第09回:遷都ばせんと春秋時代にならんと
ミニコラムの続きです。
周のダメ君主:幽王は褒姒という美女を寵愛します。この褒姒という女性には生まれながらに奇妙な伝説があったそうです。
むかしむかし、2匹の龍が王宮に現れてよだれを吐き出したそうです。占ったところ、このよだれを捨ててしまうのが一番良いという結果が出ました。しかし当時の王は何故かよだれを木箱に納めて保管しました。
それから数百年後、周の厲王の時代に木箱が開けられ、中身は黒い蜥蜴と化しました。
この蜥蜴は後宮に入り込み、一人の童女と交わったそうです。
そして、その童女は女の子を産んだが、不吉なことであるとして捨てられてしまったとか。
褒姒は、その捨てられた子であるという伝説だそうです。恐ろしや。
褒姒は絶世の美女だったので幽王の愛人に取り立てられます。幽王は美しい褒姒を大変気に入りました。
しかし、彼女は全然笑いません。愛想が悪い。幽王は一度でいいから彼女の笑顔を見たいと願ってやみません。
ある日、手違いで軍の緊急招集の太鼓が打ち鳴らされます。慌てて各地から軍隊が集結します。
しかし、なにごともない。これは軍の皆さんキョトン顔。この有り様を見て初めて褒姒が初めて「キャハハ」と大笑いします。何が面白かったのかは不明ですが、幽王は褒姒の笑顔を初めて見る事ができました。
その後、気を良くした幽王は用もないのに何度も太鼓で軍を緊急招集します。そのたびに褒姒が大笑いしたからクセになったのです。
しかし、ある日本当に反乱が起き、軍の緊急招集が必要になりました。
幽王は太鼓を叩きますが、誰も来ませんでした。皆バカバカしくなったのですね。
幽王は、驪山で反乱軍に殺されました。…ん?これって「狼が来た」の話とそっくりですね?
ちなみに褒姒はこの時、捕虜となり、周はいったん滅亡しました。周の人々(ひとびと)は首都を捨てて東の副都だった洛陽に逃げます。
以前の周は西の方の長安に首都があったので「西周」と呼ばれます。
これ以降の周は東の洛陽の方に首都が移ったので「東周」と呼ばれます。グッバイ長安、ヨロシク洛陽です。
時代区分としては周が力を持っていたころを「西周」。落ちぶれてからを「東周」と言い分ける事になります。
東周以降はすっかり落ちぶれて、諸国の力の方が強くなりました。オヤブンよりもコブンの力が増したのです。
ここからの時代を春秋時代といいます。ちなみに春秋とは、孔子が書いた歴史書です。春秋に書かれている範囲の時代だから春秋時代なんですね。
周は封建制で建国時に功績のあった人が各地に諸侯つまり藩主として、土地を与えられていました。
例えば、太公望には斉国が与えられ、周公旦は魯国に封じられました。
春秋時代になってからは親分である周国の権威が低下した為、諸侯は言うことを聞かなくなりました。勝手な行動をする様になったのです。
最初の頃は周も「のび太のくせに!」というジャイアン的な発想で諸侯の討伐を行いましたが、やがて諸侯から反撃される羽目に。
諸侯も「四次元ポケット(よじげんぽけっと)を得たのび太」状態になって、反撃するようになります。
親分の周を軽視するようになったのです。
そして、周を無視して諸侯同士で主導権争いを行うようになるのです。