12 情
「オリヴァーは勉強と私の付き添いで忙しいはずです。仕事をさせる気などありません」
「良いからその書類をこちらに渡せ。俺が対応する」
「いいえ、こちらに来てからも勉強をしていることを知っているんですよ、私。それにこれは私の作戦で、私のわがままに近い行動です」
タウンハウスの執務室にてオリヴァーは、威嚇するように少し姿勢を低くしてこちらを睨んでくるヘルガを同じように睨み返していた。
彼女は、周りの人間から大人びているとかしっかりしていると言う評価を受けることが多い女性だが、オリヴァーから見ると幼くて聞き分けのない少女だった。
「その行動に必要な仕事をあなたにやらせて、負担をかける訳にはいきません。私には自分の行動に責任を持つ義務と権利があります」
彼女は騎士団内部の話をしてくれそうな人間をリストアップした書類を胸に抱いてぎゅっと抱きしめて離さない。
執務室で事務をしている使用人たちは、二人のやりとりになぜか少し朗らかな表情をして気にしていなかった。
たしかにヘルガが言っていることは正しいだろう。
ヘルガが立案した作戦で、彼女自身が動くのだから、自分でできる仕事は自分でするのも当たり前のことだ。
しかしオリヴァーは譲る気がなかった。
そもそもあのときだって譲らなければよかったと思っているんだ。
(あのベールマーとか言う騎士が来たときも、ヘルガをさっさと引っ込ませておけば、怖い思いをさせずに済んだ)
しかしヘルガは気がついたらメラメラと瞳に炎を燃やしていて、オリヴァーの言葉は間に合わなかった。
オリヴァーはなにも、ヘルガに何もしないでお人形のようになっていてほしい訳ではない。自分が心配をされる状況にあることをわかって避けてほしいのだ。
ヘルガからすれば、ベールマーも対等で、まっすぐ向き合うのは当たり前のことかもしれない。しかしもし、あの男がヘルガの言葉に逆上して拳を振り上げたら?
その可能性だって十分にあっただろう。
ヘルガは、そういう人間相手でも決して引かない。
むしろ、きっと彼女はもしベールマーがヘルガの態度に腹を立てて手を上げても、それをダシに使って行動を起こす。
そしてそれをよしとして前に進んでいくタイプの人間だ。
むしろ良い材料を得たと言いそうなぐらいで、それをオリヴァーはここ最近酷く恐れるようになった。
「君がどう言ったとしても俺は引かないぞ。あのとき、ベールマーの態度がおかしかったとき俺は君を下がらせようとしただろ。その時は君は俺の意思を聞こうともしなかった」
「……そ、それは……」
オリヴァーが以前のことを口に出すとヘルガは少し口ごもって、眉間にしわを寄せて考えた。
ヘルガの頭の中には無数の言い訳が存在しているだろう。
立場として婚約者という肩書きしかないオリヴァーに任せることはできなかったとか、はたまた、オリヴァーが何を言おうとしているのか気がつかなかったとか。
山ほど言い訳はできる、しかしそれを口に出さないのはきっとヘルガ自身も危険なことへと飛び込んだという罪悪感があるからだ。
それを止めようとしていたオリヴァーを制止した。
そしてそれに対してオリヴァーが悔しく思っていることもきちんと理解している。
理屈で考えてばかりのヘルガだが、他人の気持ちがわからないわけではない。
むしろよくわかっていて、優しい子だ。
(割と好戦的で、実際に強く賢く見えても、俺からすれば優しくて傷つきやすくて、心配で仕方ない子だ。だから必要以上に傷つく必要なんかない。その可能性は俺が潰す)
「それを責めているわけじゃない。ただ、その君の手に持っている仕事は君にしかできない仕事じゃない。そして、また乱暴な人間が出てくるのではないかという懸念がある」
「……」
「だからこそ君を心配して、心底大切に思ってる俺がその仕事をかわりたい。その気持ちを今度はくみ取ってほしいと言ってるだけだ。わかってくれないか?」
「…………」
ヘルガは黙って口を引き結んだ。
彼女はオリヴァーの心配をわかっているのだ。けれどその上で納得がいっていない。
彼女には彼女なりの教示があって、それなりに頑固でさらに突然、不思議な行動をしたりもする。それについてオリヴァーは愛嬌があってなんともやみつきになる魅力だと思って……とその話はおいておくとする。
しばらく黙り込んで考えた後、ヘルガはチラリとオリヴァーを見上げた。
困った顔のまま、視線だけでダメ? と問いかけているみたいな瞳をしていて、それはヘルガの最後の抵抗だった。
彼女自身が自覚してそんな目をしているのかわからなかったが、その表情にオリヴァーは、ぐっと心臓が痛くなる。
(そんな甘えた顔しないでくれ……)
彼女の無意識の情に訴える作戦は見事に成功している。
しかし、仕事を代わりたいと思うのも彼女を思う故の感情だ。
以前はこんなにどうしようもなくなるほどヘルガに対しての想いはなかった。
ただ、幼い頃は心底傷ついた彼女を守ってあげなくてはという漠然とした気持ちがあってそれを約束もした。
しかし大人になって離れることになって、ヘルガからもう大丈夫だと言われて少し寂しく思ったが、それが自立というもので自分も彼女から自立する必要があった。
結局一緒にはなれないのだから、離れるしかない。離れて自分の生活と向き合うしないと納得した。
ただヘルガのことを考えないようにして日々を過ごして、けれど結局カリーナとオスヴィンのことがあって、自分に嘘をつけなくなった。
本当は、まだずっとヘルガのことを守っていたいし、そばにいたいしそうでないと苦しかった。
だから逆に言うと、こうしてそばにいればそれが楽になると思っていたから、ヘルガに求婚した。
「……でもっ、私の行動であなたに負担を……」
「負担じゃない。むしろ君に何かあるかもと気を揉んだり、君が嫌な目に遭っているのを見ると酷く心がすり減る。こんなに愛しているんだから当然だろ、わかってくれ、ヘルガ」
「……また、からかってるんですか。オリヴァー」
しかし、思う気持ちは募るばかりで以前は気にならなかったことにまで敏感になってヘルガが誰かに嫌な目に遭わされると考えるとどうしようもなく腹が立つ。
いっそのこと、マナーハウスの応接室でチェスをするだけでくだらない時間を過ごせるあの夜に、ヘルガを閉じ込めてしまいたい。
オリヴァーの感じる幸福とはなにか、今のこうして平穏に二人だけで過ごす時間だという言葉は真実だ。
この重すぎる気持ちが伝わらないようにニュアンスを変えてからかっているふうを装ったけれど、嘘は言っていなかった。
「からかってないし、本当のことだ。さ、渡してくれ」
「……大げさですよ。オリヴァーは、この仕事だってなんともない可能性が大きいのに」
「大げさじゃない、普通だ」
「大げさじゃなくないです」
ヘルガは最終的にオリヴァーの言葉に折れて、書類を手放す。すねたように言うヘルガの口調は子供っぽくて、無意識に彼女の頭に手を伸ばした。
「……」
「かわいいな」
「やっぱりからかってませんか」
「からかってないぞ」
頭を軽くなでて、思ったまま言葉にする。重い自覚はあるし、制御しているつもりでもいる。
(だから度が過ぎない程度に守らせてほしい。それが願いだ。今以上の幸せや幸福なんて、君が傷つく可能性があるならなにもいらないんだけどな)




