第一話
「アン様! この惨状は一体何ですか!?」
何度もダメと断ったのに、侍女のフランには半ば強引に押し入られる。
戦場よりも凄惨な部屋を見たフランは、目を三角にして仁王立ちしていた。
「聖女様ともあろうものがこんな体たらくで良いのですか!? 服もこんなに脱ぎ散らかして!」
「好きで聖女になった訳じゃないし、聖女にだって苦手分野はあるよ……」
整理整頓ができない私は、フランが休みだった二日で見事なまでの汚部屋にリフォームしてしまった。けれど私にだって言い分はある。
「私が整理整頓できない訳じゃなくってここの物が多すぎると思うの。そうは思わなくてフラン?」
中途半端な言い訳をしたからか、フランは笑顔のままヒンヤリオーラを纏う。
立派で広い部屋をこれだけ汚せるのは、我ながら才能だとも思える。
何度もうなずき、見て見ぬふりをしていた。
チラリとフランを見ると、フランはソファーを指差す。
そこには本が無造作に散らばっている。貴重な本をいくつも読み散らかし、ページを開いたまま栞も使わず裏返しにしてしまったのは誰だろう。……私だった。
「アハハ……栞が一つしかなくて、でも色々と気になったところをキープしたくて、つい」
「つい……じゃありませんよ! 床にまで進出させる必要がありますか!?」
「だってテーブルもソファーもスペースがないじゃない! 不可抗力なの!」
変に口答えをしてしまったせいで、フランの逆鱗に触れてしまいお説教は数時間コースへのびてしまう。
フランのクドクドしたお説教を聞き、内心で言い訳をしつつ今に至ったこれまでのことを思い返していた。
◇◆◇◆◇
私の本名は粒越 杏。
パート帰りの買い物中に突然光に包まれる。気づいたときにはここの王城の謁見の間にいた。
床に複雑な紋様の浮かぶ、魔法陣らしきものの中央に現れた私の手には、ダブルロールのトイレットペーパーと値引きシールの貼られたプリン。
数十人はいただろうか。高価な衣装や鎧を身に纏った人たち。
喉の奥がキュッと締まり、大声をあげることもできずただ目を見開くのが精一杯だった。
杖持ち老人が空中に光の紋様を浮かびあがらせ、その光が私に降り注ぐ。
眩しさに目をとじていたら、なぜか唐突に言葉が理解できるようになる。
そして彼らは言うのだ「本物の聖女だ!」と。
◇◆◇◆◇
「聞いているのですか!? アン様! 聖女の自覚はございますか!?」
フランの叱責で現実へと引き戻される。
すると、扉の向こう側がやけに騒がしくなり始めた。
廊下から聞こえる鎧の音が大きくなり、伝令がきたことが分かった。
「聖女様! 騎士団は東門に集結しております! ご準備のほどを!」
ついにきた。
日本で暮らしていた私には無縁の戦場へ向かわなければならない。
唇は震え、腹の底から冷えを感じる。
私にできるのだろうか。
大した学歴もなく、スポーツも得意ではなかった私に自信なんてない。
けれど、聖女として祀りあげられ、豪華な暮らしと豊かな教育を与えられる現状があるので、聖女としての使命は私が果たさなければならない責務だと思う。
自信がないから、怖いからで逃げだして良い訳がなかった。
覚悟を決めても、小さく震えていた私の手。フランが温かく包んでくれた。
「アン様。急いで支度をしましょう。努力家なアン様ならきっとお役目を果たせると私は信じています」
「……ありがとうフラン」
信じてくれるフランのためにも勇気をかき集め、着替えをすませて廊下にでた。
王城の長い長い廊下。
普段は煌びやかに見える華美な美術品の数々も、今日は色褪せて見える。
この先に戦場が待つのだと思うと、足が竦む。
正直、血を見るのだって怖いし、近づきたくはない。
一歩進むごとに血の気が引いていくのが、自分でも分かった。
そんな中、廊下に現れた人影。
第一王子で、私の婚約者でもあるギモーヴ・プロヴァンスが道をふさいでいた。
「おいおい、平民聖女は淑女の歩き方もできないのか? これだから教養を持たない平民は……さっさと戦場で己が役目を果たしてくるが良い」
「ギモーヴ殿下は赴かないのですか?」
「第一継承権を持つ私がなぜ危険なところに赴かねばならない? 普通は考えずとも分かるだろう? あぁ、そうかツブアンとやらが普通ではなかったな。失礼」
本当に失礼だ。それに私の名前は粒越だから、変な略し方をしないで欲しい。
でも、敢えて言葉にはせず、淑女の礼だけでやり過ごす。
まともに口論をしても、権力の前に跪かされるだけなのは分かっている。
それに、これから戦場へ向かうのだ。
余計なことにかかずらっている余裕はない。
一番嫌なことは、彼が私の婚約者ということだ。
聖女の私を国王陛下はいたく気に入って、第一継承権を持つ王子と婚約させられてしまった。
身よりもなく、日本からただ一人召喚された私に拒否権なんかある訳がない。
だけど、彼への苛立ちを募らせていたら、震えるほどの恐怖は薄まったので今日だけは感謝しよう。
不快感を忘れようと急ぎ王城を出て、東門へ。
肌寒さの残る澄んだ空気が、一度緩んだ気持ちを引き締めてくれた。
「聖女様がご到着なされました!」
息を白くした伝令が大声をあげたことで、視線が私へと集中し始める。
これだけ多くの男の人に見られることはなかったので、体が固まってしまう。
明らかに他よりも格調高い鎧を身に纏った人が、馬にのって私へ近づいてきた。
「聖女殿、緊張されておられるのかな?」
馬上から声をかけてきたのは、黄金の装飾のマントが印象的な男だった。
この美男子が騎士団長だろうか。
軍馬を見たことすらなかった私は、覆いかぶさる圧に思わず一歩後ずさる。
私が言葉を詰まらせていると、ふいに背中への風が遮られる。
「聖女様。外は冷えます。こちらのマントをお使いください」
ふり向くと、まるで吸いこまれるようなアイスブルーの瞳がそこにはあった。
どこか冬の風を思わせる佇まいの青年が、私にマントを羽織わせてくれた。
「ありがとうございます」
「いえ、このくらいは当然です。我が騎士団に聖女の尊き加護を」
そこからは青年が周囲に指示をだしていく。
青年は馬上の豪奢な男にも声をかけた。
「兄上。馬から降りて挨拶をしなければ聖女様に失礼です」
「これは失敬。美しい聖女殿の顔が強張っておられたので、焦るあまり先に声をかけてしまった」
兄上と呼ばれた男は軍馬を軽やかに降り、豪奢なマントを私に羽織わせてきた。
さきほどの青年の質素なマントの上に、厚手の華やかなマントが重ねられ、寒さはずいぶんと和らいだ。
慌ててお礼を述べる。
「騎士団長様、ありがとうございます」
「いえ、私は騎士団長ではありませんよ。カリソンとお呼びください」
「も、申し訳ございません! カリソン様!」
やってしまった。
資料に目を通していたのでカリソンの名前は分かる。副団長のはずだ。
挨拶をしなければならないし、騎士団長を探す。
周囲を見渡すと、先ほどの青年がどうしても強く印象に残った。
彼の纏う鎧は、並みの兵士と大差無い実用性だけの鎧に見える。
なのに、目が離せない。
兜を脱いだその顔には、凛とした高潔さと、触れれば切れてしまいそうなほど鋭い孤独が同居している。
他と代わり映えしないはずの鎧も、彼の銀髪のように輝いてさえ見えた。
その所作一つ、指先の動き一つが、あまりに完成されていて目を奪われる。
見惚れていたら、隣にいたカリソンが小さく嘆息した。
ちらりとカリソンを盗み見ると、苦々しい表情を青年へ向けている。
「一応、あそこにいる弟が騎士団長を務めてはいます。ですが、挨拶などであればこのカリソンでも代行できますので問題はありませんよ」
資料にも騎士団長の名前はのっていなかった。
聞きだしたいとも思ったが、やめておく。
二人のやり取りや今の声色を聞き、兄弟には溝がありそうに思えたから。
恐らく弟の方が出世してしまい、関係が微妙になったとかそんなところだろう。
公的な場では騎士団長と呼んでおけば問題ないし、騎士団長のような立場の人なら、これからいくらでも名前を知る機会はあるはず。
「では、儀式と付与魔法を始めます。カリソン様、旗を……」
「心得ました」
二人の旗手を呼びだし、雄大な二つの旗が目の前で交差する。
一つは国家を示すプロヴァンス家の旗。
もう一つは騎士団を示すクロィサーント家の旗。
分厚い布が冬の風を包み、鈍く重い音を立ててはためいている。
プロヴァンス家の紋章は、百合の花を模したシンメトリーな造形に、太陽を思わす艶やかな金の意匠で目を惹く。
クロィサーント家の紋章には、夜に浮かぶ三日月が描かれている。
どこか物悲しさも感じてしまうが、その鋭利さが死神の鎌のようにも思えた。
代々騎士団長を排出するクロィサーント家は、大陸全土に名と恐ろしさが知れ渡る名門だ。
平和な日本育ちの私と彼らは価値観が違うだろうし、優雅さのなんたるかを勉強中の身としては、隣に立つだけでも恥ずかしくてならない。
(兄弟揃って目の保養ではあるけどね)
準備が整ったようでカリソンから目配せをされる。
気持ちの整理をすませ、祝詞を唱えて儀式を進めていく。
私の言葉一つ一つで光が舞い、騎士団全員を覆うような魔法陣が浮かぶ。
「積み重ね、紡ぎあげるは揺るぎない意志。星の意思に集いし者たちへ、力の加護があらんことを」
私の持つ《力の魔法》が発動し、辺り一帯を光の粒子が覆いつくした。
「これは一体どういうことか聖女殿!」
異常な現象が起こり、騎士たちが騒然となる。





