表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

井の中の蛙な小学生

私は22歳医学部三年生のぽっと。

タイトルにもある通り母のALS発症によりヤングケアラーを経験し、大信頼していた父の不倫が発覚。気持ちが四散し、暫く試験もお休みで勉強する気も起きない為、執筆を始めてみた。

 色々あったし、きっとこれからも色々あるとは思うが、決して暗い物語ではない。何より人生で起こることはどんなに悪いことでも、のちのち意外な形で生きてくると私は知っている。


小学生の頃の私は生意気で、意地悪で、ナルシストだった。絵や作文を表彰され、勉強でもあの子は頭が良いと噂されていた。家族旅行は毎年行っていた。1年おきに遠い所、近い所に行き、クリスマスやひな祭り等のイベントごとはお祝いする。

とても仲が良かった。父も祖父も医師で、見晴らしの良い太陽のような色合いの家に住み、私に足りないものはきっと人柄だけだった。初詣の帰りに毎年家族で高台からうちを眺める。朝焼けに照らされ、一際明るいうちが誇らしくて、私は一生この人生が続くと疑わなかった。

しかし9歳の時、突然その世界は壊れた。母がALSを発症したのだ。原因が分からず、母は病院をたらい回しにされ、やっとの思いで診断を受けた。不幸なことにその病気は不治の病で、延命を望まなければ平均3〜5年で亡くなる。できていたことは徐々にできなくなり、様々な自由を失う残酷すぎる病気。その時の母の気持ちは想像を絶するものだと思う。考えたくない。両親が私と姉にこのことを言えたのは診断を受けて何ヶ月も後になった。

父は明るく言った「ママALSになったから、これからは皆でママを支えようね」と。私はそのアルファベット3文字を反芻しながら、これから自分が幾度となくその3文字に苦しめられるとも知らずに笑顔で頷いた。

それからというもの、母は手の筋肉が衰え、パーマやカラーをしていた髪もショートカットにし、子供ながらにケバいと思っていた化粧もしなくなった。歩き方は横揺れ。起き上がりこぼし人形のように歩く母を人々は数奇な目で見る。隣で歩くのを恥ずかしく思ったこともある。

母は徐々に日常動作が一人でできなくなっていき、家族3人で母の介助をし始めるようになった。お風呂や歯磨き、排泄等、当時は何故私がしなければならないのか不服だった。

母はそんな進行していく病態に抗うように毎日40錠近くの薬を飲み、当時は保険が降りなかった高い点滴薬を祖父の家から取り寄せていた。そんな努力も虚しく、母は徐々に衰弱していった。食べ物や薬はむせて吐き出してしまう。腕は点滴の差し過ぎで、血管が硬く針を刺すのが困難だった。体重は徐々に減り、顔色は灰色がかっていた。喉が締まって上手く発声できない為、お喋りだった母は話すことが少なくなった。

私は子供ながらに無力感を感じていた。ストレスが掛かっていたのか、幼児退行、茶碗を噛みちぎる等、家族を困惑させることもあった。

毎日コンビニや宅配食でやり過ごした日々。栄養状態改善のため、家事代行スタッフを雇ったが、1人目は料理が上手では無かったり、2人目はお金を盗まれたりとなかなか上手くは行かなかった。

病気になってからというもの、母は指先を真っ直ぐに固定するグローブのようなものをはめて運転し、私の塾帰りによく映画や、買い物、ゲームセンターに連れて行ってくれた。何気ない母娘の時間。今思えばもっともっと大事に過ごしていたらと後悔する。もう二度と母の声を聞くことも、遊ぶ機会も訪れないとその時は知らなかった。母もきっと予感していたと思う。もう自分が母娘らしいことができるのはこれで最後だと。だからあの時、私が中学受験をするにも関わらず、沢山連れて行ってくれたのだ。そんな母の思いも知る由もないわがままな私は、ある日、母の支度が遅れ、映画に間に合わないことに不機嫌になっていた。そしてこの日が私の今までの考え方を改めるきっかけとなった。いつもは母を支えながらチケット発券機に並ぶのだが、ポップコーンを買っておいでと言われたので、私はポップコーン売り場に並んだ。メニューを見ながら何にしようかなと考えていた時、ふと母の方を見ると母が膝で立っていた。足の筋力が弱い母に、映画館のカーペットは突っかかってこけやすい。こけたところで、自分で立ち上がることもできない。すべての筋力が落ちているからだ。そんな母を横目に人々は母を抜かし、手を差し伸べることもなかった。私は慌てて母の元へ走った。そしてごめんなさい、ごめんなさいと心の中で繰り返した。自分が不機嫌だったから、ポップコーン買いに行かせてくれたんだと気づいた。皆の速い足取りについていけるわけがなかったのに、私は母を放置してしまった。凄く申し訳なくて、初めて母の気持ちを想像して胸が苦しくなった。母もなりたくてなったわけじゃない。できていたことができなくなるってどんなに辛いことだろう。私は本当に自己中で母の気持ちを全く考えられなかった。その時、自分の愚かさや無配慮さを初めて悔やんだ。今でもあの時の母の姿がフラッシュバックしてしまうことがある。

それからというもの、前はいやいややらされていたことが全くと言っていいほど苦に感じなくなった。母の生理ナプキンを変える時、母はいつもごめんねと言うが、何も苦じゃなかった。歯磨きやお風呂も以前より丁寧になった。

とはいえ、私も子供だったので、両親には沢山迷惑を掛けた。同級生の男の子からの嫌がらせが続き、不登校になりかけたので、両親がその子の家に突撃したこと。勉強しなかった為、滅多にない塾の担任から連絡が来たこと。母に靴下の誕プレを買ったが、滑る素材で履いてくれなかったため拗ねたこと。一人じゃ眠れず、よく夜中に両親の元を訪ねたこと。他にも本当に手がかかる子だった。その時沢山甘えさせてもらった。両親は子供を一番に考え、叱り、大事に育ててくれていたと今は思う。

そんなこんなで小学校を卒業し、私はなんとか父と姉と同じ私立中学校に合格した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ