますねっ」
「ありがとう」
「フローラ……その、あのときの傷は」
「! 見ますか? もう気にもなりませんよ」
「いや、大丈夫」
フローラはヘルガが聞いたときと同じように首元を緩めようとしたが、オリヴァーは即座に否定した。
さすがに年頃の女性の肌を見たいとはいわないようだったが、派閥争いを目前として十年前のことを思い出しているのはヘルガだけではないようだ。
フローラは手早くヘルガの私室のいつも使っているソファーセットに紅茶を用意して「ごゆっくりどうぞ!」と元気に言って部屋から出ていく。
ヘルガはこうしてわざわざ夜のうちにやってきたのだから、少しぐらい腰を落ち着けて話をしていくだろうと考え、ソファーに座りオリヴァーを見据えた。
「……」
オリヴァーは無言でこちらを見つめてきて、ヘルガは少し考えてからソファーの真ん中から端に移動する。
そうするとオリヴァーは隣にやってきて、テーブルの反対側から引っ張ってきた紅茶に少し口をつける。
瞳は伏せられていて、少し猫背で何を考えているかよくわからないが、隣に座ったりこちらを気にしている気配がある。
その様子はなんだか愛情深い大型犬みたいで、そんなことを考えてしまうのは先ほどフローラが恋する男は皆、野獣も同然だと言っていたせいだろうかと考える。
(まぁ、それに……心当たりは……ありますね。明らか様子がいつもと違いますし)
先ほどフローラにした質問のことを考えると、彼が気にしていることが何かは一目瞭然で、あのときの彼の傷も未だに癒えていない……というか、たまに顔を出す。
「不安ですか。オリヴァー」
「……」
「渦中に飛び込むこと? それとも商会を使って我々に牙をむく王家と真っ向から相対すること?」
オリヴァーはただでさえ愛情深い人だ。
自分がどんな危機にさらされていても、守ることを優先してくれる人。
ヘルガにとってそれはとても心強いことで、彼がいるとわかっているから、大胆な行動がとれるのだ。
けれどもだからこそ、もう会うのをやめようと言う言葉をヘルガから言った。
お互いに自立したつもりだったし十年前の出来事はすっかり消化したつもりで別々に過ごしていた期間があった。
しかし結局、今は二人同じ場所にいて、十年前から続いている因縁は絶賛ヘルガたちの生活を脅かしている。
ヘルガは今度こそ、解消したい、きっとこれ以上誰も辛い思いをしなくていいように、と手を打とうと考える。
けれど同時にオリヴァーは、不安になるのだろう。
「……笑っていいぞ。か弱い乙女みたいだろ」
オリヴァーはヘルガのことを見ずにテーブルを見つめながら適当に笑った。
「笑いません」
「……本当に、関与する必要あるのか? 領地の屋敷に戻って素性の知れてる奴らだけとやりすごせば……どうにかならないか?」
「……」
「ならないし、なったとしても君はそうしたくないんだろ。わかってる」
ヘルガが答えないとオリヴァーは自分の疑問に自分で答えた。
「でも、あのときみたいにならない保証は? 君は危険な目に遭わないか? また君が泣く羽目になるんじゃないか」
「……わかりません」
「君を守れなかったら……そう思うと酷く体が重いんだ。ぱっと自分が死んでこの世から居なくなることよりも、なによりヘルガがもう二度と笑えなくなるほど傷つくほうが俺はずっと怖い」
「……」
「君以外何もいらないなんて無責任なことを言って、逃げ出したい衝動に駆られる。守りたいんだ、これは俺のエゴなのかもな。君がどんなに嫌がってもそうしたいと思うんだろうから」
手をつかまれてぐいと引かれる。
彼の方へと体を向けると、少し乱暴にその胸に抱かれた。
ヘルガにとって十年前の出来事が、どんなことにも動き出す原動力になって居るのと当時に、オリヴァーにとってあの出来事は、どうしようもない理不尽に自分の大切なものは壊されると言う原体験になっている。
力のない小さなオリヴァーは未だに、それを恐れて彼の中に住んでいるのかもしれない。
オリヴァーはヘルガの肩口に顔を埋めて、自分より小さなヘルガの体にすがるようにして離さない。
「俺が君を守りたいだけなんだ。守られていてほしいんだ。なにもしないでほしい」
「……」
「手の届くところにいてくれ、なぁ、ヘルガ。見損なったか? でも捨てないでくれ、ちょっとした冗談だろ」
「……」
「明日からはいつも通りに戻れるさ、やることも山ほどあるんだろ。俺も戦力に加えてくれていい。今日のことは忘れてなかったことにしよう、な?」
オリヴァーの言葉を放置していると、だんだんと強がる方向へと話は向かっていくのに、決してヘルガを離そうとしない。
きつく抱かれて胸が苦しく、彼が無造作に髪をなでて頬ずりするので髪型が崩れている気がする。
取り繕えているのは言葉だけで、行動はまったくもってその限りではなく、もし嫌だと突っぱねても謝りながらヘルガのことを離したりはしなさそうである。
そんな強引さと、二人の間にはそれができるだけの力の差がある。
抱きすくめられただけでもこんなに苦しいのだ。幼い頃のようにオリヴァーに本気で飛びつかれたらヘルガは簡単に倒れてしまうだろう。
ヘルガも彼のように体が大きければオリヴァーをコテンパンにして、こんなに強い自分を心配するなんてちゃんちゃらおかしいと言えたのに。
(それが一番スマートで、なにより手っ取り早い解決法ですね。加えてかっこいいです)
そうして繰り返していくうちにライバルとして心配など無用という信頼感が生まれて……なんだかそれもいい気がしてきた。
今度鍛え方をオリヴァーに聞いてみるのも良いかもしれないが、今はそんな場合ではない。
「君はよく俺にうざったいですか? とか聞いてくるけど俺の方がよっぽどうざったいよな。わかる」
「……」
「さらっと重たい感情のない幼なじみですみたいな顔をしておいて、こんなことしてるんだから気持ち悪いな。俺」
オリヴァーは自己嫌悪しながらもヘルガの背後でがっしり腕を組んでしまっている。
結局、今のヘルガは彼のライバルになって張り合えるほど強くないので現実的に考えて新しい案が必要だろう。




