第62回:王莽登場「オ~モウレツ~」
ミニコラムの続きです。
前漢末期は皇太后の王政君とその一族が権力を握りました。その中から王莽という人物が登場します。王莽は、若い頃から学問に励み、礼儀正しく慎み深い態度で周囲からの評判も高く、次第に頭角を現しました。
王莽は儒教の理想を突き詰めて、さらに突き抜けようとする人物でした。つまり、彼は、生活に困っている人々に施しをしたり、身内の病人を献身的に看病したりと、人々に良い印象を与える行動を積極的に行いました。
例えば、王莽は、財産を惜しみなく貧しい人々に分け与えました。飢えた人々に食事を与え、困っている人には衣服を与え、その様子はまるで生き仏のようだったと言われています。また、身分の低い人々にも分け隔てなく接し、彼らの話に耳を傾け、親身になって相談に乗りました。ここまで聞くと「なんだ、王莽は凄いヤツじゃん」となります。
しかし、やる事がいちいち度を過ぎているのです。王莽の兄、王永は若くして亡くなりました。王莽は、兄嫁の生活を支えるために、経済的な援助を惜しみませんでした。また、兄嫁の子供たちを我が子以上に可愛がり、教育にも力を入れました。この時は、甥の同級生や先生にめちゃ酒おごったりもしたそうです。
さらに、兄嫁が病気になった際には、昼夜を問わず看病し、薬や食事の世話をしました。兄嫁が亡くなった際には、自分の母親と同じように手厚く葬儀を行い、喪に服しました。
また、王莽の伯父である王根は、大将軍という重職にありましたが、病に倒れました。王莽は、自身の家族を顧みず、昼夜を問わず王根の看病に励みました。
王莽は、自ら薬を調合し、食事を作り、王根の身の回りの世話をしたそうです。王根が病床で苦しんでいるとき、王莽は涙ながらに看病し、その姿は周囲の人々を感動させました。
王根は、王莽の献身的な看病に感謝し、彼を高く評価しました。このように、王莽には、「母だけでなく兄嫁にも尽くす」「甥を我が子以上に熱心に教育する」「甥の同級生や先生にめちゃ酒おごったりする」「家族をほったらかしにして伯父の大将軍を熱心に看病する」「家の価値あるものは全部人にプレゼントする」「出世してからも低姿勢を貫く」「客人にめちゃ気を使う」などのエピソードがあります。
しかし、これらの理想の聖人君子を装うエピソードがちょいちょいわざとらしく、どう考えてもパフォーマンスだと思うのです。例えば、王莽は、自分の息子が不正を働いた時は容赦なく処刑しています。つまり彼は実は冷淡な性格で「王莽は息子も処刑するほどルールを大切にするヤツだぜ」と思われるためのパフォーマンスだった可能性があるのです。
しかし、当時の人々からは「凄い奴だ!」と言われる様になります。その結果、王莽はどんどん出世して、皇帝をも操れる権力を持つようになります。外戚の権力が無駄に増大した結果でもあります。
しかし、王莽の異常な上昇志向がもたらしたとも言えます。ここで王莽は一線を超えちゃいます。「せっかくだから皇帝になりたいな」と思う様になるのです。儒教では大逆の考えです。国をひっくり返す考えで大罪となる考えなのです。
しかし、儒教には「優れた君主はより優れた家臣に権力を譲る」という禅譲という仕組みがあります。これを使って王莽は幼い皇帝から帝位を奪います。そして、漢王朝改め新王朝を開くのです。新王朝の新王朝ってなんだか紛らわしいですね。
しかし、王莽は理想主義が過ぎて現実が見えなくなっていました。「儒教では千年以上前の周王朝最初の周公旦の時代が理想だったよな。よ~し、政治のやり方をその時代に戻そう」と考えたのです。それじゃ国は大混乱します。
だって、現代で「政治のシステムを平安時代に戻しま~す」って言われたら困りますよね。「えっ?関白とか左大臣とかが『おじゃるでおじゃる』とかいいながら政治するの?選挙は?」ってなるでしょう。王莽はそれをやっちゃったのです。
例えば、王莽は「土地はね、みんなのもの!一部の金持ちが独占するのはダメ!だから、全国の土地を国有化しちゃいまーす!」と言い出します。国民からしてみると「え、うちの畑、明日から国のもの?」「今まで頑張って開墾したのに…」ってなりますよね。
他にも王莽は、「貨幣はね、色々あった方が楽しいじゃん!だから、色んな種類の貨幣を作っちゃいまーす!」とも言い出します。そして国民は、「え、昨日まで使えたお金が、今日から使えない?」「両替手数料、高すぎ!」となったのです。その結果、貨幣制度は大混乱します。インフレが止まらなくなり。経済は大混乱しました。
さらに、王莽は「商売はね、国の許可がないとダメ!物価も国が決めちゃう!みんな、これでインフレは収まるから安心してね!」と言い出します。そして国民は「え、商売するのに許可が必要?」「物価が安すぎて、うちの店、赤字なんですけど…」となります。
この結果、商人は大混乱します。市場はストップして、物資が不足する事になったのです。これらの王莽のダメな政策の結果、国中のあらゆる場所から非難がごうごうと発生します。当然です。そして、「これじゃ国は回らねえよ」という事で各地で反乱が多発するようになりました。
反乱を起こした勢力のうち、最大勢力になった緑林の軍において、劉玄が「おれは皇帝だぜ!」と言い放ち、更始帝として即位しました。
王莽はますます反乱に怯えます。「そうだ、若さをアピールするために髪の毛やひげを黒く染めよう!」とか「そうだ、元気さをアピールするために若い女子を新しく嫁に迎えてイチャイチャっぷりを自慢しよう!」とか、ピントのずれた行動を行うようになります。
こうして王莽は人々から見放されます。新王朝は、哀れあっという間に崩壊して消滅するのです。