第42回:始皇帝の暗殺未遂事件
ミニコラムの続きです。
秦の始皇帝は皇帝を名乗る前は秦王政と言われていました。彼は幼い頃は人質として趙国に送られていました。そこで同じような境遇で、燕からの人質である太子丹と仲良くなります。
その後、趙政は運よく秦王となり太子丹は趙から秦に移され秦の人質になります。そこで12年を過ごします。太子丹は不満です。「趙政は竹馬の友なのに、この冷たい態度はなんだ、僕らの友情は嘘だったのか!」とプンスカします。
後世から見ると「始皇帝はそんなに甘ちゃんじゃないでしょ」と笑い話になるのですが、太子丹は真剣です。太子丹は燕に帰国を許されると秦王政への復讐を考えます。個人的な恨みもありますが、燕は秦に圧迫を受けていて、このまま秦に滅ぼされる可能性もあったからです。
燕には荊軻という肝の据わった人物がおり刺客に選ばれます。荊軻は若いころ各地を放浪し各地の賢人や豪傑たちと交わり、燕で賓客として扱われていました。燕には恩があったのです。
用心深い荊軻は秦王政を確実に殺すための策を考えます。そこで必要になると判断したのは①燕の領地割譲②秦のお尋ね者の身柄引き渡しでした。
②にはうってつけの人物がいました。樊於期という人物です。樊於期は元々(もともと)は秦の将軍でしたが、嫌気がさして燕に亡命していました。秦王政は彼の首を欲しがっています。一説では秦の将軍の桓齮と同一人物ではないかという説があります。
荊軻は樊於期の元に行き頭を下げます。「秦王政を暗殺したい。手土産として貴殿の首が必要だ。死んでくれないか?」という願いを伝えます。
普通だと「は?ふざけんな!」と答える状況です。しかし、彼らは侠の人でした。侠は自分を理解する人の為に命を捧げます。樊於期は言います。「秦王政には、私も恨みがある。燕の人には恩義がある。この首、喜んで捧げよう」と言って自分の首を刎ねました。
荊軻は彼に感謝し、右手には樊於期の首、左手には捧げる土地の地図を持ち、秦王政の元に向かいます。付き従うのは従者一名でした。燕が気を聞かせてつけてくれた暗殺助手です。
しかし荊軻は彼を「見かけ倒し」と見抜きました。「過去に人を殺したことがある」と自慢していた彼ですが、実際は肝の据わった人物ではなかった様です。
荊軻は秦国に着くと、燕の使者として秦王政に面会を求めます。通常、秦王政は使者と会うのを避けます。しかし、使者の手土産は2つとも魅力的でした。重要な客だと判断して会うことにしました。
秦王政は荊軻が丸腰である事を確認します。そしてまず樊於期の首を差し出させました。間違いなく本物です。次に献上する土地の地図を差し出させます。
しかし、ここで荊軻の従者が真っ青になってブルブルと震えている事に気づきます。荊軻は「秦王の御前で緊張しているのでしょう」と胡麻化します。しかし、秦王政は不信感を持ちました。
荊軻は「感づかれたか!やむを得ぬ」と判断し、不十分な遠距離ながら仕掛けます。巻き取った地図を開くと、毒を塗った匕首、つまり、小型ナイフが隠されており荊軻は秦王政を刺します。
しかし、距離があるので外します。秦王政は素早く玉座の奥に逃げます。荊軻は追いかけます。廷臣たちはハラハラして見守ります。王の護衛たちもです。これは「なんびとたりとも王の玉座近くに立ち入ってはならない」という規則があったからです。
助けに行けないのです。商鞅の厳しい法律がここで裏目にでます。しかし、薬師の一人が気を聞かせて、荊軻に薬箱を投げます。荊軻に命中し、彼は怯みます。
その隙をついて秦王政は剣を抜こうとします。しかし抜けません。廷臣の一人が気を聞かせていいます。「王よ!剣は背負って抜くのです」これで剣は抜けました。
秦王政は荊軻を切り捨てます。荊軻の企みは失敗しました。秦王政は薬師と助言した廷臣に多額の褒美を与えます。そして、燕と太子丹を滅ぼす事を心に誓いました。
その後、李信の手により太子丹は捕縛されます。かつての親友に殺される運命となった彼は最後に何を思ったのでしょうか。
燕太子丹と荊軻が起こした始皇帝の暗殺未遂事件は、そのインパクトの強さから後世にも影響を与え、多くの物語や演劇の題材とされました。