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そのような地位はいりません。私の望みは大切な人を温めたいだけ。  作者: 元毛玉


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第七話

 月影の下でクローテッドが立ち上がり、格子の傍まで歩み寄ってきた。

 暖炉もない牢の中で白い息を吐く。

 私も格子へと歩み寄り、出来る限りの笑顔を浮かべた。


「私のせいでごめんなさい。私は……私は……」


 上手く言葉に出来ず、涙だけが零れた。


「聖女様、どうか顔をお上げください。私が明確に拒絶しなかったことが間違っていたのです」


 そんなことはない。そう伝えたくても唇が動かなかった。

 代わりに、主任が暗躍していることを伝えていく。


「ヴェルダー主任がクローテッド様を助けるべく手を尽くしてくれています。ですから、どうか希望を捨てないでくださいませ」

「ヴェルダーが?」


 クローテッドは安堵したように一つ息をついた。


「ヴェルダーが動いてくれているならば、聖女様のことはどうにかなるはずです。軽薄な男ですが、敵国の生まれなのに、命に関わる薬を任されているのです。あれほど信用に足る男は他におりません」


 二人の仲の良さを聞いてはいた。けれど、敵が多くて疑り深いクローテッドが、ここまで言い切るほど信頼されているとは思わなかった。

 与えられなかった希望を、主任の言葉だけが届けたことに小さな棘が胸を刺す。

 私では届けられないのだろうか。

 想いが募り、気付けば冷えた格子を強く握りしめていた。

 冷たく、隔たれた鉄の檻。

 会えなかった頃よりも、格子の向こうに居るクローテッドが遠く感じる。

 微かに揺れる鉄の音が鳴り響く。私の心の凍えすらも伝播しているようだ。


「クローテッド様……私では足りませんか?」


 励ましをかけたいのに、口をついて出てきたのは責めるような言葉だけ。

 でも、次の瞬間、私の手に温もりが添えられた。


「聖女様……いえ、アン様は充分に私を満たしてくれています」


 クローテッドが手を重ね、私を安心させるように言葉も重ねていく。

 温かい。だからこそ、失うことが怖くなった。


「……クローテッド様、私は寒いのです。どうか温めてはくれませんか?」


 格子越しで抱きしめることなんて出来ないのは分かっている。でも、この温もりをもう少しだけ。私のためだけに欲しい。

 クローテッドは鉄格子を掴む私の指を解いて、指を絡めてくる。私も強く返す。

 この温もりを信じて良いのだろうか。この隔たりはいつか消えるのだろうか。

 不安に揺れながら、クローテッドのアイスブルーの瞳を見つめた。

 涙が零れ、私は目を閉じる。


 月明かりの中、私とクローテッドの唇が重なり合った。



 ◇◆◇◆◇



 あれから数日は碌な行動も出来ず軟禁状態が続く。

 罪が確定するまでは関係者との接触を断つように言われ、カルメリートとの連絡は取れないし、カリソンと接触することも禁じられている。

 ヴェルダー主任も消息を絶ったまま。

 行動範囲も王城内に限定されていて、仲の良い人たちに会えない王城の中は、巨大な鳥かごのように思えた。

 北風が強くなり、雪もちらつく。


(寒い……皆が居ないとこんなにも)


 全てが色褪せた灰色の景色。

 時計台の鐘の音さえ、華やかさが消え失せて重鈍く聞こえる。

 城の中は雑音だらけで、耳を塞ぎたくなることばかり。心を殺して耐える日々。

 処断が保留されたままの状態に、何とも言えない焦りを感じながら過ごしていた。


 ──数日後。


 いつものように貴族たちの噂を聞き流していたら、あり得ない情報を耳が拾う。

 この一件の真犯人が侍女のフランだと言う噂。

 支離滅裂で、どうしてそういう話になったのか分からず、ゴシップ好きそうな貴族令嬢たちに問い質した。


「ごきげんよう、はじめまして。私の侍女が犯人とはどういうことですの?」


 貴族令嬢たちはサッと顔が青ざめていく。


「は、はじめまして聖女様! わたくしが申し上げている訳ではありません!」

「そうですわ! わたくしたちも又聞きなのです!」

「疑っていませんよ。ですから、噂の内容を順を追って説明してくださいませ」


 幾つかの情報を集めて理解した。

 私に不貞を唆したのはフランだという密告が行われる。その真偽不明の情報が出回り、悪意をもって歪められているようだ。

 私を貶めたいばかりに、嘘の情報まで撒き散らかすことに怒りを覚える。

 密告者には一言文句を言ってやらないと気が済まない。

 内容が内容だけにフランには伏せておき、面識のある騎士に調査を依頼してどうにか情報を入手した。

 自室に戻り、さっそく資料に目を通す。


「え? ……う、嘘でしょ?」


 密告者リストの中にカルメリートの名を見つける。

 目の前が大きく揺れ、足元が崩壊する錯覚を覚え、私は部屋の中で嘔吐した。

 信じていた何もかもが壊れる音を、私は間違いなく聞いた。

 部屋のドアがノックも無しに勢いよく開かれる。


「アン様! 一体どうなされたのですか!?」


 嗚咽と吐瀉物の音を聞き付けたフランが部屋に飛び込んできた。

 ハッとした私は慌てて資料を隠す。

 フランが気遣うように背中を撫でてくれた。


「アン様、どうして何も仰ってくれないのです?」

「だって……だって」


 言えない。フランにだけは。


「その隠している紙と何か関係があるのでしょうか? 見せてくださいませ」


 抱え込む資料を取り上げようとしたフランの手を振り払い、紙が潰れるのも厭わず強く胸元に手繰り寄せる。

 フランが呆れたといった感じの溜息を吐いた。


「この後に及んで隠し事ですか? 一先ずお掃除をするので部屋から出ていてください」


 仁王立ちで譲らない姿勢のフランに部屋から追い出され、応接室の方で暫く時間を潰す。

 口を噤んだとき、フランの瞳が悲しげな色を帯びていたことが心に突き刺さる。

 でも、噂のことをフランには伝えられず、相談したいはずのカルメリートは密告者だった。

 誰を信じて良いのか。いつまで一人で耐えなければならないのか。

 再び催した吐き気を堪え、必死に嚥下した。

 すると掃除を終えたフランが部屋から出てくる。


「アン様、湯浴みにしますか? それともお茶にしますか?」

「……フランの淹れたお茶が飲みたい」


 フランは「我儘な聖女様だこと」と憎まれ口を叩き、お茶の準備を始める。

 普段通りのフランの姿に少しだけ安堵した。


「どうぞ」

「ありがとうフラン」


 お茶を一口啜る。体の芯までフランの優しさと温かさが沁み入ってくるようだ。

 カップをソーサーに戻そうとしたら、フランが真剣な表情で私を見ていることに気付いた。


「どうしたのフラン?」

「アン様、折り入ってご相談があります」


 とても嫌な予感がする。けれど、こんな真剣なフランは断れない。

 私は恐る恐る頷いた。


「侍女を辞めさせて頂きたく……」

「やだ!」


 いつでも不敵に笑って、誰が相手でも淡々とした態度で、とても優しいフラン。

 彼女が自らの意志で辞めるなんて言うはずがない。

 私の強い拒絶にも驚きを見せずフランは言う。


「『やだ』ではありません。淑女としてはしたないですよ? そんなことでは私が居なくなった後にどうするのです?」

「やだやだやだ! こんなダメ淑女は放って置けないでしょ? いつまでも私の傍に居てよ、フラン!」


 フランは静かに頭を下げた。


「申し訳ありません。そういう訳にはいかないのです。私に関する噂はご存じでしょう?」


 噂なんか関係ない。そもそも完全な冤罪なのだ。

 私は首を何度も横に振る。


「あんなデタラメ! 誰も信じないよ!」

「アン様が出掛けている間、部屋に神官が訪れて私の罪状を伝えてきました。罪を認めるならアン様はお咎め無しになると聞き……私は罪を認めました」

「ダメ!」


(なんで!? どうしてそんな嘘を認めちゃうの?)


 フランが居なくなる恐怖に怯え、私は声が出せなくなっていく。


「どうか泣かないでくださいませ。アン様にお仕えできて私は幸せでした」


 様々なものが込み上げて言葉にならない。だから私はフランに駆け寄って抱きしめた。

 絶対に離さない意志を込め、強く。


「アン様……私より年上なのに、まるで子供みたいですよ?」


 子供でいい。フランが居てくれるなら赤ちゃんでも構わない。


「どうか聞き分けてください。これが最も幸せになれる結末なのです」


 私はフランの胸元へ顔を埋め、首を振り続ける。

 フランが居なくなったら、そこに私の幸せなんてありはしない。

 キツく目を閉じていたら、ふいに頭を撫でられる感覚が訪れた。


「……アン様は抜けていることも多いけどしっかり者で、ずぼらなところもあるけど努力家で。失敗してへこんでも、時間が経てば立ち直れる強い人です」


 静かな声色からは「私が居なくても」の副音声が聞こえ、受け容れられない。


 ──その時だった。


 応接室の扉が放たれ、衛兵たちが部屋の中に雪崩れ込んできた。


「侍女フラン! 王族に連なる婚約者に対し、不貞を唆し、またその機会を斡旋した罪で拘束する!」


 否定しないとダメだ。それなのにあまりの事態に心が追い付かず、声が出ない。


(やめて! 連れて行かないで!)


 涙で視界がぼやける中、私から引き剝がされたフランが扉の向こうへ歩いていくのが見える。

 扉が閉まる音とフランの声。


「どうか幸せになってください」



 ◇◆◇◆◇



 どうすれば良かったのか。何も分からない。

 部屋からフランが居なくなり、私は外に出ることも考える事も放棄した。

 散らかされた一人きりの部屋は、どれだけ暖炉の傍でも心が凍えてしまう。


「フラン……早く帰ってきて掃除をしてよ。フランが居なかったら誰が私の部屋を掃除するの?」


 帰ってくるのなら二度と恋ができなくてもいい。誰か、私にフランを返して。

 そうした日々を過ごしていたら、事態はさらに悪化した。

 ヴェルダー主任の失踪報告とフランの処刑日が決まる。


「神様! 私の聖女としての全てを捧げます! どうか、フランにご慈悲を!」


 頼れる人が誰も傍に居ない。私はひたすら神に縋った。

 なのに毎日祈れど、何も変わらなかった。


 処刑日の朝。

 もう時間がない。鏡台の前で私の本当に大切なものを見つめ直す。

 いざとなったら反逆罪も覚悟で聖女の魔法を使う。一人でも決行する。

 そう決めた矢先だった。


 ──コン、コン。


 こんな朝早くに訪問者は珍しい。ヴェルダー主任が帰ってきたのだろうか。

 期待して扉を開けた先に立っていたのは見知らぬ衛兵だ。


「聖女様、これを……」


 沈痛な面持ちで渡された荷物を受け取ると、衛兵は走り去ってしまう。

 何かフランを助けられる物が入っているのかと荷物を開けた。


「……え?」


 そこにはフランが愛用していた裁縫セット。彼女の私物の化粧品の数々もある。

 フランと同じ香水の匂いが「フランの物だ」と私に警鐘を鳴らした。

 そして、最後に残っていた物。


「嘘……」


 この世界に来てから、最も見慣れていた亜麻色。その髪の束がそこにはあった。


「嫌あぁぁぁああぁあ!!」


 何も見えない、聞こえない。

 喉を焼き尽くす痛みと共に、私は叫び続けた。

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