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逆転の浪人

 私の浪人が決まり、引っ越すことになった。寮付きの予備校に荷物を送って、私も地元を出発しようとした前日、父と大喧嘩した。なぜ喧嘩をしたのか覚えていないが、父が怒りに震えてリビングのドアガラスを頭で割って額から血が流れていたのは覚えている。父なりの門出だろうか。そんなわけないが。

父はカッとなると物に当たる人で、私はその行動にずっと怯えていた。俺に逆らったらお前もこうなるぞと暗に言われているようだった。自分の意志を主張できるようになった私を父は気に入らず、今回は口喧嘩で負けて、ドアガラスに当たった。まさか父も割れるとは思ってなかったようで驚いていた姿がマヌケに見えた。

姉の家の近くの予備校だったので、姉が新幹線の改札まで迎えに来てくれた。流血事件を聞いた姉からあんな家出てきて正解よと言われた。当時は自分の家がさほど変わっているとは思わなかったが、父はモラハラだったし、母も家族を洗脳していた。私達家族は母の判断を仰いでからじゃないと行動出来なかった。このことに私が気付くのは父が不倫した大学3年の夏である。

引っ越してすぐに予備校が始まり、私はまず友達を作った。姉が個別予備校で孤立し苦労したので、切磋琢磨できる仲間が欲しかった。色んな子に話しかけ、沢山友達を作り、私を中心にグループができた。ご飯時間に進捗状況を聞いたり、問題を出し合ったりするために友達を作ったのだが、結局ご飯時間はほぼ息抜きに駄弁っていた。いつかチーズハットクを食べに行こうねと、まだ高校生が抜けきらない私達は世間から取り残されていたのかもしれない。大学生になった友達に会うと陽と陰を実感した。浪人生なりにお洒落をしても大学生のネイルやブリーチ巻き髪には敵わない。それでも私達は夢に向かって諦めずに頑張っているというプライドで鼓舞しあった。そう思わなければとても続けられなかった。

朝ごはんは元々私含め寮生の3人で食べていたが、私と違って、他2人は通える距離だったので、1人は途中で実家から通い始め、もう1人は辞めた。1人はその年に受かり、辞めた子は獣医学部に進学し、大学1年の秋に再会を果たす。

私の予備校は最大八人の集団授業であり、先生との距離が近かった。シャイだった私にとって質問に行きやすく、高校と違って丁寧に教えてくれ、類問をくれた。私は出会った問題を一問残らず自分のものにするため復習した。実際にできていたかは分からない。膨大な時間もかかる。だが今日やった問題が本番に出ると思うと一問も無駄にしたくなかった。出来なかった問題をルーズリーフにまとめていき、その問題のポイントを簡潔に色ペンで書く。こうすることで復習の際にどんな問題だったかすぐ思い出せる。また出会った問題は翌日に復習し、予備校の週終わりのテストでもう1回詰めることでエビングハウスの忘却曲線に沿った形となり、長期記憶に繋がった。こうして私は地道にコツコツこなしていった。毎日10時間前後の勉強にも慣れたし、私のノートやルーズリーフはあっという間に減っていったが、それに比例して成績はなかなか伸びてくれなかった。だがなぜか焦らなかった。誰よりも勉強しているという自負があったし、リズムが掴めていると思った。成績はグッと急に伸びることがある。その姉の言葉を信じて私はマラソンのように1人で走った。

そしてその時は急に来た。8月の模試で生物の記述模試で偏差値79、他も65前後とかなりの好成績を出した。医学部でB判定を出した。B判定を出したことがなかったため、とても嬉しかった。その後生物は落ちることなく、予備校内でも一番を取った。ただし、数学が鬼門だった。下手すれば偏差値50を取ってしまうくらいのグラグラな成績で数学さえ上がれば合格できるだろう言われた。父に頼んで、数学だけ個別を追加で入れてもらった。

あの頃私はわけわからないくらい勉強していた。模試が終わっても友達とカフェで丸付けしてやり直ししたり、帰宅してからも洗濯を干しながら勉強した。夢を目指すことがこんなに充実した気持ちにさせるとは知らなかった。ずっとアドレナリンが出ていたのか、故郷を離れて不安だったのか寝付けず浪人時代は毎晩睡眠薬を飲んで寝た。「合格」この二文字を夢見て、血の滲む思いで、全て吸収する勢いで勉強した。

そうしてあっという間に推薦入試の時期になった。私は2つ受けることになった。推薦入試じゃなく、一般入試が本番だと先生から言われていたので、入試会場に慣れる気持ちで受けた。

予備校を出て遠出するのは初めてだったので、友達や先生達について行った。もうここに9ヶ月もいるのに全くその土地のことを知らないと改めて感じた。

入試会場に着くとおよそ700人の受験生が一緒に試験を受けた。あまりの人の多さに絶対無理だなと思い、緊張もなくなった。お昼もしっかりコンビニ弁当を食べてリラックスして午後の生物を受けた。現役生には難しいだろうという内容だった。午前の英語と数学は易化していて、私には有り難かった。

帰り道受験生同士が話しているのを盗み聞きしながら、私の鼓動は速くなった。受かる予感がした。足早に予備校に帰って、採点すると去年の合格点の20点超えだった。先生達には言わずに、平常心でいつもの勉強に戻った。生物はほぼ満点だった。

そして数日後、私だけ校舎長に呼び出され、「一次突破したぞ!」と私よりも喜ばれた。両親には既に連絡済みで、両親も合格したような喜びようだった。私は授業の合間に小論文や面接を組み込まれていき、周りの生徒からも羨望の目で見られた。だが、ここで期待しちゃ駄目だと、高3の二の舞にならないようにストッパーをかけた。油断せずこなす。それを意識しながら今まで通り過ごした。意外にも高3の糧があったのか小論文と面接は物凄く褒められて、担当の先生から太鼓判を押された。2次試験まで期間が短かったので、間に合わない子もいたと思う。本当に何が幸いするか分からない。そう思った。

2次試験の日は食堂のおばちゃんから朝ごはんを持たせてもらい、私を長い事見てくれた先生も朝早くから来てくれた。肩をトントンと叩かれ、願掛けされた後、背中を押された。朝の寒くて澄んだ空気だったが、じんわり体の底から熱くなった。校舎長が車で会場まで送ってくれて、大学の情報を直前で聞きながらあっという間に会場に着いた。そこが母校になるとは期待してなかった。というより、何も考えないようにしていた。

着席すると1人、目についた女の子がいた。その子は1次試験の時に斜め前で、試験が始まって遅れて入ってきた子だった。まさか受かっているとは。現役生はやっぱり賢いと尻込みそうになったが、去年の自分とは違って自信があった。

小論文を終えて面接。私は圧迫面接だった。揚げ足を取るような試験官に嫌な気持ちになったが、なんとか拙くも答えた。帰り道に誰がこんな大学来てやるかと心の底からべーっとして、二度と来ないだろうと思った。というよりも来れないだろうと思った。多分落ちたなと手応えなく帰路に着いて、予備校に行ったが今日は休みなさいと帰らされた。本当に久しぶりにYouTubeを観て、泣いた。ずっと気を張っていたようだ。心の底から疲れていたことにその時気付いた。試験前からずっとお腹を下しており、湯船に浸かると泣けてくる現象が起きていた。まだ受験は続くけれど、少し肩の荷が下りたようで、涙が止まらなかった。スーツを綺麗に畳んで、その日は何ヶ月かぶりに早く寝た。

合格発表日私は落ち着かなかった。第一志望の1次試験に午前中落ちていたことが分かりショックだったが、私の意識はもはやそっちではなかった。いつも閉館までみっちり勉強して帰るが、その日は全くと言っていいほど集中できず、夕飯を食べた。発表日時を知っていた友達が絶対一緒に食べたいとついてきた。落ちた時を気遣って言わないでくれたが、最後になるかもしれないと思ったらしい。いつもより長めに話をして、何気なくお互い感謝を伝えて、机に戻った。私は落ち着かず女性の事務員さんの机で勉強した。事務員さんもその日だけは許してくれた。そして時間が近づくと私は震えて、事務員さんの手を握った。発表の1分前に事務員さんがパソコンでホームページを開き始め、心底動揺している私を大丈夫、もし駄目でもこれで終わりじゃないと宥めた。秒針がついに0に差し掛かった瞬間、事務員が開くよと躊躇なくエンターキーを押した。桜の画面と合格という文字が出てきた。私は感情よりも先に涙が出てきた。泣き出す私に事務員さんが覆いかぶさり、目の前が真っ暗になったが、去年の真っ暗とは理由が違った。幸せだった。家族に連絡しなさいと言われてラインすると皆待ち構えていたようで、すぐにZoom会議が開かれた。皆信じられない。よく頑張ったと繰り返した気がする。実はその時のことはあまり覚えていない。予備校や家族皆から褒められて、春から医大生になれると高揚し、はしゃぎ疲れて眠った。ただ2つ記憶に残っているのは、自分が受かるか怖くなって号泣した子が過呼吸になったことと、今まで無視してきた女の子が掌を返して抱きしめてきたことだ。本人曰く合格のおこぼれをもらったそうだ。いろんな感情が予備校の中を駆け巡った夜だったが、私はただ幸せを噛み締めたまま眠りについた。

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