第六話 不老少女は手を解く
来たる七日後。
クルピアちゃんは、魔術用の箒である魔箒に跨ってやってきた。
朝日が昇ってすぐに、クルピアちゃんは扉をドンドンと叩き、大声で叫ぶ。
「迎えに来たぞ、プラティエよ!おーい!プラティエー!?おるのじゃろう、開けろー!」
扉の音に起こされ、彼女の声でレッスンの時間だと気づく。
俺は急いで準備をし、心を躍らせながら玄関扉を開けた。
しかし、この訪問の仕方はいかがなものか……。
幸い家が広いためか、両親の部屋まで音は響いていないようだが……これがアパートだったら、眠りを邪魔された両親に怒られていたところだった。
どうやら俺が知っている真理の他に、日本で仕入れたマナーについても教える必要があるらしい。
「おはようございます!」
「うむ!良い朝じゃな!」
「良い朝なんですけど、家族もいるのでちょっと静かに……」
「何じゃあ、今時のモンは寝坊助じゃのう」
「早朝にドアをドンドン叩いちゃいけないんです、近所にも響きますし……」
「むう……仕方ないのう」
「明日からは魔術か何かで起こしてください」
昔からこの調子なのか、或いは表立って外に出ることが少ないからなのか……この子、もしかして世間に明るくないのではなかろうか。
少なくとも、現代の世間については。
「あいわかった。じゃ、早速箒に乗るんじゃ」
「え?俺、持ってませんよ?」
「妾ので構わん。箒くらい、乗り方を覚えたらお下がりをくれてやるわい」
「ああ……でも、これってクルピアちゃんの箒ですよね?俺はどこにいれば」
「妾の後ろじゃ」
「箒って二人乗りアリなんですね」
「うむ。妾が運転するからの、しっかり腰にしがみついておけ」
「え?あっ、はい」
俺はクルピアちゃんに促されるまま、箒に跨り、小さな腰に手を回す。
柔らかい。
何かいい匂いもする。
などと思っている内に、箒がガタガタと揺れ始める。
「さあて、我が家へ出発じゃ!」
「なっ、思ったより揺れが」
「よーく見て、よーく聞いておくのじゃ!もう授業は始まっておるぞ!これは浮遊魔術のちょっとした応用じゃ!魔箒よ、妾達を乗せ、鳥のように空高くを駆けろ!【 飛行】!」
「ぎゃあああああああ!」
フワリと浮かんだ箒は、だんだんと速度と高度を増して空へ。
箒に搭載されたシステムにより、周囲に魔術的な防壁が展開され、視界には車窓よろしく透明な魔力の壁を挟んだ。
クルピアちゃんは、「浮遊」も「飛行」も、全て同じ「フワゥリ」という発音で発動している。
これは手動の魔術に特有なことであるようだ。
現代魔杖は術師の動作が魔術名を唱えるだけであるため、術の仕様ごとに細かく魔術名が設定されているらしい。
しかし、手動魔術では対象や範囲、強さや挙動などを呪文により細かく設定するため、魔術名の種類そのものは、現代魔杖に比べると少ないのだそうだ。
今発動していたのは、基本の魔術を「浮遊」として、対象を魔箒、挙動を「クルピアちゃんと俺を乗せて鳥のように空を駆ける」に指定したものであろう。
スクリプトを組むような感覚なのだろうか。
高校の授業で、少し齧った程度だが……そういうものだと考えれば、メカニズムも少しは理解できた気になるというものだ。
「どうじゃ。さっきの詠唱は少し丁寧にやってやったが、慣れればもっと雑に発動しても上手く動くぞ」
あっという間に、クルピアちゃんの家へ到着する。
足元が浮かぶ感覚は、かつて幼少期に遊園地で味わったジェットコースターの感覚に似ていた。
……俺はあれ以来、一度も遊園地には行っていない。
友人に誘われたこともあったが、ノリで行ったが最後、グチャグチャに乱れた内蔵と三半規管に胃袋を押されて、グロッキーな顔でトイレへ直行する未来が容易に想像できたからである。
酒も飲んでいないのに悪酔いするのは御免被るところであろう。
「はぁぁ怖かった」
「やれやれ。箒の使い方を教える前に、まずは絶叫マシンに耐性をつけてもらわねばならぬか」
「お、お手柔らかにぃ……」
「ぬ、待て。まだ家に入る時ではないぞ」
「へ?」
しかし、年貢の納め時が来たようだ。
魔箒を降り、クルピアちゃんの家に入ろうとすると、彼女はそれを右手の平で静止し、ドアノブを握るハズだった俺の右手に、お古の魔箒を差し出した。
「ほれ、予備の箒を貸してやる。まずは跨ってみよ」
「マジですか……」
俺は魔箒に跨り、生唾を飲み込む。
「プラティエよ、『浮遊』は使えるか?」
「使えますよ」
「なら、その箒に使ってみよ。呪文はさておき、まずは何も指示を加えていない『浮遊』を唱えるのじゃ」
「えっ、でもさっき、クルピアちゃんは色々詠唱して浮かべていたんじゃ」
「とりあえずやるんじゃ。細かいことは置いておけ」
「ええ……」
「うむうむ。魔術といえば勉強のイメージがあるやもしれんが、身体で理解することも大切なんじゃぞ」
俺は戸惑いながらも、右手の薬指に嵌めている指輪に魔力を込めた。
やはり触媒の扱いには向いていないのか、魔術の練習を行う際は毎回装着しているハズなのに、少し動作がぎこちなくなってしまう。
無事に指輪へ魔力を込めた俺は、魔術名を唱える。
「【浮遊】」
特に何の指示も加えていない、簡易的な浮遊の魔術。
それでも魔箒は、あっという間に俺が手に力を入れずとも浮力を持ち、俺の身体も一緒に宙へ……。
「そろそろ受け身を取る準備をしておけ」
「へ?あっ、ちょ、へぶっ!」
投げ出された。
魔箒は人が座ることを前提に、持ち手となる部分が普通の箒よりも太めに作られているそうな。
しかし、俺の浮遊は、浮かべる物に人間が乗ることを想定した挙動をしていなかったようである。
そして案の定、俺の身体はそのまま、魔箒の太い持ち手から滑り落ちてしまったようであり……追い打ちをかけるように、暴れ狂う箒が俺の右頬を殴りつけたのだ。
「ぶわーっはっはっは!受け身を取れと言ったじゃろうて、ぶわっはっは!ひひひひ、ひひひぃ……」
「何笑ってんすか!めちゃくちゃ痛いんですけど!?」
頭から草の上に突っ込んでいった俺を見て、クルピアちゃんは笑いが止まらない様子である。
笑っている場合だろうか、あわや首がイカれるところであったというのに。
「ひー、ひー!いやいや、失敗例を体験させてやろうと思ったのじゃがな、まさかここまで酷いとは。まずは手解きをせねばならんかったかの」
「そりゃそうですよ!絶叫マシンにすら乗れないんですって!もー!」
空中そのものに慣れていない人間に、一発目から失敗例を体験させようとは、中々なクレイジーガールのようである。
「やれやれ。しばらくは妾の後ろに乗って、慣れてもらうしか無いようじゃのう」
「いいんですかヤッター!」
「……やっぱやめとこうかのう。目がコワい」
「ちぇーっ、空中かぁー。ヤダナー」
「単純じゃのう」
こうして俺はしばらくの間、クルピアちゃんの背中に乗せてもらい、まずは魔箒に乗る感覚を掴むことにした。
最初のうちは怖かったが、徐々に慣れていき、昼を過ぎる頃には、いよいよ魔箒を浮かべるための呪文を教えてもらえることになった。
「じゃあ早速、呪文を唱えてみますね」
「うむ。|一人称《自分のことをどう呼ぶか》は、指示に関係無いからの。『自分が乗った前提の箒を飛ばす』という指示がミソじゃ」
「分かりました。魔箒よ……俺を乗せて、鳥のように空高くを駆けろ!【飛行】!」
呪文を唱え、「フワゥリ」を発動する。
浮遊に加え、そのまま飛行することを目的とした浮遊魔術。
ガタガタと音を立てる魔箒は、俺の未熟さ故に魔力が不安定なのか、グラグラと揺れながら、しかし確実に重力の楔から解き放たれた。
「おお、見事じゃ!まさか一発で成功とは、朝一番にブッコケていた小僧とは思えんな!」
「おわおわおわ、おぅ……おおお!すげえ!これ、俺が自力で浮かべてるんですか!?」
「うむ、そうじゃ!其方、思っていた三倍はやりおるのう!」
「えへへー、そうですかー?嬉しいなあー!」
クルピアちゃんのようにはいかないが、それでも俺は、自分で魔箒を操ることができるようになったことに、達成感を感じずにはいられない。
それは初めから終わりまで、まさに自転車に乗る練習をしていた時のようであった。




