第06回:酒池肉林するなら殷周革命よ♡
ミニコラムの続きです。
商王朝末期の紂王はイケメンで弁舌巧みでした。しかし、反面、乱暴で自分勝手でした。さらに、国の税金を重くして贅沢三昧でした。可愛がっていた美女の妲己に溺れて、日々宴会ばかりしていたそうです。何だか、夏王朝の末期の「桀王と末喜のコンビ」と似たような状況です。マネしたのかな?紂王は宴会では天井から肉を吊り下げて、林に見立て、酒を溜めて池に見立て欲望のままに飲み食いして美女と遊んでいたそうです。これが「酒池肉林」の語源となりました。これでは、国も堕落して家臣や属国からは恨まれます。これに対して「何とかせねば!」と悩む人物が現れます。彼の名は「姫昌」といいます。後に文王と呼ばれる人物です。姫昌は商王朝の名のある諸侯でした。彼は圧政に苦しむ民衆を救うため、殷の紂王に仕えながらも、密かに力を蓄えていたのです。ある日、姫昌は渭水のほとりを歩いていると、釣りをしている老人に出会います。針の付いていない釣り竿だった事を不思議に思った文王は、その事を老人に聞きます。すると「私が釣ろうとしているのは魚ではなく国です」と回答しました。面白く思った文王は、彼を軍師に迎えます。この人物こそ「太公望」です。本名は姓は姜、名は尚、字は子牙といいます。だから、呂尚とか、姜尚とか、姜子牙、呂子牙とかいろんな言われ方をします。すべて太公望の本名なので混乱してしまいますね。文王は太公望を配下に加えると「私の祖父は古公亶父という。太公とも呼ばれていた。祖父は国を救う軍師を待ち望んでいた。遂にその人物が現れたぞ!」と言って喜びました。太公が待ち望んでいたから、「太公望」なのですね。文王は、太公望に大きな期待をかけました。しかし、残念ながら文王は、志半ばで死去します。しかし、文王の志は、二人の息子と太公望に受け継がれます。彼らは太公望の軍略で紂王を倒し、商王朝を滅ぼします。兄である姫発の方は王となり、武王と呼ばれます。弟である姫旦の方は王となった兄を補佐します。その後、姫旦は兄の死後には、兄の子の摂政となり、周公旦と呼ばれます。暴君の紂王を倒し、新たに周王朝を建てるまでの事は殷周革命と呼ばれます。そして、逸話は脚色化され、現在は封神演義という物語で、現代に伝わっています。そこでは哪吒という傀儡神が大活躍します。つまり、人形だった哪吒は命を吹き込まれて商王朝を倒すのに功績があったのです。現在でも人気がある哪吒ですが、実在はしなかったかも知れませんね。敗者となった商王朝の土地は分割され、周建国時に功績のあった人々に分け与えられました。功臣がその地域の統治者になって、小さい国を作る。これを周がまとめて統治するという形になったのですね。これを封建制と言います。商王朝の人々は国が滅んで住むべき本拠地が無くなってしまいます。仕方なく、各地に分散して、物資の取引業務を行います。「元商国の人がやっている売り買い」なので、「商売」と呼び、このような売買行為を行う人たちを「商人」と呼ぶ様になりました。