18 弟
「なるほど、一度前例を作ってしまえば同じように主張をする人間も増える。そこへの対処のやっかいさを示して、結論を考え直させたのですか」
「はい。その解釈で間違っていません。実際、王命詐称の罪でベールマー一族は裁かれました。これだけのことがあれば騎士団員たちも慎重にならざるを得ませんし、王族側は悪事を公にして裁くことで同じような言及から逃れられます」
「それを可能にしたのが交渉の前の根回しなんですね。ヘルガさんはやっぱりすごい人です」
ヘルガの前には小さな手帳を持った青年がいた。
彼はアイロス。オリヴァーの弟であり次期ラドフォード侯爵家の跡取り息子だ。
アイロスはオリヴァーと瓜二つとまではいかないけれど、金髪に緑の瞳で、目元が優しい印象なのがよく似ている。
ただ、アイロスの場合はかけている眼鏡のせいか、オリヴァーよりも落ち着いた印象を受ける顔つきだ。
そんなアイロスは、ヘルガのことを賞賛し、なにやら手帳にメモをとっていた。
その習慣は昔からのものであり、屋敷に戻ってラドフォード侯爵に報告するときにも役立つだろう。
一応今日、アイロスがエヴァーツ伯爵邸へとやってきた理由はヘルガが解決して戻ってきた騎士団の件に関する報告と情報の共有にあるのだ。
情報の精度は高いに越したことはない。
ただ、それ以外に彼に来てもらったのには、ヘルガが久しぶりにアイロスの顔を見たかったという理由もある。
「大したことはしていません。むしろ割とムキになってしまった部分もありまして、毅然とした大人らしい対応とは言えませんでしたから」
「そうなんですか?」
「はい。ですので、見習ったりはしないでください、アイロス」
ヘルガはただ、真っ向からベールマーに謝罪をさせてその上で正当に罰するそれが目的で、それ以外のことなど二の次で考えてしまっていた。
結果的に、うまくいったから良かったものの総合的に見て最善手だったかと言われればそうではないと思う。
だから、一心に見つめてくるアイロスにそういうふうに返した。
「それは……困ります」
しかしアイロスは、ヘルガの言葉に眉間にシワを寄せて言う。
「……」
「自分はヘルガさん以上に、自分に足りないものを持っているように感じる人を見たことがないので見習うなと言われると、困るしかないです」
オリヴァーと違って、アイロスの表情はまったくもって変わらない。
にこりともしないし、ヘラヘラ笑ったりもしないし、たまに眉間にしわが寄るのを見るぐらいだ。
「具体的にどの部分を見習うべきではなくて、どんな考え方だったら見習ってかまわないですか? それとも『大したことはありません』から続く言葉は謙遜というやつでしょうか」
「……」
「でしたら自分相手にはそういうものは必要ありません。冗談も謙遜も必要ありません、よくわからないので。しかしそれもまた知りたいことの一つでもあります。ヘルガさんはどんなときにそれをしようと思いますか?」
アイロスは眼鏡を人差し指で押し上げて、また手帳にガリガリと書き込みながら今度は別の質問を投げかけてくる。
その様子に隣に居たオリヴァーがチラリとヘルガの方を見た。
いつもなら、アイロスがこんな様子になると彼をたしなめるようにオリヴァーが声をかけるのだが、今日ばかりはそうもいかない。
それに、ヘルガは慣れっこだ。
久々に顔を合わせたので、少し面食らったが、オリヴァーに気遣ってもらう必要もない。
「ふふっ、アイロスは相変わらずですね」
「……」
ヘルガが笑うとアイロスははっとして「申し訳ありません。相変わらず変で」と言って少しだけうつむいて呟いた。
「いいえ、変というか、話していて他の人とは調子が違うと言うだけでそれがおかしいと思うわけでもありませんよ」
「……ありがとうございます。助かります。……それで話を戻しますが、見習うべき点とそうではない点について伺いたいです。あなたの行動は結果的とはいえ――」
そうして彼はまた同じように、よっぽど気になっているのかヘルガが今回起こした行動についてへと話を戻す。
それにもちろんヘルガは丁寧に答えた。
ムキになって感情で突っ走ったことや、しかしそれで満足はしていること、しかしリスクもあったこと、手間もかかったことと、詳細に説明した。
そして細かなニュアンスまでアイロスに問いかけられて説明しているとどんどんと時間がたっていき、ヘルガは話のしすぎで頭が熱くなってきた。
このまま行くと声がかれそうだと思った頃にオリヴァーが「アイロス」とたしなめるように彼を呼んだ。
アイロスはぱっとオリヴァーを見る。
「そのあたりにしといたらどうだ」
「……申し訳ありません、ヘルガさん。たくさんしゃべらせてしまって。でも詳細な考えを聞けてとても参考になりました」
アイロスは自分自身が話をしすぎたことをきちんと自覚して謝罪とお礼を口にする。
「まだ、聞きたいことがあれば手紙で聞きますよ。ほかでもないアイロスのためですから」
「はい。……それから、一つ良いでしょうか」
しかしヘルガは別にそれが面倒くさくてやっかいだと思っているわけではない。
むしろ、まだまだアイロスの性格からして聞き足りないだろうから、手紙という案を出してアイロスは少し嬉しそうな声音で返事をする。
けれども、その後すぐに、アイロスはいらだったみたいに目を細めてオリヴァーの方へと視線を向けた。
「今のは決して、自分があなたの助けが必要だったと言うわけではありませんから。自分はただ、昔なじみの仲の良い人と会って気が緩んでしまっただけなので」
「……」
「自分は決して別に兄上の手など必要ないので。あんな優柔不断な人の手など自分には必要ありませんので」
「…………」
その言葉にオリヴァーは酷くバツが悪そうな顔をして、腕を組んでやっぱり視線をそらしたまま何もいわない。
「自分は意地っ張りの分からず屋の兄とは違うので」
「……」
アイロスはまた眼鏡を押し上げて、オリヴァーから視線をそらす。その二人のこじれた様子にヘルガは少し考えながらも口を開く。
「……まぁ、どうでしょうかね。……私もオリヴァーが私の元に来てくれて嬉しいので、なんとか許してあげてほしいというのが本音ですが」
「そういうことでありません、ヘルガさん。自分たちは喧嘩をしているわけではありません」
「……」
「ただしっかりと決別しているだけなんです」
「そうですか?」
「はい。では、そろそろ失礼いたします。随分と長居してしまいました。翌日には王都に向かう予定がありますので今日は早めに戻る必要があるのでした」
アイロスは、突然話題を切り替えて、淡々と話しながら立ち上がる。
見送りのためにヘルガも席を立ち、オリヴァーもそれに続いた。
「王都へは何をしに? 跡取りとしての事務的な手続きは先日行ったと聞いていましたが」
話題に上がったので、ヘルガはアイロスと歩きながら問いかけた。
「ええ、はい。今度は、ベティーナ……自分の婚約者に呼ばれたので向かう予定です」
「……仲が良いのですね」
「わかりません。しかし、彼女は様々なことを教えてくださるので勉強になっています」
「……」
「自分は女性との接し方がなってないそうなので、そういったことを教えてくださりとても参考になっています」
アイロスは、前を向いて話をして、どんどんと歩いて行く。
ヘルガは、彼の言葉に妙な気持ちになった。何か微妙な違和感を覚えたのだ。
つい先日跡取りになったアイロスを王都に呼びつけて、教えていることが女性との付き合い方というのはなんとも不思議な話だろう。
しかしそれを指摘する前にエントランスへと到着し、アイロスとは別れたのだった。




