9|番外編
梅雨明けの雨、好きが重なる音
引っ越しのバタバタがようやく落ち着いてきた数日後。
積んだままだった段ボールも少しずつ減って、ようやく部屋が“ふたりのもの”になり始めた。
今日も本当は晴れの予報だった。
午前中は蝉の声すら聞こえていたのに、午後になってから急に雲が広がって、ふいに降り始めた雨。
「……また降ってる」
窓辺で澄がぼそっと呟く。
「梅雨明けたのにな」
しのが背後から寄ってきて、澄の肩ごしに窓の外を眺める。
「おかえり、雨」
小さな声で、澄がつぶやいた。
「俺のことか?」
「ちがう」
「……ひど」
ふたりで迎える生活も、まだ数日目。
なのに、もうこうして一緒にいるのが当たり前みたいな空気が、部屋の中に漂っていた。
ベッドの上、開きっぱなしの画集と散らばった靴下の山。
澄は足を抱えて座っていた。
その背後から、しのがするりと腕をまわす。
「なに」
「んー、触りたいだけ」
「……それ、いつも言ってる」
「うん。今も」
ふざけたような声。でも、その温度はあたたかい。
澄の背中に密着するしのの体温が、じわじわと意識を攫っていく。
「……くすぐったい」
「がまんして」
「……やだ」
澄がふいに身をよじると、しのがバランスを崩し、そのままベッドに倒れた。
そして、腕の中に澄が収まる形になる。
「わ、ちょ……」
「こっちの方が、落ち着くな」
すっぽりと包み込まれた状態で、澄は視線を逸らす。
頬が少しずつ熱を帯びていくのが、自分でもわかる。
「……見すぎ、......あんまり見ないで」
「見るだろ、好きなんだし」
「……っばか」
「今更、何言ってんの」
不意に交わる目と目。
しのの指がそっと澄の頬をなぞり、前髪をよける。
そして、唇が触れた。
最初のキスより、ずっとやわらかくて、
慣れていて、でも⎯⎯
「……っん」
声が漏れた瞬間、澄の目が揺れる。
さっきまで触れられるだけで精一杯だったのに、今は、その深さに少しだけ応えたくなっている。
「澄」
「……ん」
「今日も、していい?」
「……ぅん」
小さな頷き。ほんの少しだけ、恥ずかしそうに。
「痛かったら、すぐ言えよ」
「ん。……大丈夫だよ、しのは心配しすぎ」
「……しの」
「ん」
「……満足、できてる……?」
「えっ?」
澄が少し俯いて、小さな声で続けた。
「僕……しのとが初めてだったし……うまくできてるか、わかんなくて……」
しのは思わず、息をのんだあと笑った。
「なにそれ。……満足どころか、可愛すぎて困ってんだけど」
「……もう、そういうのいいってば……」
顔を隠す澄の背を、しのがぎゅっと抱きしめる。
「……可愛すぎ、まじで」
「うるさい……」
そのまま、触れる。
前より、少しだけ深く。少しだけ確かに。
「ん、ふ……っ、しの……そこ……やだ……」
「ここ?、」
「っぅん、………ば、かっ………ぐすっ」
澄の身体が触れるたびに震える。
しのの手の動きに、唇が少し開いて、声がこぼれる。
「……澄、好き。すごく」
「ん、っ、僕も……」
「……やべ、……なんか泣きそう。
………ずっと、こうしたかった」
澄はくすっと笑って、肩をすくめた。
「ふっ……今更、何言ってんの。……僕もだよ」
雨の音がまだ、窓の向こうで続いていた。
でも、今この部屋の中は、ふたりだけの世界になっていた。
触れた手の熱は、すぐには消えない。
雨は止んでも、この温度だけは、ずっと⎯⎯