第五話
「ヴェルダー主任、真面目に聞いてください」
「僕はいつでも真面目にアンを口説いてるけど?」
私は「薄幸の君を幸せにしよう大作戦」のために主任の元を訪れていた。
計画書の紙を強く叩く。
「次のページです。騎士たちから蔑まれたり、陰口を叩かれている状況について。騎士団長だけが休みなく働いている件も進捗はどうなっているのですか?」
「三日月卿が休みを取らないんだよ。陰口の方はカリソン副団長が首謀者だからそっちに言って欲しいかな」
私だけが一生懸命で、主任のどこかやる気ない感じに苛立ちを覚える。
「親友なのでしょう? もっと頑張ってくださいませ。それからクロィサーント家での立場の改善はどうなっているのですか?」
主任は宥めるように私を手で制した後、腕を組んで険しい顔をした。
「現当主は乗り気だよ。でもね、夫人の方が絶対に認めないだろうね。実子のカリソンに手柄を立てさせようと躍起になっているくらいだし。一応、カルメリート嬢が貴族令嬢経由で態度の軟化を狙っているみたいだけど、何年かかるやら……」
そう。カリソンが弟を認められない一番の理由がそれ。
クロィサーント夫人は養子である薄幸の君を快く思っていない。優しいカリソンとしては敵対するしか母の心を救う道がないのだ。
思考の海に潜っていたら、ふいに軽めのデコピンを受ける。
「あいた!」
「聖女がそんな険しい顔をしないの。ギモーヴ殿下やカリソン副団長の動きがきな臭くなっているからアンは気を付けなきゃダメだよ?」
私はおでこを擦りながら「分かっています。でも……」と返し、宣言する。
「周囲を気にしていたら助けられるものも助けられません。私は全力で救います」
◇◆◇◆◇
時計塔の裏手にある隠れ家スポット。そこに良く居る薄幸の君へ会いに行く。
今日は出会ってからちょうど一年の記念日になる。
だからフランに頼んでカルトレイを焼いて貰い、バスケットに詰めて持参した。
私が作れれば良かったけど、薄幸の君には最高に美味しい味を届けたいからフランの腕に頼っている。
いつかは私の手作りを渡したい。そう考えて歩いていたら木陰で本を読む薄幸の君が見えた。
「こんにちは、騎士団長。今日はカルトレイを持って来たの。ヴェルダー主任から好物だと聞いて、腕によりをかけて作ってきたから食べて欲しいな!」
「こんにちは、聖女様。……せっかくだから一つだけ」
私はあたかも自分が焼いてきた風を装って、カルトレイを差し出す。
手渡しの際に手が触れかけて、胸がドキドキしてしまい、色々なものが込み上げて来て思わず下を向く。
暫く動悸が落ち着くのを待ってから、チラリと顔を盗み見る。口元に僅かな粉砂糖を見つけた。
「騎士団長、頬のところ……」
私がジェスチャーで示すと、はにかむように薄幸の君は笑った。
「あぁ、風が吹いたときにでも付いたのかな? ありがとう、聖女様」
「どういたしまして」
答えながら持っていたハンカチを差し出すと、薄幸の君は美しい所作であっという間に拭き取ってしまう。綺麗に折り畳んで照れくさそうに返してくれた。
嬉しい。
こんなたわいもないやり取りがこの上なく。
好きになってはいけないのが分かっていても、笑顔が見れた日は幸せな気持ちになれるのだ。もう少しだけ味わっていたい。
それと同時にこの時間が有限なことも痛感している。
私が待遇改善に動くほど、私への悪意が彼にも降りかかってしまう悪循環。私との下衆な噂が広まるほどに彼の立場も悪くなる一方だった。
私が少し肩を落としていると、薄幸の君が立ち上がっていつもの台詞を言う。
「もう二人きりで会わない方が良いと思う。聡明な聖女様は分かっているはずだ」
いつものように私も「これからは控えますね」とはぐらかす。
この時間を終わらせる決まり文句。名残惜しく思いつつ私も立ち上がった。
王城へ戻る道をできるだけゆっくり二人で歩く。少しでも長く。
そうして大切なものを噛みしめていたら、不快な人物が向こうからやってきた。
「おいおい、平民聖女。密会の噂は本当だったのか? 貴族の感覚を持たぬからか、汚らわしいことも平気でやるとは恐れ入る」
「平民はあの髪のように心も真っ黒なのよ。本当に醜いバケモノ。きっと男なら誰でも良いのね。勿論わたくしはギモーヴ殿下一筋ですわ」
体をギモーヴに密着させているアマレッティに言われたくはない。せっかくの幸せタイムが台無しになってきた。
ギモーヴとアマレッティが好き放題言う中、薄幸の君が一歩前に出て跪いた。
「ギモーヴ殿下、誤解です。聖女様はそのような御方ではありません。どうか発言を撤回して頂くよう、お願い申し上げます」
私はその姿に打ち震え、枯れた大地に芽吹きの風が吹く心持ちで聞いていた。
立場が悪くなるのも厭わず、私を庇ってくれる。これこそが王子様の姿だろう。
私は目の前の偽物を強く睨みつけた。けれど、ギモーヴは意に介さず、忌々し気に鼻を鳴らす。
「平民、なんだその目は? その男に股は開けるのに瞼も満足に開けないのか?」
ギモーヴの首に抱きついたアマレッティも続く。
「殿下。それ以上言っては可哀想ですわ。だって生まれも育ちも悪いのですから、貴族らしからぬ目付きも仕方が無いことですもの」
「それもそうだな。畜生と変わらぬ平民を抱ける男にはお似合いだがな」
私への侮辱は構わないけど、薄幸の君を悪く言うのは許せない。文句を言おうと一歩前に踏み出す。
すると、ギモーヴも一歩前に踏み出し、私からバスケットを力尽くで奪った。
「目障りだ」
声を聞いた瞬間、体が勝手に反応した。
ギモーヴがバスケットをひっくり返して、中身を薄幸の君へとぶちまけたのを私が庇って代わりに浴びる。
そこへギモーヴとアマレッティの癇に障る笑い声が響いた。
「ハハハ、華やかさが増して多少は見れるようになったではないか。どうせ捨てる物だったのであろうし、飾りでも過分なくらいだ」
「ふふふっ、平民の作ったカルトレイなんて臭くて食べれませんものね。家畜の餌にでもした方が有益だわ」
ギモーヴが嘲笑したとき、頭を垂れて跪いていた薄幸の君が立ち上がった。
「殿下、聖女様へのこれ以上の暴言は感化できません。撤回し、御立ち退きを」
殺気にも似た覇気が放たれていることは、戦いに疎い私ですら分かる。
無数の剣で突き刺されるような不思議な感覚がその場を支配した。
気圧されたのか、ギモーヴは数歩後ずさって少しばかり動きが固まる。そしてみるみるうちに顔が紅潮していく。
「き、ききき、貴様! 騎士を束ねていい気になっているようだが、楯突く相手を間違えたと近いうちに思い知るであろう」
「ギモーヴ殿下、早く行きましょう。三日月卿、この件は陛下に報告させて頂きますけどよろしくて?」
アマレッティは返事も聞かずに喚くギモーヴを引き連れて去って行った。
嵐の後のような静けさが訪れる。
薄幸の君が申し訳なさそうな顔をして、小さく呟いた。
「すまない……君を守れなくて」
私は首を振る。
彼は守ってくれた。ギモーヴという絶対権力に立ち向かい、自らのリスクなど省みず、私のことで真剣に怒ってくれた。それだけで充分に思う。
「私は大丈夫です。せっかくのカルトレイが勿体ないですね」
体や髪についた残りを取り払っていると、彼がハンカチを差し出してくれた。
私の分は時計台のところで使ってしまったから、気を利かせてくれたのだろう。
彼の気遣いを有り難く受け取り、お礼を述べる。
私が汚れを拭き終えるのと同時に、フランが駆け寄ってきた。騒ぎを聞きつけて大慌てで来たに違いない。
フランが私の元へ辿り着くと薄幸の君が踵を返す。
「それでは私はこれで……」
ハンカチを返す前に薄幸の君も去ってしまった。
フランの心配の声を聞きながら返しそびれたハンカチへ視線を落とす。
「クロー……テッド?」
彼のハンカチには、Clotted Croissantの刺繍が施されていた。
◇◆◇◆◇
「うふふっ、うふふふふふ!」
「アン様、他人様からの借り物のハンカチに顔を埋めすぎですよ?」
あれから、返せなかったハンカチを抱きしめてはベッドの上でのたうち回る。
ハンカチと一緒に枕に顔を押し付けては足をバタバタさせ、身悶えていた。
「でも、何か愛称を付けて呼んだ方がいいかしら? テッド、クロード、クロテ……ねぇフラン、クロテって可愛いと思わない? 喜んでくれるかしら?」
「もう、浮かれすぎですよアン様は。新しくカルトレイを焼きましたからこちらへいらして下さい」
道理で先ほどから甘酸っぱい香りが漂っていると思った。
私はハンカチを懐に仕舞い、カーデガンをそこらに脱ぎ捨てて寝室を出る。
脱ぎ散らかしたのが扉の隙間から見えたのか、フランはひんやりオーラを纏う。
「全く。お小言無しなのは今日だけですよ?」
「ありがとう。でも、どうしてもう一度カルトレイを焼いたの?」
フランが嬉しそうに破顔する。
「だってお名前を知った記念日ですもの。盛大にお祝いをしましょう」
焼き直してくれたお菓子はとても……とても優しい味がした。
──しかし、楽しかったのはその日まで。
次の日から私たちを取り巻く環境は悪化の一途を辿る。
貴族たちの間ではデタラメな噂だらけ。
クローテッドとの不貞の噂に至っては、私が身籠っているとまで言われる始末。まだ手も握れていないのに酷い言われようだ。
噂の火消しに主任やカルメリートが奔走してくれている。だけど、飛び火は市井にまで及び、事態の収拾がつかない様相となってきた。
当然、元々貴族では無かったクローテッドの立場も最悪な状況まで落ちている。
騎士団長なのに団の内部で迫害に近い扱いを受け、それを耐えていると聞いた。
あれから私たちは一度も会うことが出来ていない。今会えば、噂は真実だったと揶揄されてしまうだろうし、これ以上迷惑を掛けたくないから仕方がない。
そして──。
「アン様……」
「そんなに心配そうにしないで、きっと陛下は分かって下さるわ」
私は、騒動の件でついに陛下から呼び出しを受けた。




