表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/162

第06回:酒池肉林するなら殷周革命よ♡

ミニコラムの続きです。

しょう王朝末期のちゅう王はイケメンで弁舌べんぜつたくみでした。しかし、反面、乱暴で自分勝手でした。さらに、国の税金を重くして贅沢三昧ぜいたくざんまいでした。可愛がっていた美女の妲己だっきに溺れて、日々宴会ばかりしていたそうです。何だか、夏王朝の末期の「桀王けつおう末喜ばっきのコンビ」と似たような状況です。マネしたのかな?紂王ちゅうおうは宴会では天井から肉を吊り下げて、林に見立て、酒を溜めて池に見立て欲望のままに飲み食いして美女と遊んでいたそうです。これが「酒池肉林しゅちにくりん」の語源となりました。これでは、国も堕落だらくして家臣や属国からはうらまれます。これに対して「何とかせねば!」と悩む人物が現れます。彼の名は「姫昌きしょう」といいます。後に文王ぶんおうと呼ばれる人物です。姫昌きしょうしょう王朝の名のある諸侯でした。彼は圧政に苦しむ民衆を救うため、いん紂王ちゅうおうに仕えながらも、密かに力を蓄えていたのです。ある日、姫昌きしょう渭水いすいのほとりを歩いていると、釣りをしている老人に出会います。針の付いていない釣り竿だった事を不思議に思った文王は、その事を老人に聞きます。すると「私が釣ろうとしているのは魚ではなく国です」と回答しました。面白く思った文王は、彼を軍師に迎えます。この人物こそ「太公望たいこうぼう」です。本名は姓はきょう、名はしょうあざな子牙しがといいます。だから、呂尚りょしょうとか、姜尚しょしょうとか、姜子牙きょうしが呂子牙りょしがとかいろんな言われ方をします。すべて太公望たいこうぼうの本名なので混乱してしまいますね。文王ぶんおう太公望たいこうぼうを配下に加えると「私の祖父は古公亶父ここうたんぽという。太公たいこうとも呼ばれていた。祖父は国を救う軍師を待ち望んでいた。遂にその人物が現れたぞ!」と言って喜びました。太公が待ち望んでいたから、「太公望たいこうぼう」なのですね。文王は、太公望に大きな期待をかけました。しかし、残念ながら文王は、志半ばで死去します。しかし、文王の志は、二人の息子と太公望に受け継がれます。彼らは太公望の軍略で紂王を倒し、商王朝を滅ぼします。兄である姫発きはつの方は王となり、武王ぶおうと呼ばれます。弟である姫旦きたんの方は王となった兄を補佐します。その後、姫旦は兄の死後には、兄の子の摂政せっしょうとなり、周公旦しゅうこうたんと呼ばれます。暴君の紂王ちゅうおうを倒し、新たにしゅう王朝を建てるまでの事は殷周革命いんしゅうかくめいと呼ばれます。そして、逸話いつわは脚色化され、現在は封神演義ほうしんえんぎという物語で、現代に伝わっています。そこでは哪吒ナタという傀儡くぐつ神が大活躍します。つまり、人形だった哪吒なたは命を吹き込まれて商王朝を倒すのに功績があったのです。現在でも人気がある哪吒なたですが、実在はしなかったかも知れませんね。敗者となったしょう王朝の土地は分割され、しゅう建国時に功績のあった人々に分け与えられました。功臣がその地域の統治者になって、小さい国を作る。これを周がまとめて統治するという形になったのですね。これを封建制ほうけんせいと言います。商王朝の人々は国が滅んで住むべき本拠地が無くなってしまいます。仕方なく、各地に分散して、物資の取引業務を行います。「元商国の人がやっている売り買い」なので、「商売しょうばい」と呼び、このような売買行為を行う人たちを「商人しょうにん」と呼ぶ様になりました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ